第1話 特殊ミッション・スタート

1 連休のご予定は?


 ──前々日。もしくはさらに前。


 小笠原頼朝の記憶では、たぶん連休について最初に話題にしたのは、彼の母だったと思う。

 正確に何日前かは忘れたが、朝食のテーブルについた頼朝の前にトーストとヨーグルト、カリカリに焼けたベーコンにのった目玉焼きを並べながら、母親が他人事のようにこう言った。

「あたし、ケイコさんたちと、今度の連休、北海道いってくるから」

「ああ、そう」頼朝はブラック・ペッパーのかかった目玉焼きにマヨネーズをかけながらこたえた。「で、何しにいくの?」


 頼朝はいつも母のつくる目玉焼きにかならずマヨネーズをかけるのだが、母としてはそれが気に入らないらしい。軽く眉をしかめるのだが、それでも楽しげに頼朝の質問にこたえた。

「あんた洞爺湖にある、湖を見下ろせる露天風呂があるホテルって知ってる?」

 ベーコンに齧りついたまま、頼朝は上目遣いに母をみる。

「なに、そこに行くの?」

「そうよ」母は得意げに腰に手を当てた。「ケイコさんが懸賞で宿泊券を当てたらしいの。だから、無料で泊まれるの。ちゃんとお土産買ってくるからお留守番お願いね。でも安心して。留守中は青木さんに来てもらうことになってるから。全部彼女に任せておくから、食事のことは心配しなくていいわよ」


 青木さんとは小笠原家がたまにお願いしているハウスメイドのことである。

 母が用事で家を空けるときなどに派遣会社から呼ばれてくるのだが、頼朝はあのちょっと勘違いしたおねえさんが少し苦手だった。


「いつ帰るのさ?」

「向こうで一泊して、札幌でラーメンとスープカレー食べ歩きして、そのあとケイコさんが屋久島に買ったっていう別荘見せてもらって、そこに泊まってくるから、火曜日の昼くらいかしら」

 祭日は土曜から月曜までだから、連休をオーバーしている。が、ちょっとまて。

「屋久島の別荘?」頼朝はちょっと考えた。「屋久島? 屋久島ってどのあたりにあるっけ?」

「鹿児島県よ」

「九州?」

「あたりまえじゃない」

「北海道にいくんじゃないの?」

「だから」

 母は楽しそうに空中に日本地図を描く。

「北海道にいって、そこから飛行機で屋久島まで移動するの」

「日本一周じゃないか!」

 頼朝はあやうく、ダイニングのテーブルをちゃぶ台みたいに引っくり返しそうになった。もしテーブルが頼朝ひとりの力で持ち上がるようなら、本当にやってたかもしれない。

「一周じゃないわよ、なに大げさなこと言ってるの。北海道にいって、九州にいくだけ」

 母は鼻歌をまじりに踊りながら、キッチンの奥に消えていく。


「なんだそりゃ」とぼやきながらコーヒーに砂糖をいれる頼朝はしかし、とするとその連休中はゲーム三昧だな、とちょっと心の中でほくそえむ。


 最近頼朝は朝6時に起床して毎朝家の周囲を走っている。走るといってもたいした距離ではない。

 軽く体をあたためたあとガレージのサンドバッグをひとしきり叩き、朝のシャワーを浴びて朝食にするのが日課だ。

 以前は朝食を、寝ぼけ眼で胃袋に詰め込んでいたが、すっきり目覚めた体と頭で食べると、朝のトーストもコーヒーもハムエッグもおいしい。義務感のように飲み込んでいた食事が、いまはちょっとした楽しい時間に変わっている。


 食後に歯を磨き、タブレットでニュースや『スター・カーニヴァル』の攻略情報をチェックして、制服に着替え、余裕をもって郷田の待つ車に乗り込む。なんとなくだが、自分が出来る男になったみたいで気分がいい。


「おはようございます、頼朝くん」

 家を出て車に乗り込むと、郷田が運転席から無表情にあいさつする。

「おはようございます、郷田先生」

 頼朝はちょっと頭をさげてから、運転手兼ボディーガードで、最近は頼朝の格闘技の先生でもある郷田にたずねた。


「郷田先生は、連休中はお休みですよね?」

「仕事は休みですが、練習するなら土曜と月曜は夕方に顔をだしますが」

「ああ」

 頼朝はちょっと考えてその申し出を断った。

「いいです。せっかくなんで、連休ってことにしましょう」


 郷田だって連休中はゆっくりしたいだろう。母みたいに日本一周旅行はしないだろうが、彼は彼なりに余暇の楽しみ方があるかもしれない。サバイバルナイフを磨いたりとか、山にこもって滝に打たれたりとか。まあ、それは頼朝の勝手な想像なのだが。

「そうですか」

 こころもち、ちょっと寂しそうに郷田はうなずいた。




 頼朝が教室に入ると、石野裕一の机に集まっていた集団がそろって彼の方を振り返った。

「お、来た来た」集団の中央にいた石野が手を上げて頼朝を差し招く。そばに立つ古田や高橋ナオキまでが、何やら期待したような視線を頼朝に注いでいる。今朝は一団の中に吉川真澄も混じっていた。


 いやな予感がした。




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