つかの間の休息、後に波乱

第17話 エリザベートの実家、エストック伯爵領

 里見が目を覚ましてから2週間後、エリザベートの実家があるエストック伯爵領にやってきた。風光明媚な土地で、木々の隙間から大きな湖があるのが見える。馬車にのんびり揺られながら、エリザベートの観光案内を聞く。伯爵領は領内に豊富な水源を持っている。そのいくつかの大きな湖と流れの緩やかな河川によって、領民の素朴で豊かな暮らしが支えられている。

 里見とエリザベートが今いるのは馬車の後車両につながる後部ドアの外。広くはないが里見とエリザベートの2人くらいなら並んで腰掛けられるスペースがある。馬車が住民とすれ違うたびに、住民は笑顔を見せて頭を下げ、エリザベーはそれに手を振って応えたりひと言声をかけたりしている。

 この土地が明るい雰囲気に包まれているのは、エストック伯爵の人望もあるんじゃないかと里見は思った。


 エストック伯爵領に向かったのは、平たく言うと告げ口をしにいくためだ。一度叩きのめしたはずの先々代とその一派が良からぬことを企んでいますよー、とエリザベートの父親に伝える。伯爵は今代国王の派閥で、亡き先代のご学友でもあり王太后の信頼も厚い人物なのである。

 ちなみにエルフのクリストファーがどんな経緯でヒューマンの貴族と知り合ったのか尋ねてみた。伯爵がまだ爵位を受け継ぐ前の若かりし頃、求婚した女性にかぐや姫ばりの無理難題を突きつけられてグレードベアー――詳しい説明はいらない。ヤバい大熊である。『白狼の森』で遭遇したとき、アルバート、メグ、アナベルが一目散に逃げ出したことがある――に挑むため山に登ったところ、クリストファーに命を助けられたそうだ。もしかして、その女性と晴れて結ばれてエリザベートが産まれたのかと思いきや、女性は別の人を選んだらしい。父親の若気の至りエピソードを聞いた年頃の娘は、笑い過ぎて呼吸困難になっていた。


「おかえりなさいませ、エリザベートお嬢様。そしてクリストファー様たちも、ようこそおいでくださいました」

「ああ、ただいま、じいや。お母様はどこに?」

「奥様は西のサンルームにてお待ちです。ああっ、お嬢様! 旅装のままで奥様にご挨拶に向かうものではありません! はあ、せっかちなところは相変わらずなようで…」

「もう! わかったわかった。旅の冒険者から、伯爵令嬢に戻してくるよ」

「ええ、そうしてくださいまし」

「…じいやは細かすぎる」


 エストック伯爵家の屋敷に着くと、出迎えてくれた老年の執事とエリザベートが一連の帰宅の挨拶を繰り広げる。最後に一言余計なことを言い残したエリザベートに、執事が「お嬢様…!」と小言を再開させようとしたが、エリザベートはさっさと階段を上って行ってしまった。他の使用人とっては日常の風景らしく、温かい目で見ているだけで誰も深刻そうにはしていない。里見はこの一週間で、エリザベートは真面目なタイプかと思っていたが、家族の前だと活発というか、お転婆な面も見せるらしい。

 エリザベートの着替えが終わるまで応接間で待つ。エストック伯爵家の屋敷は里見が見た感じだと、結構新しそうな雰囲気だった。伯爵が結婚する前、新しく立て直しが行われたのだと待ち時間中にちょうどいい昔話だから、と言ってクリストファーが教える。

 伯爵の母親、つまりエリザベートの祖母は魔法薬学の研究者だった。今でも元気に研究に励んでいるそうだ。そして祖父は元冒険者で、領地を持つ貴族になってもふらりと旅に出る困った性格をしていた。あるとき、おじいさんが持って帰ってきたが、おばあさんの作った魔法薬を鍋一杯食べてしまった。おばあさんの薬は『大きくなる薬』、そして、おじいさんのお土産は――赤ん坊のドラゴンだった。『大きくなる薬』は実験用のマウスなどに少し投与して体重に対する薬の効き具合を比べる実験に使う用で、間違ってもドラゴンなんて天災級の災害を引き起こす生き物に使うものじゃない。そもそも、おじいさんは何を考えて赤ん坊のドラゴンなんぞをお土産にしたのか。後におじいさんは「目とかくりくりしてて、可愛いと思って…」と述べたという。巨大化した赤ん坊ドラゴンが屋敷内を歩き回り、ぶつかりまくったせいで屋敷は半壊し、ほぼ全面的にリフォームする羽目になった。死者が出なかったのが不幸中の幸いだった。


「エリザの家族ってヤバすぎない?」

「奥様は落ち着いたご婦人ヨ」


 里見はリュウに小声で尋ねる。リュウも里見の抱いた感想を間接的に肯定する。


 カチャリ、と応接間のドアが開く。エリザベートが落ちない汚れが付いた戦闘衣と帯剣姿から、シックなドレス姿に着替えて現れた。髪も一つにまとめた三つ編みを一回解いて、フェミニンな感じに結い直されている。


「お待たせしました。母の下へ向かいましょうか」


 ささっとエリザベートに近づいて、何気ない風を装って聞いてみる。


「エリザって兄弟とかいるの?」

「妹と弟がいるぞ。そうだ、後で会ってやってくれ」


 弟妹は父方に似てないといいな、と密かに里見は思った。

 兄弟姉妹についての話になったので、父親――当の伯爵本人はこの屋敷にはいないようだが、という質問をしてみると、重要な案件にかかるため王都の方へ行っているそうである。その間留守を守っているという伯爵夫人にお目にかかった。

 伯爵夫人はリュウの「落ち着いた人」という言葉の通り、上流階級の女性らしい穏やかな物腰の人物だった。エリザベートは銀髪に黒のメッシュが入っていて、母親の夫人は真っ黒な黒髪と、髪の色が違うが、エリザベートとよく似た顔でたおやかに振る舞われると、里見はなんとも言えない面映さを感じてしまう。もしエリザベートがこんな風におしとやかにしたら、と考えて、見た目は違和感がないのが逆に違和感に感じる。

 話し合いは主にクリストファーが喋り、時々里見が付け足すようにして進んだ。もうクリストファーに大体話尽くしたと思うのだが、一応。

 伯爵夫人は里見の右目の眼帯のことも気にしてくれたので、怪我ではなく『邪眼イービル・アイ』を隠すためだと言うと、「私は悪い風習だと思うけど…。そうね、まだまだ偏見を持った人は多いから。でも、大女神様に与えられたギフトに貴賎はないのだから、何も恥じる必要はないのよ」と労う言葉をかけてくれた。そっと慈しむような眼差しに、慈愛に満ちた女性なのだと思った。


「貴方たちから連絡をもらって色々調べてみたわ。アルバート殿が武者修行の旅に出ている、というのははっきり掴めております。ところが彼ら一行は宿を取らないらしく、外部との接触が少ないのです。その同行の者の情報となると、なかなか…」

「アルバートの影に上手いこと隠れてるわけか」

「はい。貴族の子息が箔付けのため、腕試しのためそういったことをするのは珍しくはないので。お仲間が美少女揃いというのも、まあ、アルバート殿の噂どおりの性格にそぐったものですしね。

 別方面から何か突き崩せないかと金銭の流れも調べてみました。そちらも、自分で稼いだお金を使い、足りない分を親に無心するという、激甘パーティー経営ではありますが悪事と呼べるほどではありませんでした」


 あの金の使い方が『普通』の範囲に収まるということに、里見は住んでいる世界の違いを感じる。次の目的地に予め屋敷を丸ごと一つ買い抑え使用人もそっくりそのまま移すので、一昨日別れたはずの人々がズラッと整列して「おかえりなさいませ」と出迎えの挨拶をしてくれた。あのときの衝撃はなかなかのものだった。

 大人たちが話し合う横で里見はエリザベートに話しかける。


「アルバートの実家ってやっぱりとんでもないレベルの金持ちだったんだ」

「なんせ“大”公爵だからな。あいつとは小さい頃からの顔馴染みだが、会えばいつも自慢話ばかりしてきたぞ。『父上が新しい名馬をくださった』とか『外国のパティシエを呼んで珍しい菓子を作らせた』とか」

「どこにでもいるもんだよ、そういう子ども。

 でも、それなら行く先々で豪邸を買ったり、ギルドを通さずに狩った魔の種のあれこれを買い取ってもらってたのにも納得だ」

「えっ」

「どうしたの?」


 急にエリザベートが驚いたので、何か変なことを言っただろうかと里見は首を傾げる。


「サトミ、それはおかしい。おかしいというか…、ギルドを通さない魔の種由来の素材の売買は禁止されていることだ」

「えっ、犯罪なの?」

「犯罪だよ」


 思わぬところで新発見をしてしまった2人は、同時にゆっくりクリストファーと伯爵夫人の方を向く。クリストファーと夫人も里見らの方に顔を向けて話を中断している。数秒間、部屋の空気が止まると、伯爵夫人が口元をゆっくり持ち上げて優雅な微笑みをつくる。


「そのお話し、詳しく聞かせてくださらないかしら?」



 泊まる部屋は里見とリュウ、クリストファーとミカエルの二組に分かれた。エリザベートは当然自室である。

 夕食まで自由に過ごしていいと言われたので里見は庭園の散策に行く。来るときに馬車を停めた裏手の方に、中へ繋がっていそうな出入り口があったのがチラリと見えたので、伯爵邸の東西南北を意識してそこを目指して歩く。異世界に来てから山上の城しかり、アルバートの用意した豪邸しかり、デカい建物ばかりに縁がある里見は学んだ。そういう建物は外へ出たくてもなかなかドアが見つからないということを。そして、適当に歩き回っていると関係者以外立ち入り禁止のバックヤードに迷い込んでしまうということを。


 城では何度もマルタさんにお世話になったな。


 世話好きだったメイドのマルタのことを思い出す。先々代やカジャスの陰謀のせいで、彼女たちはどうなってしまうのだろう。メイドや下働きの人たちはわからないが、きっとペールや騎士団のリンジーは…。


「知ってたんだろうな…」


 彼らには彼らの立場や役目があったのだ、という想像はできる。それに里見と接するとき彼らには悪意は感じられなかった。一部を除いて。里見は太陽の恵みを受けて花々が咲き誇る庭園にいるのに、身体がすーっと冷えていくように感じるのであった。



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