第6話 思ってたのと違う

 異世界生活2日目。この日から笹木と里見の猛勉強、猛特訓が始まった。

 朝、朝食を食べたらカジャスの高弟のライアンが魔法の勉強を教える。笹木には攻撃系の魔法、里見には治療系の魔法と指導方針を分けて教え込む、と初回の授業の際説明があった。里見に与えられた課題は、傷ついた小動物を練習台に、ひたすら怪我を治す練習の積み重ねだった。

 笹木は魔力を溜めて放つ、この繰り返しを時間一杯続けている。なぜ勇者である笹木の方が明らかに初歩的な練習から始めているかというと、彼女は魔法の細かい感覚が掴めていないのだ。

 例えば、火属性が1、風属性が1の割合で魔力を練り合わせて火炎の柱を作り出すという魔法を発動させようとしたとしよう。笹木は片方の魔力が多かったり少なかったり、両方1の量でいいところを10の魔力量を込めてしまったり。そのため、魔力を決まった量だけ練り上げることから鍛えることになった。

 昼食前に1時間程、この世界の常識を身につけるべく教養の授業がある。教師役はペールである。

 昼食後、休憩を挟むと屋外に出て武術の訓練。これには1キロメートルをダッシュで走れる持久力を持っている里見と違い、中学はバスケ部マネージャー、高校は帰宅部の笹木はすぐにバテてしまった。

 果たして世界を救う勇者がそれでいいのか。

 しかし、これで終わらせないのが大女神様である。大女神は笹木に全属性の適性――『虹の女神たちの最上加護』と呼ばれる――を授けている。その作用で剣を持てば見事な太刀筋で剣を振り、弓を引けば的に向かって百発百中。自然に身体が動いて戦えるのだ。問題はすぐにバテること。そのため、ひたすら訓練場の外周を走って体力をつけることになった。



「違う…。思ってたのと違う」

「どんまい」


 午後の訓練前の準備運動中。笹木が暗い影を背負って呟く。

 今日で異世界生活も数日が経った。元の世界にいたときから朝はギリギリまで布団から出られず、朝食を食べない派の笹木は、こちらでもその習慣が直っていない。

 1日の流れのようなものも掴めてきた里見の方は、朝食の前に城内の図書室で読書をする時間を持てる余裕ができていた。


「…ねえ。里見って運動神経よかったんだ。身長いくつ?」

「166センチ」

「あんま大きくないじゃん。… …身体めっちゃ柔らかいね?」


 里見が180度開脚をしたまま右へ上体を倒した体勢で、笹木の顔を見上げる。


「まあね」


 今度は左へ倒す。


「あのさ。もう聞いていいかな? 向こうの世界で何してたの⁉︎」

「フィギュアスケート」

「フィギュアスケート⁉︎ じゃあさ、留学するっていうのは…」

「カナダにね。前シーズンにシニアに上がったばっか。だから、いつかグランプリシリーズに出て、表彰台に登って…。

 何もかもこれからだったんだよ」

「へ〜、凄いんだねー…」


 里見にとって、フィギュアスケートをやっている、と言って珍しがられるのは保育園の頃から何度も繰り返してきたことなのでこういう会話も慣れたものだった。故に、笹木の変化を見逃してしまったのかもしれない。


 『フィギュアスケート』、『留学』、『本気で目指していた』。

 笹木の目に冷めた光がスッと差し込んだ。



 笹木の機嫌は下がり続けている。理由は言わずもがな。自分よりオマケでついて来た里見の方が、上手くやれているからである。

 魔力量は笹木の方が多いが、コントロール面や複数の属性を重ねる技術はまだまだである。ペールの講義もマジメに聞いているが、咄嗟に確認問題を出されると教えられたことが出てこない。一番辛いのが午後の訓練の時間だ。体育の授業では仮病――決して全て仮病だったわけじゃないし、生理のときは腹痛が酷い体質だったから休んでも仕方ない――を使って欠席することも多かったくらい運動を避けてきたのに。

 笹木の元バスケ部マネージャーという過去と矛盾した考えになるが、この矛盾は説明すれば解決するだろう。笹木は運動自体が嫌というより、汗をかくこと、朝時間がないなか丁寧にブローした髪型が崩れること、日焼け跡が残ることが嫌なのだ。要するにカッコよくない姿になりたくない。バスケ部のマネージャーになった動機も、「なんとなくマネージャーってカッコよさそう」からきている。


「準備はできましたか?」


 若い男性が笹木に声を掛ける。実技指導監督役のエリックという、この城にいる騎士団の中の小隊長だと紹介された。がっしりした体格で身長は190センチ近いんじゃないか。眼帯を着けているちょっと怖そうな人だ。

 里見は10代後半の青年に棒術の指導を受けている。笹木も外周に出ようとしたところである。


 えーー、何だろう?


「ララ殿、クイナ殿がしておられたという『フィギュアスケート』とは、一体どのような技術なのですか?」


 エリックに個人的なことで話しかけられたのは初めてである。


「フィギュアスケートについて? うーんと、氷の上を滑って踊るスポーツです。音楽に合わせて高くジャンプしたり、早く回ったりして誰が上手に滑れたか、得点を競うんです。男女でペアを組んですることもあります」

「氷の上で? それは、変わったことをするんですね」

「向こうの世界のわたしの国じゃ、凄いキャーキャー言われてる人気のスポーツなんです。でも、女子ならともかく、男子のフィギュアってちょっとなー…」

「どういうことですか?」

「あのですね、フィギュアって芸術性っていうか、見た目も求められるんですよ。衣装もぴったりしたキラキラヒラヒラした感じで。わたしは男子がしてるって聞くと、この人ナルシストなんだろうなって思っちゃう」

「それは、まあ…」


 里見へのネガティブな評価、いや、ここのところ上手くいかない八つ当たりを口にする笹木には、エリックの小さな呟きは届かなかった。


「もしかして、『踊り子』のようなものか… …?」


『踊り子』『旅芸人』『道化師』呼び名は様々で、名乗る側が肩書きにこだわりがある場合もある。いずれも芸事を売り物にする者たちである。人の目を楽しませる民衆の人気者ではあるが、素性の知れない者――冒険者ではないのでギルドに入る必要がない――が事件を起こすことも多い。

 問題は個人的な経験から、そのような者たちを毛嫌いし、強く憎んでいるエリックが誤解してしまったことだった。

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