第6話
辺りに古い一軒家が点々と現れ始めたものの、飲食店やコンビニの方が割合としては多かったため、住宅街とは言えなかった。日付はまだ変わらないというのに、もう静かであった。
死確者と私は右に曲がる。そこは直接照らす明かりはなく、少し離れたところにある街灯の溢れた光が薄暗く照らしているだけだったが、目の前にコンクリートブロックの塀が見える。進路は断たれている。塞がれている塀へと歩みを進め続ける。
行き止まりにぶつかったところで、私たちは足を止めた。後ろで空き缶を蹴る物音が聞こえる。振り返ると、そこにはあの中国人たちがいた。
「モウ、逃ゲラレナイゾ」
中央にいた男が口を開く。紫色の刺繍が入ったネクタイをした黒いスーツを着ている。たどたどしい日本語。日本人ではないことは確かなよう。
「“フクロウノネズミ”トハコノ事ダナ」
そう言いながら、皆それぞれポケットやズボンの腰などから取り出す。刃がノコギリのような切り込みが入った大きめのナイフや手の上で転がして開閉操作をした爪切りサイズのナイフが見える。確かバタフライナイフという名だったような気がする。拳銃もある。自動式や回転式、様々だ。
「物騒なもん、持ち歩いてんな」
死確者は片眉を上げ、唇の端を吊るように歪ませた。
紫ネクタイの男が顔の前に自動式拳銃を持ってくる。「言イ残シタイコト、アルカ」
「じゃあ、お言葉に甘えて2つ」
死確者は人差し指と中指を空に伸ばす。
「この事ってのは、ふくろのねずみ。フクロウじゃねえ」
紫色の刺繍男は眉を上げた。今それを言うのか、と驚いているのだと思われる。
「あと、言い残すべきなのはそっちだ」
笑う紫ネクタイ男。隣の黄色の男に肩を叩かれて、振り向く。何言か会話をすると、続けて皆が一斉に。沸騰したお湯のように、爆発力のある笑い方だった。
「まあ、いいさ。別に死にやしないんだから」
死確者はボソリと呟いた。おそらくそれは聞こえていないが、タイミングよく相手方は形相を無に変えて武器を一斉に構えた。
「今だっ!」
鬼気迫った死確者の合図とともに、私は人差し指を強く素早く振り下げた。ビルの上の看板を外すためだ。女性が横になってこちらを見つめている不思議な看板は崩れるように斜めにズレて、落ちてくる。面が下になった途端、視界から相手は全員消えた。風圧で辺りに散らばっていたゴミや埃が回転しながら舞う。死確者の前髪も一瞬、浮かんだ。
辺りは再び、静寂を取り戻す。
「行き止まりに追い込まれろ、なんて言われた時は死ぬ気かと思ったよ」
死ぬ気、と言われても私はそもそも生きてるというべきなのかよく分からない。
「だけど、成る程な。こういうことだったんだな」
死確者に命の危険が差し迫っていた場合、人気のない場所であれば、このようなこともしていいことになっている。むやみやたらに行うと、厳重注意もしくは始末書の刑に処される。私はあくまで、そういう場合もあるんですよ、と伝えただけだ。それに、死確者からの指示を貰ってから動いた。これで、自己判断でやったのではないという証明ができる。クビは勿論、始末書も回避できる。
「案があるって言った時教えてくれりゃよかったのによ」両手をポケットに入れる。「なんで秘密にしたんだ?」
「サプライズというやつです」
そう応えると、死確者は視線を逸らして「サイコパスかよ」と呟いた。だが、辺りは静かな上、私は耳がいいので聞こえた。聞こえてしまったの方が的確か。
私は再び起き上がる気配もない。私は指を下から振り上げ、元あった場所へ看板を戻す。
「なんでも出来んだな」感心を飛び越して、呆れている死確者。
「そうでもないですよ」
手を払う。汚れは付いていないが、気分。晴れ晴れした、すっきりした気分だ。
「ちなみに、殺してはいねえよな?」
「ええ」私は頷き混じりに返答する。「速度を調節しましたので。みなさん気絶してるだけだと思いますよ」
「なんか、不安が拭えねえ言い方するな」
「脈でも測ってみますか」
私は今度、手を空中で持ち上げた。連動して、看板が持ち上がる。型でも取ったかのように、跡が付いている。戻すのはまた後にして一旦近くの壁へ立てかける。下敷きになっていた彼らを見てみると、皆面白いぐらいに凶器を落として顔を地面につけていた。とりあえず微動だにしていないことは確かだ。
「どうぞ」
「どうも」
死確者は鼻から息を吐く。止めていた足を動かし、よく喋っていた紫ネクタイのそばでしゃがんだ。私もついていく。
死確者は紫ネクタイの首に手を当てる。皮膚が微かに押されて動く。
「どうです?」
何も話さないため不安になり、我慢できず尋ねた。
「大丈夫だ。死んではいな……」
言葉が途中で止まる。死確者は首元から腕に手を移し、手の平側へ半回転した。手首に、青い蝶が姿を現わす。
「何ですか、それ」
「たとぅーだ」
「たとぅー?」
「刺青、って言えば分かるか」
「はい」それなら知っている。
死確者は腕を地面に置くと、ポケットからスマホを取り出し、かざす。カシャリと音が鳴る。どうやら写真を撮ったようだ。
「撮ってどうするんです?」
「鶴川に送る」
さっきの人か。
「これでよしっと」少し操作をして、仕舞う。「後は連絡待ちだな」
「この人たちは、どうしますか」
「北国じゃねえし、放っておいても死にやしないだろ」
このままにしておくということか。
「では、もう一人の元へ向かいますか?」
「だな」
クラシックの電子音楽がスマホの振動とともに鳴り響く。
「もう来たか」そう呟きながら、ポケットから取り出したスマホをそのまま耳に当てた。
「もしもし」
直後、死確者の顔が歪む。加えて、しまったという表情になった。私は耳に人差し指を入れる。盗み聞き開始だ。
『お前、まだ調べてるのか』
鶴川さんじゃない。相手は、それよりもずっと歳のいった男性の声だ。
「ついこの前からですが」
敬語になっている。ということは、上司か歳上か、とにかく何かしらで死確者よりも上の立場の人間ということだ。
「にしても、耳が早いですね、課長」
『もうお前の上司じゃない』
「すいません。じゃあ……
受話器から髪を荒くかきむしる音が聞こえる。
『警視庁じゅうに広まってれば、否応が無しに届くよ』
「警視庁じゅう……」呟くように言うと、片方の口角を上げた。「俺も随分有名人になったんですね」
『もう調べるな』
ばつが悪いのか、沈黙する死確者。
『お前はもう捜査権はない。ただの一般人なんだぞ』
えっ?
「俺、野暮用あるんで、この辺で」
電話を切ろうとする死確者。しかし、『杉上』と呼び止められ、動きを止める。同時に、目つきが変わる。何かを強く決心している者の強さを感じる。
「分かってますよ」死確者の声色も変わった。「いくら担当してた事件だからって、警察辞めた人間が突っ込んでいいなんて、これっぽっちも思ってないです」
『だったら』
「けどね」言葉半ばで遮る死確者。「俺にはもう時間がないんです。慣習だの暗黙の了解だのなんてのは、もう知ったこっちゃねぇんだ」
少しの沈黙後、「……です」とつっかえていたものを吐き出すように付け加えた。
『お前、一体何……』
相手がまだ喋っていたのに、死確者は一方的に電話を切った。耳から離してボタンを押すまで、素早い所作だった。私が耳から指を抜くのとほぼ同時であった。俯き加減でため息をつくと「ちゃんと相手を見りゃよかった」とぼそりと呟いた。
「ぞんざいに扱ってよかったんですか」
「残りはどうせお説教だ。そんなのはもう耳タコ。警察辞めた今、聞かなくてもいいだろ」
死確者がその言葉を言ってくれるとは。取っ掛かりとして、丁度良かった。
「警察官、じゃないんですか?」
「今はな」死確者は軽く目配せをしてきた。「てか、知らなかったのかよ」
「事前に貰った資料には、刑事だと書いて……」
そこまで口にして、私は気づいた。思い出した、という方が近いかもしれない。
「警察はいつ辞められましたか?」
ええっと、と虚空を見つめ、思い出したように「あんたの来る数時間前だ」と口にした。
「何だ、その心当たりありありな顔つきは?」
数回感慨深く頷いた私に、片眉をあげて見てきた。
「おそらくですが」と前置いて、私は答えた。「資料への訂正が入る前に、私が冥界を離れたのではないかと」
そう告げた死確者の顔には、疑問符が表れていた。
「なんだかよく分かんねえけど、まあタイミングが合わなかったってことか」
「そんな感じです」
またしても電話が震えだす。眉間にしわを寄せ、けたたましい音をかき鳴らすスマホを取り出す死確者。今度は相手をしっかりと確認する。
「課長さんですか?」
「いや、今度こそだ」
電話に出る。私も耳に指を突っ込む。
「相手は分かるか、鶴川」
『……ああ』たった二文字だけだったが、暗く深い悩みを感じた。
「誰だった」
『その前に一つ確認だ。刺青は、青い蝶だったんだな?』
「ああ、みんな同じのをしていた」
『なら、ジャコウ会と見て間違いないだろう』
「ジャコウってあのジャコウじゃないよな?」
『残念ながら、それだよ』
「蛇に香る?」念押しで確認をする死確者。
『その
「マジかよ……」心の声を滲ませる。
「てことはなんだ? 俺は過激派マフィアに襲われかけたってことか??」
『そういうことになるな』
「おいおい……」
『心当たりは?』
「あったら先に言ってるよ」強めに発し、一蹴する死確者。
『となると』
「代行……」
瞼を強く閉じると、空いていた腰に手を当てて俯いた。
『一緒に調べておこうか?』
「頼むわ」
『また何か分かったら連絡する』
「おう、じゃあ」
今度は相手の合意の上で、電話を切った。
「ったく、面倒なことになっちまったな」
細々とした声で呟きながら、ポケットにスマホを入れる死確者。
「あのぉ……」
少し申し訳なさを感じるが、私は気になっていた事を聞く。
「ん?」
「マフィアってお菓子ですか?」
沈黙が訪れる。
「……は?」
「いや、お菓子の名前と青い蝶の刺青がどんな関係があるのか気になって」
「それ、マフィンだろ」
「マフィン……あっ」
「教えてくれ。和ませてんのか。それとも、ふざけたのか」死確者は怪訝に眉をひそめる。
「いいえ、知識不足で間違えました」
「んだよ」
「なら、その、マフィアというのは?」
「質問ばっかだな」
愚痴のように言いながらも「ヤクザは分かるか?」と話を続けてくれた。
「はい。過去に担当したことがあるので」
「ざっくりいうと、マフィアってのはその海外版だな」
「へぇー」
海外版ヤクザのことをマフィア、と言うのか。
「中でも蛇香会ってのは、当国に拠点を置く過激派マフィアだ。アジア諸国に勢力を広げていて、さっきのはおそらく日本にある、いったら支部の人間だろう。奴らの資金源は大きく分けて3つ。売春、ヤクチャカの売買、そして犯罪代行だ」
「犯罪代行?」通話の中でも出ていた単語が混じっている。
「殺人、強盗、暴行、密偵密輸に隠蔽工作……金さえ貰えればどんな犯罪行為でも請け負う。“犯罪請負人”って通り名もあるくらいだ」
犯罪請負人……複数なのに“人”。
「となると」視線を落とす。まだ問題なく、気絶したままだ。「この人たちは殺しにきた?」
「それか、どっかに拐おうとしたか。殴って口封じか」
物騒極まりない言葉が次々と並ぶ。
「いずれにしろ、今調べている事件を暴かせないために、真犯人が雇った可能性は高い」
「そうなんですか?」
「分からねえけど、タイミングが良過ぎるだろ」
私は腕を組んだ。
「そこまでして隠したい真実とは、一体なんなのでしょうか」
「むしろ教えて欲しいよ。真実がなんなのか」
残りが4日から3日に変わった頃、死確者は頭をひたすら掻いていた。その表情は、呆れと困惑が混ざり合っていた。
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