第3話 魔王と部下の作戦会議、With居酒屋②
結婚相手は生涯ただ一人――婚姻関係者以外との性交渉もしくはそれに相当する行いを働いた場合、浮気、もしくは不倫、不貞行為と見なし厳罰に処される。配偶者を複数同時に持つことは出来ない。
法律でそう決められているから――だがその法律は何故そう決められたのか。生産力、労働力の維持で鑑みるのなら尚更、男女比率が絶対的な一対一にはならない以上一夫一妻は真に効率的ではない。
だが――何故そうと決められているのか。
あえて言うならそれは宗教がそうと決めさせたからだ。
では、その宗教の教えを導いたのは誰か――
一秒、二秒、三秒、それから静かに仮面魔導士はジョッキに手を伸ばした。
魔王から目を逸らさないまま、黄金色の液体を喉の中に空になるまで送り込んだ。
そして到着した追加注文を無言の真顔で向かい合う男たちの間に、店員が並べて行く。
魔王は待った、彼が精神安定剤を経口摂取し終えるのを、店員がメニューを並べ終えるのを。
それが終わり、上唇に付いた泡を拭った瞬間、彼は正気に返りつつ叫んだ。
「嘘でしょう!?」
「――いいや、残念ながら事実だ」
「そんな……そんなまさか……勇者がただの神の嫁だったなんて!」
要するに、性癖だ。
勇者は神の一身上の都合性癖により決められていた……それは残酷な世界の真実だった。
「しかもその条件はその資料から察するに、極めて純度の高いパーフェクト処女、片想いどころか恋心すら知らない魂まで生粋の純粋無垢、純潔の乙女だ。そんな性癖をなんと呼ぶのか。断言しよう、神は間違いなく処女厨だ。それも完全武装一角獣フルアーマー・ユニコーンと呼ばれるレベルにある!」
「そんなまさか!!」
「まったくやれやれだ……人妻の良さが分らないなんて……っ!」
「いえ、そこじゃあないです」
されど魔王は重々しいため息を吐く、職権乱用に公私混同のセクハラ人事――そんなのが勇者に選ばれていたという事実にがっかりである。
ともあれ魔王はその条件を分析する。
「おそらくメイン嫁が居るときは他に浮気しないタイプだが、その
「あれですよね、そういう人たちって愛とか恋を汚物扱いしてるわけですもんね」
「しかも神は嫁が居るのにいまだ童貞」
「いや、死んだら神の御許に召されてそこで実際に結婚するんじゃないですか?」
「いや、その後も」
「その後も?!」
「――だって実際にやっちゃったら処女じゃなくなっちゃうだろう? とのことだ。だから結婚してもエロイ事しないらしい……ある意味あっぱれだ、そういう意味では確かに神としての高みに存在している」
「……究極ですね……」
どう考えても引き帰せない変態である。
ポテトを抓み、仮面に開いた隙間から付き人はそれをもそもそと小口で頬張る。魔王も焼き鳥を一串、米酒をグイッとし、枝豆。
「……ちなみに今の神だけじゃなく他の神もだ」
「もー止めて。もー止めてくださいほんともう!」
「よく思い出してみろ、これまで来た男の勇者だってやたらイケメンだっただろ? 少なくともブ男は居なかった……」
「あ〝~、あ〝~聞こえない~」
言い終わるや否やジョッキを空にし更なる精神安定剤を求める。可愛いウェイトレスの声が響き、伝票に追加が書き込まれていく。
そのときは男神ではなく女神が人事を担当していたのだが、完璧に顔採用である。
「……やってられないっすね」
「勇者に選ばれる女の子達が尚更可哀想でな」
「…………なんだかんだで先代の心を守ってらっしゃるのですよねえ……」
「個人的にはただの女好きのエロ魔王と呼ばれた方がましだな」
魔王はしみじみ酒を飲みながら、想いを馳せる。
仕事を引き継いで悪徳貴族にDV夫が妻や違法奴隷を返せと喚き立てるこれを蹴散らし女性の駆け込み寺をしているが、恐れられてこその魔王である。
女勇者の生き様は過酷だ。その戦いの人生もさることながら、恋に恋することも許されず、戦いが終わるや否や支援者である筈の王侯貴族からは優良な母胎として狙われる。
玉の輿を喜べるような女性であるならともかく彼女達はそうではない、その中で幸福な余生を得られた者なんて何人いただろうか?
温厚な魔王だと舐められて何度か同じ魔族相手につゆ払いに実力を見せつければ、今度は生贄として姫やら巫女やら奴隷を送ってくるのだから始末が悪い。
そんな彼女達を放って置くわけにはいかない、名目上だけでも魔王の妾や側妃あつかいであれば後宮に居られ大抵の悪党が避けて通る。そのまま今後男に――そして世間に一生触れずに過ごすことも出来るのだ。だからと妻も恋人も婚約者も片想いも関係なく自分で駆け込むことも出来ないそれを攫ったりもした。寝取り魔扱いされ性犯罪者やらなんやら変な風に畏れられるようになったが、今もその多くが女子供しかいない離宮で余生を穏やかに暮らし、その内何割かが療養や治療を終え魔界で人生の再出発をしている。
実情は、その中に何人か本当の妃になるものがいるが――
「……ああ、そういえばつい最近……といっても、もう十、十五年位前ですか? 勇者の子も来ましたよね?」
「ああ、そうだな」
彼女はそのまま妃になり、そして出て行った。
あの子はどうしているだろうか? 青く白く揺らめく銀髪とその顔が浮かんで、アルコールの水面に消えた。
しんみり。
「……話がずれたが、まあなんにせよ勇者は常にただ一人、複数同時に存在しない」
理由は単純――神が勇者を私物化し自分の嫁もしくは旦那を選定しているからだ。
だから勇者は常に美男美女、美少女に美少年――決してブサイクは選ばれない。
神と勇者の組み合わせが同性同士のときは単純に同性愛者、複数勇者が存在するときはハーレム主義、本当にごくまれにアラサー越えの中年やジジイにババアの時があるが、それは老け専だった。
すなわち――
「そして勇者の歴史とは即ち戦いの歴史――ではなく、性癖の見本市、ということだ」
「……神って何なんですか?」
「ただのヘンタイだが?」
「そうですけど……」
そんな事実が発覚したわけだが。
言えば言う程、聞けば聞くほど、心がささくれ立って行く、酒を飲まなきゃやってられない。
「――でだ。そんな糞みたいな神様に痛い目見せてもう二度とエロ人事なんてさせないようにしようと思うわけだが……」
「どうするんですか?」
「女勇者を正々堂々口説こうと思う」
付き人は思わず追加の精神安定剤を注文しようかどうかウェイトレスを眺め――迷った。
「……なぜ?」
「好きな女が目の前で奪われるのだ。それはもう自信喪失し不貞腐れ恋愛恐怖症になり生涯独身を貫くだろう」
「いやでも、それで正直、神の心が折れますか?」
「――お前には以前片想いの女が居たな?」
ピタリと、仮面魔導士はジョッキをキレイな所作で置き、呼吸を整える。
「……なんのことですか?」
「とぼけるな。――確かお前と同じ、もう一人の幼なじみの男と、つい先日結婚したんだったな?」
「――ええ。それがどうかしましたか?」
「彼女の結婚式の日――お前はどんな気分だった?」
付き人は心無し顔の表情を逸らした。
「その日からお前は変わったはずだ。お前はもう二度と、彼女に男として触れられない。――惚れた女が別の男のものになったことが確定付けられた、その日のことを!」
その瞬間、仮面魔導士は過去を思い出す。
それは件の結婚披露宴。
彼女は純白のウエディングドレスを着ていて、頬が蕩けそうなほどえくぼを作っている。
その隣には――よりにもよって自分と彼女をいじめていた別の男が居て。
そこに居るのが自分ではなくて……。
彼女の隣に自分の居場所がなくて、ずっと、ずっとそこに居ると思っていたのに。
でもそう思っていたのは自分だけだったみたいで。
気づいたら彼女は、もっといろんなものを見ていて。
(何もかも負けた気がした、彼女の相手の幼馴染は彼女をいつもいじめて泣かせている奴で、最悪だ、男としても雄としても友達としても想い出としても何もかも負けた気がした、自分なりに自分の事をちゃんとしてきた、でも勝てなかった、振り向いてもらえなかった、気付いてももらえなかった……)
それらが胸の中で一挙に爆発し、そして彼の心は砕け散った。
「……恋愛なんて興味ありませんというが、それは言い訳じゃないか? 僕じゃ彼女を幸せに出来ない――それは本当に正論か? 恋愛なんて面倒臭い、仕事が面白い、忙しい、こんな風に夜に居酒屋で飯を食って酒を飲んで帰って一人で寝ることが思い描いていた本当の幸せか?」
全てを忘れる様に彼は仕事に没頭し、今ここにいる彼は強く拳を握り――精神安定剤抽入のジョッキ片手に、
「……どうしようもないんです! ……もうどうしようもないって……分かってしまったんです……」
仮面魔導士は理解していた。
己が彼女と恋愛関係に発展しなかったのは、なにも恋愛における負け属性がちな幼なじみ属性だったからではない。
大人になるにつれしがらみが増え、自分らしく生きているだけという言葉に甘えて、仕事にかまけいつでも近くにいるという立場に甘え愛する努力をしていなかった為だ。
立ち位置に甘えて何もしていなかった――いじめっ子は徐々に大人になりつつ変わらず情熱的にアプローチしていた、持ち前の行動力で幼なじみの
どっちが魅力的かなんてそんなの決まっている。仕事が出来る男ではなく、夢のある男でもなく――自分を愛してくれる男だ。
簡単な話だ、彼の方が大人になった、ただそれだけである。
男が男である意味唯一の理由で敗北したのだ。惚れた女を幸せにするという一点において――男として、完全に敗北を喫したのである。
だから。
「……もう………もう僕には恋なんてできません……! する資格なんてないんです!」
「……仮面の下の涙を拭え」
魔王がおしぼりをそっと手渡すと、付き人はちょっと仮面を浮かせて頬を拭った。
魔王は彼の経験も踏まえて説明する。
「――愛とは純粋な力だ、その者が持つ力が正しい結果をもたらし、心を正しく導く……人を成長させる力であろう。
故に、歪んだ愛は歪んだ力を導きそして歪んだ心をも招くものでもある。――だからこそ、嫁という最愛の女を奪われれば神であろうとも心変わりは免れぬであろう? だからその歪んだ性癖ごと心をへし折る為、ぐうの音も出ない圧倒的敗北感を与えてやる為に正々堂々と彼女を口説き落とそうというわけだ」
付き人は戦慄した、目の前に居る男に本当に久しぶりに魔王らしいところを見た。
罠にハメるとか相手を貶めるとか卑怯なそういうのも無し、仕込みも何も無し――失恋として一番惨めで何の言い訳もできないのではなかろうか。
――自分の様に(グサリ!)。
それを慰めるように肩を叩き、
「いい娘が入ったら紹介するから」
「風俗ですか?」
「それでもいいが、どうする?」
「……いえ。できれば一般人の、黒髪巨乳の地味な子で」
「眼鏡も付けることを約束しよう、当然外すとちょい美人だ」
男達は、目と目で頷き合った。
その瞬間、部下との間に固い絆が生まれたのはさておき。
「……でもそれって神の嫁を
インモラルな内容に二人は周囲に配慮し前のめりの小声で話しだす。
「何を言っているんだ? これは正々堂々としたただの男女交際だ。――そもそも神と女勇者はまだ結婚していなければ恋人でもないし」
「え? そうなんですか?」
「ああ、神は彼女に加護こそ授けているがそれだけだ。が――一方的に自分の女扱いして組織だって自由恋愛を封じていると言っても過言ではない。たぶん冷静に嫌だろう」
「ていうかただの犯罪者ですね」
声が大きくなった。
遠慮がなくなった。
「女勇者も別に好きでもなんともない、加護をくれる有名ないい人程度の認識だろう――感謝はしているがそれ程敬虔な信者ではない。それどころかこの平時、面倒臭い人間ばかり増えておそらく加護ももう邪魔になっているんじゃないだろうか」
「どうしよう、いっそもう憐れみが……」
そして容赦もなくなった。
神様の株価下落が止まらない。衝撃の事実に浮ついていた心がもはや氷点下である。
付き人は非常に褪めた目でその計画の実行を推奨するが、彼女は今すっかり世間に出ていない事を思い出していた。
「……女勇者って今一体どこにいるんですか?」
「曲り形にも世間的には人気者の勇者だ。血筋を得ようと無体を働こうとするアホも居れば、倒した悪人のお仲間から報復で狙われ、王より権威が付いてしまったらそれだけで治世が揺らぐ――そこら辺に無防備にいたら普通に面倒なことになる。で、それらに関わらない場所で世の為人の為となると?」
「――教会ですね」
「――その通り。女勇者と女僧侶に関してはそこにいることが確認されている」
魔王は部下の指摘に対し、鷹揚に頷きを返した。
国ではなく神に尽くす教会なら、各国の干渉や勧誘をはね除けられる。仮に教会がその知名度を利用しお布施を稼いでもおおっぴらには問題にはならない。
その金が行き着く先は教会の慈善事業――孤児院や救貧院、老人ホームないし国の各福祉分野に寄進されるのだ。どこか一組織に所属するより遥かに公平に富の再分配がされるのである。
ただしその善意・・を受け取る代わりに国は教会の立場を確約する。正直金の匂いしかしないが、
「居るのは男子禁制の修道院、それも総本山の中でも奥の院と呼ばれる神の嫁候補の修道女が暮らす場所――同組織内でも秘される場所だな」
「――ストーカーのおひざ元じゃないですか!」
皮肉なことに神が一角獣である為その貞操の安全面に関しては問題ない。が。
「もし真実を知ったらストレスで毎日眠れない夜を過ごすことになりそうだが、まあそれも問題ない」
「どうなさるおつもりで――いえ、なにをなさったんですか?」
「――来月から還俗して私が勤めている学園に生徒として来ることになっている。『このままだと私腹を肥やし三段腹になった教会に国政や何から何まで口出しされ乗っ取られる』と教会の財布事情をリークしてな。しかし慌てず騒がず『ただ市井に戻せばどこぞの団体に勇者が所属しそれぞれの敵に回る可能性もある、だから勇者を一般職に再就職させるため、どこの勢力にも属さない学園に通わせよう』と提案してやった」
二重の意味で、今ここ、である。
「……恐ろしい……」
付き人は自分の上司を畏敬を込め称賛した。
善意を仄めかし近付きながら、巧妙に不安と恐怖をあおり立てそして希望を与える。
逃げ道をあえて指し示し、欲しい駒を相手に差し出させる、政治や交渉等の基本科目であるがそれ故、皆疑いを持っているから非常に難しい――
それを難なくやってのける。
世界を征服せず、しかし制し思いのままに操り支配する。まさに魔王の所業である。
勇者と真面目に恋愛するなどと言い出したときはこの人遂に更年期障害にでもなったかなと思ったが――
……そこでまたはたと付き人は気付いた。
「……ようするに貴方、教師と生徒で恋愛する気ですか?」
学園に転入する→生徒+教師→恋愛。ラブコメの王道である。
魔王は酒を飲むのを止めた。
そして、猫が悪い事をしたときの顔をした。そう、
「――何か問題が?」
この男、それをやる気である。
いかにも人助けをするように見せかけていたが、それが真の目的か。
「一体何歳下の子に手を出そうとしてるんですか!?」
「軽く星が生まれてから星に還るまでくらいだが――そもそも不老不死で不滅の存在だから逆に歳なんて概念もはや存在していないんだが? 下宿先を一緒にして一つ屋根の下でガッツリ暮らす予定でもある」
「ひぃ、一つ屋根の下ラブまで!? ――もう好きにしてください、そんでまたお嫁さんを増やせばいいんですよ!」
「あっそう? じゃあ決まりね~」
付き人は、この人やっぱただのエロ魔王だと思いつつこの時勢――人と魔族の融和政策に踏み切る切っ掛けになった彼女たちが恨まれ暗殺される危険があることを鑑みていた。
教会と言えども一枚岩ではない、むしろ彼女達を裏切り者と思う輩も多いだろう、何せ彼らは結婚観だけでなくその信仰において魔界の慣習や社会機構を害悪としがちなのだ。彼女達はそのを幇助をしたと見られるだろう。
神の件のついでに責任取って自身の手元に置こうと思っていることは魔王は口には出さなかったが、後付け的な一挙両得だ、彼もまたそれを理解していた。
周囲の客は全く理解せず、通報するかどうか相談し各席でアイコンタクトを交わしているが。
「……それで早速仕事頼んでいい?」
「はいはいなんですか……」
「勇者が来るまでおよそ一ヶ月――レベル上げに励みたい」
ざっくばらんな夜が更けて行く。
「レベル上げ? ……なんのですか?」
さらに追加注文したビールに口を着け、
「――ナンパの」
その瞬間、仮面魔導士は深く決意した。
明日、職安に寄ってこう、と。
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