第4話 赤髪


 ペールの講義は夕食前まで続いた。時差ボケ、とはまた違うが、交通事故にあったのが放課後の暗くなる前で、儀式が行われた建物を出たときが朝の起床時間と昼食の時間の真ん中あたりだったらしい。里見は言われるまで丸一日以上ちゃんと食事を取っていないことに気が付かなかった。

 途中、別の人が黒板ほどもある大きな地図を持ってきてくれた。この地図、紙製ではなく毛織物だった。姉2人の成人式のとき母と両方の祖母、さらに自身に子どもがいない分姪っ子甥っ子を可愛がってくれた叔父がスポンサーとなって仕立てた、当時中学生だった里見には目が点になるような金額の着物を見たことがあるので、手工業の手織りでも精密精緻なものは作れると知っていた。知っていたが、使われている色の数や光沢のある艶やかな糸、海岸線の凸凹や山脈の陰影まで表現した芸術的な逸品が出てきたら引く。汚してしまわないか怖くて。

 ここでも笹木は素手で触って、触感を確かめたかったのか爪でカリカリ引っ掻き、持ってきてくれた人に「ファッ」っと小さな悲鳴をあげさせた。


 この世界は大きく分けて3つの大陸があるという。

 1番広い面積を持つ北大陸。

 間に諸島が飛び石のように連なり、北大陸の東部と交易を結んでいる南東大陸。

 人の文明が発達せず太古からの生き物が支配する、人がほとんど住んでいない南西大陸。

 横に伸びたひし形と、その下部に三角形が2つあると考えたら覚えやすいだろうか。3つの大陸は大昔は地続きだったが、大規模な地殻変動によって大地が裂けたらしい。世界地図ならぬ、北大陸地図では国ごとに色分けがなされており、クローセン王国がある北大陸には他にもいくつか大きな国があることがわかった。北大陸の南部の半島を支配する、まるでインドのような形をした国。海岸線に沿った細長いチリのような国。砂漠と山脈を越えた先の東側全体を治める中国のような国。ロシアとモンゴルを合わせたような北部の国。

 北大陸の北部は魔の種の支配地域が3分の1、人の支配地域は3分の2と別れている。魔の種は北大陸の西部に主に生息している。どうやら大峡谷というのが西部にはあり人の地域と魔の種の地域の間に横たわっていて、長年そこが境界線として機能していたというのがペールの話である。

 ところで、クローセン王国はさほど国土は広くなく、これが里見には意外だった。勇者召喚なんて大それたことをするくらいだから、世界屈指の強国と言われたって納得していただろう。だが、話を聞くうちに疑問は解決した。クローセン王国と他十数ケ国で文化的、歴史的に関わりが深い国同士が紐帯を作り、その枠組みのなかで共通の貨幣を使った経済を回している。首相や大統領ではなく王族が国の代表をする、元の世界におけるEUのような仕組みだ。クローセン王国はその枠組みを立案し、まとめ上げた盟主の立場なのである。


 そりゃ偉いわ。


 里見は夕食後に用意された部屋に案内され、ペールから説明された諸々について頭の中を整理していた。また後で呼びにくると伝えられているので、ベットの上に畳まれていた寝間着には着替えはせず、制服姿のままでいる。


 ぶっちゃっけ横になりたい。


 右目をぐりぐり擦る。さっきからずっと右目の調子がおかしい気がするのだ。里見は眼鏡もコンタクトもしていない。視力は悪くないのだが、昼飯をすっ飛ばした講義の途中から視界が変にブレていた。

 壁際に大きめの鏡が置いてあるので見てみることにする。鏡の台の下に背のない椅子がしまわれていたり、かたわらに水が入った陶器の壷と洗面器、それにタオルとして使えばいいのであろう木綿の布が用意されているので、この鏡の周りが洗面所のような感じで考えたらいいということか。邪魔にならない位置に、木製のパーテーションも折り畳まれて置いてあった。蛇口と排水口がない生活様式に戸惑いつつ、眠気覚ましに顔を洗う。

 異世界召喚だか異世界転生だかなんだか、勘弁してくれと訴えたいことはともかく、今日一日を振り返って見て、ここまで丸っきり悪い事ばかりではなかった。

 良い事の1つは文字の読み書きの訓練は必要なかったこと。初めて目にする文字が問題なく読めたのだ。考えてみたら会話が最初からスムーズに行えていたので、これは大女神様の仕業か、と思ったら、笹木曰く転生の際にオプションをサービスしてくれたという。


 なぜ、自分には大女神様と会った記憶が欠けているんだろう。他にも大切なことを忘れていそうな気がする。


 2つ目は外見。笹木は日本にいたときは黒髪黒目の普通の十代女子の容姿だったはず。今はなんと、金髪青目のぱっちり二重。顔の輪郭も元の顔つきから大きく乖離していないが、左右対照に整えられている。つまり、美少女にグレードアップしている。笹木が上機嫌だったのはこのお陰かなのか。高校の制服を着ているとコスプレ感が半端ない。

 一方、里見は体型の変化はないと思われる。顔も変わりはない。最も、そして唯一変わったのが髪の毛。日本人ならよくある黒髪だったのが、暖かみのある赤色になってしまっている。正直、顔より身体が変わっている方が嫌なのでこれくらいよしとする。


 でも、めちゃくちゃ派手…。


 気になっていた、鏡の中の右目を覗き込むも特に何もわからなかった。

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