第21話 邪眼の力、里見の作戦

 エリザに敵との会話を任せている間、里見は拙いながら何とか案を練る。


 詳細に打ち合わせをする時間も隙もない。エリザとは「戦わず、降伏せず、逃げる」「ララ達を助ける余裕はない」ぐらいなら同じ考えでいてくれていると思う。作戦は極々簡素に。短いナイフじゃ牽制にもならなそう。魔法系で何かできるとしたら… …。… …。


「エリザ、準備ができた。…合図で左手の廊下へ向かって全力疾走」


 エリザベートは振り返らないまま、つなぎっぱなしの手に力を込めて背に庇った里見へ返答する。正直なところエリザベートには里見がどんな策を準備したのか伝わっていないのだが、この場で信頼できる味方はお互いだけだと思っていた。


「さっきから何をこそこそと…」

「今だ」


 2人同時に左方向へダッシュで駆け出す。若干の差をつけて先にエリザベート、後ろに里見が続く。エリザベートはビショビショに濡れて張り付いてくるスカートの裾をたくし上げて走る。だが、そちらには、


「ミンチ肉になるのがお望みかね? ならばやってしまえ!」


 大股で5歩もいかない歩数でボブ・ゴブリンに先回りされ、待ち構えられている。右か左か、とにかく二手に分かれて回避しようとしてもどちらか――あるいは、敢えなく2人とも――大斧で引き裂かれて死んでしまう。

 誰が見ても一目瞭然。仮面の下で愉悦に顔を歪める男も、囚われているララたちも、弱小な獲物が血飛沫を上げて絶命する様を見逃すまいと前へ前へと詰め寄っているゴブリンたちもそう思っていた。


 なんならボブ・ゴブリンも同様だった。そのまま狙いを目立つ方の赤い頭の方へ定めて――、勢いよく振り下ろした大斧が手からすっぽ抜けた。

 スコンッ、とか、スパンッ、とか、そういう、広々とした野外の運動場なら違和感のない、いっそのこと爽快な勢いで天井へ向けて大斧が飛んでいった。


 何が起きたのか理解しきれないまま、それでも無手の状態のボブ・ゴブリンがサイドを走り抜けようとしたエリザベートへやぶれかぶれで手を伸ばす。しかし、股下をスライディングしていく先にターゲットに選んだ里見――赤い頭が嫌でも目立つのだ――にもつい目がいってしまう。エリザベートは逆手に握ったナイフですれ違いざま、ボブ・ゴブリンの太ももを切り裂く。パッと血が出るが、狙っていた太い血管は外してしまった。

 ボブ・ゴブリンは細かい動きは不得手だ。その分身体の大きさから生まれるスピードや薙ぎ払う様な攻撃でカバーするのが常だが、今は武器を手放している。手腕の動きと目線がバラバラなら回避できると踏んだ2人はお互いの位置が重ならないように走り抜ける。

 さらに、のおかげで時間稼ぎもできた。

 結局1人も捕まえられずまんまと突破されてしまった。わずかな間の出来事で、ボブ・ゴブリンは己れが武器を扱い損ねたせいだと今になってようやく頭に入ってくる。

 情けなくも固まったまま動きを止めたボブ・ゴブリンの回転の遅い頭に過ぎったことが一つあった。赤い頭の男が――多分男だろう。小さすぎて最初は女かと思ったが――己れが攻撃するまで、じーっと斧を持つ手元を見ていたことだ。

 もし、里見が仕掛けたのが仮面の男に対してだったら、『邪眼イービル・アイ』の効果に気付かれていただろう。『邪眼』の力は「見ているものに呪いをかける」ことである。では「呪い」とは?


 --『呪い』ってのは意図的に不運・不幸を操ることさ。その目で『見て』対象をロックオン、繋がった魔力の経路を通じてこちらから魔力を流し込む。後は魔力が十分な量に達するか術者の指示で、ボンっと起爆するってわけ。--


 クリストファーが里見に教えた『邪眼』についての基礎的な魔法論である。いずれ使い慣れれば、チラリと視線をやるだけで呪いをかけることもできるようになるだろう、とクリストファーは付け足した。過去にはそれ程までに熟練した『邪眼』使いがいたらしい。カジャスを筆頭に、勇者パーティーのメンバーから害虫のごとく嫌われていたこの『邪眼』も、クリストファーからしてみれば習わずとも生まれつき一つ魔法が使える、というだけで忌避するようなものとは考えていなかった。この考え方は、クリストファーがエルフという魔法に対する抵抗力が高い種族であり、健康な成熟したエルフなら意識せずとも呪術的な干渉を跳ね返すことくらい容易であることも関係してくるだろう。

 戦闘の場においては、相手が気付かないうちに弱体効果をばら撒き、隙をつくる。どこへ向けて、どのくらいの、どのタイミングでという「予約設定」は術者次第。その点、『邪眼』は魔力コントロールに優れた里見向きの能力といえるわけだ。ただし、治療師ヒーラーらしくはないが。


 とはいうものの、里見とて状況全てを操作できるわけではない。きっかけは彼だとしても。

 だから、ボブ・ゴブリンの手から飛んでいった大斧が天井をブチ破ってしまったのは、ちょっとだけ呼び込む「不運」の量が多かったせいかもしれない。


 ギシギシと音を立ててたわみ始める天井に、「これはヤバいヤツ」と危機感が仕事をした者たちがこれまで詰めかけていたステージとは反対方向へ慌てて逃げ出そうとする。ゴブリンという種は群れをなして生きる魔の種だが、基本的に自己中心的な性格をしていて他者を踏みつけ、押し退けることに罪悪感を覚えることはない。このときも自らが助かることしか頭にないゴブリンたちは我先にと出口に殺到した。

 そして出口に向かって大渋滞を起こしてモタモタしている間に、大勢が起こした揺れも加わったのだろう、大きな梁ごと天井は崩落した。

 下敷きになったものはどれだけの数になるだろうか。まあ、たとえ奇跡的にゴブリンたちが避難時のお約束「お・は・し」押さない・走らない・喋らないを守って行動したとしても天井崩落まではほんの数秒の違い、結果は変わるまいが。

 ステルベンやボブ・ゴブリンらはどうなったか。ゴブリンと同様に崩壊する天井の下敷きになる運命だったが、ステージのほとんど――磔にされたままのララたちも含めて――はステルベンの張った『防壁バリア』で瓦礫に埋もれてしまう事態を間一髪回避していた。

 なお悪い話を加えると、ステルベンが持っていたメグの首は魔法の発動のために両手を空けようとして放り出された。コロンコロンと転がってゆき、ポテサラにされるじゃがいもより容赦なくぐしゃり、と押し潰された。逆に首から下の遺体はバリアの範囲内にあって無事である。


「ちっ…、くそっ。スカー! どこにいる! これしきで死んではいないだろうな。

 ガキどもめ、そう易々と逃しはしないぞ…!」


 忌々しそうにステルベンが吐き捨てる。仮面の下では憤怒の表情を浮かべており、怒りの感情が魔力と共に流れ出てステルベンの周囲の空気が陽炎のように揺らめいていた。


 ※


 背後からするメキメキ、ガラガラという大きなものが崩れる音を聞きながら、2人は全力疾走を続ける。今度は里見が先導して走る。横道が何度かあったが、どれもその先から『嫌な感じ』がしてきた。まあ、一番の『嫌な感じ』はあの仮面の魔族の男とボブ・ゴブリン、つまり逃げ出してきた大広間からしているのだが。

 走って走って、はしって、はし、って――。


「さ、サトミ。待って、って。止まって!」


 息を切らせたエリザベートが里見に待ったをかける。

 こちらに来る前は持久力向上が目的で週5で40分のランニングを、城にいた間も訓練後に余裕があれば同じペースで走っていた里見。スタミナと走る速さは結構なものである。

 置いて行かれないように里見の背を追いかけていたエリザベートだったが、とうとう限界がきたらしい。エリザベートのことは忘れていなかったが、相手を置いて行かないよう気を配る、ということは忘れていた里見がハッとして振り向く。エリザベートはハアハアと苦しそうに息をして、足が崩折れないよう壁に寄りかかって身体を支える。


「ゴメン! とにかく、あそこから離れることばっかり考えてて!」

「ハア、ハア、…もう大丈夫。落ち着いたから。

 サトミから見て、この辺りは危なくなさそうか?」

「ええと、それは…。正直に言うと、どこまで行ってもベタベタ肌に貼り着いて取れない様な気持ち悪い、落ち着かない空気が消えないんだ。なんだろうこれ」


 里見がしきりに二の腕を擦りながら『嫌な感じ』について説明する。エリザベートには里見のこの感覚が何なのかわかるらしい。


「この砦中に漂うステルベンとか言ったあの魔族の魔力やゴブリンたちの出す独特な臭気が、そう感じさせているんじゃないか。サトミは人より魔力感知の感覚が鋭いんだな。それなら…、サトミ手を貸して」


 エリザベートは右手で里見の左手を取り、優しく穏やかに、体温を分け合うイメージを持って魔力を流す。里見もエリザベートのしていることを察して魔力を受け入れる。

 エリザベートがしているのは治療魔法の一種である。心身の不調が原因で体内の魔力が乱れることがある。それに対する治療魔法であり、効果を弱めて簡単なリラクゼーションとして使われることもある。

 土属性の適性が高いエリザベートの放つ魔力光は健康的なオレンジ色だ。

 ちなみに里見の魔力光は冷たげなアイスシルバー。水と風の属性が強いのを反映している。

 異世界に来て夕陽色になった里見の髪色と、編み込んだら目立たなくなるが数か所黒髪が混る銀髪のエリザベート。お互いの髪色と逆なんだな、と尖りすぎていた神経がゆるゆると解けていくのを感じながら思考がふっと余所へと飛んだ。

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