第1話 始まりの依頼 /3

ある町では家族が火事で崩れた家の想い出を。またある集落ではそこに住む全員が数日の想い出を。各地でそういった部分的な記憶を失う現象が発生していた。

未だに原因特定に至らず記憶を戻す方法はわかっていないが、集団の中で短期間に起きる特性から薬物テロや感染症などが噂されている。


例えるならば虫に喰われた服のよう――

人々はそれを“記憶喰い”と呼んだ。


「ビリーもその被害者、と?」

「セスルームニルは私が小さい頃に記憶喰いが起きたんですけど、同じ時期にビリーも町の近くにいたみたいだから、多分」

何を失ったかもあやふやな記憶では確証がないのか、チェイネルの首はやや傾く。

「そういう事ですか……貴女も大変だったでしょう」

「私は特に支障ないかも。ビリーはお風呂の入り方とか食事の仕方まで忘れちゃったみたいで大変でした!」

最後に食事をしたのが三日前と言うビリーにたんと料理を作った話だとか、彼がシャワールームから水浸しで出てきて掃除をする羽目になっただとか、少女は大げさなジェスチャーと共に過去の思い出を語る。


「風呂……んっ……?ちょ、ちょっと待っていただけますかチェイネルさん。まさか彼と同居しているんですか?ええと、ご両親は……?」

がたり、僅かに浮かせた身体にぶつかった椅子が床を引き摺る。生真面目なアヴェには、結婚してもいない男女が生活を共にしている事に非常識さを感じたようだ。

これがあたりまえだったチェイネルは何を問われているのかわからず目を瞬いた。

「……?ビリーはたまに泊まっていくくらいですけど――」

言葉の途中でチェイネルの視線が斜め上を向く。見れば、まだ居心地悪そうなビリーが腹をさすりながら立っていた。


「何の話してんだ」

自分の名前が話題に上がっているのが聞こえたらしい、『話題をさっさと変えてしまいたい』と眉間に寄った皺がそう言っている。

「ビリーが赤ちゃんみたいで大変だったって話をしてたんだよ」

やられてばかりとはいかないのだ。日々辛辣な言葉を投げかけられる仕返しとばかりに、少女は意地悪くにまりと笑う。

「仕事の話をしろ」

「ちょっとくらい、いいじゃない。ね、アヴェさん」

「あー、あはは……」

愛想笑いを作るアヴェの声は力なく。気を取り直して、仕事の話へ軌道修正する事にした。


店内はビリー達三人を残して夜の営業に向けて閉店準備に入り、徐々に落ち着きを取り戻していく。

「これが店の間取りです。カシスさんからお借りしました」

テーブルに広げられる羊皮紙。所々擦り切れた箇所が店の歴史を思わせるが、ビリーはお構いなしに重石代わりのコーヒーカップを置いてしまった。

「借り物だと言ったでしょう、ビリーさん」

「どうせ古いんだ、コーヒーのシミ一つくらいで文句言われやしない」

アヴェは手遅れとわかっていながらもカップを持ち上げため息をついた。羊皮紙は新たに香ばしい匂いが付与されてしまったようだ。

「仕方ないですね」

「で?その間取り図をどうすんだ」

眉根を寄せるビリーに見えるよう、窓・裏口・倉庫の場所を指し示す。

「侵入経路を絞り込むんですよ。泥棒の噂があるという事は、犯人が下見に来た可能性が高いでしょう」

「酒場だろ?んな金目のモンがあるとは思えねェけど」

「そういえばオーナーのお爺さんがコレクターだって聞いたよ」

壁にかけられた動物のはく製や絵画はやや埃をかぶっているが、どれも年季が入っていた。よく見れば今座っているテーブルや椅子も。

行儀悪く椅子の背にもたれかかっていたビリーは、机の裏を見てみようと更に姿勢を崩す。新聞で見た事があるような焼き印を見つけぽつりと一言。

「アンティーク?」

「そういう事ですね。さすがに高価なものは表に出していないと思いますが、そのお爺さんの私物を奥にしまっているとも伺いましたし」

「ふーん……」

興味が湧いたのか、姿勢を直した彼は見取り図に視線を戻す。

「裏口から入るのが普通じゃねェの」

「いえ。ここの扉は鍵が二重になっていますから。正直時間がかかりすぎます」

「じゃあこっちの窓はどうですか?」

チェイネルは入り口付近の窓を指差した。

「惜しい。そちらは大通りに面しています。細い路地の……倉庫にも近い……僕はこちらの窓だと思いますが。御二方、なにか意見は?」

ビリーとチェイネルは顔を見合わせた後、しばらくして首を振る。どうもこの二人、あまり考える余力がない。

「えーっと。それでお願いします」


「はは、わかりました。僕も作戦を立てる方が性に合っていますし。では役割分担を……この窓から入ってくる事を想定して、チェイネルさんは一番遠い厨房で待機。なにかあれば連絡要員をお任せします」

「はいっ!」

「ビリーさんはカウンター裏で待ち伏せしていただけますか」

アヴェは右手にあるバーカウンターを指す。屈んで身動きができる程度の狭さと暗さ。身をひそめるのは簡単そうだ

「何をすりゃいい」

「囮役です」

片眉を上げ怪訝な表情のビリー。アヴェは話を続ける。

「身のこなしが軽そうな貴方なら、武装した相手の場合に対処しやすいでしょう?注意をひきつけてください。もし相手が丸腰ならそのまま捕縛して結構ですよ。」

「……わかった」

「ありがとうございます。僕は倉庫で罠を張っておきますから、複数人の場合は捕らえ漏れを手伝いますね」

既に作戦をある程度立てていたのか、その後も淀む事なく話は進み……一時間もかからず区切りがついた。


「――と、以上です」

「よ~しっ!賞金稼ぎの初仕事、頑張るぞー!」

「……」

遠足気分のチェイネルを微笑ましく見守るアヴェと、疲れた顔のビリー。


三人の長い旅路、始まりの依頼。

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