第11話

 壁際にいた皆が、胸ポケットや腰に手を持っていく。やはりそうか。尻の部分の膨らみは拳銃だったか。


 死亡する日が決まっているからと言って、必ず、ではない。正確にいえば、後ろに延びることはないが、前倒しになることはある。数としてはあまり多くはないが、私は既に経験済み。今はまさに、その、前倒しの可能性がある。危険な状況だ。


 私はすぐさま人差し指を振る。頭の上で反時計回りにぐるりと一周。

 途端、側近や壁際にいた男たちが次から次に地面へ頭をぶつけていく。初めてのスケートでバランスを崩したように、腐りかけのバナナの皮に足を滑らせたように、前から後ろから勢いよく転倒していく。どんどんどんどん。

 やった私が言うのもなんだけれど、なんとも異様で滑稽な光景である。


 体を回して、背中の方も一応確認。よし、皆倒れてる……ってあれ、気絶しちゃってる? うーん、ちょっと強く転ばせ過ぎたか……


「な、なんなんだ」


 ん? 視線を戻す。死確者はもう王の前にいた。両手を必死にソファの手すりに引っ掛けている王を見下ろすように、見下すように立っている。


「言ってるだろ、俺は」


 言いかけてるのに、王は「お、おいっ」と死確者の腰辺りから顔を出す。慄きの表情をしている。


「貴様の右腕だろっ。早く、なんとかしろっ」


 私に助けを求めるとは……最早フリをする必要もないな。私は顔や体が力を抜いた。


「申し訳ないんですけど、右腕なのは彼ではなく私なんですよ」


 あれほどまでに高圧的に威厳ある風に話していた男が突然なよなよした敬語口調になったのを見たからか、王は眉間にしわを寄せた。


「な、何を言っている」


 まだ整理がついてないようだ。


「だから言ってるだろ」死確者は剥ぐようにサングラスを荒く取った。「ここにいるってな」


 王はこれでもかと瞳孔を開いた。


「お、お前っ」


 すり切れるような声で一言発すると、あまりのことに呆然唖然とした顔で沈黙した。


 確かに、写真に写った警察官制服を着た男が目の前にいれば驚くのも無理はないとは思う。けれどもマフィアの、しかも殺人も厭わない過激な人間たちを統べるボスがいつまでも驚愕した顔をするだろうか。

 こんな経験をしたことないのか、はたまた手下が何もないところで一斉にコケて気絶したからか、それとも意気地がないのか。まあ、別になんでもいいのだが。


「な、なんでここに……」


「俺の質問聞きゃ、よく分かるよ。ほらっ、いいから立て」


 行く手を塞いでいる死確者から逃れられないと思ったのだろう、王は手から力を抜くと曲げていた膝をゆっくり伸ばす。伸びきる前に死確者は王の背中に素早く回り込む。

 続けて、上着ポケットに右手を入れ、王の脇腹に突きつけた。その小さな衝突に王は小さく眉を動かす。


「それはなんだ」


 死確者は口角にしわを貯めた。


「あんたもよく知ってるものだよ」


「銃か……」


 私の目が思わず開く。初耳ですよ、と声をかけたいぐらいだった。いつの間にそんなものを……


「小さくても威力は抜群だぞ」


 死確者の言葉に、王は喉で唾の音を鳴らした。


「腹に穴開けられたくなきゃ、質問に答えろ。分かったな?」


「……何を知りたい?」


「なんで俺を襲おうとした?」


「20年前の事件を探ろうとしたからだ」


「それは桂木さんの事件か?」


「名前までは知らん。けど、そうなんじゃないか、多分」


 王は淡々と答える。


「だが、蛇香会と一介の商社マンがなんの関係がある?」


 そうなのだ。そもそも、死確者が調べていたのは20年前の商社マンが殺された事件であり、蛇香会じゃこうかいのじの字も出てこない。なのに、死確者は襲われた。繋がりが見えない。


「だから知らないと言ってるだろう。関係も何も。こっちは、やれと言われただけなんだからな」


「なら、命令は本家大元からか?」


 ん? 本家?


「さあな。肯定も否定もしないよ」


 死確者の顔がいかんせん険しくなる。


「なら、襲った理由は?」


「俺らにはない。こちらから聞かないし、我々はただ了解し、黙々と実行するだけだ」


 恨みも妬みもないのにまるでシステムを組まれた機械のように襲うとは、なんとも怖い話だ。


 けれど、これでようやく合点がいった。王は蛇香会全体のトップではなく、日本支部のトップということか。どうやら勘違いをしていたらしい。


 鼻から荒く息を吐くと、死確者は「次の質問だ」と続けた。


「上から綿貫さんを殺せという命令はあったか?」


「誰だそいつは?」


「とぼけるのは得策じゃないぞ」死確者は腹に銃を近づける。


「こんな状況で嘘なんかつけるかよ」王は死確者の方に顔を傾けた。「俺への指令は、お前を人知れぬ山に埋めろってのみだ」


 言葉に込められた強さに、死確者は閉口した。


「……手下の誰かが指令を受けて殺した可能性は?」


 王は鼻で笑う。


「だとしたら、俺の後釜は狙われてるってことになる。余生も短いな」


 何故そういう理論になるかは分からないが、日本でいうヤクザのようなしきたりが彼らの中で存在してるのだろう。


「とにかくその、ワタユキとかいう奴を殺せという指令はきてない」


 名前まで間違えている。


「間違いないな?」ほんの少しだけだが、死確者は腹部に込めていた力を抜いた。


「記憶力には自信がある。ほら、日本語上手いだろ? リスニングで覚えたんだ」


 その割には先ほど名前を間違えたが……王の声のトーンが少し上がる。状況に慣れてきたようだ、多少余裕が出てきた。反対に、死確者は舌打ちをした。顔が歪んでいるのがよく見えた。


「その殺された奴も20年前の事件と繋がりがあるのか?」


「なんでそんなこと聞く?」


「気張るなよ。ただの世間話だ」


 このタイミングですることではない気がするのだが……


「多分な」


「そうか」


 何故だろう。この嫌な予感は。無駄に時間を過ごさせているような……


 直後、廊下を走る音が聞こえてきた。しかも複数。かなり大人数だ。


「テメェ……」


 死確者にも聞こえたらしく、喉から怒りの声を絞り出した。食いしばっている歯はむき出している。


「これで終わりだ」


 王は頬を吊り上げて嘲笑う。そうか。余裕が出てきたのは、このせいだったのか。


「どうしますか?」私はすぐさま死確者に尋ねた。


「どうしますかって、部屋の外出たら終わりだ」


 顔は私の方に向いている。


「あとはここしかない」


 えっ?


 死確者を見ると目の前をまっすぐ見ていた。視線の先には、窓ガラスがある。


「まさか……」


 思わず声を漏らす。いくら小さなビルとはいえ、ここは5階である。


「行くっきゃねえだろうが」


「ですが、体を丸めたとしてもギリギ……」


 言いかけてるのに、死確者は走り出していた。既にポケットの外に手を出している。


「任せたぞ」


 任せたって、一体……


 押され倒れた王を横目に見ながら、私もあとをついていく。死確者が部屋の扉と平行の位置に着いた頃、王が叫んだ。日本語ではない。つまり、私たちに投げかけた言葉ではない。


 ということは……


 ドアが蹴破られる。途端に、巨大な銃器を持った男たちが突入してくる。死確者は跳ね、体を丸める。

 銃のトリガーが引かれる寸前、窓ガラスが勢いよく割れた。死確者は窓の外に飛ぶ。地面の方へと消える。背中越しに発砲音を聞きながら、私も窓の外へと飛ぶ。


 私はどんなに高くても大丈夫だが、死確者は危ない。しかも、先に飛んでいる。早く何か策を講じなければ。私は、落下点の周囲を見つめる。

 眼下には、緑色で金属製のゴミ収集コンテナがあった。幾つもの巨大なゴミ袋が溢れんばかりに入っている。


 これだっ!


 私は慌てて人差し指を振る。落下位置を見極めて、移動させる。2、3秒経たぬ間に上に落ちる。


「あんがとよ」死確者は頭に乗っかってしまったゴミをつまんで、投げ捨てる。「お陰で助かった」


「助かったって……無計画過ぎますよ」


 私は少し語気を強める。感情が高ぶっているのが自分でも分かる。


「私が何もしなかったら、どうするつもりだったんですか」


 死確者は膨らんだゴミ袋にもたれかかり、天を仰いだ。「死んでたかもな」


「ほら、そうで……」


「ただ」死確者は視線を向けてきた。「やってくれるとは思ってた」


 死確者は笑みを浮かべて、また空を見上げた。


 まさかの反応に少し呆然とする。だが、すぐに言葉の意味を理解する。不思議と高ぶっていた気分が収まっていく。


 そうか、死確者は私のことを信頼して……


「ヤベっ!」


 死確者は慌ててケースを揺らす。何のことかわからない。戸惑う私を無視して、コンテナは真横に倒れた。直後、甲高い音が連続して鳴り響く。どうやらまだ彼らは諦めていなかったらしい。銃弾の豪雨が降り注いでいる。


「ったく、逃げる隙さえくれねぇのかよ」


 ですよね……


 私はコンテナの端を両手で掴み、死確者を見る。何してるんだ、という顔で眉を歪めていた。


「合図したら、逃げて下さい」


「は?」


 甲高い音が収まる。射撃が止んだ。私は手の力を使って、体を押し出した。視界が明るくなる。皆、銃弾を装填し、構えようとしていた。


 今だっ!


 私は再び人差し指を振った。今日一日だけで何度振ってるか分からない。


 皆、銃を落とす。まあ彼らにとってみれば、手から離れて勝手に飛んでいった、のだけれど。


「どうぞっ」


 思いっきり叫んだ。


「どうぞ?」


 おうむ返ししてくる。


「ええっ、どうぞっ!」


「それ、合図かっ!?」


「そうですっ!」自分でも驚くぐらい声を張り上げる。「どうぞっ!!」


 そこで、先に伝えておいた合図だったことに気づいたらしく、私と同じように死確者は体を出した。すぐさま立ち上がり、灯りの見える通りへと駆けていった。


 私も死確者のあとを追い、街の明かりに紛れていく。

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