第11話 魔王と元嫁とその娘と・・・?②

 背中から汗がだくだくと流れた。


 ナンパした、あの娘である。


 内容的には暇を持て余し一緒にお茶をしただけのただのクリーンな知人だが。


 そこから先の関係を望んでなんか全くいない(本当)、あれは世界の命運がかかった作戦行動だったが。だがそれを信じてくれるかどうかと言われればNoだ、行き擦りの女性とお茶をすること自体普通ではないし作戦自体どうかしている。


 最悪の状況である、確かに下心も何も全くない健全な知人関係であるが、よりにもよってなぜ今このタイミングで奇跡的に再会するのか。


 しかし、町娘Aは、


「――奥さんと娘さんがいたんですか?」


「いや、それは――」


 魔王の隣にいる元嫁と娘を見て、何の罪悪感もない声で訊かれ、眼が泳ぎそうになるのを必死で堪える。


 別にあの時は妻と娘がこの街に居たことも知らず、さらには一緒に生活していた訳でも寄りを戻そうとしていた訳でもないのだが――


 そう、あのとき妻と娘は居なかった――居る事なんて知らなかったのだ――


 心の中でそう必死に言い訳する。


 ――していたが。


 魔王は、ピタリとそれを止めた。


 妻と娘は、いなかったなんて――


 それでいいのか? それは過去の事でも、言ってはいけない気がした。それを言ったら、彼女たちを酷く傷つけるであろう、いや、もう傷付いているかもしれない。


 だからもう、正直に、


「……実はあれから、彼女たちと再婚することになりまして」


「あ――す、すいません私てっきり、そこの人達が悪い人に騙されてるんじゃないかと思って」


 途端に町娘Aは顔色を悪くした。その言葉と表情から察するに、行き過ぎた義憤に駆られた不慮の事故だが、誤解を招くような状況を予測できなかった自分が悪いと魔王は思った。が、


「あらあら、親切な娘さんね? でも、そういうことはこう表立ってすることではないわよ? もしこの人が本当に悪い人だったら――貴女、恨まれて復讐されたかもしれないわよ?」


 魔王はぎこちなく振り向くと、そこには凍てつく波動を纏った元妻が、天使の微笑みを浮かべ終末のラッパを装備していた。


「――死ねばいいのに」


 町娘は震えあがりか細い悲鳴を上げた。


 娘も幸せな家庭を壊す外敵、そして内敵に向けかなり直接的な仄暗い発言を放っていた。


 ああうん、これは間違いなく魔王じぶんの娘だと、また父親は最悪のタイミングで実感した。


「――そっ、そうですね!? すいませんワタシ、凄い余計な事しちゃって!」


「いやいや、あの時はこちらこそちゃんとした事情を説明せず――アレ、役場から頼まれた調査の一環で、二種族の交流の進行状況を」


「あなたは黙って」


「――はい」


 母娘は暗黒の闘気をバリバリと迸ている。その圧倒的強者感――流石は魔王をぶっ殺しに来た元女勇者、そして勇者パーティーの一員である。


 そして、


「ご、ごめんなさ――いっ!」


 町娘Aは、脱兎のごとく逃げ出した。




 沈黙が降りた。


 父親はその顔を見る。


 母親もその顔を見る。


 そして、魔王は娘の顔を見た。


 ――娘は、泣きたいのか怒りたいのかもわからないくらい顔をしわくちゃにしていた。


 その眉間に刻まれた、深い哀しみの谷間に、母親は――


「――あなた、離婚しましょう」


 魔王はとりあえず呼吸をした。その瞬間脳が酸素を欲した、もしかしたらゼロ秒に満たない時間気絶していたかもしれない。


 離婚とは何だろうか――まだ再婚すらしていないのに。冗談だと思った。いや、そう思いたかった。だから、


「……え? 結婚してくれるの?」


「――どこにお耳が着いていらっしゃるのですか?」


「……いや、結婚してないと離婚はできないだろう? だからてっきり本音では遠回しに結婚したいと思ってるのかなあと――」


 幸せの絶頂とも言うべき温い時間を連日過ごしていた魔王は、脳のネジが中々緩んだままだった。焦って理性が暴走し、こんなとき絶対やってはいけない割と本気のボケを妙に論理的なコメントでかました。


 その度し難い姿を見て、そして、


「……そうでしたね? ではこう言いましょう――……そろそろ本気で家から出て行っていただけますか?」


「……ほ、本気で?」


「それ以外に何か?」


 元嫁は笑顔を順次笑顔のまま凍りつかせ、そして失望というたった二文字をそのまま吐き出すような溜息を吐いた。実際半ば図星を突つかれていたこともあるが、元嫁はにっこり笑って目がもう完全に闇堕ちしている。


「……あの、ごめんなさい……ほんのちょっとだけ、本気で話を聞いていただけないでしょうか……」


 もはや誤解しようもない。魔王は先ほど聞いたそれが警告でも忠告でもなくほんきで予告なしの本物の絶縁状であることを悟り、本気で謝ろうとする。


 しかし、母親はどこかわざとらしく肩を竦め、


「……そうですね……でも、それを決めるのは、私ではありませんね?」


 そこで、魔王は彼女が示唆する存在に気付いた。


 そう、魔王と元妻が再婚するもしないも――誰が決めるのか、ということを。


 魔王は、自分の娘に視線をやった。元妻だけではない、仮に彼女が許したとしてもそれを許さない人間はいる。


 この問題は、二人だけの問題ではない――その絶対的審判者に、魔王は祈るような気持ちでその彼女の顔を見た。


「……ざくろ」


「……お父さん……ナンパはしてないって言ってたよね……」


 心に震えが奔る。


「……すまない、例の調査で前にちょっと声を掛けたんだが、彼女にはそこまで話して泣くて、誤解を招いたみたいだ――」


「――それにしては随分、動揺されていましたね?」


「うっ」


 不純な動機や欲望は一切ありませんでしたが――めっちゃナンパを楽しんでました。


 そんなふざけていた自分が居たことは確かだった。


 娘は、その言い訳にもならない仕草に、ただ一言、


「――嘘吐き」


「……」


「……出てって」


「……こ、ここじゃあ落ち着いて話が出来ないだろ? これから、ちゃんと説明するから」


「知らない――、」


 娘は、顔を背けた。初めて実の娘に心から拒絶され、魔王は心臓に釘を刺された。


 だがそれ以上に、


「……お父さんのことなんか、知らない……」


 娘自身が、それ以上に苦しんでいる姿に、魔王は何も言えなくなった。




 意気消沈する、それはなんとも情けない顔だった。


 父親として、男として、なによりも弱い生き物の顔だった。




 自業自得である。


 しかしそれを見て、母親はほんの少しの逡巡の後口を開いた。


「――ざくろ? その程度でこの人を楽にしたらダメよ?」


 その言葉とは裏腹に、まるで何事も無かったかのようそれまで尖らせていた眉も、もうそれ程でもないというようにふっと微笑む。


 ほんの少し仲違いをしたが、別にそれだけ――


 そう告げるようなその優しい声に、そんな母親に娘は困惑した。


「……でも、お母さんは」


「私達以外の誰が、この人を本気で叱ってあげられるの? ……ね?」


 父親を許せと言っている、戸惑いながらそれでいいのかと尚も視線で訊ねる娘に、苦笑し、一先ず置き――


「――お父さん、このあと、しっかり家族会議ですからね?」


「……グレーナ……」


「とりあえず貴方がしっかり反省して、ちゃんとした事情を話すまで……この家を出て行くことは許しません。……そういう約束よね?」


 視線を切り返し、やんわりと告げる。


 何があっても家族は一緒にいるものだ、幸福だけを噛み締める為に家族は存在しているのではない――自覚していなくとも、あのとき娘が意図したことは、言い換えるならそういうことだった、だから二人は素直に娘に従っていた。


 それは父親への叱咤激励でもあり、娘が自分で決めたことの意味を十全と理解させる為の指導でもあった。


 可愛いからいうことを聞いたのではない、ちゃんとした道理を感じたからこそその提案を受け入れたのだ。


 母親はしっかり家族の舵を取っていた。


 喧嘩両成敗でも、どちらかの肩を持つでもなく、自身の我を通すだけでなく――各々の自己責任として家族の役目を果たさせようとしていた。


 その姿に、魔王は今ここは10年前とは違うのだと静かに思い知った。


 もう本当に、自分が保護し見守っていた彼女とは違う……。


 眼を合わせると、彼女は照れるでも恥じらうでもなく毅然と背筋を伸ばしていた。


 この家における絶対的上位者へとなった元妻に、魔王はどこか満足げにしていた。


 間違いなく尻に敷かれる場面が多くなりそうだが――娘は、それをただ理解できないという様に、黙ってじっと見つめていた。

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