第3章

知識の門

第9話 知識の門 /1

夏を思わせる暑さだったアゲートロードとはうってかわって、今行く山道は雪がしんしんと降り積もる極寒の地。わかっていたとはいえ、事前にそろえた装備では防寒機能が足りずに苦労した。途中でかまくらを作ってみようだとか遊び半分に話していたチェイネルが、目的地目前となった今や小動物のように震えて何もしゃべらない。

「もうすぐ山頂だろ?おいアヴェ、どのくらいで着きそうなんだ?あと二晩もしたらこいつ氷像にでもなりそうだぞ」

「それは避けなければならない事態ですね。大丈夫、地図が正しければ半日で着きます。チェイネルさん、休みますか?」

アヴェは皮の手袋をこすり合わせて無意識に摩擦熱を生み出そうとしているチェイネルを振り返る。問いかけにはぶんぶんと激しく首を振り否定していた。

「あとちょっとなら……がんばります……!」

気合を入れ直そうと頬を叩いたチェイネルは、大きく目を瞬かせる。まだ限界は先だが幻覚でも見たのだろうか、などと考えて。

「誰かこっちにくる?」

見れば、犬とソリを引く一行が白んだ雪道からやってくるのが見えた。大きな荷物が数台にわけて積まれている。


「……旅の者か」

無愛想な壮年の男が鋭い目つきで問いかけた。分厚いコートの肩には長い間雪道を渡ってきたことが窺える雪の塊、口元を覆う布は厚く、声がくぐもって聞き取りづらい。

「ええまあ……旅人というよりは、僕達はプロトスから依頼で」

「フン。しがない賞金稼ぎの仕事って訳かい」

ソリを引く男はどうやら現地の住人のようだがあまり歓迎されていないらしい。その様子にアヴェは苦笑いする他なかった。

「アレクサンドリアの精霊堂に行きたいんです」

「精霊堂に?アンタらエーテル教徒なのか」

精霊堂という言葉を聞いた途端、男の声色はほんの僅かに和らいだ。

「あっ、はい、私はそうです……精霊堂の図書館に用があって」

「宗派は」

「えっ?」

「宗派はと訊いている」

「フルート派ですけど……」

急に質問攻めにあい戸惑うも、チェイネルが問いに応えると男はばしばしと肩を叩いた。

「そりゃご苦労なこった。ようこそアレクサンドリアへ!険しい道だったろう、ここからは自分のソリに乗るといい」

「えっ!?あっ、はい!ありがとうございます?」

さらに小動物っぽくなったチェイネルを横目に、ビリーとアヴェは耳打ちしだす。完全に蚊帳の外だ。

「……なあアヴェ、どうなってるんだありゃ」

「エーテル教は排他的だと聞いたことがあります……そういうことなんでしょう」

「おーこわ。宗教は関わりたくねェな」

「無宗教は無宗教で目立ちますよ?」

どっちに転んでも面倒くさそうで、ビリーは低くうめくのだった。


山脈を越えて見えてきた雪国、アレクサンドリア。エーテル教の出自であり、大きな図書館が街の大部分を占める。別名『知識の門』。国というよりは集落といった方が規模的には近く、エーテル教徒以外には閉鎖的。過去に大規模な襲撃があったため、精霊堂はまだ修復途中で祭りも別の町で行われているとか。男はソリを犬に引かせている間、そんな話をたくさん語った。


「数年後には大精堂の復旧が終わる予定で

……さっきはその資材集めをしていてな、そこにあるのは全部木材なんだ」

「へぇ〜!それにしてもすごい犬の数ですね」

「ああ、昔よりは減ったが今もこの犬ぞりが私らの主な移動手段なんだよ。鼻も耳も利くし、なによりどこにいても家への帰り道がわかる、最高の相棒って訳さ」

前を行く犬たちは力強くソリを引く。新たに3人乗せてもほとんど変わらない速度、普段からもっと重いものを運んでいるであろうことを思わせた。

「そら、到着だ客人」


街の門を抜けると巨大な建物が真っ先に出迎えてくれる。先程案内の中にあった大精堂の外壁は屋根の部分を除けばほとんど修復が終わっているようだ

「圧巻ですね」

「すごい、大きい……!」

雪が幻想的な雰囲気をさらに強くさせている。これにはビリーも感動したらしく、方をぽかんと開けている。

「図書館に入るならイシス派の挨拶を覚えていけ。こう、だ」

男は軽く頭を下げると右肘を顎の前へ上げ、次いで目を閉じた。

「氷の民は他の挨拶を受け入れない奴が多い。それじゃあな、客人。精獣霊イシス様のお導きがあらんことを」

精獣霊フルート様のお導きがあらんことを!」


男と別れた後、3人は広場で小休憩を取ることにした。元々あと半日かかる予定だった道のりが数時間に短縮されたとはいえ、これまでの疲労が重なり足はもう棒切れのようになっているのだ。

「お前がエーテル教徒だってこと忘れてたぜ」

「どうして?」

「宗教家ってもっとこう……なんだ。カチカチに頭が硬そうな感じがするだろ」

うまく例えられない話にアヴェが笑う。

「信者が全て牧師のような立ち振る舞いをするわけではありませんよ、ビリー。僕だってそうです」

「お前はカチカチな方だろ」

「アヴェさんは……ククル教だっけ」

「そうです。しかしここでそういった話は差し控えましょう。ここはエーテル教の街なのですから」

人の流れはまばらだが無人というわけではない。現に、見慣れない風貌の3人を訝しげに見るものもいる。“嘘はいけませんが平穏のために伏せておくことも大事なことです。手に入るものも手に入らなくなりますよ”、そうアヴェは付け加えた。

「そっか、そうだよね……あーっ、話してたらお腹すいちゃった!早く届けてご飯食べに行こ、皆!」


かくして、知識の門は開かれたのだった。

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