第10話 魔王と元嫁とその娘と・・・?

「おとーさん、お母さんは朝が早いんだから、夜更かしさせちゃダメなんだからね?」


「なるほど、確かにその通りだ」


 好い旦那様であり、立派なお父さんである為には、決して仕事を疎かにしてはいけない。


 とはいえ家庭を顧みず仕事に没頭し過ぎるのは厳禁である。


 さりとて仕事を顧みず家庭に寄ってばかりでもいけない。


 娘の忠告に魔王は素直に頷きを返した、母さんの苦労を分かって欲しいということだ。大人が夜にそういうことをしていることはもはや娘にとって周知の事実のようだが――


 それはさておき、家事もしてね? ということである。


「――ではこうしよう、お父さんがお母さんと娘の為に、毎朝手料理を振る舞います」


「ほほう、それはどんなメニューでしょうか?」


「お母さんと娘の好きな物など如何でしょうか?」


「ほほう、でもお母さんの好きな食べ物はなんでしょうか?」


「――トマトのサンドイッチ」


「――正解。それじゃあ娘さんはなにがすき?」


「まだ詳しくは知りませんが――パンケーキなど如何でしょうか?」


「悪くありません――でも娘さんはお肉を所望します」


「……ざくろ、お父さんに何をさせようとしてるの? お父さんも一体何をしようとしているんですか?」


 お母さんは頭痛が痛いとでも言いたげに乱入してきた。さりげなく我儘を言う娘に、父親は笑みを深めるそんな中、台所を預かる身として何より魔王の元妃として――ソレを顎で使うなと。


 だが魔王としては家事をしていいと思う。


「まあまあ、いいじゃないか。じゃあトーストにベーコンエッグ、あとサラダ乗せ辺りでどうかなあ?」


「いいんじゃないでしょうか? でもお母さんは朝市に出るときはパンにチーズに果物のお弁当です」


「なら、片手で食べられる特製サンドイッチにしましょう」


父と娘でワクワクと盛り上がる――父親と娘の親子トークを楽しんでいるだけだ。決して娘にお父さんは出来る子なんだとアピールしたいわけではないし、久しぶりにお母さんの世話を焼きたい気分でもあるのだ。


「……私だけ仲間外れですか、そうですか……」


 この生活で心労を味わっているのは間違いなく自分だけではないかと母親がどことなく重々しいため息を吐く姿に、さりとて一抹の寂しさを感じるその姿に。


「じゃあ明日一日だけ、全員で朝ごはんの用意する?」


 娘に誘われ、母親は台所で三人、キャッキャうふふしながら朝食を準備する光景を目に浮かべた。悪くないかもしれない、いや、


「……それもいいかもしれないわね」


 母親もバカになった。即ち打算なき欲――愛である。


 家族三人でそろって全員が居る朝を堪能した。


 それから二、三日、昼にお弁当包みを開けるとサンドイッチの日々が続いたが、それはご愛敬であろう。




 元妻におはようのキスと、行ってきますのキスをした。


 娘の要望を叶える為にまさにリップサービスだ。母親は父親の胸板をしばらく本気で殴り続けるが「愛してるよ?」と何度も耳朶に囁くとしなしなと諦め抵抗しなくなった。


 熱いキスをした。娘にもすることを提案し、恥かしがり緊張する彼女のおでこと頬にそっとした。


 それは日課になった。




 夕方、日が沈む直前に帰宅する。


 ドアを開けた瞬間、はにかんだ笑顔で「――おかえりなさい」と言われて密かに泣きそうになり、しっとり抱き締めながら「ただいま」と言った。




 休日、初めて娘と父親として遊んだ。家の裏山を散策ピクニックしお弁当を広げ、お母さんには内緒の秘密基地を作った。


 お土産にキノコや山菜、山の果物を摘み、空になったナプキンで包みリュックで手に持ち――そして遊び疲れた娘を、初めて背中に負ぶさった。




 ――十年間、娘の誕生日に何も渡していなかった。


 職務の合間を縫い用意したクマのぬいぐるみを十個作り娘に送った。


 大小さまざまとはいえ何でクマばかり十個もという娘に「これまで十年分」と言えば、「毎年同じなのは芸が無いかな?」という娘に「――背中のボタンを開けてごらん」と言う。


 そこはポケットになっており、開けて見ればその歳に応じたプレゼントが出て来た。


 それは〇歳児から始まり、銀の匙、おしゃぶり、靴下、おもちゃ、アクセサリー、家族お揃いのマフラーから、大人への準備の化粧品まで次々と出て来る。


 そのとき、娘は初めて涙を堪えた。そして即座に恥ずかしがり涙を拭い顔を真っ赤にしながら「――お母さんの分は?」と戦慄の切り返しをしてくる。


 たしかに、愛する妻の分も用意しなければならなかったと彼女の事を見ると、元妻は満更でもない顔で「今日という日が最高のプレゼントです」と娘以上に涙を浮かべてそう言い切った。


 それを、娘は自分の部屋ではなくリビングに飾ることにした。


 どうも家族共用の――思い出とするらしい。




 教鞭を片手に講義をする。


 魔王はオークの歴史、三大悲劇の種族として語られるその経緯を語り終え、教室全体を俯瞰しながらある生徒の視線を気にする。


 そこには生徒の顔をした娘がいた。


 魔王にとって授業はもうただの授業ではなく、娘にお父さんのカッコいい姿を見せる舞台である。それくらいで変に浮足立ったりしないが、それでもいつになく気合を入れるその姿を、娘はニヤニヤと見ている。


 妻の仕事を手伝い、収穫した野菜に磨きをかけられるものは掛け、洗えるものは洗い、土付きが良い物はそのまま荷馬車に詰み込む。


 娘の勉強を見て、一緒に学園では出来ない仕事の勉強をする。


 家事を手伝い、子供を見て、一緒に休んで遊んで、働いて。


 これまでとは違う、しかし同じ日々。


 洗濯物の畳み方に注意を受けたり、食器棚の皿の配置を教えられたり、構い過ぎてちょっと面倒臭がられたり、冗談がつまらなくて冷めた顔をされて、逆にくしゃみをすれば笑われ何が面白いのかと眉根を寄せたり。


 母親の溜息の数が増えた。しかしそれは重い物ではなく胸の奥を満たす温かなものだった。娘は前よりやんちゃになった。でもそれは悪い子になったのではなく遠慮がなくなっただけで、年相応に甘えているように見えた。


 魔王は、男でも仕事でもなく父親でいる時間に満足していた。


 そんな穏やかで、すっとこどっこいで、結構すったもんだな日常が続いたある日、父親は隣を歩く娘に尋ねる。


「……お母さんはこれまでどんなだった?」


「お母さん?」


 放課後に、娘と帰宅時間を合わせて娘と、お母さんには内緒で甘い物を買い食いしながら。


 失った十年間を埋める様に、そんな話をする。


「ああ。――大変そうだったか?」


「……多分普通? 最近はちょっと肩が凝るって言ってる」


「じゃあ、帰ったらマッサージしてあげようかな」


「私もたまにしてあげるよ? ソファーに寝て貰って足で踏むの」


「じゃあ今日はお父さんも一緒にしようかな?」


「いいよ? こつ教えてあげる」


「――ざくろの方は? これまでどうだった?」


「……んー、普通? 普通に魔法覚えたり、家の事手伝ったり――あと旅した」


「ああ。三年前のか?」


「うん」


「……怖くなかったか?」


 世界を旅した子供の――勇者一行の魔法使いとしての歩みではなく、一人の女の子としての気持ちだ。


良い物も、子供が知るには早いなにかも見てしまっているだろうというそれに、


「お母さんがちゃんといろんなこと教えてくれたから、そんなに?」


「――そうか、そんなにか」


 まだ、住みよい世界ではない。


 何千年、何億年かけてもまだそんな世界であることが、少し歯痒い。


「……これからはお父さんも居るから、何か困ったことがあったらすぐに言うんだぞ?」


「――うん。そうする」


 少しだけ嬉しそうだ。


 ニヒルにはにかんだ笑みを浮かべる娘に、魔王は可笑しくなった。


 学園で見る、行儀よく澄ましたお利口さんの顔ではない、しかし利発さが滲み出たその顔からはもうすぐ一人の人間として自立するであろう知性を感じる。


 既に、親離れをし始めているのだろうか、だとすれば、この上なく淋しい。


 まだ何もしていない――親として子供に何も与えられないまま子供が巣立ってしまう。


 もう少しだけ子供で居て欲しいと思う反面、成長を喜ばなければいけないという使命感がある。


 しかしそれでも、


「……さて、市場まで一人で大丈夫か?」


「うん。お父さんは今日はこれから別のお仕事だっけ?」


「ああ、今日はこれから魔界向こうの仕事の打ち合わせだな」


「いつ帰って来るの?」


「……お風呂の時間より……んー、遅いかな」


「そんなに?」


「うん」


「……なるべく早く帰って来てね?」


「――ああ。分ってるよ?」


 本当は、責任なんて投げ出して家族と幸せに暮らしたい、けどそんなことは出来ない。


「――じゃあいってらっしゃい」


「――ざくろも、気を付けるんだぞ?」


「うん」


 お別れの挨拶に頭を撫でると、娘は非常にこそばゆそうに目尻を下げを口端を吊り上げた。小声で外だけとキスしていいか訊ねると、ダメと言われた。それからサドル付きの箒を取り出し跨り宙に浮き、ふわふわと母の元へと向かった。


「……よし、もうひと頑張り」


 娘の為にも、と、魔王はそのやる気を固めた。






「――今度三人でお出掛けしようか」


「なんで?」


「お母さんに服を買いに行くんだよ」


 娘だけにプレゼントを贈った罪滅ぼしだ。そんなこと気にしないと言い、一晩中のキスをせがまれたが――やはり残るものでも愛情を表現したい。


「……娘とおそろいの物を買うと、ポイントアップだよ?」


「――ざくろ?」


「いいじゃないかグレーナ、これぐらいは甘えの内に入らないよ――」


「でも――」


「なら私が勝手に買ってきてしまうぞ? それも予算に糸目を付けずに」


「――ああもう……行きます。行きますから……はぁもうっとに」


 気遣わしげに、憂鬱に溜息を吐く。


 ――当日、彼女はばっちりお化粧を決めていた。


 服も普段使いのそれとは違い生地が上等なものだ。


 不服そうに見えても、家族の思い出が増える事を彼女は楽しみにしていると魔王は分っていた。遠慮がちに見えても、それは夫婦として家族として、王様と妃であったあの頃以上に仲が深まっているように感じた。


 母親が仕事に使う荷馬車に乗り街に行き、駐車場に預け三人で商店が立ち並ぶそこを歩く。


 娘が、夫婦の間に立ち、ぶら下がるように両方の手と繋いだ。


 そろそろ思春期、お父さんとお母さんに甘えていたら馬鹿にされる季節だ。


「友達に見られても恥ずかしくないかい?」


「まだ本当の家族になって一月もしてないんだから、赤ちゃんと同じでしょ?」


 だから恥ずかしくない、と非常にクールな顔でなんとも愛らしい理屈を申し立てる。


 家族になろうと、頑張ってくれている。見たまま、今この家族を繋いでいるのは娘の力だということは父親も母親も分かっていた。


「じゃああと十年は続けるぞ?」


「別にいいよ? お父さんがお父さんとして恥ずかしくなければね?」


「じゃあ、お互い恥かしくなるまで」


 そこで手打ちとなった。


 例え親バカと言われようとも娘が許す限りその手を握り続けようと魔王は思った。


 女性服を扱う店で、娘と一緒に妻の服を採寸からして新規で仕立てて貰い、今度は娘のもの――約束通り、妻のそれと色を合わせて、目の前にあるのはレースのあしらいが大人びたブラウスと、大振りの花の様な袖が可愛いデザインのそれとを比べる。


「――ねえ、どっちがいい?」


「――ざくろは綺麗だからどっちも似合うからなぁ……うーん……」


 魔王は娘の満面の悪戯顔の微笑みに、まず服ではなく本人を褒めた。


 それに満更ではない顔をして、


「お父さんが好きなのは?」


「服より本人で」


「えー、なにそれ?」


 んふふ、と娘は微笑み、ご満悦というように、娘は目許をニヤニヤさせた。


「……それで、どっち?」


「うーん……じゃあ、両方だ」


「……両方いいの?」


 先程まで揶揄っていたのに、娘は驚き目を丸くする。


「いいぞ~? 愛娘と愛妻、両手に花の初デートの記念だ」


 じんわりと口元に弧を作り、目に遠慮がちな揺らめきを浮かべた、母親譲りの嫋やかな笑窪えくぼに父親は、二人の確かな繋がりを感じる。


 それは口に出さずに、穏やかな微笑を浮かべ盛り上がる父親に、


「――どちらか一つです」


 母親は呆れ混じりに苦笑し、経済的、そして教育的観点から苦言を呈したそれに、


「じゃあ仕方が無い――それならこれにして、次は君の下着を見に行こう――」


「えっ!?」


「君のを選ぶのは別に初めてじゃないだろう? そんなに驚く事じゃ――」


「そういう問題ではありません、今日は服を買うだけじゃ」


「下着だって服は服だろう? ちなみに最初から買うつもりだったからちゃんと今日の予算内だ」


 ならいいか、とは思えず母親は絶句する。


 が、魔王は止まらず手早く娘の服の支払いを済ませ買い物袋を片手に次の店に入った。


 隣のランジェリーショップへ――


 強制イベントに突入してしまった母親は、堂々とそこへ入る父親に危機感を感じつつ娘と後を追った。既に、ご婦人たちや令嬢が居るにも拘らず全く臆することなく悠然と下着を吟味している。幸い客は少なかったがやはり力づくで止めるべきだったと後悔するが、意気揚々と自分の元妻の艶やかな下着を選ぶ父親の背に娘が追い付き、その姿を眺め、


「……私も選んで貰っていい?」


 まさかの一言に、


「こら! 女の子が下着をお父さんに選んでもらうんじゃありません!」


「え~、……私だってお母さんみたいにお父さんに選んでほしい……」


 それには父親も、


「……他の服はともかく、……大丈夫なのか?」


 母親にではなく娘に聞く。


「だって……こうやってお父さんに服選んで貰うの初めてだし……私も昔のお母さんみたいに、全部お父さんに選んでほしい……」


 娘が珍しく眉を曇らせ渋るその様子に、父親は察した。


 これは単純に父親に下着を選んでほしいのではなく――『お母さんと一緒』がいいのだ。更には、父と母の思い出に加わりたいのだろう、父親と母親が仲良くしている、その中に。


 二人だけの思い出ではなく、自分もその思い出の中に入りたい。


 ――子供が親に愛されているという実感を欲しがっているのだ。


 無視することは出来ない、そこで魔王は決めた。


 年頃の娘の下着を選ぶなんて、父親として本当はいけない事だと思うが、


「……分った。そういうことならとびっきりの奴を選んでやろう」


「……いいの?」


「いいんだよ……とびきり可愛い女の子になれるように、お父さんが選んでやる」


「――あなた!」


「グレーナ。……正しい事ばかりが正しいんじゃない、そうだろう?」


「……でも…………ああもう、」


 本当にあなたは昔からそうなんですから……と母親は笑っていいのか怒ればいいのか、感極まったように魔王にひっそり惚れ直した。


 誰かの為に平然と世間一般的な悪となる――今回限りはタイミングが違うんじゃないの? と思うが、そんな時だけ魔王らしくなる。


「……しかたありません」


「いいの? やった!」


 娘の子供心も無下にするわけにはいかない――女として、母親として、二人を今回だけは許すことにした。




 母はビスチェとショーツとストッキング、娘は記念すべき初ブラをその成長を願ってオーダーメイドの箱入りの高級下着にした。


 もちろん母親のも高級品――お揃いのものだ。


 試着室できっちりサイズを測って貰う。


「――じゃあ、あとは宜しく」


「かしこまりました――」


 まるで顔見知りの様に話し合う店員と父親――先程の洋品店もやたらとサイズ周りに気を遣い、そして今度もスリーサイズ以外まで入念に測られたことに妻は疑問を覚えたが、そこはオーダーメイドなのでカップサイズだけでなくストラップから何まであつらえるのだろうとその疑問を流した。


 出来るのは一週間後、プレゼントなのだからと魔王が改めて取りに来ることにした。


 母親の一方的な疲労感が気になるがそれでも楽しい一日だった。


 それがずっと続いていく様な、そう願ってしまう幸福を実感しながら、三人は手を繋いで帰路に着いた。


 馬車の停留所へ、買った物のほとんどを父親が抱えがら向かっていたその時、何気なく横切ろうとした町娘Aが魔王に振り返り、


「――あ、」


「――どうかしましたか?」


 はたと何かに気付いたような声を上げたそれに父親が――


 家族が立ち止まる。それに、


「あ、いえ、……また会いましたね?」


「……ええっと……どこかで会いましたか?」


 町娘Aがそんなことを言うので、魔王は思い出そうとした。仕事関係なら顔を忘れたことはない――それ以外で会った娘だろうかと継続して思い出しながらのそれに町娘Aは、


「――ええ。以前ご親切に、お茶を御馳走になって、もし機会があれば劇にと。そのときはお断りしましたけど、また偶然会うことがあればって……」


 魔王は硬直した、それも心臓まで一秒で瞬間冷凍した。そして母と娘が顔を見合わせ魔王に視線を向ける中、彼は思い出した。


「……あ、ああ―――っ! あのときの――」


 ――町娘Aが、町娘Aであるということを

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