第8話

 渋滞に捕まった。


 高速道路に乗った時には既に長い渋滞ができていた。情報を得ていなかった私たちはものの見事に、滑稽なまでにまんまとはまったのだ。


 なんの渋滞だろうか。分からぬまま、30分ほど遅い流れに身を任せていると、人が歩いているのが見えた。もう現場は近そうだ。次第に距離を詰め、渋滞のわけを知る。高速道路での事故、ワゴン車に軽自動車が突っ込んだ玉突き事故が発生したのだ。

 ワゴン車の後ろは大した被害はないのに、軽自動車の前は大きく破損していた。車が精密機械であるがことを再確認できる程、中の部品が見える。道路にもネジは転がり、欠けたガラスが飛び散っていた。時間が経った今でも、事故の酷さをひしひしと感じる。

 後ろの車は脇見運転でもしていたのか、赤ちゃんをあやそうとしたのか、はたまた子供たちの喧嘩を止めようとしたのか。通りすがりの私たちに原因は定まらなかった。


 そもそも子供さえ乗っていたかさえも定かではない軽自動車と突っ込まれたワゴン車は、荷台のないトラックのような巨大な車に運ばれようとしていた。それを眺めるのは、幾人もの警察官と消防隊員、そして2体の天使。誰かは分からない。けれど、幾人という意味では、それが何を意味しているのか。私には瞬時に理解できた。視線をゆっくりとそらす。

 どんなに自動化が進んで正確になったとしても、不具合は起こる。普通は小さな不具合だ。だが、ドミノ倒しのように小さな不具合が重なれば、いつしかそれは考えもしなかったようなものまで倒してしまう。今回、ドミノは高層ビルまでをも倒壊させてしまったようだ。


 事故現場を通り過ぎると、固まっていた車が解き放たれていた。渋滞が嘘のように解消された。車は速度を低速から通常に勝手に戻す。人間が運転していれば、これまでの負債を取り返さんとばかりに速度を上げるだろうが、ここでもやはり機械は機械。ぶれることなく、法定速度をしっかりと守る。結果、公園に辿り着いたのは、約束の15時どころか16時をとっくに過ぎていた。


 すぐさま車を降り、駐車場を出る。舗装された赤く色付けられた道が見える。道が伸びる右手方向へ曲線上に進むと、視線の先に噴水が見えた。放射線状に水を吹き出している。

 噴水の縁に座っていたスーツ姿の人が立ち、手を上げる。鶴川さんだ。死確者もポケットに入れていた手を出して上げると、速度を更に上げた。置いていかれぬように、私も歩幅を大きくする。

 歩む舗装道路の両端には隙間なく、直線状に木が植えられていた。その途中に、コンクリ壁のトイレや分別して下さいと注意喚起しているゴミ箱や手洗い水飲み場があった。景色を遮るものは何もなく、歩んでいけば自然と噴水まで導かれる作りになっている。


 ただまっすぐ進んでいれば、鶴川さんと出会える。そして、事件解決の手がかりとなることを知ることができる。わざわざ時間をずらしてまで直接話したいということはよっぽどの情報なはず。一体何なのだろう。一歩一歩進む毎にその想いは強くなっていく。


 仲睦まじく腕を組むカップル、帰宅途中のビジネスバッグを手にぶら下げているサラリーマン、大根の葉が顔を出しているマイバックを腕にかけて井戸端会議に花を咲かせる主婦、ベビーカーに両手を乗せながら談笑しているママ友達……夕方だと言うのに人の数は多く、散らばるようにいた。


 私の意識が辺りに移り出した時、死確者は急に速度を落とし、「おかしい」と呟いた。


「何がです?」


「子供がいない」


「はい?」


「一人も子供が見当たらない」


「子供……いや、あそこにベビーカーが……」


「遊んでいる、子供がだ」


 確かに遊んでいる子供はいない。というより、歩いている子供さえいない。


「夕方ですし、もう家へ帰ったのでは」


 私がそう口にすると、胸に現れた引っかかりは引っ込まなかったようで、ぼそりと「なんか妙だ」とさらに呟いた。


 死確者はまっすぐ前を見ながら、「周りに怪しげな奴が誰かいないか探してくれ」と耳打ちしてきた。


「分かりました」


 杞憂にしろそうでないにしろ、こういうのは早めにすっきりさせておくのが一番である。私は急いで辺りを見回して、探す。


 あっ。「いました」


 早速いた。しかも、耳に手を当てており、いかんせん怪しい。


「木陰に隠れている男性がざっと13人ほど。皆、スーツを着用しています」


 とりあえずぱっと見て判明する情報を言葉にして並べていく。


「あと、会話でもしているのか、耳にイヤホンのようなものをかけています」


「イヤホン?」


「ええ。時折、それに手を添えて誰かと話をしています」


 死確者は立ち止まった。距離が詰まったのを横目に捉えた私は、足の指に力を込めて、体をつんのめる。


「どうしました?」


 死確者はポケットからスマホを取り出すと、耳に付けた。


「天使、こっちを見てるか」


 あっ、また電話のフリか。


「ええ。しつこくじっと。なんとも怖い目つきです」


 死確者は眉を軽くあげ、小さくため息を吐いた。


「いいか、ぞ」


 はい?


「これは罠だ」


 あまりのことに顎が落ちる。唐突過ぎる内容に動揺が顔全面に出てしまう。半開きの口をどうにか動かし、「けど、鶴川さんはあそこに」と言いかけると、「俺を捕まえるための囮だよ」と被せてきた。


「しかし、捕まえるってなんの罪で?」


 少なくともここ数日間ではひとつも心当たりはなかった。


「俺が聞きてえよ。だが、状況からして捕えようとしてんのは間違いない」


 元刑事としての経験がそう言っているのだろう。であれば、私には分からない領域であり、口出しすることではない。


「それはマズいですね」


 捕まってしまえば、未練解決が遠ざかるどころか、危うくなってしまう。私の仕事に支障出まくりだ。


「車、使いますか」


「それが一番早いな」


 なら、来た道を一気に引き返すということか。


「捻挫とかすんなよ。一気に行くぞ」


「了解です」


 もう意識は鶴川さんでも周りの刑事でもなく、死確者の言葉だけに向いていた。静かに時を待つ。


 死確者はスマホを戻す。視線がポケットに向いた瞬間、足のつま先に力を込めて、逆方向に走る。そして、全力で走り出した。私もコンマ何秒遅れるも、踵を返して、素早く足を動かす。


「逃げたぞ、追えっ!」


 どこからか男の叫び声が聞こえた瞬間、ガサゴソと雑音があちらこちらから同時多発的に聞こえてくる。振り返ると、草むらからスーツを着た男たちが物凄い形相で飛び出してきた。


 追ってくるのは彼らだけじゃない。先ほどまで仲睦まじく腕を組んでいたカップルは腕を離し、今は前後に全力で振っている。帰宅途中のサラリーマンは持っていたビジネスバッグを、井戸端会議をしていた主婦たちは手にしていたマイバックを地面に落として、腕を振っている。先程までの笑顔は何処へやら。今はもう般若面のような形相に変化していた。何より驚いたのは、ベビーカーを押して談笑しているママ友らがベビーカーそのものを置きっ放しにしていたことだ。中に赤ちゃんが置き去りじゃないかと不安になる。

 いやそもそも居ないのか、と一人で勝手に疑問解決をし、私は顔を戻す。


「どうにかしますか」


「頼むっ」


 私は軽く振り向き、人差し指を動かそうとした。ふと、ゴミ箱やホースの繋がれた水道管が目についた。には丁度いい。


 まず、左右にあるゴミ箱を倒す。全て道路側に入れ口を向ける。中からちり紙や新聞紙、空き缶や空き瓶が飛び出す。中身があるのに蓋が開けっ放しのペットボトルは地面や洋服に模様を作る。動揺している。成る程、水分は人を怯ませるのか。よし。

 次は、水飲み場の水を勢いよく出す。だいぶの人間が怯んでいる。よしよし。

 最後におまけで、同じ水飲み場から伸びているホースのも栓を開けて、水を注ぐ。途端、鞭のように暴れ始める。足を止めて顔の前に手をかざす。当たらぬよう警戒している。


 片付ける人の身になると手間の大変さに申し訳なさを感じるが、背に腹はかえられない。ごめんなさい、と心の中で謝っておく。


 しかしながら、相手も本気だ。私の攻撃を避けて、追いかけてくる人たちは大勢いる。ここまで来ると、般若どころか、もはや鬼。何が何でも捕まえてやろうという気概をひしひしと感じる。


 仕方ない、よな。


 私は自分を納得させ、今度は声に出してごめんなさい、と謝り、人差し指を振る。相手は何もないところで、滑っていく。前から背中から倒れる、はたまた横に尻餅をつく。「何やってんだ」の怒号がどこから聞こえてくるも、私はむやみやたらに手を振り続け、どんどん転ばせていく。


 これには流石の鬼も困惑したようで、「潤滑油が撒かれてるぞっ」という叫びが聞こえ、皆が多少なり速度を落として慎重になる。


 顔を正面にして、車の方へと向かう。すぐさま助手席へ乗り込む。瞬間、一抹の不安が芽生えた。


「車で逃げられるんですか?」


 通常の速度でしか動けない。事故を過ぎた後も速度を上げることはできなかったように、速さのアドバンテージは歩行より早いというだけで、同じく車で追いかけられれば、特別ではない。それに先回りして封鎖されれば、たちまち絶体絶命に陥ってしまう。


「問題ない」


 死確者はナビの斜め右上に付いている赤いボタンを押した。何もなかった死確者前のインパネが真ん中辺りで切り込みが入る。そこを境に左右に開き、中からハンドルが出てきた。昔懐かしい円型ではなく、両サイドに輪がある八の字型。同時に、足元でも動きが起こる。何も無かったスペースから2つのペダルが浮かび上がるように飛び出してきたのだ。


「……それは?」


 死確者はハンドルを強く握り、不適に笑みを浮かべた。


「警察特権だ」


「いや、もう警察を辞め……」


 言いかけた途端、信じられないスピードで急発進。体が背もたれに押し付けられた。穏やかな牛車は突然、暴れ馬となったのである。

 驚きと動揺で、後ろへと流れていく外の景色を眺めることしかできなかった。

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