第12話
公園の遊具に身を隠した。大小様々の円形の穴が複数あけられており、金属の手すりが地面から頂上に向かって二箇所付けられているピンクのドームだ。
深夜だから人はいないし、なんの音もしない。近づく足音が聞こえれば、何かしらの対策はできる。隠れるにはもってこいである。
死確者は大の大人でも通ることのできる足元の穴からくぐった。背を曲げたまま壁際に移動し、「よいっしょっとぉい」と腰を落とした。ゆっくりと左足を伸ばした。一方、右膝は曲げている。
砂の地面は湿り気があったが、必死に逃げてきた疲労感のせいなのか特段気にせず、荒くなっている息を整えることばかりに意識が向かっていた。
私も相向かいの位置で腰を落ち着かせた。疲れは感じていないが、不思議と息が漏れた。
死確者は膝の上に腕を乗せた。「どうぞじゃ分かんねえよ」
「はい?」
「飛び降りた後、逃げる前」
「ああ」あの時かと記憶が掘り起こされた。
「であれば、知らせる合図でも決めておきますか?」
私はそばに寄り、しゃがんむ。
「合図?」
「咄嗟に言うよりは、決めておいた方が安心じゃないですか?」
「それには賛成だ。が、言葉は別に、今だ、とかでいいだろ」
「それだとなんか味気ないじゃないですか」
話が終わらぬように止まらぬよう、必死に繋ぐ。スパイ映画かのようで楽しくなってきたからだ。
「それに良いのもあるんですよ、私」
「何だ?」
「チョベリグです」私は自信満々に胸を張る。
「おっさん臭いこと言うなよ」ため息混じりに呆れた声を出した。「俺らがガキンチョの頃の流行り言葉だぞ」
「しかし、危機的状況であれば間違っても言うことないですし、『打開策打ってました。だから、チョーベリーグット!』というような……」
「分かった分かった。そこまで言うんなら、それでいいよ」
やった。半分面倒くさくなって切ったかのような返答だったけど、やった。
「じゃあ、打開策打った時は、チョベリグと一言……」
死確者は言葉を止めて、顔を歪めた。体勢を変えようと、尻を動かした時だった。
「足、大丈夫ですか?」下から覗くように見て、様子を伺う。
「少し痛いな」左太ももをさする。「落ちた時に、挫いちまった」
やはり、足首を庇って走っていたのは気のせいではなかったようだ。
「ゴミ袋のクッションは流石に無理だったな」
珍しく弱い笑みを浮かべた。
「ちょっと、よろしいですか?」
私はもう一歩距離を縮める。
「まさか、不思議な力で治すってか?」
「ええ」両手をかざす。「そのまさかです」
負傷箇所へ力を送る。
「動かしてみてください」
手をどけると、死確者は足首を動かし始めた。上下左右。時計回りにその反対、2周回した。苦痛になる様子はなかった。
「ったく、天使ってなんでもできるんだな」
「なんでも、ではないですよ」
「変身に、指での操作に、怪我の治療」死確者は指を折る。「もうなんでも、って言っても大丈夫だろ」
「そうですかね」
私も座るため相向かいに移動しようと、死確者に背中を見せる。途端、死確者が「お、おい」と声を発する。狼狽しているのがよく伝わってきた。
振り返ると、死確者は目を開いていた。
「背中」
指差された辺りを見てみると、黒のロングコートの至るところに穴があいていた。
「ああ」
そうか。窓から出る前に感じたのは銃弾だったのか。いつもの姿であれば通り抜けて体に一切残らないのだが、人間に変身している時はこうして痕に残る。話には聞いていたが、こういう風になるのか。
「ああって、気づかなかったのか?」
「窓出る前に軽い衝撃はありましたけど。まあ、今になっては、という感じですかね」
「なら、痛みも?」
「ええ、ありません」私は向かいの壁際に改めて近づく。
「ホント、羨ましいよな」
私は背をつけて、腰かけた。地面が妙に冷たい。
「変身解いてもいいですか?」
「ああ」
私は指を弾いて鳴らし、元の姿に戻る。そのことに特に死確者は触れない。
「危ないことしますね」
「なんかあったらどうにかしてくれ、って最初に言ったからな。結果、ゴミ袋を出してくれたし」
「そちらではなく、ほら、ポケットに隠してたでしょ?」
固有名詞は出さなかったが、死確者は気づいたようだ。「ああ」と頬を緩めた。
「銃じゃねえよ」
そう言って取り出したのは、今では絶滅危惧種と化した二つ折りケータイだった。頭の部分に電波を出してますよ感の激しい突起物がある。銃口と似ているかと言われれば難しいが、あの緊迫した状況下でならば間違えてしまうやもしれない。
「まさか、それを銃代わりに?」思わず声が上ずった。
「そういうこった」にやりと不敵に微笑んだ。
そもそもの疑問がある。
「二台持ちだったんですか?」
頻繁に使っていたのは、それこそ中華料理店の場所を調べる際に使っていたのは、スマホだったはずだ。
「いや、白目の男から盗んできた」
盗んで……あっ!
「もしかして、ぶつかったのって」
「暗くて距離間掴めなくてな。盗もうと近づいたら、事故っちまった。ま、気付かれなかったから、結果オーライだよな」
そういうことだったのか。
「上手く行ったろ?」死確者は不敵に笑む。
「何にせよ、一歩間違えれば撃ち殺されてましたよ」
危険な賭けである。
「仕方ないだろ、咄嗟だったんだ」死確者はポケットに手を入れた。
「にしても、お前、食えないやつだよな」
「天使は食べるようなものではありませんよ。それに、食べても美味しくなんかありません、これっぽっちもですっ」
「もういいよ、分かったから」
必死の弁解も効果はなく、死確者は追い払うように手をひらひらさせて、流れを止めた。次第にゆっくりになり、代わりに大きなあくびを出した。開いていたはずの目は微睡み始めた。
もしかして……
眠気に襲われているのは、明らかだった。けれど、死確者は必死に起きようとしていた。ハッとした瞬間に瞼を強く閉じて見開いたり、頬を叩いたり、つねったり。だから、「見張ってますので寝てて下さい」と提案した。その言葉に安心したのか、死確者の瞼は途端に重くなった。開く速度は遅くなり、1分足らずで閉じたまま動かなくなった。予感的中だ。
ドームの上で見張る私。もし私が見えるならば、幽霊と間違えられるのではないだろうか。またも風が吹く。夏前とはいえ、真夜中は気温が下がり、勢いも強くなった。場所を移動しようかと考えたが、ここが最も見晴らしがよく、周囲を一望できる。
それに、彼を待たなければならない。
「おっす」
振り返ると、見慣れた者が手をあげていた。噂をすれば、である。小脇には、茶色い封筒を抱えている。
「真夜中に死神サマの登場だい」
「早かったな」私も手をあげる。
ガキ大将のような妙な口調に反応を示さなかったからか、死神は少し不機嫌そうに眉をひそめた。
「んだよその言い方、急ぎで頼むって呼び出したから飛んできたのによぉ」
違った。言い方の問題だった。
「すまない」私は即座に頭を下げる。「怒らせる気は無かったんだ」
「いつものことだ、分かってるよ」死神は腰に手をつけた。「とにかく怒ってねぇから、早く降りてこい」
気づかなかったが、見下ろしてしまっていた。すぐさま滑り降り、死神のそばで着地する。
「昨日死んだ、えぇっと……綿貫
封筒を差し出す死神。
「昨日?」
「えっ、違ったか」
そうか。もう日付は変わっているのか。
「ああ、すまない」私は慌てて訂正し、受け取る。「そうだ、昨日だ」
中を開き、引っ張り出す。
「これだけか?」思わず眉と顔を上げる。
入っていたのは、紙ペラ一枚。その上、中身は、生前の略歴や住所、電話番号など当たり障りのない事ばかりであった。
「そりゃそうだろ。突然のことで事前申請もなかったんだ。公開の許可は必要最低限しか下りない」
まだ下りただけマシ、そう言っているように聞こえた。
「そもそも報復なんかに使われちゃマズいだろうが」
「これからするとでも?」私は引っかかった部分を追及する。
「人間ってのは何かを手にすれば使っちまう生き物だ。完全否定はできないだろう。それに、結果的にそういうことになっちまうって可能性もある。いずれにしろ、する方は未練なく逝けても、される方は未練タラタラ。そんなことになったら、処理やら何やらでてんてこ舞いだ。まあ、もし知りたいなら、本部に情報開示の申請をしてくれ。万が一で通るかもしれん。俺らは復讐してもらうために存在してるわけじゃないんだ」
諭されてしまうと、言い返す言葉はない。
「だが、時間はかかるんだろ」私は首をかしげる。
「万が一、って場合もある」
死神はリスクを強調する。
「なら、やめておこう」
そう答え、私は茶封筒の上に重ねた中身に早速目を通す。
「一つ聞いていいか?」唐突に死神が尋ねてくる。
「なんだ?」私が顔を上げた時、ちょうど死神はピンクドームにもたれかかった。
「なんで死期を調べようとしたんだ?」
私は腰に手を当てた。「死確者の未練に関係しているからだ」
「それぐらい察しがつくよ」腕を組む死神。「てか、それ以外で呼んでたんなら、それこそ怒る。俺が言いたいのはそのもっと先の話だ」
「もっと先?」私は眉をひそめた。
「どういう趣旨のために資料を使うのかってことだよ」
資料に目を落とし、「死定課が死を把握していたのかを知るためだ」と私は応えた。
「てことは、同業者がそばにいなかったってか?」
今度は背を離した。
「なんで気づいた?」
「いや、逆にそれしかないだろ」
そうなのか……
「そうだ。そばに天使がいなかった。事故や自殺など突発的な死因であれば、いなくてもおかしくはないが……」
「違ったんだな」死神は後に続く言葉を先に答えた。
「ああ。綿貫さんは何者かに殺害された」
「無差別?」死神の片眉が不自然に上がる。
「かもしれない。しかし、もしそうだとするなら、あまりにも偶然が重なり過ぎだけどな」
「ほうほう、成る程ねぇ」
死神は神妙に何度も頷く。その動き方や声の調子に違和感を感じた。
「何か心当たりでも?」
「まあな」死神は両眉を上げ、軽く顎を引いた。
「それも経験則か?」
「そうだ」
「教えてくれ。なんなんだ?」
どんなことでもいい。とにかく手がかりが欲しかった。手に入るなら何でも欲していた。
「訪れたからだな」
「私が?」
死神は大きくゆっくりと頷いた。どうやらそうらしい。
「見えないお前が影響与えてたら、みんな死んじまってるよ。死確者だよ、死確者」
「死確者が綿貫さんの元へ訪れたから……死んだ」
「そゆこと〜」死神の口調がなぜ軽くなる。「理由は分かるか」
「おそらく」
経験はある。要するに、綿貫さんを殺す動機が明確にあったとしても、殺そうと立案したのがもし少し前であればこちらとしても流石に対応ができない、ということ。予知能力者でもない私には、予想予定外のことの対処する術はない。どうしようもないのである。
けれど、稀にその一因を予測できるという場合がある。それは今回のように、死確者が接触した場合だ。天使のせいじゃないか——そう怒りの矛先が向けられれば、いやこの言い方は自己を救うための言い訳にしかならないので、怒られればという表現に変えておこう。そう怒られれば、私は否定するつもりはない。全て甘んじて受け入れる。その覚悟は持っている。まあなにはともあれ、どれとどれがどのように結びついていくのか、はたまた結びついてしまうのか、物事にどんな因果があるのか、元も子もないことを言ってしまえばどういう風に関係しているか、いずれも全くの未知数なのである。
「なら、いいな。経験に勝る説明はない。当然、俺からは話すことはもう何もない」
そう言うと死神は背を起こし、両足でしっかりと立った。「だから、そろそろ帰るわ」
「なんだ、もうか?」
「名残惜しいってか」
「違う。そんなことではない」
「そんなきっぱり言わなくても……」死神は口を尖らせる。悲しみと軽い怒りが込められているように感じる。
「いや、そうではなくてだな。その……折角、現世まで来てもらったのにただ帰らせるというのはどうにも忍びなくて」
「ああそっちね」声色と表情が戻る。「気にすんな。休暇ついでに貰ってきただけだ」
「休暇?」
「ああ、しばらく休む」
「こんな繁忙期によく申請が取ったな」
「ここ最近ずっと働き詰めだったから休暇取らせろって労働監督署からお達しが来たらしいんだ。順に休むことになったんだ。ひと昔前なら、あり得なかったよ」
どうやらこちらにも働き方改革の波が来たらしい。ようやくである。
「お前もこれが終わったら申請してみろよ」
「ああ」
ふと、私も長らく休みを取っていないことに気づく。これが終わったら少し休もうか。
「そいじゃ、あとで話し聞かせろよ~」
死神は手を上げながら遠ざかっていく。見えるかどうか分からないが、私も手を高く伸ばし、振っておく。
さてと。私は再び視線を落とす。
死確者が目を覚ますまでに、何かしらの手がかりが見つかるといいが……
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