第12話 魔王と元嫁/聖母の家族会議。
一家は無言で帰った。
娘は家に入るとすぐけたたましい足音一目散に部屋に駆け込み、ドアを叩き付けその中に閉じこもった。顔を合わせたくないと全身で訴えるようなそれに父親は直ぐに追い駆けたが、知らない、の一点張りでドアが開くことは無かった。
そうして露骨に気落ちしながらソファーに座る元夫に、元妻はお茶を用意した。
その落ち着かない顔を見ながら――
彼女はふうと一息、
「――まず、言わせてください」
「はい」
「いいですかあなた、これは今は私が居るとか娘がいるとかいないとか重婚可だとかそれ以前の問題です。いい歳した――それも責任ある立場の方が、気軽にその辺の女の子に声を掛けて引っ掛けはいけないことぐらい重々承知している筈ですよね?」
「はい。分ってます、それは分ってるんだけど――」
「――なんですか?」
にっこり。
「――はい」
反論は許されない、元女勇者With聖女様のお説教モード――母親になって貫禄増しの聖母モードだ。
後光が見えるそれは口調自体は優しく、まるで子供の面倒を見る様に言い聞かすようだが、逆に、いい歳した大人が子供扱いで叱られているというまた何ともいえない恥かしさを込み上げさせ、魔王に深いダメージを与えていた。
だから、魔王はよく考えて、冷静に話をした。
「……とりあえずのっぴきならない事情を説明させてくれないだろうか? 君が言いたいことを全部言ってからでいいから」
「まるで感情的に怒っているみたいな言い方ですね?」
「違うの?」
「――初期症状は概ねその通りでしたがなにか?」
「――いいえ」
現在は予後不良ではないかと思われるが、魔王はその口答えを自粛した。そして元妻がソファーに居るにも拘らず魔王は床に正座し始めた、彼女うちのおかんには敵わないと魔王の心が既に屈服しているからである。
「魔王様、私は悲しいです。確かにあなたは夜の魔王とか言われていますが節奏無しという訳ではありませんでした。みんな訳ありの子を保護しているだけで、それがどうしたのですか? あんな普通の若い子をナンパだなんて」
「うん。それは我ながらどうかしてたとも思う――だけどそれには深いわけがあるんだ」
「ではお教え下さい――なんですか、その理由は?」
「……勇者の資格が何だか知っていますか?」
「いいえ。大体世界でたった一つの勇気とか愛とか正義の心とか言われてますが……それが何か関係あるのですか?」
「ある、処女だ」
「……は?」
「神は自分の理想の嫁、もしくは旦那に神の加護――勇者の力を与えていたんだ。今の神は勇者に処女――それも恋すらしたことのない完全無欠の処女性を求めている。つまり職権乱用、公私混同のセクハラ人事をしていた――だから当代・女勇者を口説き略奪愛してその性癖を矯正しようとしていていた、その情報集めだ」
心臓が恐縮する、これから確実に激震が始まる。
魔王はその瞬間を半ば諦観交じりに自分の妻を見つめていた。
「…………………はぁ……魔王様……怒りませんからどうか本当の事を話してください。怒りませんから」
ゴミを見る眼を向けて来るが、魔王は達観が混じった視線を返す。
まあ信じてくれないよなあ――と思いながらの五秒後、案の定ゴゴゴと闘気が膨れ上がった。
ああうん、そのリアクションが来ることは分かっていた。脳の怒りは沸点を越え超臨界状態に達しているだろう、聖母オーラが消え失せ阿修羅の怒りの形相染みた深いホウレイ線が皺を刻んでいる。
ベタな話「それもう怒ってるよね」とすら言えない気配だ、それはそうだろうこれは怒るとは言わない――だってもうキレてるんだから。
「その気持ちは分かる。だが、これは真実だ。そしてそれを君が一番分かり易い形で教えるから、覚悟して聞いてほしい」
「……へえー? じゃあどうぞ?」
額に嫌な汗を掻きながら魔王は、切り札を切る覚悟を決めた。
ここで態度を間違えたら聖母が鬼嫁にクラスチェンジする。しかし、元女勇者の彼女を説得するには、それを言うより他なかった。
そして、
「……君の勇者の力……それが完全に失われたのは、いつだった?」
聖母は、一瞬狼狽えた。
「……それは――」
だってそれは――
「……うん?」
「――うん」
それはもちろん魔王とヤッっちゃったときだ。
つまり――実体験だ。それは魔王が集めたあの資料以上に確かな証明である。
口に出すのも、思い出すのも恥ずかしくも嬉しい――今でもあの日の朝焼けは忘れられない――
じゃなくて、
「……うそでしょう?」
「……残念ながら本当」
確かにその日、彼女は勇者の力も聖女の力も完全に失った。
確かに『事後』彼女は勇者の力――神の加護を完全に失った。
もっと言ってしまえば、魔王に片想いを始めたあたりから徐々になのだが、その所為で逆に神が
でも信じたくない。
「……本当なのですか?」
「女勇者の出荷率は教会が一番だろう?」
「あー、……うーわー……」
聖母は、
教会が何故処女を信仰させているのか、分ってしまった。
「それでも信じられなければ、持ってきた私の机の引き出しの奥、二重底になっているそこに茶封筒があるからその中身を見るといい……証拠資料がある」
「ああ、あの二重底……エッチな奴じゃなかったんですね」
「――知ってたの?」
「あ、開けていませんよ? その……お掃除の一環で?」
「……今度トラップとして付箋とチェックを入れた夜の下着カタログを入れてやろう」
「それはむしろ大歓迎で――」
夫は咳払いをする、その妻も遅れて慎んだ。
そしてニッコリ――数秒間全ての事実を再度反芻し理解し、笑顔で咳払いしながら聖母は立ち上がって台所に行った。
そして。
手にお玉と鍋の蓋、腰に出刃包丁を差し戻るや、魔王を素通りしそのまま玄関へ――
「――まて。元・勇者よ、お前は今どこへ何をしに行くつもりだ?」
「ちょっと教会にカチコミに」
「お玉と鍋の蓋でか!?」
「主婦の主力武器ですが?」
「落ち着け元勇者よ! 眼も完全に闇堕ちしているぞ!」
「今の私は阿修羅をも凌駕する存在ですから」
「その気持ちは分かるがとりあえず調理器具を仕舞ってこようか!?」
魔王はそっと背中に手を添え台所まで同伴した。
そこで聖母がウキウキと包丁を手にまな板で何かを料理するアピール――神殺しをいじらしい上目遣いでおねだりしてくるが、魔王は厳重な処置をして包丁を封印した。
数分後。
ソファーに戻るなり、魔王はさり気なく彼女の手を取り聖母をその腕に抱いてあやしていた。
「……信じられない、そんな下らない理由であんな苦労をさせられていたなんて……」
「――だよねぇ……」
世界の危機とか人の闇と、そんな理由で戦わされていたなんて辛すぎる。
それを慰め魔王は思い切り甘えさせ、聖母もまた図太くなった神経で恥じらいを捨て甘え切り胸板に額をぐりぐりと押し付ける。
空気が変わった――浮気をし子供を泣かせた夫を責めるそれから仲のいい夫婦11・22に。
だがそれでもやりきれない聖母はあごをぐいぐい魔王の胸板に乗せ、上目遣いの犬仕草で撫でろとアピールをした。そんな彼女を魔王はただひたすら駄々甘に甘やかし何度も背中から腰まで何度も撫で漉いた愛情たっぷりの魔王のグルーミングに、聖母もスーハ―スーハ―最愛の男の匂いまで堪能した。
脳が蕩ける――それでようやく溜飲を下げご満悦に顔を上げた。
そんな彼女に魔王は説明を補足する。
「……で。だから神がもう二度と公私混同の人事なんてする気が起きないように、勇者を悉く口説こうと思ってたわけ……今回は私が担当するが、今後男の勇者が出ればサキュバスのお姉さんやなんかも駆使して――」
「そんなまどろっこしいことせずに神の息の根を止めたら――」
「首がすげ替わるだけで別の神が同じことをするだろう? そんなことしたら精神的により痛い目に合うって覚えさせないと」
「別にあなたがしなくたって……」
「それか当代の勇者自身にその性癖気持ち悪いって言わせようかな――って思ってたんだけど、もうこの作戦自体止めてるよ……時間が勿体なくて仕方が無い……」
いやいやん、もっと撫でてと上目遣いの仕草で伝える妻をもう一度深く抱擁しゆりかごのように包み込み、魔王は聖母に、髪ごしに頭上からキスをした。
「――こんな素敵な奥さんと娘さんがいるんだ、浮気なんて出来るわけがないだろう? 今はもう君たち二人のことしか考えていないよ?」
「あなた…………」
自然に唇を交わす。
チュッ、チュッ、と顔を上げて来たので遠慮なく奪う。くすぐったそうにしながら、閉じたまま嬉し気に目尻をしならせ、もっと、と唇を繰り出す。
一しきりしても我慢できずに、
「もう……そんなこと言って、どうするつもりですか?」
「……もの凄い下着にチェック入れておこうかな? いや、買ってあの引出しに入れておこう――すると君の下着はいつのまにか朝とは違うものに替わっているんだ……」
「……お風呂に入った後は、そりゃあ替わりますよ?」
「……本当かな?」
意味深である。
「――確かめてみますか?」
「……今日は何も入っていないはずだが?」
「……なら今日は、そういう日なんじゃありませんか?」
意味深だ!
「……グレーナ……愛しているよ?」
「魔王様……」
腰から抱いて、子供には見せられないくらい深く舌を差し込んで押し込んだ。
もう一度、もう一度、もう一度……ねばっこく、深く。
さり気なく元夫の手の平が、あらぬところを目指すたびに、それを平手打ちで聖母は叩き落とし、魔王は果敢にキスに夢中にさせその豊満なボディラインの女性的曲線へのガードを緩めさせようとする。媚熱に頬が既に火照り、理性が消えかけた甘ったるい声で夫を呼び、いやいやをし恥ずかしがり抱き着いて顔を隠す――振りをし、二つの乳房をたっぷり服越しに押し付けた。
逆に聖母の方が魔王に圧し掛かってソファーに押し倒さんばかりにのそれに魔王も負けじと上から喰らい付くようにキスの雨を唇どころか顔全体を越え首筋までに振らせる。
聖母の足がフラミンゴの様にずり上がった、だが魔王は元妻に慣れた手つきで背中を撫でられ、深い位置に沈むようにしながら仰け反って及び腰になってしまい元の位置に戻った。
二人の熱烈な愛は拮抗していた――押し倒された方の負けだ。
勇者と魔王の夜の勝負が始まろうとしていた。しかし――時を同じくして、二人の脳裏に娘の顔が思い浮かび、これ以上はと自然に自制した。
「じゃあ、早く子供をちゃんと説得しないといけませんね?」
「ああ、そうだね? ……でももう少し流されてくれないのかい?」
「母親ですから――子供が最優先です。……あなただって父親そうでしょう?」
「……手強くなったなあ」
何事も無かったかのよう聖母はするりと魔王の腕から抜け出し、着衣と髪の乱れを正し始める。魔王はそれを待つだけでなく手伝い――10代の頃より遥かに胸も尻も成長している聖母に目尻をしならせる。
そのスケベな視線を知っていたが、聖母もやはり満更ではなく、むしろ燃えるくらいの微笑みを浮かべる。
魔王はほんとうにこっちの面でも圧倒されてしまうのかと眼を白黒としながらも、期待に心臓が熱くなりそうだった。
そして魔王は肩の荷を一つ降ろしたよう安らかな微笑に頬を上げる。
全ての準備が整いそれから、もう一度だけとキスをし、愛娘が待つ彼女の部屋へ、夫婦は腰を抱き寄り添い合いながら向かった。
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