第70話 つかの間の平穏 それぞれの思い③



「ハッ!」



 棍棒での素振り千回。

 トーヤと出会う前から続けている、朝の日課である。

 ここの所は忙しかったので、できない日もあったが、それ以外では天候が悪くとも欠かさず続けていた。



「ふぅ……」



 素振りの後は汗を流し、湯船に浸かる。

 この何とも言えぬ充足感に、とんでもない贅沢をしているように思えてしまう。

 これまでも川で水浴びくらいはしていたけど、それが温水に変わっただけでここまで違うとは思いもしなかった。

 なんだかこんな生活をしていると、後戻りできなくなりそうで少し怖い気もする。



「む……? そこにいるのは、ライか?」



「っ!?」



 どうやら、先客が居たらしい。

 湯煙に包まれて視界が悪いとはいえ、先客に気づかないとは流石に気を抜き過ぎだった。

 しかも、どうやらその先客はガウ達らしい。

 まさか、彼らのような巨漢が入っているのに気づかないとは……



「ああ、そうだよ」



 声の方に近付くとガウ、それからデイ、ダオ、ゾノにゲツまでいた。

 これだけの人数がいた事実に少し凹みつつ、心の中で猛省をする。



「……みんなも居たんだ。それにしても、珍しい組み合わせだね?」



「なに、ゾノとゲツが稽古をつけて欲しいと言うのでな。デイの面倒を見るついでに鍛えてやっていたのだ」



「言ってないですよ! 自分は、ゾノさんに巻き込まれただけです……」



 ゲツが半泣きで項垂うなだれている。

 昔から泥臭い修行を嫌うゲツは、自分から進んで稽古をしようとしない。

 才能自体はあるのに、非常に勿体ないと思う。



「ゲツ! お前に足りないのは基礎だ! 折角の才能を殺すなど許さんからな!」



 そんなゲツをしっかりと引っ張ってくれているのがゾノだ。

 ゾノは残念ながら武の才能は余り無いが、努力することにかけては誰よりも秀でている。

 正反対の二人ではあるが、意外と相性は良いのかもしれない。



「ゾノの言う通りだよ、ゲツ。君なら、基礎さえしっかり学べば、絶対に僕やゾノを超える戦士になれる」



「いやいや、無理ですよそんなの! そりゃライさんには憧れていますけど、ライさんにしてもゾノさんにしても稽古大好きじゃないですか! それに追い付こうなんて思ったら、二人と同じかそれ以上の努力が必要に決まってます! 自分はそんなの嫌ですから!」



 全力で情けないことを言いだすゲツ。

 それに対しゾノが凄い形相で睨みつけた為、ゲツはガウ達の後ろに隠れるように避難した。



「ガッハッハッハッ! 全く、お前達は本当に面白い! 優れた戦士であることはもちろんだが、それ以上に自由だ! これまでゴブリンなどいくらでも見て来たが、お前達のような奴らは初めてだぞ」



 そう言いながらバシバシとゾノの背中を叩く。

 中々に痛そうであるが、ゾノはもう慣れたとばかりに『剛体』を使用して緩和をしていた。



「……ライも稽古だったのか?」



 背中を叩かれながら、ゾノが尋ねてくる。



「うん。ここの所忙しかったから、久しぶりだったけどね」



「……そうだな。ここ数ヶ月は、本当に色々とあり過ぎた」



「でも、自分はなんだかんだ楽しかったですけどね! 今までが退屈過ぎましたし!」



 退屈、か……

 確かに、そうかもしれない。

 トーヤと出会うまで、僕はただ生きるためにだけに生活をしていたように思う。

 棍棒の稽古はしていたけど、それを活かす機会はほとんど無かったし……



「俺達だってそうだぞ? まさか、魔王や竜種と戦う日が来ることになるとは、思いもしなかったぞ」



 そう言って獰猛な笑みを浮かべるガウ。

 各地を転々としてきたトロール達ですら、ここ最近の戦闘は刺激的なものであったようだ。



(……当たり前か。なんたって、魔王に竜種だしね)



 そんな大それた存在と戦うことなど、いくら魔界が広いとは言ってもそうそうあることでは無い。

 僕らにしてみれば、トロールや獣人と戦うことだって、まず無いというのに。



「ガウ兄は良いよな! 一人だけ竜種と戦えて! しかも、あんな剣まで貰って……」



 あんな剣、というのは今回の功労で貰った竜骨の大剣のことだろう。

 論功行賞では、今回の功労者に竜の素材から作成された武具が贈られたのである。

 ちなみに、トーヤは僕にもくれるつもりだったようだが、謹んで辞退させてもらった。

 あの時僕は、正直何もできなかったのからね……



「まあ、そう言うな。ここにいればいくらでもそんな機会は来るだろう」



「……流石にそれは勘弁してもらいたい所だが」



 流石のゾノも、ガウの発言には呆れているようだ。

 それはそうだろう……

 普通の亜人であれば、好んで竜種と戦いたいなどと思う筈がない。



「ハッハッハッ! 冗談だ! 俺とてそう何度もアレを相手にしたいとは思わん!」



 ガウは笑って言うが、全く冗談に聞こえなかった。

 それに、もう一度や二度くらいなら戦ってみたいと言ってるようにも聞こえる。



「まあ、竜種に限らず、ここには他にも強者がいくらでもいるからな。暫く退屈することはないだろう」



 ……確かに、ガウの言う通りここには信じられない程の強者が集まってきている。

 トロールに始まり、リンカ達獣人やガラ、そしてトーヤ……

 彼らの実力は、この亜人領でも上位に位置することは間違いないだろう。

 特にトーヤに関しては、まだまだ伸びしろがある為、正直どこまで強くなるのかわからないくらいだ……



(ほんの数日前までは、僕と一緒の歩幅で歩いていたのにね……)



 トーヤはもう、僕の先を歩き始めている。

 彼は謙遜してるが、全ての術を駆使したトーヤに、自分が勝つ姿を想像できなかった。



「む……? 何故そんな顔をする、ライよ。お前とて、その強者の内の一人ではないか」



「え?」



「とぼけるな。お前には、魔王に放ったあの技があるだろう? 手の内を見せることになるからか稽古中は使わぬようだが、あれを使えば獣人達に後れを取ることもあるまい」



 あの技、か……

 確かにあの技を完成させれば、自分の戦力の一つになるのは間違いないだろう。

 しかし、あれが完成に至るにはどうしても足りない要素がある。

 それをどうにかしない限り、技が完成する日は来ないだろう。


 ……荒神で渡された、父さんが書いたという棍棒術の伝書。

 せめてあれに載っててくれれば、こんなに悩むこともなかったのに……



「あれは、別に手の内を隠しているワケじゃないよ。ただ、中々完成に至らなくてね……。でも、そんなことを言っている場合じゃないのもわかっているよ。このままじゃ、どんどん皆に置いてかれちゃうしね。トーヤの近衛なんだから、もっとしっかりしないと……」



 僕が弱ければ、その分トーヤの危険が増すことになる。

 自分から近衛に名乗り出た癖に、それでは何も意味が無い。



「……おい、ライよ、何を思いつめている?」



「……ゾノだって、悩んだことはないかな? 僕達ゴブリン族は、どうすれば種族的に劣る部分を埋めればいいかって」



 ゴブリン族は、亜人の中でも最も弱いとされる種族だ。

 レッサーゴブリンである僕達は、純正のゴブリンとは違い混じり者特有の力は持っているが、身体能力はそれ程変わらない。

 どう足掻いても、それは覆らない事実である。

 ただそれでも、努力さえしていればその差を埋められると、僕は思っていた。

 しかし、それはやはり幻想でしかなかったのである。

 ガウ達トロールや、魔王との戦いを経て、僕はその事実を認めるしかなかった。



「ふぇ? ライさん、そんなことを気にしていたんですか?」



 ゲツが素っ頓狂な声をあげる。



「そんなことって……。ゲツだっていつも言っていたじゃないか」



 ゲツは昔から、どんなに頑張っても他の種族には敵わないからと、達観していた所がある。

 彼の稽古嫌いは、そういった考え方からくるものだと思っていた。



「いや、前は確かにそう思っていましたよ? でも今は、トーヤ様がいるじゃないですか」



「……? トーヤいるからって、どういう意味?」



 ゲツの言いたいことが理解できない。

 トーヤがいるから、僕らの身体能力が劣ることが、気にならないとでも?



「……ライ、トーヤ殿は『人族』なのだろう?」



「っ!?」



 ああ、そうだった……

 ここの所の活躍ぶりからすっかり忘れていたが、トーヤは『人族』なのであった。



「俺達ゴブリン族より劣ると言われる伝説の種族! そのトーヤ様が、あれだけの活躍を見せてるんじゃないですか! 憧れますよね~! 俺もトーヤ様みたく、努力だけじゃなくて工夫や戦略で活躍したいなぁ! ね、ゾノさ……って痛い!?」



 興奮して立ち上がったゲツを、ゾノがしばき倒す。



「くだらないことを抜かすな! それに、トーヤ殿はお前よりずっと努力してるぞ!」



 ゲツを湯に沈め、ゾノが再び湯に浸かりなおす。



「だがライよ、ゲツの言っていることにも一理はあるぞ。実際、トーヤ殿の身体能力は俺やゲツよりも劣っているだろう。しかし、そんな身でありながら、トロールは愚か、魔王や竜種にまで怯まず挑んでいたではないか」



 ……その通りである。

 実際、トーヤの身体能力は僕達にすら劣るのだ。

 伝承とは違い魔力は扱えるようだけど、獣人達のように魔力量が秀でているというワケもない。

 彼の強みを挙げるとすればあの『繋がり』だろうけど、あれは直接的に身体能力が上がるといった類の力ではない。

 そう、トーヤは『繋がり』の力を除けば、あのか弱い体で、これまでの窮地を乗り切ってきたのである。



「……まあ、俺にも気持ちはわかるがな。ただ、あまり一人で背負いこむなよ? 悩みがあるなら、相談くらいはしろ」



「……そうだね、ゾノ。ちょっと一人で考え過ぎていたのかもしれない」



 ゾノの言う通り、僕一人でできることなんて限られている。

 最初から、みんなに相談すれば良かったのかもしれない。



「それも良いだろうが、折角指針となる存在がいるのだから、いっそトーヤ殿に直接相談してみては?」



「おお、ダオの言う通りだ。トーヤ殿であればあっさり答えを出してくれるやもしれん」



 確かにトーヤなら、僕の悩みをあっさり解決してくれる気がする。

 少し気は引けるけど、一人であれこれ悩んでいるよりも余程良いか……



「はは、そうだね。ありがとうみんな。今度直接、トーヤに聞いてみることにするよ」



「あ、ライさんズルい! 俺も一緒に!」



 先程まで沈んでいたゲツが、水面から飛び出して割り込んでくる。



「ぬ、いつの間に復活した! お前は駄目だ! 基礎をやれ基礎を!」



「「「ガッハッハッハッ!」」」



 うん、まずはトーヤと話しをしてみよう。

 思えば、朝の日課同様、ここ数日はまともに話をしていない気がする。

 ……彼と話せば、きっと色々なことが見えてくるに違いない



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