第2話 猪と鼠 /2

朝焼けがにじみ出す薄紫の空に、白い羽の雲が伸びている。

騒ぎが収まり明かりをつけた酒場の一室は酒瓶が何本か犠牲になったくらいで、

盗まれたものもなく、これ以上ないほどの成果といえよう。


締め上げられた二人の泥棒、うち一人は悪びれる様子もなく、床に唾を吐いた。

「何捕まってんだ、ラット。俺の足を引っ張るんじゃねーよ全く……」

「ご、ご、ごめんなさい」

睨まれた華奢な男が怯えて縮こまる。名の通り、今にも捕食されそうな鼠を思わせる。


「店主への連絡は済みましたか?」

アヴェは結び目を再度確認するとチェイネルへ顔を向ける。相手を捕縛してもまだ緊張は解けないのだろう、表情はまだ昨日の彼ほど柔らかくはない。

「今からです。保安官さんには通報しておいたので、依頼はこれで完了かな」

「引き渡すまでが僕たちの仕事ですよ、気を抜かないように」

「は、はいっ」

眠気が重りを乗せていたチェイネルの瞼が一気に上がる。その様子が可笑しかったのか、ビリーは鼻でそれを笑い二人に背を向けた。

「外、見てくる」


低く昇る陽が視線をめいっぱい占拠してまぶしい。

遠くに見える通りを走る馬車の音と人の声が一日の始まりを示し、もう起きる時間だと急かしてくるようだ。

ビリーは冷たい空気を挟んで頬に叩きこむ。

「三人も必要な依頼じゃなかったな」

実入りは悪くないのだからそこに文句があるわけではないのだが、泥棒一人にてこずった事に、少年は少し苛立つのだった。



何の前触れもなく――ばきり、木の板が割れる音。


次いで感じるちくりと刺すような痛み――そして熱。


「ッ!?」

振り向けば爆炎の赤と、立ち込める黒い煙。

擦りむいた四肢を持ち上げ酒場へ戻ると、男二人が消えていた。

「おい、何があった!」

声に反応して、アヴェが割れた窓ガラスの破片を振り落としながらよろよろと立ちあがる。コートの端が焼け焦げているが、直撃は免れたようだ。

「……ぐ、しくじりました……店のブレーカーが落ちてしまって、その隙に……。片割れのラットという男、呪術師だったようです」

「っつーと、さっきのはそいつが…………?」

「あ、あの」

魚のように口を開閉するチェイネル。見たところアヴェよりも外傷はなく、服も綺麗なものだった。何をしていたんだお前は――と心の中でついた悪態が漏れ出そうになるが、今は喧嘩どころではない。

「クソッ、逃がしてたまるか……!」

アヴェは咄嗟に、走りだそうとするビリーの外套を掴む。

「一人では危険です、見たでしょうさっきの威力を。それに大男の方だってかなりの手だれだ。一番理解しているのは貴方じゃありませんか、ビリー?」

「知るか!このままじゃ何の稼ぎにもならねェだろ」

彼は手を払うと振りかえらずに外へと飛び出した。文句を言いたげなうめき声がビリーの背中を刺す。

「……仕方ない人ですね、僕が彼を追いかけます。貴女は消火を頼めますか」

「でも!」

、わかりますよね?」

真っ直ぐにチェイネルを見る瞳は、どこか叱咤の色を帯びていて。

「わ、わかりました……」

反論を許さないその眼差しに、彼女は大人しく従うほかなかった。

アヴェは呆然と立ち尽くす少女の肩を叩く。

「これも立派な仕事です、任せましたよ」


少年は走る、走る。


逃げた方向は恐らく入口と別方向。どこかの空き家で身を潜めているのかもしれないし、馬車で遠くへ行ったかもしれない。前者ならまだ追いつく可能性はあるが、それ以外で捕まえられるかどうかはわからなかった。

(一人じゃ危険だとか、やみくもに走り回っても無駄な事くらいわかってる、けど)

目の前にあった賞金をやすやすと逃すほど裕福な生活は送っていない。彼は頭が悪いと同時にあきらめの悪い男だ、もしも荒野で遭難して狼に襲われたとしても、その肉を食らうためにナイフを取るのだろう。

「汽笛の音……」

どれくらい走っただろうか。遠くに黒い鉄の塊が見え――


「ビリー!」

背後から追いついたアヴェが叫んだ。いつの間にか呼び捨てされている。

「なんだよ、まだ止めるつもりか」

「言っても止まらないんですからそれはあきらめました。それで?」

「あの列車が目について……」

そろそろ息が切れ苦しくなった。線路を見下ろせる橋に身体を乗り出し、小さくなっていく列車に目を凝らす。

「確認しようにももう見えないな」

「待ってください。これで」

アヴェは背負っていた大きな革のケースを下ろす。楽器の収納ケースにもにたそれから出てきたのは、砲身の太い擲弾発射器ランチャー。それを見たビリーは思わず後ずさり、頬の筋肉がひきつった。

「は……は!?おいお前、吹き飛ばす気か!乗ってるとは限らないぞ!?」

「勘違いしないでください、スコープで見るだけですよ。」

改造されたスコープを覗き見て数秒、小さなため息が漏れる。

「――ああ、二人とも乗っていますね。この距離では貴方の武器じゃ届かない」

「それで足止めできないのか」

「相手が殺人を犯すような高額な賞金首ならやりますが……

 窃盗未遂の小悪党程度でほかの乗客を巻き込むわけにもいかないでしょう。

 貴方の言葉を借りて言うなら、『割にあわねェ』という所です」

「……クソ…」


成功したと思われた依頼は失敗に終わる。幸いにも盗まれたものはなかったが、店の被害は甚大だ。

沈黙ののち、少年は苦虫をかみつぶしたような顔で列車を見送った。

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