第9話 魔王と元嫁とその娘と。
「せ、せせせ生徒が、生徒が、生徒が!?」
「落ち着いて魔王様! あれはあなたの子供!」
その瞬間、魔王と元勇者は非常に慌てた。
お父さんとお母さんが裸で変なことしてる――いや、娘は父が父であることを知らない、つまり先生とお母さんがにゃんにゃんしてることになるのだ。
つまり超自然的行為である。十分事案である。
「じゃあ見られても平気かってそうじゃない!?」
心的外傷だろう。
「大丈夫です! ここは私の部屋、客間は向こ――!」
ガチャリ、とドアが空く音がし、
「あれー? 先生どこいったのー? おかーさーん! 先生どっか行っちゃったよー?」
そして閉じられた。母の指示を仰ごうと娘は最終コーナーを回って犯人がいる寝室へと向かっている。これがサスペンスなら彼女は母親の死体と遭遇だがこれから目にするのは母親の肢体と先生の半裸である。
「どどどどうするどうするどうする!?」
「とにかく服服服!」
「あと部屋の空気! 換気! 換気!」
なんて情操教育に悪いのだろう――ベッドは激戦の荒野だ。
お父さんとお母さんは同時に慌て、その痕跡を隠滅しようと窓を開け換気し、父はシーツをぐるぐるにまとめてベッドの下へ突っ込んだ。
お互い、そこらに落ちてる服と下着を身に付けようとしたがいくつか相手のものを取り互いにパスし、しかし女物はストッキングもショーツも野獣に襲われたのかと思う様な引き千切られ方をしていてゴミ箱へ再度投擲――クローゼットの衣装棚から母親が新品を卸し小刻みなジャンプ気味に足を通そうとするが狙いが定まらず片足で飛び回った。
その間、小さな足音が遠慮なく淡々と近づいてきた。
父親は走馬灯と共に瞬間的な発想で半裸のまま窓から外に離脱しようと足を掛けたが、お母さんはその変態行為を阻止しようと腰に抱き着きバックドロップでベッドへうっちゃった。
「――そこにいるの~?」
大人なら逆に気を使って遠ざかるところだがその、ドスン! バタン! ばっこん! ギッ! ギッ! という音に娘は遠慮せず居場所を察した。
「――どうすればいいんだ!?」
「どうしようもありませんよ!? もう潔く貴方がパパだよって名乗り出れば間男にはならずに済むかも!」
「この状況でか?!」
二人は恐慌した。父は半裸の変態――その母は下着が片方の足にだけ引っ掛かりブラは片乳が零れ、生々しさが悪化している。
事後でも事前でもどちらでも行ける――
どちらも最悪だ、未遂でも容疑でも事件は確定である。
このままでは娘は思春期を待たずして反抗期へと直行コースだ、おそらく恋愛観や性的価値観、男性観にまで致命的な損傷を与えるに違いない。しかし無情にも返事が無い死体の様な部屋に向い娘は更なる進撃の途中である。
「おかーさーん?」
「す、すぐ行くからちょっと待って!」
「何で慌ててるのー? あれれー? ひょっとして先生とまだイチャイチャしてたー?」
「な、なんでそう思のかしらー?」
「だって昨日夜起きたとき、先生と一緒に寝ようと思ったらお客さんの部屋にも居なかったし~? ずっと一緒にラブラブしてたんでしょ~?」
「――どこまで教えたんだ!」
「おしべとめしべ表現から、断面図を使用して避妊に至るまでの自衛手段まで!」
「くそっ、だが仕方あるまい!」
十歳ともなれば早い子なら初潮も来ている上に思春期、好奇心で下手な知識を学ぶよりは万全を期すべきだろう。その内容がコウノトリやキャベツ畑理論であるべき筈がないが、子供を子供扱いしない教育、その難しさについて親は悩んだ。
そして、寝室前で足音が止まった。
魔王の心臓の音も止まった。
瞬間、奇跡的に咄嗟に魔王はドアノブに飛び付いた、直後に。
ガチャガチャガチャ! ――コンコン。
「――なんで押さえるの、先生」
開けようとした後のノックも戦慄だが何故分かるのか――魔王は既に心が折れそうだった。冷や汗と脂汗が止まらないそれに代わり、
「せ、先生はここに居ないわよ?」
「――じゃあお父さんなら居るよね?」
「そ、それはどういう意味かしら~?」
「だって昨日の夜『あなた、あなた、あなた、もっと愛して! 大好き! 大好きなの! この十年一日たりとも忘れてなかったの!』って」
「おふっ!?」
母親は母親として致命傷を負った。もうこれ、潔くごめんなさいした方が傷は浅いと思うくらいに。
「一緒にいる誰かさんも『グレーナ! 愛してる、愛してる、愛してる、君は私の妻だ! もう二度と君を離さない!』ってめちゃくちゃラブラブなこと叫んでたし」
眼から鼻水が出た。どう考えても『寝言です』では誤魔化し切れない、魔王は別に愛のマジ告白を他人に聞かれるくらいなんてことないが父親として最悪の正体バレである。
というか、
「……私は昨夜君が君だと気付いていたのか?」
「ええその……キスの味で半ば疑問を持ち、匂いで確信に、そして最終防衛線を突破された辺りで証明終了に……これは夢だと言ったら簡単に誤魔化せましたけど、その所為で逆に完全にハメを外されちゃって……覚えていませんか?
私以外愛せない心と体に完全に躾けてやるって……だからね? さきほどのことは、ちょっとした仕返しなんですよ?」
「……ああ、うん、そう」
確かにキスで嫁を判別する位全然余裕であるが――実際やるとなると人としてちょっとどうかと思う。
納得。魔王はそんな自分に自分で若干目を逸らした。
悪かった、魔王が全面的に悪かった。ようは娘に完全にバレたのもお父さんの所為でした。
二人は娘に完全降伏した。
「……着替えるから、ちょっと本当に待ってください」
「うん。分かった。でも早くしてね?」
娘の優しい声が辛い。
もそもそ、のろのろと着替え終わると、ややぐったりしながら手櫛で髪を整えた。せめて見た目だけでも、最低限まともなお父さんとお母さんでいたい。
二人で互いの容姿を確認する――ほぼ一般人、昨日脱いでそのままのよれた服――
情けない、親子の再会ってもっと感動的なんじゃないだろうかと思いながらしかし、十歳の娘に完敗した魔王と元勇者二人は頷き合った。
ドアを開け、二人は初めて子供の前に夫婦として並んだ。
目の前で試すような上目遣いをしながら待っていた娘は、魔王が片膝を着き自分の娘の目に高さを合わせると、
「……先生?」
「――いいや?」
「お父さん?」
「ああ。そうだよ?」
「……それだけ?」
不満げに。しかしさもなんでもなさそうにしている小さな女の子に、
「――お父さんは最初からお父さんだった……分からなくてごめんな?」
魔王は父親として言うべきことを言った。しかし娘は、嫌われる覚悟で言ったそれに、
「ううん。だって仕方ないもん、知らなかったんでしょ? それに私が一番最初に気付いたんだし」
不自然なくらい、聞き訳のいい娘に、父親は訊ねる。
「……怒ってるかい?」
「――全然?」
「……いいや。こういうことはちゃんと怒りなさい」
娘は目を丸くした。普通、親は子供に『親を怒れ』なんて言わない。自分が悪いことをしても、逆に敬えとか、尊べとか、理解しろとか聞き分けろとか――
子供に親を絶対的ルールだと思わせような、そういう言葉を選ぶ。
普通の親ではない――だが、特別な親・・・・だ。
そこで彼女は頷いた。
「……じゃあ……私の本当の名前を当てたら、許してあげる」
魔王は、そこでようやく母親も変装し名前も変えているのだから、娘も当然そうであったのだと思い至った。しかし、一体どのような名前なのか、
「……ノーヒント?」
「……お母さんから、一回だけ」
その言葉に母親を見ると、彼女は苦笑しながらそれを告げてくる。
「……あなたに愛されるようにと、つけられた名前です」
それくらい分からなければ許さない、と、娘は目で語っている。
が、母親は笑っていた。
そして実際魔王にとってそれは簡単過ぎた。
それは一つしかない。
「――柘榴ざくろ。愛しているよ?」
愛する妻の妃としての名――愛娘に魔王がそれを告げると、それに応える様ブラウンの髪が発光し始めた。
かつてそれを決める際、魔王の瞳と同じ、澄んだ紅色の果物を彼女は選んだ。それをきっと、どこかで出会ったとき、彼女が自分の娘だと分かるように付けたのだろう。そしてこの課題も、何かの拍子に母が娘に決めさせたことなのだろう。
本当の名前を呼ばれ、その髪は黒みを帯びた銀へと変貌し、瞳の色は透明感ある紫色――父と母、二人の瞳の色が混ったそれへと変わった。
魔王は自分の娘を抱き上げる、将来は母親に負けない美人になるだろうその本当の容姿を見つめ、
「――お姫さまみたいじゃないか」
「実際そうなんでしょ?」
「――確かに。それじゃお父さんも本当の姿を見せようか」
「……それ、三年前の合体人形の時も言ってたよね? お決まりなの?」
「――魔王だからな」
本当は娘の前でお父さんだけ嘘吐いてるのが嫌なだけだ――決して趣味ではない。
娘を下ろし魔王は指先一振りで魔法で礼装に着替え、その瞳の色を地味に赤に変えた。黒の軍服に外套を纏ったそれだが、
「……そっちの方がカッコいいんじゃない?」
「――ほんとうか?」
膝を着き顔を近づけようとすると娘は母親の背中に隠れた。何故カッコイイのに恥かしがるのか。母親と共に苦笑し、ばさりと外套を翻し元の一般人の服に戻ると、娘はいつもの先生の格好にほっとしたのか隠れるのを止めた。
魔王はその距離を縮めるよう尋ねる。
「……それで、許してくれるかな?」
「……何を?」
「一目見て、自分の娘だって分らなかったこと」
その話はもう終わった、との娘の視線に、魔王は優しく微笑む。その意図を測りかねて怪訝に眉を顰める娘に、母親は苦笑しながら言った。
「――お父さんはね? 貴女のお願いを利きたいのよ」
そういうことならやぶさかではない。一瞬鬱陶しげに睨め上げた娘は、しかし父親の女々しい我儘を理解した。
「……じゃあね?」
夫婦は頬を赤く染めながら、
「――はいアナタ? あーん」
「――アーン。……う~ん、私の女神の手料理は最高だなあ~」
「ふふふ~、これから毎日食べられますからね~?」
「おお、なんて幸せだー」
棒読みでイチャついていた。
それが彼女のお願いだった。
お父さんとお母さんの、ラブラブな姿が見たい。
「もっとラブラブに。枕詞か語尾を『愛してる』で」
「あ、愛してるわアナタ。あーん♪」
「私も愛してるよ。あーん♪」
娘の視線を気にしながら、ぎこちなく、スプーンで朝粥を食べさせ合う。新婚ほやほやラブラブごっこ――それで許すそうだ。
それくらい出来なければ夫婦として認めないと言われた。いや、昨夜はお楽しみでしたね――を実の娘にお届けしてしまった意趣返しであろう、
「――次。今度はお父さんがお母さんを膝にお姫様抱っこしながら、ちゅー」
「うっ」
「そ、そろそろ許してくれないかしら」
「ダメ。十年分、お父さんとお母さんのイチャイチャが見たい」
「う~ん、娘の頼みならば仕方ない……」
「あなた……」
「いいじゃないか、娘の許可が下りたんだ――もうこうなったら開き直って、十年分、取り戻そうじゃないか」
「そんな言い方……ああ、もう……」
貞淑に微笑み、苦悩と照れを抱えつつお姫様抱っこで元夫の膝上に座らされた。
「グレーナ、愛しているよ?」
「わ、私もです、魔王さま……十年経ってもこの想いは変わりありません」
「では私の勝ちだな――私の君への愛は永遠だ……」
「……魔王さま……」
そして二人は濃厚にキスした。意趣返しに意趣返し、そんなに大人の世界を覗きたいのなら見せてやろうと、開き直った大人の分厚い面の皮と愛の営みを見せつけた。
「どうしたんだい? 勇者様が魔王に負けてしまって……、この後どうなるのかな?」
「……そんなの、貴方のものになるしか……」
子供の為と言いつつ、存分にそれを楽しむ気である両親に、気恥ずかしくなる。もう本気チューだ、自分の父親と母親が娘そっちのけでイチャついているのだ、どこまでやるつもりだ、本当にどこまで愛し合っているんだ。
素で――いつのまにか素で猛烈にイチャつき始めやがって。
すごいを通り越して心が冷めた。
やはりお茶の間でラブシーンなど見るものではない。
「……そろそろ普通に食べよ」
「……」
「……」
バカになった父親と母親を娘は見ていられず、大きなため息を吐いた。
父親はやや冷静になった。子供の前で夫婦の保健体育の授業を繰り広げるのは不味かったかと。
そしてそこで、
「こほん……あっ、でも魔王様? 再婚の話ですが、あれは冗談なのでおやめくださいね?」
母親は、やけに冷静になった。
魔王は思わず千切った黒パンをテーブルに落とした。
娘も、唐突な復縁拒否の通告に手を止めている。
買い置きの固い黒パンにチーズ、レタスのみ千切ったサラダにはハムと炒り卵――
パンに塗る木苺のジャムがデザート替わり。決して贅沢ではない、しかし、娘が居て妻が居る、それだけで安いパンもチーズもただひたすらに尊い。ああ、ナンパなんていらなかった、出張にかこつけて独り暮らしだ自由だーと浮かれていた己を魔王は恥じもそもそとパンを頬張っていた。
しみじみと朝の紅茶を嗜む――平凡なれど幸福な食事だと思っていた。いた。いたのに。
「――なにっ!?」
それは生徒の母親の女戦士と朝チュンし彼女が自分の元妻で娘は実子である――という驚愕の事実が判明した朝の出来事である。
急転直下からの急上昇~からの再落下である。
階段を上がった筈だがいつの間にか降りていた。
空耳鈍感ではない、ただ脳が現実を拒否しただけだ。
何が起こっているのか分らない、落としたパンを拾おうともしない魔王に平凡な主婦と化した元女勇者は手を伸ばしそれを拾うと、呆然と開く魔王の口にハイと入れた。
魔王は思う、おいしいと、だがあ~んと言って欲しかったと。
そんな中、確かに、言われてみればあれはドッキリだったな、と思う。
あれだ、冗談の中でマジ告白された感じなのかもしれない。彼女にしてみれば正式な告白としてカウントされていないのだ。
――つまり今ここで三度目の告白しろということだ(強気)。
その意思を確認する為、魔王は元妻の様子を見た――まるで何事も無かったかのように平素な顔をして魔王の事を見ている。
告白待ちではない、そんな気配ではない。買い物で『どっちがいい?』と答えが決まっているのにそれを聞くようなアレでもない。何かおかしなことでも言った? みたいな。
割と冗談めかしているのに本気の雰囲気――
取り付く島もないその流れ。このままこれで有耶無耶に話は終わり――
魔王は気を引き締めた、これは平穏な日常を偽装しつつ割と深刻な話なのだと。魔王はその流れにあえて逆らわずに乗った。笑えない離婚話になるのが怖くて。ごくありふれた朝の一幕を壊さないように、
「……馬鹿なことを言うな。ようやく家族が揃ったんじゃないか――これから砂糖に蜂蜜ぶっかけて苺とアイスも山盛りにしたようなスイーツな毎日を送らせようと思っていたんだぞ?」
「――今、すごく不安になりましたが」
魔王は内心ちょっと本気で狼狽した、アットホームなノリを演出しようとしたが空気を読み間違えたらしい。咳払いで仕切り直そうとするそれに合わせて逆に仕切り直す。
「――魔王さま? これまで魔王様は後宮で特別な女、正妃を置かないことでそこに住む女達を分け隔てなく特別に、そして平等に扱ってきたはずです。なのにここで私だけが抜け駆けして、平凡な家庭を営ませて頂くなんて、他の皆様方にどう顔向けすればいいのか」
「後で皆文句も言えないほど可愛がるから心配するな」
「……それはそれでお姉さま方が心配になります」
元妻は死んだ目で言った。
魔王はその仕事の都合上、複数の女性と夫婦関係を営んでいる。
が、そこに優劣はなくそれこそ本意気で平等に皆を愛している、手加減無しといえばいいのかも知れない、嫌というくらい濃厚な愛を注いでいる――その所為で『ハーレムじゃないと逆に無理』と妃達に言わしめるほどに。
何せ妃たちの間で魔王の夜伽はパーティーどころかフルレイド推奨の最難関クエスト、ソロ討伐は絶対不可とされている鬼畜ミッションだ。愛され過ぎて困る――後宮でドロドロの愛憎劇が渦巻かないのはそんなわけだ。それどころか、心にどんな問題を抱えた悪女でもソロ討伐に行かせれば一晩で光堕ちして帰ってくる。一説には実際死んで生まれ変わって中身が入れ替わっている、とさえ囁かれた事がある。
だが問題はそこではなく、
「それに、あなたは何時までもこの都市に居る訳ではない筈でしょう? 私もまだなすべきことを成していません。それなのにこのままズルズル一緒に暮らすというのは如何なものかと」
魔王という仕事と、勇者で聖女という役柄では無くなったとはいえ、それでも人生の目標はある身――
まだまだお互い仕事が多い。そしてそんな状況に娘が一番寂しい思いをする。
口には出さなかったが中途半端な愛情ほど子供の心を苦しめるものはないのだ、これは責任が取れれば良いという問題ではない、個人のそれでも夫婦のそれでもない家族の問題である。
――が、魔王という役柄は『それ』を何よりも優先していい立場ではない。
本当なら家族三人揃って一緒に暮らせるならそれがいい、しかしそうなれば彼は彼の手を必要とする多くの人を切り捨てる事になる。
彼女はそこを憂慮し煙に巻こうとしていた。
各々の生き方、人格、立場、その全てが絡み合う実情を彼女の口から聞くでもなく、彼女がそう思っていることを魔王は理解していた。
だからこそ、優しく微笑ながら言う。
「――それくらいどうとでもなるよ。信じてくれないのかい?」
「それは――」
抵抗しようとする彼女にされど問答無用の力強さと温かさ、男の器量と度量を窺わせる、かつて聖女を惚れさせたその笑みを浮かべてくる。
本当に何とかしてくれる――流されそうになり、頬を染めながら目を逸らした。
しかし、
「……グレーナ、もう私と――いや、家族三人でいるのは嫌かい?」
甘く優しい声が、一番聞きたい言葉を――言いたくても言えない所を汲み取って来る。
「……ずるくありませんか?」
「だとしても止めないよ? 改めて申し込ませて貰おう――グレーナ、結婚しよう? これからまた君と、そして柘榴とも三人一緒に、これから家族になろう?」
元妻はそれこそ卑怯だと目を逸らした。なんでこういう時だけ無駄に包容力と男気があるのか、娘がまだ生まれる前に、弱い所を責められまくってそうして手籠めにされてしまったことを思い出した。それがただの性欲であれば殴り飛ばせるのだがそうではなく――
目の前に居る困った女を見ると、どんな卑怯技でも使って幸せにしようとして来る。性根が女泣かせなのである。
嫌でも、困るでもなく、ダメになる――まさに女の敵だ。
「……でも……」
その熱と、柔らかな温もりが籠った視線に目を向ける。
かつて愛を誓った時と同じ瞳がある。
「……うう」
自分はもう一児の母――自分の一存では決められない、これは家族の問題だ。
だからその肝心要の娘にも視線で訊ねる(逃亡)と、それに、
「お母さん、お父さんと再婚してあげなよ」
娘は答える、目も向けずにパンに贅沢にバターを塗りながら、切実な話の筈なのにロマンスを糖分山盛りで繰り広げる二人にちょっと他人事気味に。
更に娘は、
「――ただし条件付きで」
両親に向け、淡々とそう言った。
「……条件?」
なんだそれはと彼女を見る両親に、
「お母さんはお父さんの助けになりたくて、自立した女に成りたいんでしょ?」
「ええ――そうね?」
別に夫への愛が冷めたわけでも嫌いになったわけでもない、娘の指摘に母親はそう答える。
娘はそれを流石に食事を止め確認しつつ、
「――でも、一番心配なのは私でしょ?」
「――ええ。そうね?」
それは、この家の絶対的支配者階級が誰なのかというお達しである。
不動の愛されポジション――誰より愛情が深くとも、誰より腕力が強くとも、この世界最強の夫婦の愛に打ち勝つ存在だ。
「だからね? 私がいいっていうまで結婚禁止。お父さんはお母さんに認められる前に、私に『私のお父さん』と『お母さんの旦那さん』だって認められないとダメ。その代わり、私がイイって言ったらいやでも結婚して貰うの――それまでお父さんはここで一緒に暮らさなきゃだめ」
娘の一存で今の状態が維持され、尚且つより一層の家族としての努力が求められる、ということだ。
しかし狡猾にも「別れる」という選択肢が最初から提示されていない。
なんて強引な屁理屈なのだと思うもの、いま優先すべきは大人の事情ではなく子供の心情なのだと二人は顧みる。
「……つまり、まだ父親として認められていないと?」
「当たり前でしょ? 先生は先生ならともかく、お父さんとしてはまだ全然わかんないもん」
「――昨日の夜はあんなに駄々甘に甘えようとしていたのに?」
「過去は過去、今は今。お父さんは私がイイっていうまでお母さんと再婚させないから。でもそれだけだとお父さんが不利だから、一緒に住んでチャンスを上げる。……お母さんがどうしてもお父さんと結婚したいっていうなら、今すぐ許してあげるけど?」
「あなたの気持ちを聞いたのだけれど――」
と暖かな眼を母親は向けるが、彼女は力強い上目遣いでそれを跳ね返した。
愛すべき暴君に魔王はどうにか笑いを噛み殺し、母親を見れば彼女は文句を言いたげに眉間を寄せた。
娘のこの性格は母親に似たのではない、どうしてこんな子に育ったのか――父親へと自然と寄ったのだから、腹立たしくも嬉しくもある。
最弱であるが最強――子供、やはり最愛の存在である。
それに顔を見合わせ揃って苦笑し、両親は肩を竦めて感嘆とした。
「――分かったわ……あなたの許可を取ればいいのね?」
「ん。その通り」
「じゃあ、お父さんはこれから立派なお父さんとして――お母さんの自慢の旦那さんとして認められればいいんだな? ――で、それまで一緒に住めると」
「そういうこと」
「まったく、どうしてこんな変に口の旨い子に育ってしまったのかしら?」
「それはお父さん似だってよく言ってたでしょ?」
「ハア……ええ、そうね?」
「――つまり私のお陰ということかな?」
それが賞賛ではないことは分かっていたが、魔王があえて言うと、女達は二人して魔王を半眼でみていた。
文句ひとつ言わず、なんとも平素な視線を返す娘に、母親はちょっといい子にし過ぎじゃないかと不安を覚えるが、次の日から魔王の再婚活動は始まった。
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