第14話 魔王と嫁とその娘と~結婚式~
それから一週間後――
教会の礼拝堂にて、
「あの、あなた? いつの間にウエディングドレスなんて注文したんですか?」
「10年前と、そしておよそ一週間前に」
既に純白の婚礼衣装に身を包んだ愛しい花嫁に答える。
いや、これからは愛妻と呼ぶべきだろう、彼女はもう聖女でも勇者でもなく、まして女戦士でも農家でもシングルマザーでもないのだ。それはともかく、
「……それじゃあ……」
「……君が出て行く前にあらかた出来ていたんだが――それをこっそり取り寄せてね、先週に服と下着で今のサイズを測って、仕立て直して貰った」
「……相変わらず策謀がお上手ですこと……」
花嫁は、それが下着や服を買ったとき既に仕組まれていたのだと気付いたが、十年前というそれには心当たりがなかった――が、ようやく合点がいった。豪奢な刺繍や細工が施された婚礼衣装を一週間でというのは無理があるが、ほぼ仕上がっていたそれの仕立て直しであるなら納得である。
――ただ、縫製を解き生地と飾りを大幅に追加――デザイン自体もがらりと変更したのは美しい秘密だ。
体形自体は崩れていないのに、彼女の女性的部分が十年前よりかなり豊かになっていた為、ほんのちょっとの調整では足りなかったのだ。しかしその甲斐あって、過去の聖女用に仕立てられた気品漂う清廉なドレスは、まるで壮麗且つ荘厳な大自然を象徴するような芸術品と化した。
母親としての生き様も手にした今の彼女には、これがこの上なく似合っている。十年という時間は間違いなく彼女の人生を豊かにしたのだ。以前の彼女では衣装に呑まれていたかもしれない。
それは、魔王無しでも彼女がその心を輝かせ続けたという証である。
そして、サイズを測られたのは、当然ながら愛妻だけではない。
礼拝堂の祭壇、その袖にある修道士用の入口で、着飾った頭が見え隠れしていた。
「さあ――うちのお姫様はいつまで恥ずかしがっているのかな?」
「――お姫様言わないで、恥ずかしい!」
娘は着付けを済ませならがどこか恨めし気に抗議する。
その距離は遠く、体を隠しているつもりか入口から顔だけ出している。
しかし悲しいことに、絵本のお姫様仕様、プリンセスラインの純白ふんわりドレスが既に半分以上見えていた。
両親に笑顔の無言で手招きされ、いい加減観念し入口から一目散に両親の元に来た。
そして、母親の腰から広がる大きなドレスの影に隠れようとする。
思春期の微妙な乙女心――精神的な背伸びや、大人びたことをする方が逆に恥ずかしい時分である、婚礼衣装に身を包んだ両親に合わせて――子供向きとはいえ、慣れない本格的なお化粧をして貰らうのは、中々辛いだろうが。
「自分で言っていたでしょう?」
「やっぱなし!あれ無し!」
「――いいや? お父さんにとって間違いなく自慢の可愛い
言いながら、化粧と一緒に整えた髪を崩さないよう、魔王はその頬を手の平で温かげに何度か撫でる。
と、心底恥かし気に瞼を伏せ、母親のドレスをキュッと握った。
「……お母さん、このナンパおじさん止めて、やっぱり別の人と結婚しない?」
「あら、前に『お父さんみたいな人と結婚する』って言ってたのは、どこの誰かしら?」
「――お母さん!!?」
娘は、ボッ、と火が吹くほど赤くなる。
魔王はそんな言葉一度も聞いたことなかったが、女同士の内緒話かと。
「――どういうことだ?」
「いいえ? ふふふっ、だってこの子、将来結婚するなら学校の先生みたいな人がいいって――それはどんな先生なのかって言ったら――あら、これは秘密だったわね?」
なるほど、父親が父親だと気付いていなかったときのことかと、お父さんは納得した。
娘が全力でローキックを母親に向けているがドレスを揺らすだけで効果はなかった、そして父親と眼が合ってしまいもう涙目である。
そんな娘に、父親は変に笑ったりせず、優しく大らかに教育する。
「……大丈夫だよ。ざくろ、そういうときはこう言えばいい――『これからはお父さんより強くて優しい男の子にする』って、それなら口喧嘩としても将来女としても、お母さんの負けだ」
「……そんなのいないじゃん」
「うん?」
「なんでもない!」
母親はコロコロ笑っている、父親もしっかり答えを聞いてはいたが――そこは優しいお父さんでいることにした。
「――娘の味方をするんですか?」
「父親としては、娘には甘くなる」
この裏切り者。と妻に目で笑いながら問い掛けられるが、魔王は鼻で笑った。
「この素晴らしい門出の日に仲がよろしいのは結構ですが、そろそろ――」
神父の準備も整ったので、三人は改めて祭壇の前に並んだ。
「……でも、なんでわたしまでこんなの着なきゃいけないの?」
「それはこれから、三人で家族になるからだよ」
今日この日、するのはただの結婚式ではない。これから三人は、夫婦ではなく新しく家族になるのだ――その相手は妻だけではないのだ。
そして、
「それからもうしばらく……お父さんと結婚していてくれ……な?」
娘を独り占めしていたい、魔王はそう言った。
父親の我儘として、それは五年後の十五歳、成人を迎える娘との、まだ足りない家族の日々を長引かせようとするちょっと切ない願いだった。
それももう――娘も、分からないでもなかった。
「……お父さんだから、あとでほっぺね?」
そして奇しくも娘の初恋(?)が叶うという結果に、彼女は絶対何も言うまい! とでも言わんばかりに目で母の失笑を牽制した。
静かな礼拝堂に、日差しがステンドグラスで極彩色に彩られる。
余人を交えず、家族水入らずをこれでもかと満喫する三人を祝福するようだ。
参列者は居ないが、それを不満に思うことは無く。そんな彼らの姿に神父は――訳有りの変わり者の家族から、ただ幸せな家庭であると相好を崩した。
そして、厳粛な儀式が始まった。
子供を真ん中に置き――父親と母親がその両隣に立ち、誓いの言葉を交わし合い、銀の指輪を交換する。
彼女は涙を蓄えていた――十年前、本当は式を挙げたかったが出来なかった。その想いが今果たされようとしていた。
穏やかに彼は見守る、その姿勢は十年以上前から変わることは無い。いつだって目の前の女の子の事を優しく見守っていた。
娘は、ほんの少しドキドキしながら、その時を待った。
神父は誓いのキスを求め、そして、二人はキスを交わした。
――二人は子供を抱き上げ、その両側から子供にキスをした。
子供が二人を繋いだその変則的な誓いのキスに、むず痒そうに娘はされた場所を腕でごしごし擦り更には『愛してる』と言ってくる二人から目を逸らした。
だがそれから、二人の代わりに二人の頬にキスをした。
その遥かな空には、白鳩が大きく羽ばたいていた。
今、穏やかで幸せいっぱいに目を細め、花も羨む
三人は改めて本当の家族になり、娘は初めて『両親』の愛を受け取った。
その日の夜、三人は三人で大きなベッドにぎゅうぎゅうに体を詰めて寝ようとしていた。
「ねえ――」
「ん?」
「んー?」
「……熱い」
「我慢よ?」
「我慢だ」
両親から抱き枕にされ、寝返りも打てない暑苦しい状況に、娘は早くも後悔しつつあった。
「……ねえ」
「んー?」
「なぁに?」
「……トイレ」
そこは我慢させず行かせたものの、その足音がトイレから娘の自室に入ったのを聞き、二人して強行突入、確保、これでもかというくらいのハグを左右しつつ連行、
「イヤ――っ!」
「――はっはっは。魔王からは逃げられないぞ?」
「ふふふ、元勇者からもよ?」
「もういい! もう十分! ラブラブすぎるのもダメ――っ!」
決して手を組んではいけない二人が手を組んだ。
両親からの際限ない頬ずりが始まった。
娘は抵抗するも再びもみくちゃにされた上掛けの中で、親子三人でもぞもぞと格闘戦を繰り広げる。
娘は本気のマジ蹴りの上挙句に魔法を駆使し何とか脱出し、ドアのところでこれでもかと舌を出した。そして、
「――そんなに子供と寝たいんなら、弟でも妹でも作るといいよ!」
そんな捨て台詞を吐き、今度こそと自室に逃亡した。
バタンと閉じられたドアを見て、二人は見つめ合い、
「だ、そうですが――」
「……そうですが?」
苦笑する。
二人はベッドを出て、娘に謝り就寝の挨拶をした。もちろんキスだ。
そして、
「……弟と妹か……」
「弟か、妹ですよ」
それでは二人産むことになってしまう――棒読みでとぼけながら、
「あ、そう?」
「――別にいいですけど?」
夫は、思わず妻の嫣然とした顔と下腹部を見た。
「まあ、それは神様の思し召し――」
この正直スケベめ、と妻は思いつつ言い掛け、盛大に顔を顰めた。
夫も察し、アレな神様に任せるのは本意で嫌だと思った。二人は頷き合い、
「……じゃなくて、コウノトリさんに任せましょう」
「何を言っているんだ――キャベツ畑だろう?」
何を言っているんだ、と夫を視線で窘めつつ。
夫の手を、ネグリジェの紐に誘い、自分の手で解かせていく。
そして隙間から、自分の下腹に触れさせ、
「……じゃあ、コウノトリさんに、畑を耕して貰いましょうか……ね?」
「……いったい何の事かな?」
夫は笑いながら、妻の体を押し倒した。
――こうして。
魔王と元妻とその娘は、紆余曲折を経て本当の家族になった。
だが、彼らの前にはまだこれから本番を迎える娘の思春期と反抗期、世に蔓延るいじめや差別問題――食費、家計費問題……お小遣い削減からの娘のおやつ抜き、妻のダイエットの道連れまで数々の困難が待ち受けている。
そう、今まさに、普通の家族生活という果てしなく続く戦いの日々が切って落とされたのだ。
ここから先は勇者の力も魔王の権力も意味は無い――奇跡も魔法も通用しない。
来年の今頃にはオムツと夜泣きが待っているだろう、そしてさらに数年後には娘の彼氏との戦いも待っているのだ。
世界の征服も救済もしないけど、これから魔王と元勇者の平和な戦いは続いていくのである。
だから今だけは、せめてささやかな幸せを……。
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