第19話 祝祭日、夜

 またもやエリザベートの視線が突き刺さるように痛い。着ているのはスカート部分の襞を多めにとってフワフワ感を増やした、ワンピースをちょっと豪華にしたような服だ。色はミントグリーン。

 どうやらエリザベートは、ミッシェルより先に自分が里見と出かけてしまえばいい、という策を講じていたらしい。妹と里見の急接近を阻止しようとする余り発想が斜めの方向へ飛んでいる。結局頓挫したが。


「…… ……」

「あのー、エリザさん? 顔が潰れたパグ犬みたいになってますけど」

「どうして…」

「あっ、はい。なんでしょう?」

「どーしてサトミなんだーー‼︎ 私だってシェリーとジルと戯れたいのにーー‼︎」


 とうとう思いの丈をエリザベートが叫んだ。叫び切るとテーブルにゴツンと額をぶつけて突っ伏す。

 パグ犬についてのツッコミはなしか。これは、重症だわ。

 里見の隣に座るリュウはニコニコニコニコ笑って放置しているだけだ。

 ミッシェルは大道芸人を見に行っている。

 ユリウスは同い年くらいの男の子の集団に連れられて行ってしまった。男子集団の内、リーダー格っぽい元気のいい声の大きな子がエリザベートを見るなり、「うわーっ! 帰ってきてたのかよ!」とケンカを売って、追いかけられていた。地元でのエリザベートの人物評がよくわかる一場面だった。エリザベートは誰からも嫌われているわけではなく――女友達とは普通に仲好さそうだった――、あれくらいの『やんちゃな男子』という生き物と天敵同士な性格なのだろう。


 小さい頃のアルバートもあんな感じだったのかな。今も子どもの頃と同じでエリザと仲悪いってことは、子どもの頃の性格から成長してないってことか…。


 本人がいないところでどんどん残念感が増すなあ、と里見は思うが、目の前の食事程に興味はない。

 丸く成形されたパンを上下に分けて断面をカリッと焼く。間にベーコン2枚、目玉焼き、ちぎったレタスっぽい葉野菜、あと初めて見る輪切りにされた黄色い野菜。黄色い野菜は、里見は見た目からトマトっぽい味を想像していたが、酢漬けになっておりピクルスの役割をしていた。


 美味しいなぁ。パティを挟んだ馴染み深いハンバーガーじゃなくって、途中でベーコンがこぼれ落ちそうになるけど、これはこれでいい。何よりちょっと甘い風味のバーベキューソースに似たソースがいい。


 出店――領主からの提供で、無料で食べれる――で一番人気のハンバーガーに舌鼓を打つ。異世界に来て日本のファストフードに似た食べ物に出会えるとは、里見には嬉しい驚きだった。こちらの世界の人が思いついたのか、向こうの世界の文化流入かはわからないが、考えてみればハンバーガーは作り易い料理かもしれない。日本では『店で買って食べるもの』という先入観が強く根付いているせいか。パンはふっかふかでなくとも石のように固くなければバンズ代りにはなるし、具は野菜と肉の組み合わせを自由に考えればいい。課題はソースだろうか。そこは開発に成功した先人に感謝である。

 里見が異世界風ハンバーガーをむしゃむしゃ食べている内に、一仕事終えたクリストファーが一杯引っかけてからやってきたし、ミカエルもフライドポテト(皮付きで太め)とヴルスト(茹で)の盛り合わせ(ソースはハンバーガーと同じ)を持ってきた。


 マスタードってないのかな。

 ※


 陽が傾いてくると広場の隅の篝火に火がつけられる。どこからか軽快な音楽が流れてくると、広場の中央付近に若い男女が集まりだす。幼い子どもたちは家に帰るよう言われ、ここからは大人たちの楽しむ時間になる。


「おっさんたちはここで見とくからさ〜、サトミ君も行ってくれば〜?」


 酔っ払って大分陽気になっているクリストファーが里見に踊りの輪の中に入ってくればいいと勧める。

 この男、日中の精霊の祝福を授ける儀式の際は清廉な聖職者の如き姿で金糸で複雑な刺繍が施された真っ白いローブや緑と橙色で織られたストラが大層様になっていたのに、今や別人のように、ただのおっさんと化している。なまじっか、容姿が三十代前半の長身の美形なものだから余計に残念感が強まる。


「ほら〜、エリザもいつまでブスくれてんのさ。若者はあっちへ行った行った」


 もう一個バーガーを頂こうと思ったら、早よ行けと追っ払われるように促される。


「俺、ここの住人じゃないけど参加して大丈夫?」

「いいノヨ。客人はもてなすべし、って考えがこの世界にはあってナ。遠方からの客人は『百福』を運んでくると考えられているノヨ」


 言葉を切ったリュウが顔をしかめて続ける。


「ダカラ、アイツらがサトミにしたことは許されないネ」


 ※


 二本の柱の間を輪になったり二列になったりして踊る。ときどき男女で手を取り合ったりしている。里見は体育祭でするフォークダンスによく似ていると思ったが、それより男女の距離感があるように感じる。見ていると、ステップをちゃんと踏んでいる人もいれば覚束ない人、フォーメーション移動について行くだけの人と様々だった。

 この柱は緑の女神と橙の女神に見立てたもので、わかりやすく色違いのリボンが結ばれていたり装飾文字が描かれていたりしている。かけられた飾り布が風を受けてヒラヒラひらめく。


「おお! お嬢様と、そっちは初めて見る顔だなぁ。入るのかい?」

「ああ。入れさせてくれ」

「エリザはこっちへおいで! ほらここ」


 エリザベートはどうやらそこが定位置らしい、旧知の仲の女友達に挟まれた。里見もエリザベートの後から集団に近づくと積極的な女性陣がサササッと近寄ってきた。


「貴方ダンスは得意なの? よかったら教えてあげてもいいわよ?」

「アッ! 抜け駆けナシって言ったじゃない! ねえ赤髪の子、わたしが教えるわ!」

「えーっと、大丈夫。あっちで見てたから大体覚えたよ」


 娘たちが「えー」「流石に嘘でしょ」「ちょっと見ただけじゃ覚えらんないわよー」と口々に言うが、里見にしてみたら伴奏も振り付けも単純なパターンの繰り返しだった。難易度の高いジャンプを織り交ぜる必要もないし、息継ぎの間もないようなこともない。里見は女性陣に曖昧に笑いかけ、最初に話しかけてきた背の高い男の隣に入れてもらう。背が高いというか、残念ながらこの場の男の中で里見が一番背が低い。

 楽団が新しい曲を奏で始めた。


 ※


 日中に頼まれていた仕事を終えたクリストファーは陽が落ちる前からそこそこの量の酒――あくまで自己申告である――を飲んで大変いい気分だった。気楽な気分で若者たちの輪を眺めている。こういう明朗な活気に溢れた人々の営みを眺めるのがクリストファーは大好きだった。何十年経っても冒険者パーティーを組んで旅を続けている理由はそこにある。俯瞰したような視点での思考は、ヒューマンとは比べられない程の長命の種族であるエルフだからなのか。


 まさか、歳のせいとは思いたくない。


 送り出した少年少女を加えて人だかりが賑わっている。

 ふと、里見を拾った夜のことを思い出す。夜半から小雨が降っており、馬車の中に全員が揃っていてカードでもしていたんだっけ。こんな夜、普段は物静かな水の精たちはヒトたちの耳には聞こえない声で『歌』を歌う。『黄金郷』のエルフ族の中で最も耳が優れ、精霊と親密なクリストファーだけに微かに届く儚い歌声。

 唐突に水の精たちの『歌』が途切れたので、誰かが無粋な真似をしたのかと思った。次いでさわさわと、まるで驚き慌てているような様子で精霊らの気配が近づいてくるから、何事かとクリストファーの方が驚かされた。基本的に水の精はシャイで、向こうの方から他種族に近づくということはまずない。

 その時点で、里見は普通ではなかったといえる。内向的で没交渉気味の水の精が、自ら助けようとした人間。

 短い期間だが里見の人となりはわかってきた。温和で冷静、感情の起伏が穏やかなタイプ。水の精のようにシャイな子たちでも怖がらせない。

 体調が回復すればテキパキと雑用や手伝いをかって出たから、身体を動かしていないと逆に落ち着かないタイプの人間かと思っていた。

 しかし、そのクリストファーの考えは少し外れていたようだった。里見は雑用でも何でも、最初の内はゆっくり丁寧に行う。または、お手本をよく見て取り掛かる。クリストファーやリュウが「適当で構わない」と言ってもだ。里見はこちらが教えることは、些細なことでもそこから新しい知識や技術を学び取る、あるいは元々積み重ねてきた経験と照らし合わせて再確認しようとする。

 実は、このことに先に気がついたのはクリストファーではなくリュウだった。リュウはこの数日中、手が空いた里見に体捌きの訓練をつけていたなか、リュウは里見の学習方法の基本を『見取り稽古』のようだと例えた。秀でた人の動きを観察し、自らに取り込む練習方法。

 なるほど、クリストファーたちエルフは成人の儀を終えればさっさと親元を離れ一人で生き方を決めていき、特定の師というものを持つことがない。何かを学びたいときや腕を磨きたいときも一人で究める。独自性を重んじるエルフには馴染みが薄い発想である。

 里見は勤勉でありそれは第一に自分のメリットのため。面白いバランスの人間だ、とクリストファーは思った。

 クールビューティな少女騎士という外見から第一印象は賢明そうな性格に見えて、実は沸点が低めで己の信条に直情、剛毅な面を持つエリザベートとはどうなることやらと心配していたが上手くいっているようでよかった。

 短期間で仲が良くなりすぎている気もしなくはないが。ただ、――


 普通の十代男女の甘酸っぱい雰囲気とは違うんだよな。さっぱりしてるのに親密さは高いって、まさか異性として意識してないのか?


 男女の間の友情の成立、グリフィンと馬をつがわせるのとどっちが成功率が高いだろう。

 つらつらと考えつつ、パカパカとジョッキを空けていくクリストファーをリュウもミカエルも止めない。思っていることが脈絡なくクリストファーの口から飛び出てきても、適当に「そーかよ」「はいはい」と相槌を打つ。しばらくしたら寝落ちるので、それまで放置である。


「正直さー、聞いちゃいたいわけよ。『相手のこと、どう思う?』って。気になるわーー。でもさー、ウザがられるでしょ。絶対。特にあの年代って言えば思春期ド真ん中っしょ?」

「前に同じことやって犬娘に二度と口利いてもらえなくなったの忘れたか」


 前科アリかい。

 突っ伏す体勢で机に寄っかかり、ボンヤリした目つきで二柱の方を眺めるクリストファーは寝落ちまで数十秒を切っている、とリュウとミカエルは判断した。やれやれといった空気で目で会話しあう2人。


 突然、クリストファーが飛び起きた。

 酔いも吹っ飛んだ顔で、驚き飛び退く2人に気を配る余裕もなく、二柱の方向――正確には赤髪の少年に目が釘付けになっていた。


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