第18話 祝祭日、昼
ふらふらと石畳が敷かれた、左右にポピーやガーベラなどポピュラーな種類の花が植えられている道を歩く。里見はふと、ベンチとか座れる場所はないかと探してみることにした。歩き疲れたわけではないが、ゆっくり腰を落ち着けたくなったからだろうか。
人の身長くらいある植木を回り込んだときアンティーク調のテーブルとチェアのセットを見つけた。そして、銀髪の少女と黒髪の幼い男の子も。
少女が姉で男の子がその弟、それで、この2人がエリザベートが言っていた妹と弟だろうと、里見は推測する。
どうしようか、とりあえず無言で見つめ合っているこの空気は気まずい。
向こうも知らない人(右目に眼帯、派手な赤髪の平たい顔の男)と自宅の敷地内で遭遇して、びっくりしているようだ。里見が2人の目線に合わせようと膝を曲げたとき、少女の方がさっと動いた。
「今の話し、聞こえてました? 聞いてませんよね⁉︎」
丁度位置が下がってきていた里見の首根っこにガシッと掴まり、耳元に口を寄せて囁き声で問う。
何のことだと里見は横目で至近距離にある少女の顔を見るが、里見から見て右側にしがみつかれているためちょっと分かりづらい。子どもなりに真剣な様子で質問しているのだ、ということは伝わってきたので短く答えを返す。
「君たちの話しは聞いてないよ」
「本当ですか?」
「本当に」
わかりました、と言って少女は手を離す。里見も姿勢を正す。
「エリザのきょうだいのミッシェルとユリウスだよね? 俺は里見といいます、はじめまして」
ニコッと笑顔で自己紹介をする里見に、少女ミッシェルが慌てて応える。ユリウスはミッシェルに促されて、小さな声で名前を言った。
ミッシェルは伯爵夫人とエリザベートを足して割ったような顔立ちで、ユリウスは人見知りの気がある大人しそうな男の子だ。
まあ、自分も小学校低学年くらいまでは姉二人の後ろに隠れるような性格だったし、ちょっと年の離れた姉ともっと年上の姉がいる弟ってこんな感じになるものかもしれない、と里見はユリウスに親近感を抱く。
「ねえ、サトミ様はお姉様の、『クリスタルハート』のお仲間なのよね?」
ミッシェルから答えづらい質問を投げかけられる。
「ええっと、俺はね…困ってたところを助けてもらって、ここまで連れてきてもらったんだ。冒険登録はしてないし、ましてクリストファーさんたちの仲間とは…。
あっ、もしかして、エリザがどんな感じなのか聞きたいの?」
ふと思いついたことを里見が尋ねてみると、2人はコクコクと首を縦に振る。大きく開かれた目もキラキラと輝いていた。小学校高学年くらいの少女と低学年くらいの男の子、しかも知り合いの妹と弟にこんな目で見られて断われるやつがいるだろうか。
里見たちは夕食の支度が整ったと人が呼びに来るまで、ガーデンテーブルを囲って楽しいお喋りに興じていた。
※
エリザベートの視線が痛い。
里見は突き刺さるような強めの眼光でこちらを見てくるエリザベートに、恐れ
食事の用意ができたと呼ばれたあと、外で遊んでいたミッシェルとユリウスがそのまま食事に向かおうとしていたので、ついつい手を洗って、ついでにうがいまでさせていたら、里見らが最後になってしまった。エリザベートも先に席に着いていて、里見と弟妹が来たのを目にした途端、カチンと何か言いかけて固まってしまったのである。今は膠着状態が溶けたが、新たにお怒りモードに入っているらしい。
何かエリザベートの琴線に触れるようなことをしたっけ、と里見は頭を巡らせるが、わからない。
夕食中、時折飛んでくるエリザベートの視線を里見は料理をよく噛むことに集中して耐えきった。後でクリストファーにどうしてだろうと相談したら、「あの子って意外とシスコンなんだよねぇ」と返された。ミシェルとユリウスと手を繋いで歩いていたのが、そんなにシスコン心を刺激したのか。
「サトミ君に嫉妬したのか、弟たちに嫉妬したのか、わからないけどね〜」
庭で話していたときに2人に教えてもらったのであるが、明日は豊穣を祈る祭りが行われるのだという。村から木の属性と土の属性への適性が高い少女が2人選ばれ、緑の女神と橙の女神に扮し、その他の女の子も女神の付き人役になって村中を回る。日が暮れると広場に集まって、特別な柱の周りで未婚の若者たちが輪になって踊り、振る舞われる料理を腹一杯飲み食いをする。ミッシェルは去年、橙の女神役をしたらしく、その衣装と花冠がとてもとても可愛いのだと熱く語ってくれた。
ちなみに、夕食中に祭りの話になった際、エリザベートが里見に説明しようとしてユリウスから「そのお話はさっきぼくたちがサトミお兄さんにしました」と言われ、ミッシェルからは「サトミも一緒に夜の祭りに行ってはダメですか?」と言われ、エリザベートがピシッと固まったりする場面があった。
「も」って言ってるから。お姉ちゃんと自分と、おまけで俺だって。
※
翌日、屋敷の人々は皆、朝から忙しそうに動き回っていた。クリストファーも祭の中で何やら赤ん坊に精霊の祝福を授けるとかなんとかを頼まれていて打ち合わせ中。リュウは厨房で山のような量のキャベツを切り刻んでいる。エリザベートは全体の指図、何の準備が終わっていて、何の作業が遅れているのか報告しにひっきりなしに人がやってくる中、ドレスは何を着るかばあや――去年と同じものは絶対反対派代表。そもそも、もう少し早くお帰りになっていればこんなに慌てることはなかったのです、という小言付き――と討論を繰り広げている。ミカエルはふらっと出かけていった。
忙しい皆に比べて里見は暇を持て余している――というわけではなかった。ただ、動き回ったりはしていないし、手を動かしているわけでもないが。
どこか邪魔にならないような場所で静かにしていよう、と考え昨日ミッシェルたちと会った庭に向かったが、近くで荷物の積み降ろしが行われていて人の出入りの妨げになりそうだった。
次に、図書室で本を読むことにしようと思いついてエリザベートに図書室の場所を教えてもらいに行った。ばあやとのバトルが大分過熱していたので、去年のドレスは着ることができても、ちょっと子供っぽい雰囲気と今のエリザベートの一年分成長した体型がアンバランスだ、と伝えたら納得してくれた。ばあやと待機中のメイドはエリザベートからだと見えない角度で音を立てない拍手をしていた。
そして、図書室で本を選んでさあ読もう、としたとき、とある『頼みごと』をされた。その『頼みごと』をしてきたメイドはえらく恐縮していたが、里見にしてみたら簡単なことだったので二つ返事で了承したのだ。
朝からの出来事を振り返ってみた里見が現在どうしているかというと――、
「それで? バクフ側とサッチョウはどっちが勝ったの?」
「外国の強い武器を揃えたサッチョウが勝ったんじゃないかしら? でも、そうしたらエドの城下町もキョウトのように大火事で焼けてしまったの…? たしか、人口は約100万人とか150万人だったとか」
「ミッシェルの言う通り、最終的に勝ったのは薩長率いる新政府軍。幕府は大政奉還――政権を朝廷に返して、江戸城を明け渡した。このとき、勝海舟っていう幕府の役人と新政府側の西郷隆盛が会談して江戸城総攻撃は直前で回避されたんだ。江戸は火の海にならずに済んだってわけ。その後、旧幕府軍は北へ向かい戦い続けるんだけど一時的に戦術的勝利を収めても、その後が続かないから戦略的には追い詰められていく。蝦夷っていう海を渡った先にある日本本土と比べてもかなりでっかい島、いや、島って言うと違和感があるな…。まあその蝦夷という土地で最後の戦いがあり、戊辰戦争は終結したの」
異世界に興味津々な2人のために、日本の幕末の歴史をレクチャーしていた。
最初は現代の日本のこと――人口は1億2000万以上、首都は東京という名前、南北に長い島国であるといったざっくりとした説明をしていた。すると、2人ともその辺りの日本についての知識が既にあったため、里見は大いに驚かされた。勢い込んでなぜなのか聞いてみると、60年ほど前に里見と同じく日本からきた異世界人がエストック領に居たと言うではないか。先代の伯爵、すなわちドラゴンをお土産にした三兄弟の祖父が懇意にしていたので日本について知っていたのだ。
どこに住んでいるのか、会うことができないか、焦りと期待感に駆り立てられた里見だったが、その人物は7、8年前に老衰で亡くなったのだと言われた。
急速に力が抜けていった。つい前のめりになっていた身体を戻し、背もたれに深く寄りかかる。「そうなんだ…」とつぶやくようにしか返せなかった。
心配そうに里見を見るユリウスと、もしかして凄くまずいことを話してしまったんじゃないか、と考えていそうなミッシェル。落ち込んだ空気を切り替えるため、「ちょっとびっくりしただけだから、気にしないで」と笑って誤魔化す。ティーカップの中身も空になったのでお代わりを頼もうとすると、今度はミッシェルがお茶を入れると言って立ち上がった。
自己嫌悪を抱かせてしまった、と年上として里見が申し訳なく思うが、気にしなくていいよと繰り返すより、ミッシェルの入れてくれたお茶を美味しく頂く方が気持ちが伝わるんじゃないかと思った。
そのあと、今の日本の外国との関わり方や、現代の価値観の大元は明治時代に外国の文化を取り入れた文明開化や二度の世界大戦を経てつくられたものだとぽろっと説明したら、『文明開化』の点に興味を持ってくれた。要望に応えて黒船来航の辺りから幕末の歴史を語っているのである。
正直、話題のチョイスがめちゃくちゃ渋い上、その頃の時代の流れは血生臭いし多角的に見ていかないとよくわからないので子供向けではない。里見に大人がドタバタしている間、子どもたちの相手をしていてほしいと頼んだ伯爵夫人の意図には適っているが、里見の「基本的に、相手が喜んでいるならそれでいい」という善意が間違った場面で発揮された。
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