第6話 魔王は女戦士と出会った。

 見渡す限りの穀倉地帯、視線の先を見れば山裾から森と草原がなだらかに広がっている。


 新緑の海原――ときおり雑木林が波打つ、魔王はその合間に存在する都市の農村部に足を伸ばしていた。


 交流都市は海上の浮遊都市部、隣接した元漁村を改築した住宅地、そこからさらに広がる平野部と山間部にある農村部までが領地とされている。


 近場に鉱山もある為おおよその物が自給自足でき、観光から各種生産、流通、学術研究までなんでもござれだが、少人数の学生寮として不動産屋と相談した結果、丁度良さそうな物件が一つ見つかりその内見に来ていた。 


「――ご要望の物件ですが、この先の山林に隣接する田舎屋になります」


「しかし随分と安いな」


「実はあの街が出来る前に貴族の別荘として建てられた物件で――公に囲えない愛人をそこに住まわせていたのですが、奥様にばれ――幸い死にはしなかったのですが」


「ああー……」


「農地として一部指定されている物件なので、多分、自分の手元を離れても一人でも暮らしていける様にと用意したんでしょうが……」


「――その本気度合に奥様が切れたわけだ」


 浮気じゃなくて本気、ただの情婦や愛人ならともかく、そこまで熱を上げ入れ込んでいるとなれば話は違う。結局その旦那様も離婚され、入り婿だったため帰る家もなし……愛人の方は奥様に徹底的に恨まれ彼女も物件を手にしていられず、全部まとめてしがらみごとパトロンを捨てたらしい。


 死人は出ていない、軽い事故物件であるが、


「よく仕入れましたね」


「同業の知人からの投げ売り同然でしたからね、事業に失敗し纏まった金が直ぐに欲しかったらしくて……造りはいいんですが別荘として設計されていますので、普通の家族住まいにはちょっと――そういう風分が付き纏うと、同じ貴族の方々だと誤解されかねないので敬遠されて、今まで残っていたんですがね……いやあ買って頂けるなら助かりますので、勉強させて頂きますよ?」


 こういう物件は何度か不特定多数の人の出入りをさせることでその印象や情報は薄れる。複数の学生が済む寮や下宿であればその噂も意味がない――適当な買い手であったわけだ。


 山と森との距離が近付いていく中、


「――ここです、こちらになります」


 かっぽかっぽと馬車の車輪がガタガタ回る音が響き止まった。


 剥き出しに椅子を乗せただけのような馬車から降り、門の外から遠目に眺めた。


 飴色の時間をゆっくり溶かし込んだような焦げ茶の屋根に、ペンキではなく整然とした白地の左官を重厚な古木で骨組みしている。


 質素且つ素朴、だが、森の入口ともいえる場所に建てられたそれは深緑の中にきめ細やかな白が映えている――別荘というには華美ではなく、田舎屋というには、なんとも絵画的な景色だ。


 が随分しっかりとした館だ。そして、住みやすそうな家である。


 外見上の問題は見当たらない、そこで、


「……中の状態次第だが、代金さえ払えばすぐでも?」


「宜しいのでしたらすぐにも――」


 良い話に不動産屋は目を輝かせる。


 それを自ら急かすよう懐から鍵を取り出し――だが、その庭を見渡し眉を顰めた。


「? どうかしましたか?」


「……おかしいですね、半年前に買い取って以来ここには来ていないのですが……雑草がありません」


 それは、誰かが手入れしているということだ。


 そして、魔王もおかしなものを発見した。


「……今、人が住んでるんですか?」


「いえ、そんなはずは……」


 だが庭木の間にロープが張られ、そこにベッドシーツが何枚か干されている。


 付け加えて言うなら、女もののエプロンとスカートも。それをみて、


「まさか愛人と婿が心中してアンデット化して住んでいるとか?」


「いえいえ。事故物件ではよくありますがお二人とも生きているので」


 魔王と不動産屋は頷き合い、とりあえず玄関ドアまで歩いた。


 馬房に倉庫、井戸もあり庭には農地とは別の家庭菜園を抜けて、何が飛び出すかと一応警戒し――野蛮な盗賊や空き巣が、ふりふりエプロンとスカートを干すわけがないと思いながらも、万が一に備え視線で合図を送る。


 中にいる人間を刺激しない様に、何食わぬ顔で。


 ドアノッカーを二回叩く。


 と、


「……――はーい! ――どちらさまですかー?」


 ややあって、喉を張った女性の声が響いてきた。


 やはり誰かが住んでいると魔王と不動産屋は再度顔を見合わせた。


 そしてそこで、魔王は直前に聞こえたその女の声に、ふと違和感を覚えた。


 家の中から足音が響いてくる。前にどこかで一度聞いたような、魔王はモヤモヤっとするそんな首を傾げていると、


「ごめんなさい、お待たせしちゃって……」


 声の主は、ドアを開けその姿を現した。


 精悍な顔つきの体格の良い女だ。


 三角巾でまとめた金髪は、どこか煤けている。しかし逞しい二の腕もタフな女性――


 その中に滲み出る色っぽさは、そこはかとなく漂う人妻感。


 それは猛烈に見覚えのある顔である。


 そこで無意識に魔王は眼に力を込め、眼鏡の機能を発動した。




 名前、グレナディーン。種族、人。

 年齢、29歳。身長168cm B100、W60、H89。

 職業、主婦・農家。

 称号、元勇者の仲間。

 装備、三角巾、野良着、母の前掛け、ベージュの下着、ブーツ。

 勇者の資格、なし。




 瞬間、鼻の穴が広がった。


 魔王は、笑顔のまま硬直した。


 ――元勇者の仲間。


 彼女の姿を再確認する。


 元が付くとはいえ、勇者の仲間としてはその姿はみすぼらしい――


 長い髪はお団子にまとめて三角巾で覆い、襟口や袖口、裾をきっちりカバーで覆った重装備の野良着――おばちゃん臭い腰の前掛けタイプのエプロンも含めて、光の奔流のような金髪はくすんで土と草と肥料の芳しい匂いがしてきそうだ。


 金髪巨乳で巨尻のグラマラスな女戦士が――見事一般主婦に擬態している。


 だがしかし、これはこれでいい。一部の隙も無く女っ気を捨てた姿だがしかし――その服の下からそれでも尚押し出されている豊満なボディラインが溜まらない。


 なにより、どんな姿でも隠し切れない精悍な気配と佇まいが、彼女の上質な気品を醸し出している。


 この男を跳ね除ける如何にも貞潔そうな感じに反し、三年前に魔王城へ訪れたときはボインボインのたゆんたゆんにのピッチピチのハイレグ・ボディースーツに部分鎧のセクシー路線だった。


 それに勝るとも劣らないマニアック路線――これはこれでむしろひん剥きたくなる。


 と、俯瞰的視線で全体を捉えながら凝視し愉しみ――


 同時に、理性としてそういうことはしちゃだめ!と紳士的に煩悩を抑え込んだ。


 その間、わずか1秒にも満たない瞬間、女戦士は何故か魔王を見るや否や驚きを顕わに、


「――ま、魔むぐぅ!?」


 刹那、百人一首の先読み並みの速さで魔王は危機を察しその口を塞いだ。


 そして閃光の様に、開いたドアの隙間から滑り込み彼女の体を拘束し、そして施錠する。


更に彼女を壁に優しく無駄なく押し付け関節を極め、片手で悲鳴を防ぎながら、


「なぜ私が魔王と分ったのかはさておき今君には不法侵入と不法占拠の嫌疑が掛けられつつある、だからとりあえずお互い口裏を合わせてこの難局を乗り切らないか?」


 それは咄嗟の判断だったが魔王はかなり混乱していた。いきなり正体がバレそうになったとはいえ不当な拘束からの不法侵入、そして婦女暴行と脅迫――


 勇者の仲間相手に絶対にやってはいけないことをやってしまった。そのことをまた瞬間的に理解し、


「……すまない、あとでまた謝る、なんか勢いで。ごめんなさい」


 打って変わって、彼女を拘束したまま弱気に謝った。


 女戦士はその様子を怪訝に窺いながら、コクリと頷いた。


 そんな支離滅裂な弱気謝罪で、絶対許すわけないのに――


 意外とすんなりいったそれを、魔王も一瞬怪訝に思いながらも、彼はまず唇の拘束を解いた。すると、


「……いや、こちらも動揺した。そちらにも表沙汰に出来ない立場というものがあるだろう、いささか配慮を欠いた」


 先ほどの半音上がったドア対応の人妻声ではなく、低音のハスキーなセクシーボイス。


 どうやら相当動揺しているようで、女戦士の顔は目も泳ぎがちだった。


 耳も赤く、拘束とはいえ男に抱き締められているのに、まるで好きな人に無理やり迫られ満更でもないような表情だが――タフな面構えに反しウブなのか。


 しかし魔王は理解があることをうれしく思い、そこで彼女を完全に開放する。


 と、やはりいきなり男に抱き着かれたことが恥ずかしかったのだろう、女戦士は貞淑に胸に手を当て、片手で髪と呼吸の乱れそして体温を整えている。手鏡があったらきっちりその出来具合を確認していそうだ。


 ……ひょっとして、職場と家でキャラが違う人なのだろうかと魔王は思う。


 そういえばその声は、作り声っぽいハスキーさだった。そちらもということは、もしかしなくとも彼女も正体を隠して生活しているのだろう。


 有名税を嫌っての隠居生活かと魔王は中りを付ける。


 そうして一呼吸置いたせいか、改めて彼女の姿が視界に広がる。


 と、


「――で?」


 褪めた視線に、そんな妄想をしている暇はないことを思い出す。


「……ああー、外にまだ不動産屋が」


「事情を後で詳しく説明して貰うぞ」


「はい――」


 魔王は、何故か自分の妻に謝るよう申し訳無く一も二も無く頷いていた。彼女もそんな彼の背中を情けなく見送りつつ諦め半分でそれを許容した。


 二人はとりあえずドアを開け家の外に出た。


 何故だか、二人並んでいるところがとてもしっくりくる二人――そんな気配を感じ、不動産屋は、


「――ひょっとしてお二人は知り合いか何かですか?」


 怪訝に訊ねられたそれに、魔王は厚い面の皮で平然と言うが、


「――いいえ全然、まったくもってそんなことはありませんが」


「ああ。全くその通りだが?」


 どういう意味かと不動産屋が更に眉間に皺を寄せる。


「――そうですか? 今何か中で口裏を合わせていませんでしたか?」


「いやいや。ただちょっと――ドアを開けた手に剣ダコのようなものが見えたので、それで本当に盗賊か野盗か何かなんじゃないかと思い二、三質問していました――ああ、これでも武術を嗜んでいるので火急的速やかに制圧しようと思いまして、ですが彼女はただの農家です」


「……農家ですか?」


 ちょっと理路整然とし過ぎていやしないかと、本当なのかと不動産屋の眼が疑う前で、


「……武人や軍人によく間違えられるのだが、農具を毎日扱っていればこうもなる」


 女戦士は手の平を開いて見せ、所々厚くなったそれを証明した。鍬くわや草刈り鎌、フォークにスコップ、そんなものを毎日振り回している働き者の手に納得し、


「……なるほど。わたくし不動産屋を営んでいるゼブと申します。失礼ですがお名前をお伺いしても宜しいですかな?」


「つい最近こちらに越してきた、グレナディーンと言う」


 難所は乗り越えた――そう思い内心で魔王が息を吐く中、


「――グレナディーンさん。実はですね? こちらのお家ですが私が所有している売り物件の一つで、まだ何方にもお売りしていない物の筈なのですよ。――申し訳ありませんが、あなたはどなたからこの物件の鍵と権利をお買い上げになられたのですか?」


 女戦士の方だけ事態が進行していく。それも相当不穏な方向に。


「なに?! ……私はちゃんと店を構えた不動産屋から隣の農地付きで購入したぞ?」


「……失礼ですがその不動産屋の名前を教えて頂けますか?」


「タイタン不動産のデイダラという者だが」


 その名前を聞き、不動産屋は顔色を変えた。


「それは、本当ですか?」


「ああ。間違いない」


 そして何事かを思案し、


「……なるほど、そういうことですか……」


 大きく息を吐き、目頭を押さえ、自分の頬を揉み込んだ。


 魔王も笑えなくなり、深刻な無表情をしながら、


「――どういうことですか?」


 何かに苦悩する様なその様子に、女戦士と眼を合わせていた魔王が彼女に代わって尋ねると、不動産屋は重々しく口を開き、


「……恐らくですが二重売買ですよ。私にこの物件を売った不動産屋が――私にだけでなく彼女にも売ったのですよ。おそらく、事態の発覚を遅らせるため、その売買先を売り手である業者と買い手の住居者に分けて――権利証は今お持ちですか?」


「ふむ、少々取り出しづらい所にあるが、手元に保管してある、少し時間を貰えるか?」


「構いません」


「では、中に入って待つといい」


 言いながら女戦士は道を開け中へと案内する。


 住居者二人に売れば物件でかち合う為犯罪の発覚が早い。しかし、それを業者と買い手の二つに分ければ新たにその物件を買う人間が現れるまで既に買った人間がいることが発覚しない――


 土地や家の売買が初めての者は、そこでどういう書類の手続きや法のやり取りが行われるかを調べずに飛び込む場合があるので、そこで最悪ただの紙切れを掴まされる危険もある。


 そして今の問題は、女戦士とこの不動産屋、どちらに正当な権利があるのか、ということだ。


 応接間に通して貰うとそこで不動産屋は、


「――失礼ですが旦那様はどちらに? 話が話ですので出来ればご同席して頂いた方が良いと思うのですが」


 この重大な話に際し、一家の主人の存在を求めるが。


 その時、彼女は立ち止まり何故だか一瞬魔王のことを強く見て、


「――いまは心の中にだけ居る、とだけ言っておこう」


 そして目を伏せた、その仕草から不動産屋はその存在の可否を知り、


「……それは失礼をいたしました。お詫びとお悔やみを申し上げさせて頂きます」


「いや、いい。分かり様の無いことだ」


 魔王も、彼女を見つめながら、その存在に瞼を開けたまま瞑目を捧げた。




 壁掛けのゼンマイ時計がカチコチ、カチコチと静かに時を刻んでいる。


 女戦士が仕舞い込んでいた権利証を持ち出し、そこで確認されたのは、


「……間違いありませんね。……はあ、となると……」


「先ほど言った通りに?」


「……ええ。ほぼそうなるでしょう……おそらく先に彼女と取り引きをして、正式な手続きを踏み引き渡しになるまでの間に、私にここを見せたのでしょう……。時間が差し迫っているからと急かされて、親切心を出したのが仇になりましたね、手続きは全部済ませてあると聞いた時点で、疑うべきでした……」


 彼女との正式な売買だけでは負債が返済しきれないこと、手に残るであろう処分する筈の権利証に気付き、欲を掻いたのだろうと。


 権利証を確認しながら女戦士に購入時の状況を聞くと、彼女はこの家と土地を買った時、正式に譲渡するまでに七日も掛ると言われ、その間物件へ立ち入りを待たされていた。


 それは彼女が実際に住むまでの隙間――そこで不動産屋である彼にもこの物件が確かに空き家であることを確認させる為の時間だろう、そして同じくこの時間で役場の登記上でもこの物件の所有者が居ないことを彼に確認させたのだ。


 その後で、一番の難所である役所での手続きを彼の信用を利用し彼に立ち会わせず、彼女と正式な売買を済ませた。それなら少しでも多く金を稼いで確実に時間が稼げると踏んだのだ。


 手続きは自分に任せろ、と言われそうしてしまう友を騙せば、運よく二人の購入者がほぼ同時期に現れるのを待つことなく纏まった金が手に入る、その目論見は上手く行ったと言えよう。


 事故物件であることもそれを後押ししている。なにしろこうして中々買い手が付かないその内見に魔王が来るまで、この事態は発覚しなかったのだから。


「……彼の事は信用していたんですが」


 不動産屋は手で顔を覆った後、目眩のするような心をどうにか鎮めようとする。


 そんな相手と取引をしていたのかと思うと釈然としないのであろう、今、女戦士は眉間に皺を寄せていた。


「グレナディーンさんには、私の不備でとんだご不安を与えてしまい誠に申し訳ありませんでした。それから無動様につきましても大変申し訳ないのですが、こういう次第ですので――」


「気にしないでください。物件に関してはまた見繕って頂きますから」


「では日を改めて別の物件をご紹介いたしますので、申し訳ありませんがこれから――」


「そうですね、まず通報しないと」


「ええ。――では馬車を回してきますので」


「私の事は気にせずどうかお急ぎください。――この通り、まだカップにお茶が残っていますので」


「――そうですか、それではご厚意に甘えさせて頂き、失礼いたします」


 客の相手をしている場合ではないだろうとの気遣いと促しに応じ、彼は一人この家を出て行った。


 その後姿を、魔王と女戦士は義理として玄関から外まで見送った。


 その扉がぱたんと閉じる。そして、アイコンタクトでお互いの意思を確認し、無言で自然にリビングへと戻った。


 正体を隠した人妻女戦士と、裏ボスの大ボスの魔王が二人きり――


 ごく自然に、静かな足音のまま、そっと緊張が走るソファーに座る。


 そのとき、はたと自分の手元から自身が完璧に田舎農家のおっかさんスタイルであることに気付き、女戦士は憮然と恥じらった。


「……見苦しい恰好ですまない、つい先程まで畑をいじっていたのだ」


「――いや、許されるのなら口説かせて欲しい位だ」


 だが。魔王としてはむしろそれがよかった。


 三年前のあのときより――確実に熟している、そのムチムチとした尻。


 凛々しく突撃槍を振り回していた女が、麗しくも凛々しく貞淑な半熟人妻のオーラを出しているのである、それもその貞潔さに反して背徳的な淫靡さが、健康的な肢体に浮かび上がるほどに。


 そういう運命さえあれば間違いなくクッころしている。


「……」


「……」


 だが、女戦士はそんな口説き文句をどこか憮然とした表情で眺め、


「……で、魔王様がなぜこんなところに物件の内見に?」


 普通に、ごく普通の主婦の様に――さりげなく女戦士が茶を淹れ直しながら。それを若干戸惑いながらも魔王は静かに頂き、こちらもごく平然と通常業務(教師)に戻り、


「ああ、実はわたくしいま学園で教師をしておりまして、こんどちょっと特殊な生徒が来ることになったので、トラブルの発生を防ぐため新たに特別寮を儲けようと適当な物件を探していたのですよ」


 言いながら、何故だろうか、妻に嘘がばれている時のあの居た堪れない感覚に襲われる。


 言えない、教師と生徒が一つ屋根の下で王道のLOVEコメを展開する為でしたなんて。


 今は普通に女勇者(特殊生徒)用の女子寮探しだが、何故だか洗いざらい吐き出さなければいけない気分にさせられる。


 それは相手が女勇者の仲間の女戦士だからだろうか? 彼女はスッと目を細めた。


「――ほう、そういう事情でか……しかし、なぜ学園で教師を?」


 笑っているのに冷徹に値踏みされている気分――それを、それを魔王はぐっとこらえた。


実は、ナンパだけではない。


 それと女勇者の保護も含め、後付けの抱き合わせの様な物だった。


 ぶっちゃけ別に出なくてもいい最前線に出てきたのには真面目な理由だけでなく他にもわけがある。それは信頼する部下にも言えない事――


 仕事に飽きたからだ。謁見の間や執務室で書類や官僚とにらめっこしてるのに、飽きたからだ。五千年近く頑張ったのだからもう飽きていいと思う。指先一つ紙一枚で人員と予算を動かすのもそれはそれで面白いが、そればかりだといや本当に飽きるので久々に現場に出たくなったとか――後進の育成とか理由を付けて部下に色々と押し付けているだなんて……。


 ――何故か、魔王は頭の中でそんなちっこい(周りは大迷惑)な悪行すらも。


 ぽろぽろと懺悔しなくてはいけない気になった。


 はて、何故だろうか、背中から汗がじわじわ湧き出て来る。


 うん、目の前に居るのが正義の味方だからか。しかしそれにいけしゃあしゃあ、さりとて内心では戦々恐々としながら、鉄壁の笑顔を浮かべ、


「いや、昨今の人と魔族の長い誤解と戦いと憎しみの歴史に区切りと終止符と付けようと私この都市を立ち上げたわけですが、その一助として自身も旧き時代からの生き字引として現場に立つべきだと思い、魔王と兼業で教師をやらせて頂いてるんですよ……」


「……そうか……」


 それを聞くと、これまでとは打って変わって、まるで望郷に目を伏せる様逸らし、人妻女戦士はティーカップに視線を注ぐ。


何か言いたい事でもあるのだろうか、感慨に耽る様だが。


 大丈夫、バレない、ばれるわけない――書類仕事からの一時的逃避エスケープとナンパが目的だったなんて。


 神の性癖に想像がつかない限りは、絶対。


 魔界でも好色魔王だとかエロ大魔王だとか一部言われているけど――みんなただの愛妻だからそんな飢えてないことくらい想像つく筈だから(無理)。


 そんなに見境なしじゃないから。愛抜きにして性癖に限って言っても、10代のピチピチお肌より、二十代終わりから四十半ばまでのお色気たっぷりの完成された淑女とかセクシー熟女の方が好きだから。


 ――と、いつまでも心が責められている訳にはいかず。


 魔王も攻めに出る。


「……で、そちらはなぜこのようなところに?」


「……いやなに……これからの時代を子供に間近で触れさせようとな……そうでなくとも私もそれを目指していたから、それに都合が良かっただけだ……他に理由はない」


 それに人妻はほんのり頬を染め、優雅に視線を流す。その目はこれまでと比べ確実に――熱が籠ったものだった。


 つまり、子供の為だ。


「愛情ですね」


「……これでも母親だからな、子供に夢を託すなど、ふざけた真似をするつもりもない」


 それでも、彼女もこの世界の未来の事を考えていたのだろうということは想像に難くない、慈愛に満ちた顔をしている。


 聖母の様なその表情に、魔王はふっと微笑みぽつりと零す。


「……いいお母さんですねえ……」


「……そちらは良い魔王なのだろう?」


「遺憾なことに、魔界でも評判ですよ?」


「教師としてはどうかな?」


「もちろん人気の先生ですよ? 元々はそれが本職ですから」


「――知っている」


「え?」


 何故それをと思うが、


「間違いでなければ、娘はそちらの学舎に通わせて貰っているのだがな」


「あ、そういう意味ですか? じゃあ娘さんのお名前は――」


 それを尋ねたとき、




トタトタトタと、軽い足取りが家の中を走り、


「――ただいまーっ!」


 開口一番、その音がリビングへと駆けこんで来た。そしてリビングに入るなり立ち止まり、ソファーに腰掛ける魔王に気付いて、


「――先生!? なんでここにいるの?!」


 破顔する、それは聞き覚えのある生徒の声だった。


 魔王はそこで、


「シロップさん?」


 顔なじみの生徒である彼女が女戦士の娘なのだと気付いた。なんとも奇妙な縁であると思う。が、そんなことはつゆ知らず、彼女は目を真ん丸にしながら自分の母親へと振り向きそして喜色に塗れた笑みで叫んだ。


「――あ、お母さんと再婚するの!?」


「は?」


「えっ!?」


「じゃあおもてなしするから、着替えて来るね~。――あっ、せっかくだからおめかしして来るから楽しみにしててね?」


 なぜそうなるのか、という大人達の視線を無視し、つむじ風を残すような速さで階段を駆け上る足音が、彼女の部屋まで突き抜けそしてドアが閉まる音がした。




 突発的な嵐が去って、吃驚しながら女戦士と目を合わせる。


 子供と会話をしていると間々ある現象だ、その自由な発想に大人たちは理解を示すが、しかし魔王もこんな美人となら満更でもなく動揺しそうになり、どうにか心臓の動揺だけで堪え、彼女は酷く赤面した様子で目を潤ませ、恥じらい――


 そして、割と満更でもない雰囲気を醸し出した。ちょっと、幸せな再婚生活を想像しちゃったのか、それはともかく、


「……シロップさんのお母さん?」


 呼ばれ彼女は正気に返ったのか目を剥いて、


「っ、す、すまない。娘が何やら意味不明な発言を……それにしても余程なつかれているようだな、普段はあんなじゃないんだが」


「ああいえ、先日公園で彼女とばったり会った時に――自分は奥さん一筋派だって言ったら、お母さんを紹介するなんて言っていましたから、多分そのことでしょう」


「何やら迷惑をお掛けしているようで……すみません、余りはしゃぎ過ぎないよう、今度よく言って聞かせますので」


「誤解ですよ、お母さん。家ではどうやら少々お転婆のようですが、あなたの娘さんは大変素晴らしい生徒です。学園ではお友達とも仲良く、勉学も優秀です」


「うっ……、そんな……」


 嬉しくもかしこまって涙ながらに頬を染める。


 ちょっとしおらしすぎやしないかと魔王は思うが、


「……それにあなたも、女戦士という面だけでなく、母親としての姿も、すばらしいですよ?」


 口調も含め完全に、ただのお母さんの顔になっていますよ、と、その姿を褒め称えた。


 それに必死に眉間と目尻に力を籠め、精悍な表情を取り戻そうとするが、魔王の大らかな微笑みに追撃され撃沈し、彼女は穴があるなら入りたいとでも言わんばかりに両手で顔を覆い隠した。


「……そ、そちらこそ、今は全くあまり魔王らしくない――いや、いい意味で、……」


「まあ、今は魔王も魔王ではないので……」


「……」


「……」


 完全に、担任教師と生徒の母親の図である。


 魔王と女戦士は、二人してそのおかしな空間に疑問を覚えたが、同じ沈黙を柔らかく浮かべ、そしてそれでいいかと曖昧な笑顔で頷いた。




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