第2話 猪と鼠 /1
三日にわたる依頼は何事もなく過ぎていく。
噂は噂でしかなかったか、人どころかネズミさえ入ってこない。追加の成功報酬が入るには、もちろん犯人がいなければ成り立たない訳で。初日こそ緊張感で起きていられたチェイネルも今では舟を漕いで今にも床に突っ伏しそうになっていた。
「まあ、依頼は今日までなんだ。タダ働きじゃないだけマシか」
ビリーはリボルバーの装填数を確認しながら誰もいない暗闇にぼやく。ある雑誌では命中精度の低い粗悪品と酷評を受けたコバルト社のそれ。それでもビリーにとっては愛用の一丁だった。
がた、がたん。
風の音にしては少し長く、小動物にしては重い音。静かな店内は小さな音を広く響かせる。アヴェが侵入経路だと予想していた窓からだ。
「……」
一気に覚醒した頭を屈めて息を極限まで殺し、気配を消す。豪快に窓を割って入るでもなく、じれったく鳴り続ける音に覗き込みたくなる気持ちが溢れるが、今その時ではない。
ふた呼吸置いた後、軽い衝撃と共にガラスの塊が床板へ叩きつけられた。どうやら大きな音を立てないよう細工を施していたらしい。窓から入ってきた人物は、人相の悪い大柄な男と、ほぼ全身を布で覆った華奢な男の二人組だった。
「なぁんだ、外に見張りでも置いてるのかと思ったが、アッサリなもんだァ。本当に“精獣石"の情報なんざあるのか?滅多にお目にかかれるモンじゃないぜ」
「あの装丁は本物だと思う……けどボアさん、直接交渉でも見せてもらえたんじゃ?」
ボアと呼ばれた大柄の男は「馬鹿か」とせせら笑う。カウンターに寄りかかり、適当な酒を開け始めた。瓶の蓋を開ける金属音はナイフの類――つまり丸腰ではない。
「ラット、ああいうのは所持者が少ないからこそ価値が出てくるんだよ。第一、あの頑固そうなジジイが見せると思うか?五年前に出土した欠片の比じゃない大物を?」
――――“精獣石”。
貴重な情報と話すそれは高価な宝石だろうか。正体が何であれ、ここへ何かを盗みに来たことは明白になった。ビリーは静かに彼らの背後へと移動する。
「ジジイがくたばるまで眠らせているだけじゃもったいねえ。な?俺たちに使われた方が情報も喜ぶってもんだろ……」
物音で残りの二人も犯人の存在には気付いているはずだ。アヴェの作戦通りビリーはカウンターから飛び出し、ボアの後頭部を蹴り飛ばそうと脚を振った。
「……っ!?」
殺気には敏感らしい、背後からの攻撃に反応した男は寸でのところで腰を折る。ビリーは心に愚痴をこぼし舌打ちつつ、泥棒二人と距離を取った。
「番犬が室内飼いだなんて聞いてないぜ」
ボアは掠めて赤くなったこめかみを拭う。
「そう言うお前らはネズミらしいな」
挑発じみた言葉は時間稼ぎのつもりだ。一度に二人をどう相手にするか、視界の端から端まで全ての物を利用しようと神経を集中させる。華奢な方はどうにかなるとして、問題はビリー自身よりも大きなボアという男。
「俺がそんな小物にみえるかァ?」
「ああ」
「ふん。……おいラット!おめーは奥で情報を探して来い」
余裕が伺えるボアの表情。ここで逃げられてはおしまいだ。
挑発してみたものの、あまり効いてはいない。
「は、はい!」
ビリーは思わず、返事をした男へ気が逸れる。店の被害が大きくなっては意味がない。もちろん倉庫にはアヴェが待機しているのだが、いつも単独行動をしていたビリーは頭からその事が抜けていた。
「おっと。てめーの相手は俺だ」
その隙を逃すまいと、ボアが持つ短剣の刃先が頭めがけて飛びだした。よく見れば短剣ではなく、拳銃の先についた刃――軽い身なりから出てくるとは思えない、両手持ちサイズの銃剣。
店主側のカウンターに潜んでいた時には気付かなかったが、どうやら客席側のカウンター裏に張り付けてあったらしい。僅かに粘着質な布の痕がある。
「チ、店の中に隠して……」
咄嗟に銃身を掴んで攻撃を防ぐ。大きな得物では小回りが利かないぶん、接近戦はビリーに分があった。それでも体格の差がそのハンデを帳消しにしている。
「何も用意してこないはずがないだろ?ワンちゃんよ」
「黙、れッ!」
ビリーは腋のホルスターから抜いたリボルバーを突き付ける。対する男は顔をこわばらせ、リボルバーの銃口に銃床を叩きつけ……大きく逸れた照準はカウンターにあった酒瓶へと流れてしまい、音を立てて崩れはじけた。
「クソ……」
これ以上の反撃をされてはたまらないビリーは、ボアをカウンターへ押しつけ唸る。取り押さえるには至らず、得物が軋む音だけが数秒続いた。
「まあ落ちつけ、でっかいお宝を手に入れたら自慢しに来てやるからよ」
からからと嘲笑う男に決め手の一打が入れられず、ビリーは眉間の皺を深くする一方だった。――だが、しかし。
「落ちつくのは貴方の方ですよ」
ボアの後頭部に押し付けられた冷たい金属、そして撃鉄を起こす音。月光に照らされた銀のフレームと硝子板の奥で、真剣な眼が二人を捉えている。
昼間の柔らかな印象とは違う空気を纏っているが、それは間違いなくアヴェだった。
「!……遅ェよ、馬鹿」
「おや、ビリーさん一人では対処できない相手でしたか?それは失礼いたしました」
皮肉たっぷりな笑みを向けつつも、全く隙を見せない。彼は小さく息を吐き視線を戻して、男に再度通告する。
「貴方の仲間は既に捕らえました。投降していただけませんか」
ボアは静かに両手を上げ、反対に頭を垂れた。
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