第5話

「どう思う?」


 死確者は投げやりな言葉を口から出す。足元を見ながら、歩いている。


「被害者の感謝の意が発言の端々に行き届いていることを考えると、犯人の可能性は低いかと」


 だが、断定はできない。行なったと言っているのはあくまで自分自身だ。第一、私は事件捜査の経験値などからっきしない。拭えぬ不安から、「素人ならぬ素天使のいち意見ですが」と最後に補足をしようと口を開けた。


「微妙だな」そう声を発したのは私ではなく、鶴川さん。


「だよな」


 死確者はすぐさま反応した。


 その時、まさに瞬間的に、先ほどの発言が、私に対しての言葉ではないということに気がついた。恥ずかしさのあまり、顔が赤らんでいくのを感じる。


「シロかクロかで問われたらどうだ」


 死確者はさらに質問を重ねる。もちろん、私ではなく鶴川さんへ、だ。

 鶴川さんは少し苦い顔を浮かべると、視線を落とした。口を少し前に突き出し、「シロ、かな」と応える。


「シロ?」


 無意識だった。そう発した私に死確者は目だけを動かして一瞥すると、「犯人じゃないか……」と口にした。成る程、シロというのは犯人じゃない、という意味なのか。


 アーケードの入口に到着する。同時にここは夜の世界の出入口でもある。越えた先は、ネオンの数は途端に少なくなり、残った大半を街灯へと変化させる。あまりの変わりように、見えない境界線が引かれているのではないかと思ってしまう。


「なあ」


 くぐる寸前で鶴川さんは足を止め、右に顔を向けた。死確者と目が合う。


「俺らが思ってるよりはるかにヤバい何かがこの事件の裏にはあると思うんだ」


「だから、長年解決できなかったのは、その何かが関わってるからだとでも言いたいのか」


「当たらずしも遠からずだ」


 鶴川さんは体を死確者のほうへと向けた。


「もうこれ以上、深追いするのはやめたほうがいいんじゃないか」


 鶴川さんの表情と声色は死確者の身を案じてのことだとすぐに分かる。だからだろうか、死確者はばつが悪そうに頬をへこませた。辺りを静寂が包み込む。周りが騒がしいのに、ここだけはまるで異空間かのようだった。何を言いたいのか、私でも分かった。


「金を返す時に手紙を入れたと佐田は話していた。なら、桂木さんの奥さんがそのことを覚えてる可能性がある。もしかしたら取っておいているかもしれん。確認してもらえないか」


「杉上……」鶴川さんは軽く目をつむり深いため息をつくと、ゆっくり目を開いた。赤く燃えた、決意の色が見えた。「少しかかるぞ」


「すまんな、鶴川」


 鶴川さんは無言のまま、表情を変えぬまま、去っていった。


「怒っちまったかねぇ」


 死確者は髪を掻く。その顔は少し悲哀が漂っていた。


「次はどこへ?」


 死確者は一瞥すると、「もう一人の容疑者の家だ」と話した。もう一人、ということは、次が最後だということか。


「が、その前にちょっといいか」


「ええ」


 何の許可を取ったのか分からぬまま私は返答した。するとすぐ、死確者は踵を返し、来た道を引き返していく。ついていくと、先ほどの店を数十メートル超えたところにあるコンビニの方へと進んでいった。だが、中には入らない。外の、自動ドアの入口の隣にある人集りのところだ。黒髪のスーツの人もいれば、金に紫、金に緑、灰色などなど色とりどりの髪をした奇抜な人や、目があえばいちゃもんとか言う何かを付ける柄の悪そうな人たちもいた。唯一共通してるのは、皆タバコを手にしているということだ。足元には、設置型の灰皿があったのだ。


 成る程、これか。


 気づく前も気づいた後も、痺れではない何かを切らした人が中へ体をねじ込ませ、タバコに火をつける人がいた。煙を体の中に入れると、目から力が抜けるように垂らした。まるで暑い砂漠を彷徨っている時、オアシスを見つけ、湧いた水で乾ききった喉を潤しているかのように見えた。

 死確者は火をつけたタバコをふかした。一口目を長く吐き出した姿を見ると、よっぽど吸いたかったのだと伝わった。


 死確者はおもむろにスマホを取り出すと、耳につけた。


「ふりだし、なんてもんじゃねえなこりゃ」


 死にかけの病人のように弱く細い声を絞り出した。私は人差し指を耳に入れ、電話の向こうの話を聞こうとする。だが、何も聞こえない。反応がないのである。首を傾げていると、死確者は一瞥してきた。その視線で閃く。電話で話してはおらず、話すふりをしているのだと。そして、実は私に話しかけているのだと。


「どちらが犯人か分からなくなった、ということですか?」


「それもだが、もっと根本的なことだ」


 タバコを長く吸い込み、空に放った。


「一方では犯罪行為をしていた悪人で、もう一方では返すのはいつでもいいと返させるかも分からない大金を貸す善人。綿貫さんも佐田も言ってることは真逆だが、嘘をついてるようには見えなかった」


 死確者はタバコをふかした。先が赤く燃える。


「どっちがガイシャの本性なのか、分からなくなってきたよ……」


「両方はいけないのでしょうか」


 そう口にした私に顔を向けた。口元を離れたタバコが空で停止している。


「以前担当していた方に哲学者の方がいたんですけど、人間には様々な面があると思うんです。喜怒哀楽のような感情だけでなく、形成をしている性格それ自体も」


 1つのように感じるのはそれらが良いバランスで共立共存できている証拠であり、組み合わせの仕方によって人の個性は作られる、と話していた。


「なので、どちらかがではなく、両方とも桂木さんの性格と考えてみてはいかがでしょう」


「両方、か……」


 先に伸びた灰が重力に負ける。地面で四散すると、死確者は動き出した。「行くぞ」と話すとスマホをポケットに戻し、タバコを灰皿の中へ放った。そして、再び鶴川さんと別れた場所の方向へと歩き出す。引き返したのを引き返した形だ。


 灰皿のある場所から、50メートル程だろうか。交差している道の真ん中で立ち止まり、左右を見た。素早く繰り返している。迷ったのだろうか。

 結果、右に進む。過ぎた時間を取り戻そうとするかのように、歩幅を大きく歩き始めた。


「数えてくれ」


「え?」私は訊き返す。


「後ろをついてくる奴だよ。何人か数えてくれ。俺以外の人間には見えないんだろ?」


 まっすぐ正面を見ているから気のせいかと思ったが、死確者は本当に私に話しかけてきていたようだ。


「え、ええ。了解です」


 何とも歯切れの悪い返事をしてしまった私は、体を背中の方はと向けて、そのまま踵から歩く。すると、丁度何人かの男が集団で来た道から曲がってくるのが確認できた。おそらく彼らだろう。死確者に向けている双眼には殺意が滲んでいたため、すぐに分かった。多少なり、押し殺しておいたほうがいいのではないか。


 私は体を少し後ろに仰け反らせ、「怪しげなのが6人」と伝えた。


「間違いないか」


 真っ直ぐ前を見て時折辺りに視線をやっている死確者が念押しをしてきた。


「念のため、もう一度曲がってもらえますか」


 死確者はすぐに右に曲がった。方向的には同じ方へと戻る道だ。顔を正常な向きに固定し、凝視する。


 よし、これでどうだ。


 姿を捉えた。同じようについてきている。曲がる位置まで同じだ。同じレールを走っている電車のよう。


「どうだ」


「間違いなさそうです。とりあえず様子を伺ってきます」


「頼む」


 私は駆け寄って、小声で会話をする彼らの間近で人数を指で差しながら折りながら、正確に着実に数える。よしっ。私は更に早く、死確者の元へ戻る。


「人数はやはり6人」私は体を逆向きにし、後ろ歩きを再開させた。「あと、全員中国人です」


「中国?」死確者は片眉を上げる。


「はい」


 こそこそと会話している中で飛び交う言語は、明らかに日本語ではない。


「武器は?」


「そこまでは。ただポケットに手を入れていたり、腰の辺りが膨らんでいたりはしてました」


「そりゃ、持ってんだろ……ったく」


「どうしますか」


「決まってんだろ。タイミング見計らって、どっかで上手くまくしかない」


「なら、私に考えがあります」


 少しだけ、死確者の顔が私の方へ傾いた。


「上手くできるか」


「ええ」


 フッと鼻から息を漏らす死確者。「随分と自信満々だな」


「似た経験を以前したので」


 まあその時は、ストーカーだったため、殺意ではなく好意だったのだが。

 死確者は視線を落とす。少しばかり沈黙後、片方の口角を不敵に上げた。


「よし乗った」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る