第13話 魔王と娘の親子喧嘩。

 母親の声とノックに天の岩戸は開いた。


 ドアが開くなり顔をあからさまに顰める娘を抑え、真面目な話だからと中に入り、娘は勉強机に、父親は彼女のベッドに断ってから腰掛け、母親は審判としてそのまま立ち姿で二人の中間に付き、そこで神妙に席を交え――


 神と勇者の事情と、何故お父さんが若い女の子をナンパしていたのかを話した。


 そしてその結果、


「――そんなん信じられるわけないでしょ」


 一刀両断された。


 まあ、そうだろうなと、夫婦は揃って頷いた。むしろ、こんなバカなことを無条件に信じる様なアホな子じゃなくてよかった、と夫婦は目と目で安心した。


 が、このままでは反抗期に突入、いや、親子断絶からの家庭崩壊への一直線のコースだ、それは世界の危機より重大な事案である。


 だからここで引き下がるわけには行かないと、当の本人からでは説得力がなかろうと、


「――本当よ。ざくろ? だって私が勇者じゃなくなったのは――お父さんと晴れて両想いになった次の日だったもの」


 母親が、お子様向けに絶妙に『分かる』オブラートに包んだが、


「嘘でしょう? エロ大魔王がそこまで我慢できるわけないもん」


「ざくろ、お父さんとお母さんは純愛路線だったんだよ?」


「ナンパおじさんの言う事なんか知らない」


「――ナンパおじさん」


 ダメ人間臭がするフレーズに、母親が父親を面白げな視線で茶化したそれを睨み返して抗議してから、魔王は真剣に弁明する。


「――本当だ。お父さんはこれでも女性に対しては奥手な方なんだ」


「嘘! お母さんを毎日甘々に口説き倒したってもう知ってるんだから!」


 魔王は妻に視線をやるとニッコリ微笑まれ誤魔化された。本当に一体話したのだろうかと魔王は疑問を覚えるが、今は優先すべきことがある。


「ざくろ」


 名前を呼び、決意しつつ再度娘にトライしたが、娘はあごでそっぽを向き露骨に顔を合わせてくれない。お父さんの株価は相変わらず下落中だ、しかし諦めない――


 しばらく彼女に無言で視線を送るも、微動だにしなかった。


 もうこうなっては仕方が無い――これは戦況が悪いと判断し、


「……お母さんバトンタッチ!」


 意外に早かった戦略的撤退に、母親は半目をさらに細めて、


「――ざくろ、残念ながら本当よ? ――残念ながらね?」


「――おい」


「だって私の気持ちに気付いてたのに、貴方は貴方の気持ち全然教えてくれなかったじゃありませんか」


「――それは私が案外ヘタレだって言いたいのか?」


「いいえ? そんなことありませんよ? ――奥手なんでしょう?」


 二人はまた喧嘩(?)を始めた。


「あの頃君は満足に恋の仕方も知らなかっただろう? そんな君に私の気持ちを伝えても君はただ困るだけじゃないか」


「まぁ? そりゃあ遠慮はしたでしょうけど、むしろ積極的に愛を囁いてほしかったですよ?」


「ほほう、臆病になるんじゃなくて? 見つめただけで、他の妃の背中に隠れようとする君が?」


「そんなの――初恋だったんだからしょうがないじゃありませんか……」


「……グレーナ、わたしはあの頃、君が戦いの中で失った青春や、大切な物を全て、与えたかったんだ……それからでも恋は遅くないと思った、だからこそ、君が何も気付かなくとも十全と君を愛そうとした、愛したつもりだったが……私だって好きな相手には、臆病にも、慎重にもなるんだぞ?」


「~~っもう! そんなずるいこと言わないでください!」


 そして夫婦は三度お互いの愛の歴史を確認し合った。


 ――が、


「……そうやってまたイチャついて!」


 娘には関係なかった。




 彼女はこれまで噛み潰していた奥歯を開放しここぞとばかりに憤慨する。


「喧嘩をしたばっかりなのに、お母さんはお父さんと一体何をしに来たの! ――分けわかんない! お母さん、お母さんは怒ってるんじゃなかったの!?」


 なんであんな馬鹿な事をしたのにこうも堂々と自分の前でイチャつき始めるのかと怒りのまま握り拳を更にきつく握り締め、自分の膝に叩き付ける。


 思う。ハッキリ言って、火に油を注いだようなものだ。自分を怒らせに来たのではないのかと。


 しかしそれに母親は、


「――それは当然よ? 今でも怒ってるわね? でもねざくろ、好きな人と居ても辛い事や寂しい事、苦しい事、かなしい事なんて沢山あるの、それでも一緒に生きて行くって約束するのが結婚相手なのよ?」


 微笑みながら大らかに、そして慈愛と慈悲に満ちた声で告げた。


 全くの同意であるなら何故かとなおも視線で問う娘に、感情的にはあのとき本気だった、それは間違いない、しかしそれを乗り越えたということを。


 そして乗り越えようとするのが、単なる恋愛相手とは違う夫婦や家族という存在なのだと、尚も胸の内で母親は思う。仮に乗り越えられなくとも、一つや二つの我慢なら呑み込むべきなのだと、無論限度はあるが、人は誰しもが持つ負の側面を受け入れられなければ人を愛せない――でなければ共に歩むことなんて出来はしないのだからと。


 しかし、


「……でも離婚したじゃん」


 子供としては、そんな理屈と現実との落差に気付かないでもなかった。が、


「それはね? 私は――私たちは、もう離れても大丈夫、それでも愛し合っているって確信したからよ? 一緒に生きるっていうのは、何も傍に居る事だけじゃないの。それぞれの場所で頑張りましょうって、お互いのやるべきことを果たすことにしたの」


 母親の愛は褪めず、その荒波を越えて来た女は再度言う。


 突き詰めた話、『死が二人を分かつまで』なんて言うそれである。


 死ぬまで一緒に生きる、一緒に苦楽を共にする――だがそのあとはどうなるのか? 自由になるのか、生活と心の支えがなくなり弱くなるのか。それは人それぞれだろうが彼女としては違った。たとえ一人になってもそれまでの生き様やそこで培った精神性は消えない、一人ではなく二人で培ったそれは、互いの心の中に愛する人が常に居るようなものだ。


 いつでも愛する人を感じられる、そんな力が極まったともいえる。


 それはかつて彼女がした『永遠を歩む夫とどう生きるのか』という覚悟でもあったのだが、


「……」


 娘はしかめっ面で母親の微笑を突っ返していた。


 愛は変わらないから離婚してもいいと言われても、納得できないというそれを感じ、


「……お父さんのお仕事は知っているわね?」


「……うん」


「だから御妃様なんて身分のまま外に出ると、命を突け狙われる事にもなりかねないのよ? そんなことになったら、お父さん平然と国とか世界とか滅ぼしちゃうのよ?」


「……そこは、分かるけど」


 イマイチ信用に欠ける――と言いたげな視線を魔王はよこされた。


語られもしない心の内など、理解できない。それは個人の経験や感情、そして夫婦の思い出であって――そんなもの当人達以外には便所紙にもならない。


 だから母親は娘とそれを共有しようとした。


 娘も、それは知っていた。確かに、魔王ほどになるとそりゃあ四方八方から恨みを買うのだ。まあ、今はこんなことをしているが、基本は非合法且つ合法な救済事業である。世知辛い話、正しいことをしても悪いことをしてもどのみちどこかで人は人に嫌われるように出来ているのだが、法律では追い付かない部分を力技で解決しているだけあって、そこら中から恨みを買っている。


 そうなると、本人に嫌がらせをするよりその周りに――なんてザラだ。


それくらいは娘も母から日々惚気ながらに聞いていた。もっとも手を出したら最後、その周囲の女性すら魔王のブートキャンプや自己啓発メソッドで魔改造され、頭おかしいステータスになるので返り討ちに会うのだが、その周りまではそうはいかない。だが本人以外に手を出すと世界が滅ぶので、表社会も裏社会も不文律として魔王本人以外に襲撃を仕掛けられない――


 その辺、何かある度、とりあえず勇者が魔王に挑む――その真相の一旦でもある。


 それだけでなく、何気に暇があれば家でいつもどこかしらからの報告書に目を通している――本当に大変な仕事をしているのも知っていた。


 本当は、父親は結構な無理をしてこの家にいるのだ。


 ……それも理解できるけど、


「でも……お父さんとお母さんだけ、やりたいこと好き勝手にやってただけでしょ」


 今更後には引けず、娘は眉根をあらんかぎり寄せた。それにそれは大人の事情屁理屈で、子供ながらにそれは家族としてはダメだと思う。


 家は家、お父さんはお父さん、お母さんはお母さん――それだけでは納得できない。


「……そうね、それはあなたの言う通りね。その所為で、アナタには悪いことをしてしまったわ……お父さんがいない、寂しい想いをさせてしまってごめんなさい……」


 母親は、娘に謝った。子供には子供の事情と心情と信条があった。


 それは言葉は足らないが、家族の芯を突いていた。


 だから謝った。どうしようもないことだが、それでもそれは――子供の目から見たら、親の事情から『自分だけが疎外されている』ようなものだったから。


 それは確かに、家族という理ことわりを外れてしまっていたと思った。


 だが娘は、


「……怒ってるのはそこじゃないもん」


「じゃあ、何を怒っているの?」


 そういうつもりで言ったのではなかった。


 もっと単純に、父親に言いたい事が――


「……お母さんが怒ってたから、私も怒っただけだもん……」


 なのに母親を謝らせてしまって、冷や水を掛けられたような気分になった。


 後悔して、冷静になった。母親が優しく訊くから、それ以上意地は張れず。


 ――そこで、


「あら、じゃあやっぱり私の所為ね?」


「――ちがう!」


 ほんの少し素直に心の内を話す気になった娘に、母親は微笑む。娘は瞼を細めて、泣くのを堪える様に目を据える。


 なんで笑うのか、こちらがこれだけ真剣なのに、笑って話を聞くなんて失礼千万だ!


「えぇ? だった怒ってはいけない所で怒ったから、あなたもそれに釣られて怒ってしまったのでしょう?」


「それもちがう!」


「じゃあお父さんのこと嫌い?」


 矢継ぎ早に煽られ、


「ちが――っ! ~~っお父さんの所為だもんっ!!」




 娘は爆発した。


稚拙な誘導に引っ掛かり、理性のメーターが振り切れた。


 その勢いに任せて一気に捲し立てた。


「お父さんが変なことしてるのが悪いの! 嘘吐いて女の人と遊んでて! どこが立派なの!? そういうのは私とお母さんだけなのに! ――ほんとうにバカみたいな言い訳言ってるしそれなのにお母さんもすぐ許しちゃうし勝手に仲良くしちゃうし!」


 その内容からして。


 単なるヤキモチ。


 お父さんと仲良くしたかった――


 お母さんと同じくらい。


 少なくとも、他の人より。


 そんな、小さな愛ある憎しみはそのまま、豊かな感情に反比例するよう色彩を失った声で訴え掛けられる。


「お母さんは私の為とかお父さんの為とか言って結局全然自分のこと考えてないし……せっかく私がどんだけお父さんとくっつけようとしても遠慮して、お父さんはそのこと全然分ってないみたいだしあんまり必死でなんとかしようとしないし、なのに喧嘩して……離婚するとかしないとか、ホントはもう仲良くないんだと思ってたら今度はいきなり馬鹿みたいにイチャつくし……」


 言ってしまった後、ハッと気づき娘は硬直した。やってしまったと後悔し目を逸らすがもう遅い、それにそれでも許せない。


 止まらない、


「……もう嫌い、お父さんもお母さんも嫌い……」


 その想いを全て曝け出すその姿に、魔王は膝を着き、目の高さを合わせる。


 これまでの彼女の在り様を思い返してみればそれは、


「ざくろ……そうか、……一生懸命はしゃいで、いい子にして、悪ふざけをして、悪戯をして……ただ甘えていたんじゃなくて……お父さんたちの仲を取り持とうとしていたんだな……いままで気付かなくてごめんな」


 母親も、無言ながらに手遅れながら、今この家で、家族として一番頑張っていたのは娘だということを理解した。


 それは個人の経験や感情、そして夫婦の思い出であって――そんな語られもしない心の内など、理解できない。


 父親は追憶する、思えば最初――


 お母さんの大好きな人を、自分の父親をなんとか引き寄せようとしていた。


 この家に来た最初の日の夜、娘は父親になんと言っただろうか?


 娘は、母親の事を父親よりもはるかに思い遣っていた。無論、父親の事も。


 でもいざ家族として始まってみれば――子供の目から見て、両親はてんでバラバラのちぐはぐで、家の中で自分だけが努力している――一人空回っているようでしかなくて。


 挙句の果て浮気で喧嘩し仲違いし、でも二人して子供の知らない内に仲良くなって。


 ……もう散々だ。


 それこそ子供の眼の中では、この家族関係は子供の手によってどうにか繋がれている状態だったのかもしれない。


 家族の中で『夫婦だから分っている』では、男女の関係である延長上をやっているだけで親ではない。いくら愛情を積み重ねても、子供を含めた場合それでは『家族』として片手落ちなのだ、大人だから分っているなんて所詮大人の自己満足なのである。


「……、――ちゃんと、三人で家族になりたかったんだな?」


「……知らない!」


 ずっとそこを不安に、不満に思っていた娘と父親は目を合わせるも、彼女は心を開くことを拒絶した。


 こうもなろうと魔王は思った。


 本当に家族らしいことは、まだ何もしていない。家族三人ばらばらで――仲が良さそうに見えて全員が個で動いていた。


 同じ目的であるように見えて、それぞれが別の目的と想いで動いていて。


 そんな中『今日何をした』『これが楽しかった』などと個人の記憶を共有しても、これほど虚ろなものはないかも知れない。


 子供にとってはまやかしや言い訳も同然かもしれない。それでも愛している――大人の愛なんて、その隙間を埋める実体のない言葉になってしまうのだ。


 個を尊重するだけでは家族は家族足り得ないのだ。


 魔王と元勇者は、自分たちが何を間違えていたのかを反省した。


 勉強机の椅子で、万年雪に出来た影の様な目をしている娘と向き合う。


 娘は片膝を着いて見上げて来る父親を、口を噤んだまま睨みつけた。


 良いも悪いも言わない――言葉を交わさないことを誇示する娘に、しかし魔王は彼女の膝の上でぎゅっと閉じられたその小さな手を取った。


「……ざくろ、これからは三人で、……待ってるとか、離れても大丈夫とか、これから努力するとかじゃなくて、今から本当の家族になろう。……最初からお父さんが間違えてた、私達家族は、最初から家族であるべきだったんだ」


 自分達が本当の家族であるなら、娘に――それを証明しなければならないと思った。


 子供が成長して自立し、家族ではなく個の生と性さがを満たそうとするまでは、かえって同じ時間を共有することが難しいところがあるかもしれない。


 しかし今――大人二人と、その子供が集まっただけの集団ではなくちゃんとした家族になるには、それらを乗り越える必要があるのだ。


 だから、言葉だけでなく、手を重ねてそこに力を込める。


 それでもそれはただの言葉で、奇跡が起こる様な特別な手の平ではないかもしれない。


 それでしかなくとも――しかしそれこそ拒絶されていても、この努力は止めないという意思を伝える。


「……ざくろ、本当の家族になろう。だからもう確認なんて取らない。ざくろが許しても、許さなくても――どれだけ嫌いになっても、お父さんはお前の家族だからな?」


そして、


「――お母さん」


 それを、傍らに立つ愛する妻へも送る。


「……結婚しよう。私は、娘と、君と、ずっと家族でいたいんだ……」


「……はい。私もです……私も、あなたと娘と、永遠に家族でいたいです……!」


 その姿に、妻は夫の手と重なる娘の手を取りながら、同じよう母親として娘の前で両手を重ねた。新たな誓いを掲げる父親に、新たな誓いを重ねる母親の姿が娘に写った。


それはどちらか一方ではなく、二人を視界に収めながら、三人に対し宣誓した。


 それから父親は再度、二人が写った娘の目を見つめ、


「――ざくろ、いままでごめんな?」


心よりの謝罪と、


「愛してるよ――」


「愛してるわ――」


 夫婦としての誓いではなく、彼女の両親としての告白をし、それから、二人して娘を思い切り抱き締めた。


 娘は面を喰らった。


 痛いくらい力強い抱擁に、振り解きたくとも解けないほどの力に。


 だけれど、余りにも温かく包み込まれて、優しく抱擁されて。


 娘は、また何も言わずに目を細め、自分の体を抱き締めてくれる二人を腕の中で感じ、


「……知らない……」


 ――同じ言葉を呟く。


 そんな明け透けに、真っ直ぐに、熱を込められて言われたことなんてなかった。


 強引にしがみ付いて、相手が言うことを聞くまで離さない。熱すぎて、苦しくて、嫌がろうとも離してくれない。


 やっていることは子供の我儘と同じことのなのに、子供より遥かに諦めが悪くて、身勝手で――だけどはるかに熱くて、力強い――


 それに、娘はどうにか泣くのを堪えて声に漏らした。



「しらない……ばか」


 愛している――


 二人から求められ、だけど与えられた言葉に反して口から出たそれと、だが、娘が伸ばした手のひらは、もうそれを知っていた。



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