3 真澄の涙


「まあ座れよ」

 石野が苦虫を噛み潰したような顔でうながし、古田が席をつめた。

 頼朝は腰をおろして真澄を見つめる。彼女は肩をすこし震わせて、両手を顔からどけると、「ごめんなさい」と震える声で謝り、ポーチからハンカチをだして涙に濡れた真っ赤な目をぬぐった。

「どうしたの? 吉川さん」

 頼朝の質問に、真澄は泣きはらした顔で無理にわらって答えた。

「ごめんなさい、小笠原くん。休みの日に呼び出したりしちゃって」

「いや、それは構わないけど……」

 頼朝は真澄の泣き顔にびっくりして石野や古田の顔を見回す。


「きのうの夜な」

 石野が重たく口をひらく。

「おれたちみんなで『スター・カーニヴァル』に接続して、特殊ミッションをプレイしてたんだ。そこに悪質なプレイヤーキラーが現れて、吉川のプラグキャラを破壊していきやがったんだ」

「え?」

 頼朝には一瞬、それがなんの話だかわからなかった。

「小笠原は知らねえと思うけど、『スター・カーニヴァル』には他のプレイヤーを殺して楽しむ悪質なハッカーがたまに現れるんだ。で、あのゲームはコックピットを直接攻撃されたりすると、プラグキャラが破壊されることがあるんだ。そのハッカーはバーサーカーって呼ばれてるんだが、そいつ、わざとコックピットを破壊して吉川のプラグキャラをぶち壊したんだよ」


 プラグキャラの破壊は、いわばボイド宇宙における認証剥奪になる。つまりあれを壊されるとアクセスできない。新しくプラグキャラを作成してそれを登録しなおさないと、ボイド宇宙には入ることができず、そのためには手続きと同時にデータの復旧やソフトの再ダウンロードが必要になる。

 つまりパソコンが壊れて買い換えなきゃならない状況の次に悪い状況と言えた。

 しかもボイド宇宙に接続していたときのデータはもどってこないから、お気に入りの空間のアドレスやボイド内の友達の連絡先なんかは、どこかのフォルダーにバックアップを取っていなければ、もう一度調べなおさなければならない。

 相手によっては、向こうから連絡してくれるまで、こちらから連絡のとりようがない、なんてこともよくある。



「ごめんなさい、ゲーム用のキャラクターを作ってなかったあたしが悪いの」

 真澄は無理に笑い、その拍子に頬を新たな涙がひとすじ流れた。

「関係ねえよ」

 高橋ナオキが吐き捨てるように言う。

「悪いのは、バーサーカーの方だ。吉川はなにも悪いことしてないじゃないか。勝手にゲーム空間に侵入してきて、人のデータを破壊してるバーサーカーがすべて悪いよ」


「パイロット認証自体は残ってるから、新しいプラグキャラを作れば再接続した際に、プレイデータはロードできると思うんだ」

 石野が腕組みを解いてため息まじりに言った。

「ただ、問題は機体破損の状況だな。コックピット直撃だと、サターンは初期機体の強行偵察型だから、次に出現するとは限らない。あれって考えようによっては、入手のチャンスが一度しかないから、結構レア物なんだよな」

 真澄はつらそうに唇を噛むと、手で顔を隠すようにうつむく。

「機体はいいの。でも……、ニコが……」

「そうだな」

 石野が苦しげに天井を見上げる。

「ヘルプウィザードは帰ってこないな……」


「バックアップはしてない?」

 草部景がたずねる。

 真澄は「してない」と涙声でこたえて首をふる。隠した顔からこぼれた涙がテーブルの上に落ちた。「二度と会えないのかな?」痛切につぶやく。「それって死んだと同じだよね」


 頼朝はテーブルの下で両手をつよく握りしめた。

 おれだ。おれがやったんだ。

 おれが吉川さんのプラグキャラを破壊して、機体を喪失させ、彼女の大事な友達のヘルプウィザードを殺した。おれが、おれが、……彼女を泣かした。


 唇を噛みしめて、つと目をあげると草部景と目が合った。

 景は無表情に頼朝を見つめている。頼朝がバーサーカーであると気づいているのか? それとも確信がもてずに迷っているのか? いまここで、頼朝こそがバーサーカーであるとみなに告げて弾劾するつもりか?


 頼朝は泣いている真澄の赤く染まった首筋を見て、胸がつぶれそうになった。

 みんなに言うのなら言ってくれてもかまわない。場合によってはここでみんなに自分から告白しようか? どこから見てもこれは自分のやったことに変わりはないのだ。頼朝が真澄の機体を破壊してヘルプウィザードを殺して、彼女を泣かせているのだ。


 重苦しい沈黙が垂れ込め、時間だけが流れてゆく。

 真澄の鼻をすする音と、しゃくりあげる声だけがたまにするだけ。誰もなにも言わなかった。


 頼朝は目を閉じた。

 一体いつだろう? 真澄のサターンを撃墜したのは? 記憶をたぐるが、それがいつのことか、頼朝にはまったく覚えがない。

 たしかに自分が間違ったことをしたとは今でも思っていない。しかし真澄を悲しませたのは、紛れもない事実だ。いったい自分はなんのために、だれのために戦っているのだろう?


 カシオペイアは言った。

「いい成績を残すことが、地球を救うことになる」と。


 おれはどうだろう? そこまで深く考えて戦っていたろうか?

 一時の感情にながされて、アリシアのためと思い込んで安易にゲームに没頭していただけではないだろうか? 会ったこともない、はるか1万光年かなたの女の子のため? あるいはモーツァルト・ジュゼルのため?


 思えば人形館が自分たちに、なにか害のある行いをしただろうか?

 かれらはただ自分たちにゲームを提供しただけだ。たしかにそれはリアルな戦争ゲームだったかもしれない。

 しかし、こうしている間にも地球では、飢えや戦争や病気で死んでいる人が何人もいる。頼朝がゲームをしようがしまいが、お構いなしだ。頼朝が参加しようがしまいがお構いなしに、はるか1万光年のかなたでは人が死んでいっているのだ。人形館との戦争が、そんなに自分に関係のあることだろうか? もしかしたら真澄の涙の方が重要なのではないか?


 1万光年かなたの人たちのために自分が戦うことによって、わずか数十センチ先の吉川真澄が泣くようなことがあれば、これは地球人として同胞に対する裏切りなのではないか? おれは本当に正しいことをしているのだろうか?


 頼朝のカード端末が振動した。メッセージの着信だ。

 ポケットから出して確認すると、パソコンからの転送メール。ということはアリシアからのはずだが、アドレスがちがう。内容は「る」と一文字だけ。首をかしげて、削除する。端末画面の時計を見ると、そろそろ接続してナヴァロンにいく時間だった。正直あまり行きたくない。あそこで戦うのはもうこりごりだという気持ちがある。しかしいきなり行かないというわけにもいくまい。


 頼朝は立ち上がった。真澄以外のみんなが顔をあげる。

「ごめん。ちょっと用事があるから、これで」

「ああ、そうか」石野は力なく笑ってうなずいた。「悪かったな、急に呼び出して」

「そうそう。正式メンバーでもないのにな」高橋ナオキが笑う。

「いや、うれしいよ」頼朝は笑顔をみせた。「正式メンバーでもないおれを呼んでくれて」


「ごめんね」

 真澄も顔をあげて微笑んだ。頬に残る涙のあとが痛いたしい。うまく笑えないみたいだが、それでも嘘笑いではない笑顔だった。

「次はちゃんとした、楽しい理由で呼び出すから。すごい敵を倒したとか、すごい機体を手に入れたとかで」

「期待してるよ」頼朝は笑い返した。「あ、そうだ。先に帰るんで悪いから」

 頼朝は財布を取り出して中から1万円札を抜いた。

 しかし石野はだまって首を横に振り、立ち上がると頼朝に耳打ちする。

「小笠原、そういうのはやめろ。おれたちは大人じゃねえ。金で解決って考えは、もっと年取ってからにしろ」

「ごめん、そんなつもりじゃ……」

 頼朝は真っ赤になって1万円札を引っ込めた。

「わかってるよ」

 石野はにやりと笑って頼朝の肩をたたく。

「今度またオフ会やるから、そんときは参加しろよ。おれたちのすげー映像もってくるよ。ベルゼバブを撃墜したときのやつとか」

「期待してるよ」

 頼朝は石野と握手し、高橋ナオキや古田洋に手を振ってテーブルを離れた。振り返ると吉川真澄が手を振っていた。頼朝は真澄に手を振り返し、草部景にちいさく敬礼してファミレスをあとにした。


 なんとなくぼうっとした状態でエスカレーターを降り、駐車場にいって自転車のカギを外していると再びメッセージがきた。

 外しかけのチェーンロックを首にかけて内容を確認する。


「るるだありしあしんだ」


 るるだあり? しあしんだ?

「ルルか」ルルからだ。『ルルだ。アリシアしんだ』だ。


 しんだ? 死んだ!?

 アリシアが死んだ? まさか。だって、なぜ?

 頼朝の全身にさっと緊張が走る。

 いやあそこは戦場だ。アリシアが死んだとしてもそれはおかしい話ではない。しかし、まさか!

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