第2話
「殺人事件?」
最も地面から離れたところに太陽がいる昼過ぎ、小さめの公園に生えた木が時々吹く風に体を動かしていた。夏前の暑くもなく寒くもない、程良い涼しさだったからか、葉や枝は心地よくされるがままに揺れていた。
「ああ」
木にもたれかかった死確者はポケットに片手を入れている。
事前に配達課の死神から渡されていた死確者についての資料にも、“様々な部署を転々とし、窃盗や強盗から殺人や放火に至るまで数多くの事件の解決に導いてきた”とたった一言にまとめられていた。いつもならば事細かく記しているのにそうしているということは、数多くという文言に偽りはないのだろう。とにかく、死確者の言う殺人事件が何を指し示しているか、全く分からなかった。
詳しく聞こうと思ったその時、「20年前の……確か、今月だったな。ある商社マンが都内で刺殺体となって発見された」と説明してくれた。取り出した手には煙草の箱が握られていた。指の隙間から赤い台形の上辺が重なったロゴが見える。これまでにも同じようのを吸っていた人間は大勢いるので名前は分かる。マルボロだ。
「覚えてるんですね」
「未解決だったんでな」茶色い部分を口に運ぶ。
数多くの事件の解決に導いてきた、のに、解決できない事件……これは何とも骨の折れそうな未練だ。まあ私には骨などないのだが。
煙草を入れていたポケットからライターを出し、重い蓋を開く。「寿命は残れどれぐらいだ」と尋ねるとすぐに火をつけた。
「4日と……10時間です」
煙草の先に火が灯り、煙が上がる。死確者は吸い込み、空に吐き出す。
「なら、急がねえとな。まだ情報はあの頃から止まったままだ」
人差し指と中指の間に挟んでいた煙草を口に戻した。
「ですが、よろしいんですか」
「よろしいって何かダメなことでもあんのか?」
「いえ」私は即座に首を振る。全くダメではない。
「その、殺された方はお知り合いではないんですよね?」
資料には、親族関係者に刺殺されたという事件はなかった。そういうのは犯人逮捕にしろ復讐にしろ未練の候補となりうることから、資料には必ず書いてある。加えて、私たち天使が見逃すことのないように初めのページに、強調して記述される。今回、知り合いだというのは記されていなかった。つまり、そもそも明記されていなかったと考えるのが自然だ。
「ああ」表情は、なぜそんなことを訊くんだ、と語っていた。
「だとするなら、未練として最後の時間を使うというのは……」
「勿体無いって言いたいのか」
「まあ……そんな感じです」
ニュアンスとして間違ってはいない。けれど、私が正解だ言い切るのは少々冷徹な気がして躊躇いがあった。
「けどよ、未練なんてのは生きてりゃ、ざっくりとしたものだけでも少し考えりゃ、星の数ほど浮かんでくる」
死確者は地面に向けて煙草を指で叩いた。灰は道端に生えた小さな草へ姿を消す。
「1つだけでなくても構いません。ただ……」
「時間がない、だろ?」落ちた灰に靴底を乗せ、擦る。
「よく分かりましたね」
「ただの勘だ。刑事の勘」
死確者は靴のつま先を立てて、地面に数回軽くぶつけ、続けた。
「とにかく1つぐらいしか叶えられないなんてのは、そもそも酷な話だろって言いてぇの」
分かっている。というか、今まで色々な死確者から聞いている。だが、どうにもできない。私は上に助言できるほど偉い立場にはいない。長年の指針方針に一介の天使が口出しすれば、左遷もしくは減給もしくは懲戒処分。最悪、クビだ。
死確者は「……すまん、何の話だっけ?」と顔を斜め下に落とし、軽くこちらを見てきた。私は「何故未練を他の、しかも亡くなった方のために果たすのか」と改めて、端的にまとめた疑問を投げると、死確者は視線を戻した。
「そりゃなぁ……まあ……な」
肩を軽く動かしながら、はぐらかされた。
「未練は?」本題へ移る。
「さっきも話したろ。山ほどあるよ」
ですよね?
「であれば……」
「人間の決めたことにケチいれんな」死確者は振り向く。顔は少ししかめっ面だ。「てか、これまでにも自分のためじゃなく、誰かのために使った人ぐらいいただろ?」
「血縁者のために、というのは確かに経験あります」
「変わんねえよ」死確者は煙草を捨て、踏み潰した。
「人間ってのは不器用で面倒な性格なんだよ。合理不合理とか利益不利益だけじゃ割り切ねえ部分を時に追いかける。いいか、誰がなんと言おうと、俺の願いは20年前の未解決殺人の犯人を見つけることだ。分かったな?」
「はい」続きは無かった。
「よし、じゃあ事件については知ってるか」
「いいえ、全く」
「やっぱりな」
死確者は小さな声で呟き、「いやいいんだ。覚悟はしてた」と新たな煙草を指の間に挟んだ。
「被害者は
「けど、殺されてしまった」
「そうだ」死確者は手の親指で眉間の間を掻いた。「死因は腹部を刺されたことによる出欠性ショック死。凶器はそばに捨ててあった」
「何か犯人に繋がる証拠はなかったんですか」
死確者は新たな煙草に火をつける。機械化されたかのように、同じ動作を繰り返した。
「殺されて発見されるまでの間に、夕立が降ったんだ。かなり勢い激しくて、ゲソコンはおろか傷口辺りの服に付いた血でさえ、綺麗さっぱり消えちまってた。第一発見者なんか最初、転んだか寝てるだけだと思っていたぐらいだ」
一度煙草を吹かしてからそう答えた死確者に、「ゲソコンとは?」と言うと、「そのまま、下の足の痕。現場に残された犯人の足跡のことだ」と教えてくれた。
「鑑識も、現場からは手がかりになるようなものは何も得られないだろうとお手上げ状態だった。だが、その数日後、被害者と口論していた男がいたという情報を得た。それがあそこに勤めている
死確者は目配せする。吉川鉄鋼と書かれた小さな会社の、出入口が見える。
「なら、今こうして待機しているのは」
「あぁ、綿貫からもう一度話を聞くためだ。直接、面と向かってな」
成る程。だからここで待機していたのか。
「しかし、未解決ということは、彼は犯人じゃなかったんですよね?」
死確者は鼻から煙を吐く。勢いは激しい。「正確には、犯人にたる証拠がなかった、だな。あと、アリバイが崩せなかった」
煙草を一度吹かした。「殺害された日は、都内の別の場所にいた。近くの監視カメラにも映っていた。移動時間を加味すると、犯行は不可能だ」
「けど、疑ってる」死確者の反応はそうしめしていた。「証拠ではない、確固たる何かがあるんですよね」
「動機が彼からしか見つからなかったんだよ」
死確者は肘をつけた。木とほぼ垂直になっている。
「綿貫は当時、桂木とは別の商社に勤めてたんだ。いわゆるライバル企業。当時は両社ともかなりバチバチにやり合っていた。そんな中、綿貫はある事業を進めていた。成功すれば会社に莫大な収益が入る社をあげた一大プロジェクトだ。何年もかけて、ようやくあとちょっと、ってところで桂木に横取りされちまった」
つけた腕を曲げて、煙草を口へ。
「つまり、奪ったことに対する恨みで、桂木さんを殺害した。そう思っているんですね?」
肯定も否定もしなかった。ただ顎を少し前に出し、煙を斜め上に向かって吐いた。
「そんでもって、あの暴露記事だ」
「暴露記事?」
「被害者がしていた非人道的な行為、って銘打ってな」
非人道。人の道に非ず……何とも物騒な言い方だ。
「携わっていた業務の殆どがある程度進んだ事業を横取りしてたんだ。左遷された者、会社を追われた者、中には命を絶った者もいた。世の中は手のひら返しも甚だしく、週刊誌なんかは被害者のことを盗人、酷い場合には悪魔呼ばわりだ。悲劇の人から極悪人へ……マスコミの格好の餌に成り果てたってわけだ」
灰となった煙草が重力に負けて、落ちる。死確者はその行方を見つめ、地面で散ると、再び煙を吸い込んだ。
「俺はその情報が綿貫さんから出たんだと考えて、調べを進めた。とにかく糸口を探した。けど、何も出てこなかった。言ってなかったのか、相当巧妙にごまかしたのか。いずれにしろ、綿貫はその数日後に自主退職して姿を消した。タイミングが良過ぎるとは思わねえか?」
確かに出来過ぎているようにも感じ……ん?
「なら、なんでここにいると?」
「別のある事件を捜査していたら、偶然名前を見つけたんだ。最近こっちに戻ってきたってことも勤め先がここだってのも、その時に知った。それから見つけてから記憶や後悔が次々と頭に浮かんで、離れなくなっちまった」
「なら、今こうして追っているのも」
「多分……いや、間違いなくそのせいだ」
成る程成る程。
「なら、綿貫さんが犯人だとお考えなのですね」
「ああ。第一容疑者だ」死確者は投げ捨て、また足裏で地面で強く擦った。
「でよ」頭を軽く掻きながら、私を見てきた死確者。「能力ってのはどんなのがあるんだ?」
いきなりだな。
「遠くの物が見えたり、遠くの音が聞こえたり」私は人差し指を立てる。「あとはこの指で色々と」
「なら、瞬間移動して中に綿貫が調べてきてくれ」
「できません」
「あ?」目が開いている。
「瞬間移動や透視、残留思念を読み取るみたいなことは私にはできないんです」
死確者は顔を歪め、「線引きが面倒くせぇな」と、腰に左手を当てた。
「すいません。まあ、ざっくりと超能力系のは使えないと思っていただければ」
「その、人差し指で物を浮かせるのは?」
「可能ですよ」
「なら、それも超能力みたいなものだろ。遠くの物を見たり聞こえたりってのも」
「まあ、ざっくりと超能力系の、ということで」
私はそう言うしかない。だって、そうなのだから。ずっと長い間。
死確者は煙混じりのため息をつくと、「じゃあ、その都度聞くからできる場合は教えてくれ」と話した。
「承知しました。他にも何かあれば、お手伝いしますので」
そう私が言うと、死確者は一笑した。前触れはなく、突然だった。
「どうしました?」
鼻の下のくぼみ辺りを軽く触る。「天使が相棒だなんて、可笑しくないか」
私は首を傾げた。「相、棒?」
「パートナーって意味だ」
「あ、いや、意味は分かります。その、私が相棒?」
相棒というには、経験も浅く適しているともふさわしいとも思えなかった。考えてさえもいなかった。
「捜査を手伝うんだから、まあ、そういうことになるだろ」
ドラマが好きな死神が聞いたら、羨ましがるのだろうな——そんなことを思いながら、私は「そうなんですね」と返答した。
「にしても、出る気配がねえな。いつまで待ちゃいいのか……」
辟易したような声色で呟く死確者。
「なら、行ってきましょうか」
「あぁ?」
「私は死確者以外に姿は見えないですし、透視はできませんが透過はできるので」
固まる死確者。だがそれも一瞬。肩がすとんと重力に負けた。
「そういうのは、先に言えよ」
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