3 一触即発
「二度とこういうことをしないと誓ってちょうだい!」
アリシア・カーライルは怒りに燃えた瞳でモーツァルト・ジュゼルを見下ろしながら言い放った。いつになくアリシアは興奮していて、珍しく大声を張り上げている。頬を紅潮させ、指が白くなるほどに拳を握りしめていた。
中央司令室にはナヴァロンの重臣たちが集まり、叫ぶアリシアと、シートに斜めに腰をおろした涼しい顔のモーツァルトを見比べている。
司令官のワルツは口をへの字に引き結んで、モーツァルトが悪い、という顔をしているし、一方梟眼シュバルツは困ったような呆れたような顔で、短く刈った頭を掻いている。
おろおろするヘックラー、緊張した面持ちのザイデル。だが大半の者は小銃子ルルと同様、だらりと垂らした利き手を腰のホルスターの上でうろちょろさせて、事あらば銃を抜いてアリシアを撃ち殺す用意を整えていた。
まさに一触即発。
つぎの瞬間には銃弾によって蜂の巣にされるかも知れない状況だというのに、アリシア自身はわが身に迫った危険を感知し得ないのか、あるいはナヴァロン人の銃弾などおそれていないのか、一歩も引かない構えでモーツァルトに対している。
ヨリトモは二人をなんとかしなければと思うのだが、下手に動いてナヴァロン人に銃を撃たれてはどうしようもないし、この場を納める度胸もない。二人から少し離れて恐怖に身をすくめ、事の成り行きを傍観しているしかなかった。
「いや申し訳ない」
モーツァルトはとぼけて謝った。自分が悪いとはこれっぽっちも思っていない謝り方。頭は1ミリたりとも下げない。
「アリシアは寝ていたし、事態は緊急だったんでな。ヨリトモも行くって言ったから、じゃあってことで、お願いした。あれっぽっちの機数、どうということはなかったろう?」
モーツァルトは肩をすくめてヨリトモを振り返る。いや、こっちに振られても困る。ヨリトモはちょっとだけ顔を引き攣らせた。
アリシアの怒りが頂点に達し、瞬間的に沸騰して、モーツァルトの襟首を掴む。いや、掴もうとした。
しかし彼女が腕をのばす動きよりも素早く、腰のホルスターから小型機関短銃を引き抜いたルルの腕が、モーツァルトの肩越しに伸びて銃口をアリシアの額に突きつける。ぴくりと反応して、モーツァルトを掴みかけたアリシアの動きが静止した。
「やめろ、ルル」モーツァルトはルルの手を下ろさせる。「相手は丸腰だ」
アリシアはゆっくりと伸ばした手をもどした。すこし冷静になったようだ。モーツァルトは平然と口元に微笑を浮かべたまま。神経が太いのか、それともすべてが見えていることからくる自信によるのか、微笑したまま微動だにしない。
「とにかく、命令系統を無視してうちのパイロットへ勝手に出撃命令は出さないでいただきたい。これは明らかな越権行為です」
アリシアは毅然と言い放った。
「すまなかった、もうしない」
モーツァルトはにっこりと笑った。
アリシアはぱっと頬を朱に染めると、ヨリトモの手を乱暴につかんで司令室の外まで引っ張っていった。
「あいつ、わかっててわざとやってやがる!」アリシアは吐き捨てるようにいった。「あたしを怒らせるのが目的だってわかってるのに、悔しいけど我慢できなかった。くそっ! ふざけた女だっ! あんたもあっさり乗せられてまんまと出撃させられてるんじゃないわよ」
三白眼で睨まれたが、八つ当たりにちかい。敵を殲滅できたのだからいいんじゃないかと思うが、ヨリトモは首をすくめて「すみません」と謝っておく。
「2時間の休憩をもらうから、ちゃんと寝なさい」
アリシアはクロノグラフを確認していった。
「それくらいの時間なら、戦線を維持できるはずだから、何かあったら携帯端末にメッセージを送る。無線カスクを外して、ちゃんと食事も摂ること。いいわね。そうしないと、こんなペースじゃ3日ももたないわよ」
たしかにそうだ。耳を澄ますと、砲撃音が振動のように響いてくる。いまもゲームに参加している地球人プレイヤー相手に、要塞セスカは戦闘中らしい。
「じゃあ、なにかあったらメッセして。少し寝る」
ヨリトモはひとつあくびをして、リフトに向かった。
どんどんどんと叩かれた部屋のドアの音で目が覚めた。時計を見ると2時間くらいは寝ていたようだが、まさに一瞬の出来事みたいに時間だけが経過していた。
「頼朝くーん、入るわよー」
変に間延びした声をかけてドアを開けたのは、ハウスメイドの青木さん。今年で二十九歳の女性。胸がおおきく、ウエストもくびれていて脚も長い。髪が美しく、目鼻立ちの整った美人。が、彼氏はいない。
たまに頼朝の家に仕事にくるハウスメイド。なぜか頼朝の母が彼女を気に入って指名しているらしいのだが、頼朝はこの青木さんが苦手だ。本当はメイド喫茶で働きたかったらしいのだが、年齢制限で不採用になりこの仕事についた。まずそこがおかしいだろうと思う。
そして派遣された職場、つまり頼朝の家に自前のメイド衣装でくる。
青いワンピースと白いひらひらしたエプロン。頭にもなんか白いひらひらしたものをつけてくる。このかっこうで電車に乗ってくる。どうかしていると頼朝でなくとも思うはずだ。
「ごめんねー、頼朝くん。まだ寝てた? もうちょっとしたら掃除するわよー。だから今のうちにベッドの下のエロ本とか隠しておいてねー」
頼朝は寝腫らした目で青木さんを見ると、再び枕に顔をうずめた。
「お昼ご飯はなににする?」
ギャグがすかったと判断して、ちょっとシリアスな(つもりの)話題をふる青木さん。
頼朝はふたたび目をひらき、時計をにらみ、カード端末にメッセが着信していないのを確認して上半身を起こした。
「サンドイッチ」
それだけ言う。そろそろナヴァロンに行かねばならない。
「休みだからってゲームばっかりしてちゃ、ダメだぞ」
青木さんは人差し指を立てて「ダメダメ」とやるが、頼朝は冷たい一瞥を与えるのみ。無言でベッドから出ると、わざとこれみよがしに無線カスクを頭にかぶせて、ワークステイションの電源を入れる。
背中を向けてイスに腰掛ける頼朝の耳に、「むむう」と唸った青木さんがもう一度、「ゲームばっかりしてちゃ、ダメだぞ」という声がとどく。
あんまり無視もかわいそうなので、振り返り、
「ごめんなさい、ちょっと電脳図書館にいって『超ひも理論』について調べたいんだ。ねえ青木さん、宇宙がじつは10次元だって話、しってる?」
「え? 宇宙は3次元だよね」
「いいえ。3次元空間に時間をひとつ加えた4次元なんだ。ところがもしかしたら、じつは10次元で、うち6つの次元は小さい輪っかになってて見えないんじゃないかって話なんだよ。ところがもしかしたらこの小さい輪っかが、今までの定説ほど小さくなくても、現在の宇宙論は成り立つ。しかしそうなると4次元以上の次元に伝播することができる重力子の理論に修正が必要になってきて、極めて近い距離では重力の強さがもの凄く大きくなるかも知れないって話なんだ」
「ふ、ふうん、そうなると、どうなるの?」
あっという間についてこれなくなって、青木さんの笑顔が引き攣っている。
「そうなると従来の数値よりも遥かに小さいエネルギーでマイクロ・ブラックホールを加速器の中で作ることが出来るようになる。最近はそういった研究が世界でも始まっているらしいよ」
頼朝はにっこり笑ってうなずいた。ついこの間リニアドライブ理論をアリシアに講義してもらったあと、図書館の科学雑誌を調べて仕入れた物理の難しい話である。じつは自分でもよくわかってない。
「……そうなんだ」
分かったような分からないような表情のまま笑顔をかえす青木さんは「それってすごいねえ」とかなんとか感心した風を装いながら、くるりと背を向けて部屋を出て行く。ただし「じゃあ、あとでサンドイッチ持ってくるからね」と打たれづよいところを見せるのを忘れずに去っていった。
再接続したヨリトモは急ぎ足で中央司令室に行った。
司令室ではワルツ・クエイサーが指揮をとっており、何人かのオペレーターとせわしなく指信号で会話しつつ、各砲座へ命令を伝達していた。ワルツは入ってきたヨリトモに気づいて、マイクを口元に寄せる。
「オガサワラ殿、休憩時間はあと30分あります。こちらは任せてゆっくり休養してください」
「すみません、どうも落ち着かなくて」
「わかります」
ワルツはふっと脱力したように笑った。
「戦闘中はだれしも多少の興奮状態にあるものです。しかし体の限界は確実にやってきます。休息することは、ひとつの武装であると考えた方がよろしい」
そこでふとワルツは言葉を切って間を挟んだ。
「さきほどは、うちの姫さまが失礼いたしました。わが姫さまはわがままで気まぐれなところ〝も〟ありますので、ご注意ください」
「いえ、うちのアリシアも失礼しました」
ヨリトモは軽く吹き出す。
「うちのアリシアはかなり短気なところ〝も〟ありますから」
「ヨリトモ、ヨリトモー」
両手を振り回しながら、ルル・ルガーが司令室に入ってきて、ヨリトモの脚に抱きついた。さっき、もの凄いクイック・ドローでアリシアに銃を突きつけたのと同じ子供だとはとても思えない。ルルはヨリトモの脚に抱きつくと、子供らしい甘えた声でだだをこねた。
「ねえねえ、屋上行こうよ。ルルのライフルを見せてあげるからぁ」
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