第3話 忘れ去られた古文書 /3
「ねぇ、話聞いてる?」
チェイネルの顔面が、いつの間にかビリーの視界一杯に広がっていた。思わず強張らせた身体などお構いなしに、彼女は更に顔を近づけてくる。
存外綺麗な瞳をしているんだなという感想はさておき、彼はなぜ今こんな状況になっているのかさっぱりわからない。警備の仕事は楽とはいえなかったのだ、ようやく訪れた平穏だというのになぜ頭を使わなければいけないのか。彼の眉間に皺が寄る。
「これは聞いてなかった、って反応ですねチェイネルさん」
膠着状態に終止符を打ったのはアヴェだった。にこやかに二人を眺めつつ、朝食を口に運んでいる。
あの祝賀会で話題に上がった古文書はやはり希少なもので、近くの銀行では博物館級の品故に取り扱いすらできないと帰されてしまったらしい。
一夜明けた今、然るべき場所に届けるという依頼を新たに受けた訳だ。古文書の中身を見る許可を報酬代わりに。
「あー、……何だ?」
「『あー、……何だ?』、じゃないでしょ、もう!この古文書、どこに行けば
翻訳してもらえるかって話!」
ビリーの真似事なのか腕組をしながら眉間に思い切り皺を寄せて声を落とし、しかし次の瞬間には頬を膨らませて古文書をあっちへこっちへ振り回していた。
「あ!今『めんどくせェ』とか思ったでしょ!!」
「いいから落ち着け。当てはあるんだろ、アヴェ」
騒がしい、と口から反射的にため息が出るビリーに反して、アヴェの目は古文書を追いかけ慌てている。
「おっと僕ですか。少しは頼りにしてもらえてるんですね。
ああ……あとチェイネルさん、貴重なものなんですから扱いは丁重に……」
無駄が省けるならどうでもいい――と少年が返事をせずに黙っていると、やれやれといわんばかりに肩をすくめた。
「たしかお店の方は”精獣霊”について書かれた古文書だと話していましたね」
「そうだな」
「でしたら、精獣霊を信仰の対象とした宗教団体のところに行くのが妥当でしょう。
この町にもいくつか教会があったはずです、まずはそこに行ってみては?」
「あ、精霊様の事だったら私、エーテル教徒だから案内できるよ」
アヴェが広げた地図をチェイネルが覗き込む。彼女は大通りから一本入った路地に面する、建物の印を指差した。
「ここ、ここ。教会じゃなくて、精霊堂っていうの」
「精霊堂……なるほど。因みにエーテル教以外の部外者が入っても
問題ありませんか?門前払いは流石にないと思いますが」
「大丈夫だよ。大きい所だと難しいかもしれないけど、この町の精霊堂は
開かれてた場所のはずだから……話を聞く事は出来ると思う」
「まて、まて。そのエーテル教ってなんなんだ?怪しい宗教団体じゃないだろうな」
淀みなく進む会話に、ビリーが待ったをかける。
「え、知らないの?」
チェイネルは知っていて当たり前のように首をかしげるが、この辺りの国で有名な宗教と言えば一神教のククル教。彼女と衣食住を共にした事のあるビリーですら思い当たらないほどエーテル教は知名度の低いものだった。アヴェも大まかな事しか知らないようで、チェイネルの顔を興味ありげに見つめている。
「知らないから訊いてる」
「えっと……エーテル教っていうのはさっきもアヴェさんが言ってたんだけど、
精霊様、精獣様を信仰する宗教だよ。ククル教とは違って属性ごとに
宗派が色々別れてるの。例えば私は水の精霊フルート様を信仰する宗派で
海と川を重んじる決まりがたくさんあるの、週に魚を食べる日が決まってて…」
「あー、わかったわかった。長くなりそうだからもういい」
「なっ!訊いてきたのはビリーじゃ…!」
むすっと唇を突き出すも、長くなるのは確かだったようでチェイネルは閉口した。
「とにかく怪しい宗教じゃないよ。しきたりは昔から続くものが多いから
変なのもあるけど。勧誘とかはあんまりしないというか、
どっちかというと閉鎖的だとか厳格な宗教っていわれる方かも」
「はあ……」
ビリーが彼女に勧誘されていない辺り、彼女の言葉は本当なのだろう。少年のついため息をさえぎるようにアヴェが立ち上がる。
「ではそこへ向かう他ありませんね。二人とも、支度を済ませたら行きますよ」
「拒否権は?」
「ありませんね」
その言葉を予測していたかのように素早く返ってきた返事。思わず舌打ちが漏れる。
「チッ……えらそうに……」
「僕は年上ですから」
アヴェはメガネの縁に指を当て、さも満足そうに振り返りながら鼻を鳴らした。
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