第71話 つかの間の平穏 それぞれの思い④



 ――レイフ城・スイセンの私室



 今回の配置替えで、私はトーヤ様付の近衛兵となる。

 部屋も執務室の傍に引っ越すこととなり、私は簡単に身の回りの整理をしていた。



「ふぅ……、こんな所ですかね……」



 我ながら質素な部屋である為、荷物は簡単にまとめることができた。

 この地に配属されてまだ間もないので、当然と言えば当然なのだが。

 ……最後に、私は服に縫い付けてある隊証を、丁寧に外す。



「……5年、か」



 リンカ様の近衛兵になってから、5年の月日が経っている。

 長いような、短いような時間だ。

 間違いなく恵まれた環境だったと思う。

 でも、それと同時に居た堪れなくなるような環境でもあった。

 心の中で、分不相応だろうという思いがあったからだ。



(まあ、トーヤ様の近衛だって、分不相応には違いないのだけど……)



 ……それでも、私はトーヤ様の近衛兵になることを選んだ。

 あんなおふざけみたいな出来事が切っ掛けとはいえ、私は自らそれを望んだのである。



(……リンカ様に、返しに行こう)



 まとめた荷物を背負い、リンカ様の私室へと向かう。



 コンコン



「失礼します。スイセンです」



「入れ」



 返事を確認し、部屋に入る。

 すると、何故か近衛部隊全員が揃っていた。



「あれ? 何故皆さんが?」



「何、スイセンの新たなる門出を祝おうって、リンカ様の粋な計らいだ」



 そう答えたのはシュウである。

 こんな私の為に……、と少し感激したが、当のリンカ様は何故か仏頂面であった。



「……その、わざわざ、ありがとうございます」



「……スイセンは近衛部隊発足当初からの仲間だ。その出世を祝うのは当然のことだろう?」



 出世……、まあ確かに左大将付の近衛ともなれば、出世と言えるかもしれない。

 しかし、祝うと言う割に、リンカ様は不機嫌そうである。



(でもそうか……、リンカ様からしてみれば、自分の近衛が一人減るワケだしね……)



 私如きの戦力が一人いなくなった所で、この隊にはほとんど影響はないだろう。

 でも今回は、私だけでなく、シュウも隊を抜けることになっている。

 それでは戦術や陣形などにも影響が出てくるし、リンカ様にとっては悩ましい案件なのかもしれない。



「む……、何故そんな顔をする?」



「い、いえ、その……」



 僅かに抱いた不安が、顔に表れてしまったようだ。



「いやいやリンカ様、リンカ様がそんな仏頂面してるからでしょう?」



「っ!? 私はそんな顔をしてたか!?」



 シュウにそう言われ、動揺するリンカ様。

 どうやら、リンカ様自身、自分の不機嫌さに自覚が無かったらしい。



「そりゃ、自分の近衛がトーヤ様に取られるんだから、胸中穏やかじゃないでしょうがねぇ……」



「っ!? な、何を! 大体に、お前がそそのかしたから……!」



 リンカ様は顔を赤くして勢いよく席を立ちあがったが、我に返ったように言葉を切る。



「オホン! とにかく、私は別に今回の件を気にしているワケじゃないぞ。だからスイセンも、不安に思う必要はないからな」



「は、はい」



「そ、それよりだ、私はスイセンに言っておきたいことがある!」



 この話は終わりだといった感じで、リンカ様が話題を変える。

 しかし、私に言っておきたい事とはなんだろうか……?



「まずだ、スイセンは勘違いしているようだが、この隊にお前のことを認めていない者など、存在しないぞ」



「……え?」



 一瞬、言われたことの意味がわからず、間の抜けた声を出してしまう。

 それに対し、リンカ様はやれやれといった感じに首を振る。



「……スイセン、お前は試合の成績が低かったことを気にしていただろう?」



「は、はい」



 実際は低いなんてものじゃない。

 私は一度だって、隊員同士の試合で勝利したことが無かった。



「だから自分は弱いと、お前は思っているかもしれないが、それは違うぞ」



 ……何が違うのだろうか?

 私がこの隊で一番弱いのは、間違いない筈なのに……



「リンカ様、私から説明させてください」



「うむ」



 挙手し、名乗り出たのは術士のボタンだ。

 彼女は術士でありながら、徒手の戦いもこなす優秀な戦士である。



「スイセン、確かに私は貴方に負けたことがありません。ですが、貴方が思う程、楽に勝てたワケでは決して無いのです。一戦ごとに成長する貴方に、私も他の方々も、日々苦戦を強いられてきたのですよ」



「俺は違うけどな」



「シュウ!」



「はい! なんでもありません!」



 ……ボタンやみんなが、私相手に苦戦していた?

 とてもではないが、信じられない。

 だって、そんな素振りは一切無かったから……



「今だから教えてしまいますが、実は密かに貴方に対する対策会議まで開いていたんですよ? それ程に、貴方の工夫や戦術には勉強させられたのです」



「…………本当に?」



「本当です。まあ、初めは私達も侮っていたことを否定しません。競技会の成績は皆知っていましたからね。でもやはり、リンカ様の目に狂いはありませんでした。実際に手を合わせて、それはすぐにわかりました」



「……でも、皆さんはいつも、私のことなど簡単にねじ伏せていたではありませんか」



「ですから、しっかりと対策を練ったのですよ。私達にも自尊心はありますからね。ただ、それでも簡単だと思ったことは一度もありませんが」



 ……彼女の言っていることは、にわかには信じられない。

 でも、皆の反応を見る限り、誰一人として私を騙そうとしている様子は無かった。



「貴方のお陰で、私達は慢心することなく、自分を高めることができました。そのことが貴方に劣等感のようなものを与えていたのは、正直申し訳ないと思っていますがね……」



「申し訳ないだなんて、そんなことは……」



 だってそれは、私が勝手に感じてたことであり、皆に責任は無い筈だ。



「だからスイセン、あまり自分を卑下しないで下さいね?」



「そうそう。正直、今のスイセンとやったら高確率で負けそうだしな。それで卑下なんかされたら堪ったもんじゃない」



 違いない、と他の皆も笑っている。

 それを見てようやく、私の中にも実感が湧いてきた。



(ああ、そうか……。私の努力は、ちゃんと実っていたんだ……)



 私は本当に馬鹿だ。

 もう少しで、自らこの道を閉ざそうとしていたのだから……



「……勘違いについては以上だ。そしてもう一つ、これは謝罪なんだが……、すまなかった。スイセンが行き詰っていることには薄々気づいていたのだが、お前ならきっと乗り越えるだろうと楽観視していたのだ。シュウに進言されなければ、私は事の重大さに気づけなかっただろう。上に立つ者として、情けない話だがな……。手遅れにならず、本当に良かった。これはトーヤ殿にも感謝しなければな……」



 シュウに、進言……?

 一体何を……って、まさか!?



「シュウ!? 貴方まさか!?」



「ああ、リンカ様とトーヤ様の試合のあと、その場で泣きべそかいていたことについては報告しておいたぞ」



「!!!!!!! 貴方って人は、本当に……!」



 この男はいつもこうだ。

 一見して寡黙そうに見えるし、訓練や稽古ではひたむきな姿勢を見せるのだが、どうにも配慮に欠けるきらいがある。

 その為、他の部隊の女性からは人気があるのだが、近衛部隊の女性達からは毛嫌いされているのであった。



「……スイセン、私はお前を支えてやることができなかった。だが、きっとトーヤ殿ならお前のことを支えてくれる筈。無責任で申し訳無いが、そう思うからこそ、託そうと思ったのだ。……これは餞別だ。これからは私の部下としてではなく、同じトーヤ殿の仲間として、共に励もう」



 そう言って、リンカ様は私の手を取り何かを渡してくる。

 それは隊章であった。

 ……いや、厳密には少し違う。

 本来は赤い蓮の紋が入っているのだが、これには青い蓮の紋が刻まれていた。



「隊は変わっても、お前は私達の仲間だ。これはその証だと思ってくれ」



 その言葉に、自然と涙が零れ落ちる。



「ありがとう……ございます。……本当に、お世話になりました……」



 涙を流す私を、リンカ様が抱きしめてくれる。

 私は幸せ者だ。

 こんな仲間に恵まれた自分を、もう二度と卑下することはしまい。



「……ところでスイセン、トーヤ様のとこに行ったら早速妊娠とかは無しにしろよ?」



 そんな温かい空気を、シュウが一言で凍らせてしまう。



「な、な、何を……! 本当に貴方という男は!」



 反射的に突き出した拳が、シュウの鳩尾に刺さる。



「ガッ! ウォッ……。おい、マジで今の反応できなかったぞ? 本当に腕上げやがっ!?」



 すかさず追撃が入り、倒れ伏して泡を噴くシュウ。

 リンカ様はそのままシュウを踏みしめ、こちらを振り返る。



「…………本当に、駄目だからな?」



 リンカ様が少し顔を赤くしてそう言ってくる。

 ああ……、もう何もかも、台無しである……




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