第13話

「やっぱ、寝起きのは格別だな。最高に旨い」


 死確者は一服しに、外に出てきた。空に昇った朝焼けは何にも妨げられることなく公園に差し込んでくる。眩しかったからなのか、まだ眠気が覚めていないからなのか、死確者は目を細めていたものの、嬉しそうに輝かせてはいた。


「んで、なんだそれ」


 死確者の目線を追うと、私の手元であることに気づく。そうか、まだ資料のことは話してなかったか。死神に持ってきてもらったこと、そこに何が書かれているか、私は経緯と資料の内容から得られたことを端的にまとめて話す。

 死神が来たと言っても平然で、特段驚く様子はなかった。しかし、資料の情報が既に分かっていることばかりだと知ると、死確者は「そうか」と語尾と肩を落とす反応があった。タバコの箱を握った手からはもう力が抜けていることが、見て取れた。


「すいません、誰が綿貫さんを殺害したのか分かると思ったんですが……」


「気を利かせてくれただけで十分だよ」


 死確者は手の中から一本すくい上げ、口にくわえた。


「あの……」


 口元からタバコの飛び出している顔を傾けてきた。憂いを帯びた表情に声をかけるのをためらった。忘れたわけではない。これから話す内容が悲しみの彫りを深くするのではないかと躊躇したのだ。


 死確者はタバコをつまんで口を自由にした。「……なんだ?」


 私の宙に浮いて漂ったままの発言に眉間に皺を寄せた。険しい表情に私は思わず、内側に巻いていた唇を出して体から言葉を出す。


「綿貫さんと桂木さんの事件は直接的に結びつきがあるんですかね」


 死確者は口の端に笑みをためる。「奥歯に物が挟まった言い方好きだよな、お前」


 私は食事などしないから、奥歯どころかどの歯にも物は挟まらないのだが……


「素直に言えよ。綿貫さんが殺されたのは、20年前の事件とは関係ないかもって」


「いや、関係ない、かもしれないと言おうとしてました」


 死確者は視線だけ静かに落とすと、タバコの先を手のひらにぶつけ始めた。


「そりゃ、あるさ。むしろそっちの方が高いかもしれん」


 しまった。死確者の顔は今までにないほど沈んでいた。

 もしそうだった場合、わざわざ警察から逃走し、危険を冒してまでマフィアの元へ情報を聞きに行ったのに、これまで調べていたことは無駄になってしまう。となれば、犯人を突き止めるどころか追うことさえも難しい。見知らぬ誰かが犯人などというのは、の中からを見つけるようなもの。至極困難だ。そもそも、未練を果たすのは不可能になる。少なくとも、かなりの遅れをとってしまうこととなる。


 死確者はいくらか先の潰れたタバコを口へと持ってきた。ポケットに手を入れた。手に握ったライターに火を灯し、先を明るくさせる。まだ薄暗い中に灯った赤い炎は、死確者の顔をぼんやり浮かび上がらせた。人差し指と中指の間に挟み、太ももの側面へと落とす。


「どうしようかねぇ……」


 吸い込んだ煙が空に上がる。朝日は高層ビルの間から顔を出ていた。


「どうしましょうか」


「うーん、道がひらいてないなら……ん?」


 死確者は何かに気づいた。目を奪われ、そして足を進めた。酔ってふらついているわけでもなく、絶望したわけでもないと思う。どうしたのだろうか。


 不意に止まり、上半身を前に曲げた。起きた時、手には何かの紙の束が握られていた。ねずみ色をしている。私はそばに近寄り、肩越しに眺める。


「新聞、ですか?」


 四つ折りにされており、日付面が上を向いていた。今日ということは、ここに誰か座ってたのか。資料に注視していたからか、気づかなかった。


 死確者は一面を広げた。


「あっ」


 思わず声が出た。隠されていた上部左側に、“蛇香会幹部逮捕”という見出しを見つけたからだ。




 公園の外に出た私たちは当てもないまま家々に挟まれた住宅街を歩いていた。もう少しで、大通りだ。ここからでも左右に人や車が激しく行き来しているのが見える。今歩く場所よりも遥かに人が多い。


 ちらりと死確者の顔を盗み見る。


 あそこで落としたなんて、まさに怪我の功名だな——記事を読み終えて軽く笑った死確者の姿が脳裏をよぎる。


 記事によると、警察は死確者のスマホを追跡しようとしたが、できなかったそうだ。それもそのはずで、死確者はそのことを見越して電源を切っていた。しかしある時、突然電源が入ったことで警察は急遽追跡を再開。探知した場所へと向かった。そこが例の場所。蛇香会の日本支部だった。

 警察は事情を話し、中での捜索をさせて欲しいと任意で依頼を行った。しかし、蛇香会は令状がなければと、これを拒否。そんな時、捜査官の一人が路地裏にて発砲の跡を複数発見。そう、我々が飛び降りた場所だ。鑑識の結果、蛇香会の所有している建物からの発砲が間違いないと断定されたことから、警察は令状を持って、捜査を開始。そして、今朝方逮捕された、という経緯だとのこと。


 新聞を折り元に戻した時、スマホを落としたことに気づかなかったのか、尋ねてみた。死確者からは「遊具で寝る前に気づいてはいた。けど、どうせ使わないし。てか使えないし、別に気にしてなかった」と返された。


 通りに出る。途端に人通りが増える。余裕のあるはずの道幅も、今は人と人がぶつかりそうだ。死確者はサングラスをかけてはいる。顔がそばまで寄ることに不安を感じるのか、少しばかり視線はそらして左右を見やる。二度三度繰り返し、結果より多くの人が流れている左へと歩を進めた。

 そのまま国道沿いをしばらく歩く。多くが一軒家が並ぶ住宅街から高層ビルに囲まれた駅前へとやってきた。首が痛くなる程の高さがずらりと広がる街並みを見ると、やはりここは都会なのだと感じる。

 緑の線路をくぐると、巨大な交差点が目の前に現れた。縦横斜め、あらゆる方向から好きな方向へ歩いていけるスクランブル交差点だ。目に入った時は信号は青で人々は動いていたが、寸前で赤に変わってしまった。


 死確者とともに最後の方へ並んだ。すぐ後ろでは、人々が往来している。私は辺りを見回す。信号待ちという短い時間でもイヤホンを耳につけスマホを操作する男性、化粧の確認のため小さな鏡を顔の前に用意している女性、虚ろな目をしたまま大きな欠伸をしたり疲労の溜まってるであろう首や肩を回す中年のサラリーマンなど、様々いた。だが誰しも共通して、顔が地面を向いている。


 昔はもっと上を向いていたように思う。少なくとも、どこにどのような人がどれくらいいるのか把握できる程度の首の角度を保っていたはずだ。それが今では何処かの国へロケットを打ち込もうと威嚇する発射台さながらに、斜めとなっている。物が溢れたからだと人は言うかもしれないが、それだけではないだろう。多分、当たり前を当たり前に享受し過ぎれているのだ。

 都会にだって青い空はある。白い雲が漂い、赤い太陽が眩く光っている。見えにくいだけで、夜には星が降るように輝いている。どんな地方とも比べても変わらない。そんなこと知ってはいるだろう。だが、それを毎日確認している人の数は果たしてこの中にいかほどなのだろうか。


「あの映画どうだった?」斜めがけの水色と黒のチェック柄バッグを身につけ、メガネをかけた男性が話す。


「映画館で観るほどじゃなかったかな」


 そう答えたのは、右隣にいた紺色コートの男性。別に盗み聞きしたわけではない。なんとなく、やんわりとすぐ前から聞こえてきてしまったのだ。


「せっかく授業休んだのにか」


「いや、つまらなくはなかったよ。むしろ面白かった。けど色々気になるところが目立ってさ、モヤモヤが残っちゃったんだわ」


「モヤモヤ?」バッグの男性は眉の辺りを歪ませ、軽く皺を作った。


「例えばー」軽く空を見上げながら考え、こう答えた。


「主人公が殺した相手の本を持ち帰ってたんだけどさ、その理由が揉み合った時に怪我して、自分の血が付いたからなんだ。DNA検査とかでバレるのを避けたかったってわけ。なのに、捨てたり燃やしたりせず、家に保管してたんだ。他に自分と結びつけるものはなくて、処分すれば逃げ延びれたのに、だ」


「俺としては、どうもそこが喉に刺さった魚の骨みたいに、妙に気になっちゃったんだよね。今までのこと、なんだったんだよ的な感じがしちゃって、御都合主義展開かよって思っちゃったんだ」


「あれじゃないの? 捕まりたかった的な。ほら、ずっとビクビクしながら生きるのは辛かったみたいな」


「なるほど、そういうことか」コートの男性は腑に落ちたように何度も大きく頷いた。「そう考えると、なんか頷けるわ。ありがとな」


「いやいやこちらこそ、ありがと」メガネをかけた男性が笑う。「壮大なネタバレしてくれて」


「あっ」


 コートの男性の口が開けっぴろげになっていた。時既に遅し、といったところか。


「モヤモヤしたって言ってた時点で観るのはいいかなーって思ったからまあいいんだけど。序盤とか中盤の盛り上がり部分とかさ、もう少し前の結末に触れないようなところを挙げてくれって」


「いやーのめり込んで話してたら、つい口が滑ったわ。悪りぃ悪りぃ」


 片手を顔の前に出して平謝りをするコートの男性。


「なんか奢れよ」


「うわー手厳しいなぁ」


 信号が青に変わる。誰もが縦横斜め好きな方向へ一斉に歩き出す。私も少し歩みを進めるが、左の違和感に気づいた。死確者だけは、その場で立ち尽くしていた。まるで砂浜に刺された木の棒のよう。手をまじまじと見ている。蛇香組から盗んだガラケーが握られている。


 慌てて引き返す。


「どうしましたか?」


 死確者からの返答は無い。代わりに、「一つ訊いていいか」と尋ね返された。


「変身したら、カメラにも映るのか?」


「えっ」


 一瞬、返答に詰まる。まさかの質問だったからだ。


「ええ……問題ないですけど……」


 死確者はゆっくりと神妙に頷いた。


「何をしようとしてるんですか」


 点滅している信号を傍目に見る。


「開くんだよ」


「……何を?」


「決まってんだろ」死確者が怪しげに笑みを浮かべた。「道をだよ」


 信号は赤に変わった。

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