天使と刑事〜天使と〇〇番外編〜

片宮 椋楽

第1話

「ここに入ればいいんですね」


 私は白いジャケットの襟を正しながら、再度尋ねた。というより、確認か。


「ああ」


 死確者は濃紺のコートのポケットに手を入れた。


「そして、机に置いてある紙を取ってくる」


 先ほど、店の人と中で何かをしていた。相手は初老の男性で、この大きな店の中でもなかなか偉いポジションにいるようだった。しかも、過去に面識があるようで、話はスムーズだった。とはいえ、私は追い出されていたため、見ることができなかった。


「いや、書いてある文字を読んでくればいい。取ってくる必要はない」


 死確者は髭で覆われたあごを軽く掻く。死確者のぶつけてくる冷えた視線が疑い純度100パーセントであることを意味しているというのは、人間ではない私でもよく分かった。


「正解すれば、信じてくれるんですね」


 念を押しておく。今回は特別時間がないわけではない。けれど、寿命には勿論限りがある。無駄な時を過ごすのは避けたい。


「背中から羽根が生えてなくても、頭に光る輪っかがなくても、信じる。全身白で統一君の頼み通り、未練だって果たしてやる」


 いや、私の願いではないのですが……そう言いたかった。言ってしまいたかった。けれど、こういった場合、相手に反論をするというのは得策ではない。というか、厳禁。してはいけない。割と豊富になってきた経験から、余計こじれてしまうだけであると脳内で囁く自分がいる。にしても、私を、全身白で統一君、と呼ぶとは……確かに、頭に被ったボーラーハットから足に履いた革靴まで、全身白色でコーディネートをしているものの、長い天使生活の中でそんな呼ばれ方をしたのは初めてのことだ。


「分かりました」


 すんなりと受け入れて、早速作業に移ろうと、私は前に出る。たった一歩前だけだったのに、目の前の貸し金庫がより大きく見えた。分厚く丸い扉には、杭のような8つの円形の金属が外に伸びている。まるで、やれるものならやってみろ、と嘲笑うように構えている。だが、たとえどんなに分厚かろうが堅いもので囲まれていようが、人間の生み出した産物であるならば、私たち天使には関係ない。中に入ることも通り抜けることさえも、余裕である。


「じゃあ、終わったら教えろ」


 癖っ毛のある髪を手櫛で直しながら、死確者は私に背を向けた。中にある紙の文字を見てくればどんな手法でも構わない、ということか。


 今回の死確者には、私の持つ能力を見せた。頻繁に使うものからなかなか機会がなくて出す時に少し不安になるようなものまで、天使であると信じてもらうためにとにかく色々。かなりの量だ。けれど、いずれも効果はなかった。いくつもこなすものの、ここまで疑心を持っている人間は経験したことがなかった。しつこい程、嫌になる程、辟易する程に疑り深い。まあ、今回の死確者は人生の半分以上をとして生きてきたがゆえの、ある種の弊害なのかもしれない。仕方のないこと……だな。うん、そう思おう。


「では」


 白のボーラーハットを整えて、私は扉の前まで歩く。ただ普通に歩けばいいのに、つい扉を通る時、跨ぐ動作をしてしまう。癖なのか本能なのか。いや、両方同じものか。まあとにかく、私は固く閉ざされた中へと足を踏み入れる。


 すんなりと中へ。閉じられた中を首を回して眺める。金庫の中は長方形に仕切られた金庫が壁じゅうに敷き詰められているせいなのか、想像よりもはるかに狭く感じた。金庫には鍵穴と0から9までの番号とシャープと米印がそれぞれに付いている。反対に天井に付けられた電球が煌々と照らされ、思ったよりも明るかった。


 金庫の中央には、机が置いてある。辺りを見回してもこれしかない。ということはこれが死確者が言っていた机だろう。けれど、紙が無い。乗っていないのだ。


 床に落ちてしまったのか?


 私はしゃがんで確認する。膝をつけて床に顔を近づける。だが、無い。落ちていない。四隅を確認する。だが、無い。金庫と天井の間にある僅かな隙間も。無い。


「……どうしようか」


 机の上と言っていたから、金庫内には無いはずだ。もう探せる場所はない。とりあえず、ここを出よう。無かった、と正直に話そう。私は踵を返し、再び跨いで外へ出る。無意識だ。


 死確者はまだ背を向けていた。何故なのかは分からないが、何かしら理由があるからそうしているのだろう。私は距離を詰め、声をかける。


「戻りました」


 私は白いズボンの膝に付着した埃を払い、曲がった白ネクタイを伸ばした。


 死確者は大きく息を吸い、「何って書いてあった?」と眉をひそめた。


「それがですね……」口ごもる。言い訳に取られでもしないだろうかと不安になり、どうにも発するという行為が躊躇われる。


「どうした?」


 死確者は軽く顔を傾けてきた。口元だけが見える。


「その……紙、がですね」ようやく出てきた言葉も、妙にたどたどしくなってしまう。「……ありませんでした」


「あ?」


「紙が……無かったんです」


 一瞬、沈黙が訪れる。


「いや、中央にある机の上を見たんですが、見当たらなくて。下とか、中の四隅とか、金庫と天井の間の隙間とか手当たり次第に探してはみたものの、それらしきものは一切。まだ金庫の中は探していないので、心当たりのある場所を教えていただければ、もう一回中に入って……」


「もういい」


 自然と滑り落ちた雪崩のように口から溢れた言葉は、死確者の四文字で遮られた。私はいつの間にか落ちていた視線を恐る恐る上げる。死確者は体ごと私の方へと向けてきた。同じく上がっていた。視線ではなく、口角が。


「信じるよ」


 閉口する。まさかの反応。予想外の答え。てっきり出て行けとか近寄るなとかもう視界に入ってくるなとか、ある程度の罵詈雑言が飛んでくると思っていたため、肩透かしを食らった。


「ほ、本当ですか?」


「ああ」そう言うと、死確者は上着の左ポケットから紙を取り出した。谷折りになっている。突然、破り始めた。


「えっ、あっ」


 思わず手が伸びる。状況的にみて、例の紙だろう。


「いいんだ」紙が小さくなっていく。「正解した今、見せても意味がない」


 そうなのか……気になるのだが、そう言うのであれば仕方がないか。

 細かく小さくなった紙のかけらを戻した。


「改めて」死確者は空いていた右手を伸ばしてきた。「杉上すぎがみ左京さきょうだ」


「はじめまして」私も同じく、手を前に出した。「天使です」


「それで、その、確認なんだけどな」表情が暗くなる。神妙になる、という方が近いか。「俺はもう……死ぬのか?」


 もう、という単語にどれほどの期間を含んでいるのか分からなかったが、死ぬ、ということは間違いないので、とりあえず「はい」と肯定しておいた。


「なら、残りはあとどれくらいなんだ」


 ええっと、今は昼の12時だから……


「4日と11時間です」


 死確者は、驚きと悲しみと焦りと、数え切れないほどの感情が入り混じった表情をしていた。

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