第7話 悪意の手

 あるときの夕食後、里見が部屋付きのメイド――マルタさん。面倒見のいい女性である――のツテで紹介してもらった厨房の人たちに異世界式の料理の仕方を習っていたところ、ペールに用事があると呼び出された。

 ちなみ、密かにマルタから裁縫を教わったり――小さな穴を修繕するくらいなら元からできていたが、服の寸法を詰めたり、つぎ当てをしたり、革細工をいじったりはしたことがなかったので――、掃除洗濯について教わったり――洗濯板で洗ってもいいレベルの服しか着れなくなると思った。柔軟剤も洗濯機もなしでオシャレ着洗いは挑戦しようと思わない――している。

 衣食住をしっかりしておく。里見がこの異世界で生きていくと考えたときに立てた目標というか、指針である。


 さて、ペールの用事とは何か。用事は里見らが異世界に来るとき持ってきた私物の件だった。てっきり捨てられたか、調査の名目で返すつもりがないと思っていたので意外だった。

 ふと、どうでもいいといえば、どうでもいい疑問が里見の頭を過ぎった。よくわからないのが『勇者召喚の儀式』の仕組みである。生まれ変わって異世界に来たという割に着ていた服がそのままで、肉体にだけ変化が起きたのはちぐはぐしているし、ブチまけられたスクールバックが異世界まで付いてきたのなら、最期に接触した物体——突っ込んできた大型トラックだってこっち側に付いてきてもよい気がする。


 いや、よくないわ。大型トラックとかすっごく扱いに困る。


 置いといてくださいとか、簡単に頼めない代物だった。加えて、トラックの運転手までも異世界に来てしまう可能性があった。


 机の上に広げられた品々を笹木と確認し合って分ける。所詮2人分なので、大して時間はかからなかった。

 筆記具なんかはこちらの世界でも使えるが、スマホは無理だ。里見は充電器も持っていないから、我慢して節電しても電池が2、3日で切れるだろう。その前に家族と友人の番号と通信アプリのID、実家の住所を書き写しておこうと思う。帰れない世界と言われても、未練と恋しい気持ちから元の世界との繋がりを持ちたがった。


「ペンケースの中身、全部出さなくてもいいじゃない。もしくは、出したら仕舞え」

「本当にそれ」



「あれ? コレわたしのじゃない」


 笹木が首を傾げたのはドラッグストアのビニール袋である。中身は手軽に使えると友だちが言っていたオールインワン化粧水と同じメーカーのボディクリーム、箱入りコットン、T字カミソリ。あとラーメン風の味付けのスナック菓子。

 化粧品は笹木が元の世界で使っていたのは違う種類のものだ。ということは。


「それ、俺の荷物だ」

「えっ」


 化粧品とか使うタイプなんだ…。


 うわぁー、と笹木は内心で一歩引いてしまう。

 男子のムダ毛ボーボー、眉毛ボサボサ、ブツブツ肌荒れは、見ていて不快感を掻き立てられるから断固拒否だ。でも、実際に手入れの事実を窺わせるような用品は見たくなかった。これは男女問わず、異性に対して抱く感情だろう。

 もう1人、里見が美容グッズを持っていることに激しい嫌悪を示した人物がいた。勇者の護衛のために壁際に控えていたエリックである。



 思ったことを直ぐ口に出してしまう癖、指摘した方がいいのかな。


 笹木のことを思えば、これから勇者として注目を浴びるのだから言葉の選び方に気をつけるように言った方がいい。しかし、ここ数日一緒に過ごしてみても笹木に対して仲間意識というものが育まれていかない。向こうも段々と距離を置こうとしているように見える。

 里見は他者からの小さな悪意、嫌われているという感情をスルーすることができるメンタルを持っている。実害がない限り、であるが。だから、笹木から妬み嫉みの感情が向けられていること、エリックが――理由は不明だが――里見を時折凄い目で睨んでいることに気がついていた。


 気がついていても何ら対策を取っていなかった、という点は里見の落ち度になるのか。


 私物を受け取って部屋に帰る途中、突然数人の男たちに空き部屋に引きずり込まれた。一瞬、気が動転して身体が強張る。身の危険を察知し、両脇から抑えつける手を振りほどこうともがくが、更に強く抑えつけられる。

 男たちは手際がよかった。抑える役、猿ぐつわを噛ませる役、廊下を見張る役が無駄口も叩かず素早く連携し、誰にも悟らせず里見を拘束した。

 これから何が始まるのか。殴る、蹴る、あるいは――もっと酷いこと。最悪の想像が脳裏に浮かぶ。


「お前、元いたとこじゃあ『旅芸人』みてえなカンジだったんだろ? なあ、俺たちの相手もしてくれよ」

「コイツ意外とちっせーな。本当に出来んのか?」

「訓練場で見たけど、めっちゃ足開けるんだぜ。真横まで。柔らかいからイケるって」


 男たちは『もっと酷いこと』の方をしようとしている。サーっと血の気が引く気がした。何としてでも逃げ出さなくてはならない。

 服をたくし上げ、全身を複数の手が這い回る。不快感が腹の底から込み上げてくる。里見は必死になって抵抗を続けると――。


 ゴツンッ。


 膝にぶにっとした柔らかな肉、その奥にある硬い骨がヒットした。

 正面に位置取っている男が動きを止め、背中を丸めて床にうずくまる。他の男たちも、里見の動きも止まる。

 里見は男の股間に、思いっきり膝蹴りをお見舞いしていた。


「なっ、おい! 何しやがる!」


 慌てて我に返った1人が、里見の頬を勢いよく殴る。

 頬の肉が削げたかと思う衝撃に、恐怖に隠れて竦んでいた怒りの導火線にカッと火が着く。今まで生きてきた中で、決して抱いたことのない強い、強い殺意が生まれた。

 男たちを殺してやりたいとすら思った瞬間、里見は右目に魔力が集まり、溢れ出すのを感じた。瀑布のような猛烈な勢いで右目に流れ込んだ魔力は里見の観る世界を作り変えてゆく。魔法の発動だと里見が察するやいなや、視線の先にいた股間を蹴り上げた男の胴体の中心に黒と紫色が混ざったモヤのようなものが湧くイメージが浮ぶ。

 モヤに包まれた男の変化は劇的なものだった。


「うっ、ぷっ。うげぇ…」


 股間ではなく、口元を抑えたかと思うと胃の中身を嘔吐し始めた。里見を殴った男が様子を心配するうちに、今度は赤黒い血をボタボタと吐き始め、室内に混乱が広がる。

 僅かに生じた隙に、里見は腕を掴んでいる背後の男に頭突きをかまし、なんとか拘束を振りほどくと猿ぐつわを剥ぎ取る。


「だれかーー‼︎ 助けてーーー‼︎」


 偶然通りかかった騎士団の人に助けを求める叫びが届き、間一髪、里見は助け出された。


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