小話 薔薇の懐中時計
母さんが誕生日にくれたのは趣味の悪い薔薇の懐中時計だった。できればもっと格好いいものがほしかったけれど、苦労して手に入れてくれたことはわかっていたから捨てるなんてこともできなくて。
「はあ、困ったなあ……」
うっかり出てしまった不満を取り繕うために姿勢を正す。
「ほらしゃんとしな。母ちゃんに送る写真なんだろ?笑顔笑顔」
成人の記念に写真を送る事になった僕は、写真屋の友人に頼んでここに立っている。長い時間同じ姿勢を保っていなければならず、体のありとあらゆる筋肉が『退屈だ!』と悲鳴をあげている気さえした。
「よし!いいぜロッジ。撮影終わりっと」
「ありがとう。出来たら母さんに送っておいてよ」
ようやく解き放たれた身体を伸ばして労る。ああ、自由って最高だ。
「自分で渡しにいかねーのか?親不孝ものめ」
「そうしたい所だけど……」
僕は出稼ぎのためにアゲートロードへ行く事になっていた。列車をいくつも乗り継ぐので、そう簡単には帰ってこれない。
「ま、いーけどな。まかせとけよ」
「うん。帰ってくるときはこっちにも顔だすよ」
炭鉱にはアゲートの他に貴金属が眠っているって噂だ。もしそれを掘り当てられたら……大金持ちにだってなれる。そう、僕は野心に燃えて親孝行なんて微塵も考えていなかった。
かん、かん、かん。
僕はひたすら鉱石を掘る。
かん、かん、かん。
僕は大きな洞窟を作る。
けれど数年経っても出てくるのはクズ石ばかりで、稼ぎとは程遠い生活が続いた。嗚呼、だんだんと家が恋しくなってきていけない。僕は大きな夢を追わなきゃならないのに。
焦りが募る中、昔を懐かしむたびに奇妙な夢を見るようになった。それは決まって黒い服を纏った少女が──小さい頃よく遊んだ女の子が遠くから手招きしている夢だ。少女はこちらを揶揄うような笑顔で見てくる。
けれど夢から覚めて現実に戻った瞬間、休めていたはずの身体に疲れが一気に押し寄せてしまう。昔の夢を見るなんて。家に帰りたいと、ほんの少しでも思ってしまったなんて。
かん、かん、かん。
意地になってつるはしを振り下ろす。
かん、かん、かん。
何かを忘れようとするために。
僕の努力むなしく、毎日酷使してきた身体がSOSのシグナルを鳴らしていく。
遂には医者に「これ以上働くのはやめなさい」と言われてしまった。
失意の中ベッドに沈み込み、また昔の夢に飲まれる。前まで遠い場所にいた少女は今や目と鼻の先の距離だ。
「僕のことを笑いにきたんだろ?」
『ええそうね、今の貴方はとっても惨めだもの』
今まで口を開かなかった少女はくすくす笑い、僕の問いかけに反応した。
「は、はは。夢にまで見放されるなんて」
そう言葉にした途端、夢の少女に励ましてもらおうだなんて淡い期待を抱いていた自分が恥ずかしくなってくる。目を逸らしていると今度は僕が問いかけられた。
『──を忘れたいの?』と。
僕はその問いかけに────
しと、しと、しと。
遠くに雨の音が聞こえる。僕はどうしてこんなところにいるんだっけ?いつのまにか土塊に顔を埋め倒れ込んでいた。
かち、かち、かち。
意識の下の方で規則的な音が聞こえる。それを聞くと何故だか思い出せないのに、どうしようもなく涙が溢れた。
ああ、ああ、帰りたい。
家は、どこなのか、わからないのに。
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