第20話 祭りの終わり、宴へ招かれざる客
音楽に合わせて、隣の人に合わせて足を動かす。クルリと回る。
時折目があった名も知らない人へニコリと笑みを浮かべてみせる。
心地よい没頭感を感じながら里見は踊っていた。
音楽が創り出す世界観に浸るのは気持ちいい。里見にとって、それは何も氷上に限ってのことではなかった。それでも、氷の上ではなく地面の上で、スケート靴ではないぺったんこの靴で。おのずと里見にとって人生の大部分を占めていたスケートの記憶が刺激される。
フィギュアスケートではステップと深いエッジワークによる表現力が里見の武器だった。高得点が出せるジャンプさえ手に入れられればと言われ続けてきたっけ、そんでもってジャンプに意識が行き過ぎててせっかくの表現力がお粗末になってる、とスケート仲間の言葉を振り返る。
速足になった曲調に急かされるように、柱と柱の間ではためく幕やリボンを潜り抜ける。スッと手を前方に伸ばす。
唐突に、誰もいないはずの幕の向こうから、真っ白な腕が里見の手首を掴んだ。
白い、と思った腕は短い獣毛のようなものに覆われていて、長く尖った爪は真っ赤な色をしていた。目を腕から上に向けると、おおよそ人間とは異なる種だと一目でわかる少女がいた。炎のようにユラユラ揺らめく赤紫色の髪、猫のようなつり上がった金色の大きな瞳。身に纏っているのも腕からはじまって全身を覆う獣毛と、腰回りや襟元で揺らめく炎が混ざり合わさった、見たこともない何かだった。姿形だけなら人間とよく似ているが、里見にはこの炎の少女が人間と同じとは決して思えない。周りの空気がダイヤモンドを砕いて撒き散らしたかのようにキラキラと輝いている。
目の前に現れた人外の少女は一体何なのか。困惑に固まる里見にニコォと大きな目を細めて笑顔を浮かべるてくる。里見はその笑顔を見た途端、理屈をすっ飛ばして恐怖が湧き起こってきた。
ほんの刹那の間だったのかもしれない。掴まれた腕を振り払うより早く、こちらへこ来いと強い力で引っ張られる。
「サトミ‼︎‼︎」
肩ごしに声がした方を振り返ると、助けようとしたのだろう、エリザベートが里見に向かって飛びつく様にして背中にしがみついた。
その向こう、テーブルの方では、クリストファーがエメラルドグリーンの目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、里見の方へ右手をかざそうとしている。
何かができるタイミングで、異変に気がついたのはエリザベート、クリストファーくらいのほんの数人。それ以外にはおかしな気配がさざ波のように鈍く伝わっていくだけ。
同時に何人もの人が里見を、いや、人外の炎を纏った少女を中心に動くのが里見にはわかった。だが当の少女は里見から視線を逸らさず、彼女だけ別の世界にいるかのように周囲を気にする様子もない。
猫を前にした鼠のように微動だにできないまま、里見と里見にしがみついたエリザベートの姿は飾り幕の向こう側へ消えていった。
※
一瞬、足元から地面の感触が消えた後――。
里見とエリザベートは浅い水の中に身体を投げ出された。
どこか嫌な臭いのする、ぬめりが混ざった不快感を感じさせる水を被ったせいで顔をしかめる。手をつけば身体を起こせる浅さだったので、里見もエリザベートも溺れることはなかった。
顔を拭い、ここがどこなのか周囲を見回す。里見の手を引っ張ってここへ連れてきた炎の少女はどこにもいない。代わりに2人の目に飛び込んできた光景に叫び出さなかったのは、エリザベートの場合は日頃の修練の賜物で、里見は単に見知った人間の死体が作り物めいて思えたからだ。
そう、死体。ベッドのような大きな石の台座の上で女性の首なし死体が、ダラダラ血を流しながらこちらに切断面を向けて横たわっている。
その横には血塗れの分厚い斧を片手に下げた、肉厚で潰れたような顔面をしている緑色の肌の2メールはありそうな――おそらくオークとかボブ・ゴブリンとかいう魔族だろう。
石の台座を挟んで反対側には対照的にヒョロリと細い体格の奇抜な仮面をつけ、頭からつま先まで隠すローブを被った人物。片手に胴体と対になる頭部をわしづかみにしている。
一段低い位置にいる里見には下向きになったその顔がよく見えた。ふんわりとしたツインテールにしていた桃色の髪はボサボサに解けてしまっていた。言葉にしていたのを聞いたことはなかったが、毎日丁寧に結い上げていて、こだわりの髪型だったんだろうに。
澱んだ目を虚空に向けたメグ――勇者パーティーの女神官、だった少女――の生首は里見に、束の間の平穏が終わったのだと突き付けてきた。
※
「サトミ、動けるか?」
エリザベートがそっと里見の後ろから声をかける。エリザベートに話しかけられてハッとした里見が注意をメグの首から周囲へ向ける。
正面には仮面の人物とデカい西洋版大鬼みたいなヤツ、背後側にはデカいヤツを縮小したような小鬼がガヤガヤ、ギャーギャーひしめいていた。どちらもロクでもない。さらに正面の奥には、人が立っているのが見えた。立っているというより、磔にされているララとアルバート、アナベルだった。メグがいたのだから当然他もいるか。最後に見たときよりボロい格好をしている上、防具などは身につけていない。女子2人なんて涙やら何やらで顔がぐしゃぐしゃになっている。
「…貴様ら何者だ。我々の心待ちにしていた、愉快な、愉快な宴を邪魔するとは」
仮面の奥からくぐもった不気味な声で男が問いかける。闇の儀式か宴か、とにかく、邪魔された苛立ちが滲み出ているような声である。
エリザベートがスッと前へ出て里見を庇うように互いの位置を入れ替える。その隙にエリザベートの背に隠れてこっそりと右目の眼帯を外す。エリザベートは丸腰、里見も小さなウエストバッグの中に小型ナイフが入っているだけで、武器になりそうなものはない。まず、緑のデカい方の持つ斧には敵わない。背後側の集団と戦うことを選んでも同じこと。多勢に無勢でやられるだけ。
残された道は、とにかく戦闘の火蓋が切って落とされるまでの時間稼ぎ。
仮面の男はこの集団において指示役、リーダー格らしい。男が喋っている間は周囲が「待ち」の姿勢だ。
「邪魔したようで悪かったな。ところで、さぞ有名な魔族と思うのだが、何者か名を教えてもらっても? あとついでに、後ろの金髪トリオについても」
「友人かね?」
「いや、全然。特に男の方はどうでもいい」
「ほほう、即答とは」
「おいっ‼︎」だとか罵声が聞こえるが、エリザベートにキッパリ無視される。
「なかなか肝の据わった女のようだな。うるさく泣き喚いた挙げ句、仲間を差し出して命乞いをするよりずっといい。
我は魔王軍軍団長ステルベン。『凄惨なる死をもたらす者』ステルベンだ。この者どもは我の忠実な部下たちを慰撫するために、のこのこ阿呆面下げて罠にかかりにきたので捕まえた、いわば宴の余興道具である。
ああ、自ら我々のテリトリーに飛び込んできて生け贄に立候補する、という点は貴様らにも当てはまるな」
仮面の男、ステルベンが見下した目をエリザベートに向ければ、背中をムカデに這い回られているかのような不気味さが走る。この仮面の男にまともにかかっていっても、羽虫を殺すがごとく返り討ちされて終わりだとエリザベートの直感が告げている。
そして、思っていたより数段危険な状況であることがわかった。炎の少女に問答無用で連れてこられた先は、よりにもよって長きに渡り人間側と争い合っている魔王軍のテリトリーだったらしい。
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