35.善意のための悪意
まだ日が昇ってそう時間が経っていない時間帯。多くの人が行き交い、賑わう町の中。しかし、中央広場近くの酒場の中は、重苦しい空気に満ち満ちていた。
「……わかったかもって……娘を、見つけたんですか?」
そんな中、マーサが目の前に立つ祐樹に問う。その表情は変わらず不安気で、しかし娘を見つけたかもしれないのならば、歓喜してもおかしくない。それにも関わらず、マーサの表情からはそういった感情が一切、感じ取れなかった。
「それを含めてお話させていただきます」
祐樹はそう返し、そして語り始めた。
「今回の誘拐事件は、身代金目的の誘拐だと判断していました。そりゃそうでしょう、家の中に金銭を要求する旨が書かれた手紙が投げ込まれていたのですから、誰だってそう思います」
「……」
祐樹の話を、マーサは黙って聞いている。厨房からは、この店の主であると思われる壮年の男性と女性が不安気な顔を覗かせていた。
「しかし、情報は思いのほか集まらず、せいぜい手に入れた情報は、町の北西で男に声をかけられている姿を目撃したという話と男の特徴くらい。しかしその情報も、聞く人によってバラバラ。どれが真実なのか、ワシらも混乱する始末です」
「……それは、まだ情報収集が足りなかったせいではないのでは? 他の情報を持っている人がいる可能性だってあるはずです」
マーサの声に棘が入る。聞くだけでは、祐樹たちの努力不足とも捉えられる内容でしかない。しかし、祐樹は意に返さずに続ける。
「ええ、確かにそう思われるのは致し方ありません。ただ、ワシはその時に疑問に思ったんですよ」
「疑問?」
「ええ。北側の広場は、見た感じ多くの人が賑わっていました。聞けば、あそこは中央広場と同様、憩いの場として訪れる人が多いそうです。誘拐された時間帯は、人が最も賑わう昼頃。にも関わらず、娘さんの姿を見た人間は二人だけでした」
「……」
「そこで、ワシらはこう思ったんです。その二人は、誘拐犯の一味ではないか? と」
「っ……そ、それは」
祐樹の推理に、マーサが声を上げる。しかし、その次の言葉が出てこない。祐樹は右の人差し指を立てた。
「けれど、もう一つ大きな疑問があるんです。その目撃証言をした一人は、この町の道具屋の店主でした。ワシらが集めた情報によれば、あの道具屋の店主はあなたの夫の父親、つまりはあなたの義父にあたり、そして誘拐された娘さんにとっては祖父にあたる人物です。しかし、目撃証言をしてくれた時、まるで他人事のように話し、自分は血の繋がりのない、全くの他人だと言わんばかりの態度でした。それがワシにはわからなかったんです」
「……っ」
マーサの顔色が、元々悪かった顔色がさらに蒼白になっていく。目もあちらこちらへ向いて忙しなく、見るからに挙動不審に陥っていた。
「そんな彼を、ワシは怪しく思いました。ひょっとすると、誘拐犯は彼なのではないのか? と。彼ならば、あなた方の家に金貨が200枚あるかどうか把握している可能性がある。そうすれば、彼の口ぶりの違和感も納得が」
「ち、違います!」
そこで初めて、マーサは大声を上げ、祐樹の考えを否定した。
「それは、違います! あの人は……!」
「あの人は?」
祐樹が眉を上げ、マーサは慌てて口を噤む。少し間を置いてから、再び口を開く。
「あ、あの人はそんなことをする人ではありません。私と娘を、よく気にかけてくれているいい人でした。そんな人が娘を誘拐するなんて……第一、証拠はあるんですか?」
先ほどと違い、饒舌に話すマーサ。信頼している人間が疑われているという話を聞いて、激昂する人間は少なくない。祐樹もそれはわかっている。
だからこそ、目を逸らさずに真っ直ぐマーサを見る。
「……証拠は、ありません」
一言。それだけで、マーサの不安は霧散する。
「だから、本人に話していただきます」
「……え」
祐樹が店の出口へと視線をやる。それを見て、エリスが出口まで行って扉を開けた。扉が開くと同時、店の中に誰かが入ってくる。その人物、初老の男性の姿を見て驚いたのは、他でもないマーサだった。
「お義父さん……!?」
「……マーサさん」
驚愕に声を上げるマーサに対し、力無く項垂れていたマーサの義父にあたる人物、道具屋の店主は、覇気のない声でマーサの名を呼ぶ。その声には、諦めに似た空虚さを感じた。
「店の周辺で警戒していたら、物陰に隠れていた。アンタの勘が当たったな」
そのすぐ後ろを、祐樹たちと別行動をとっていたルーナスが入ってくる。ぴったりと店主に付いている理由は、彼が逃げ出さないようにしているためだろう。
「どうして……」
「はいはーい、こっちも見つけたわよー」
義父を連れてきたのか、とマーサが尋ねる寸前、扉から元気な声が上がる。ルーナスに続いてサニアもまた、ある人物を引っ張ってきていた。
「ほら、もう逃げられないんだから観念しなさい!」
「で、ですから引っ張らずとも逃げませんって……」
サニアに半ば強引に店に連れてこられた様子の青年は、抗議を含めてサニアに言い返す。その青年は、祐樹たちのも見覚えがあった。
青年は、以前祐樹たちが広場に訪れた際に話を聞いた飴売りの青年だった。そして、青年が姿を現すと、マーサは義父同様、驚愕の目を向ける。
「ケインさんまで……」
半ば呆然と青年の名前を呟くマーサ。祐樹は連れてこられた彼らを見回した。
「これで、今回の件に関わった人らほぼ全員やな」
その言葉に、店主がため息を一つつく。そして顔を上げ、祐樹を見据えた。その目にはどこか達観したものを感じた。
「やっぱり、あの証言だけじゃ疑われるのも無理ねぇか」
「いえ、確信したのはたった今です」
その言葉に店主は片方の眉を上げる。
「再び店に訪れた時、マーサさんが脅迫状を持ってきてくれた時がありました。内容は情報収集するワシらの行動を制すための物。しかし、ワシらが情報を集めていることを知っているのはごく限られてくる。ワシらは最初の手紙の内容からして、夫婦と関わりのある人間であると気付きました。依頼人を除くと、事件のことを知っているのは、アンタとそこの兄ちゃんだけのはず。二人のうちどちらかとも思いましたが、第三者による可能性も捨てきれなかった。そこで、ワシとエリスが先に店に入り、そこにいるルーナスとサニアが店の周辺を調べて監視している人間を探し出す役割を頼んだ結果……」
「……なるほど。やはり、素人じゃあこういうのは向いてねぇってことか」
「それから、アンタに疑いの目を向けたのはその時じゃありません」
「……」
「ワシらがあんたに衛兵に連絡はしなかったんかと聞いた時、アンタはこう言いましたね? 『けどまさか誘拐だったとは』と」
「……それがどうしたよ」
「ワシらは……もとい、サニアは『女の子を見なかったか?』と聞いただけで誘拐という言葉は使わんかった。にも関わらず、アンタは誘拐があったことを知っていた。誘拐があったことを知っているのは、ワシらと夫婦だけや。女の子が一人消えたとしか、町の人間には知らん話やったはず」
「おいおい、俺は確か怪しい人間と話していたと喋ったよな? それなら、女の子が行方不明になったと聞いたら、その男が誘拐したと考えるのが筋じゃないか?」
「確かに違和感はない。しかし、アンタの口ぶりはさも最初から誘拐であることを知っとった物やった……まぁ、それだけで断定はできんかったから、疑いの目を向けるだけがせいぜいでした」
「……まいったね。そうも断言されっと、何も言っても言い返されると思っちまう」
自嘲し、店主は笑う。祐樹たちの詮索を止めるために、マーサに手紙を届けさせたのが裏目に出てしまったばかりか、それ以前に自らの失言で疑いの目が向いてしまった。本末転倒とはこのことだろう。
「……で? アンタは俺らが誘拐したと? そう思ってんのかい?」
「ええ」
はっきり。店主の言葉に頷き、祐樹は頷いた。態度だけではない。店主と青年を犯人だと断定している、意志の強い目をしていた。
が、それに反論する者がいた。それは、店主でも、青年でもない。
「ま、待ってください!!」
店主を庇うかのように祐樹の前に立ち塞がり、待ったをかけたのはマーサだった。
「そんなの、言いがかりです!! 証拠もないんでしょう!? なのに義父ちちを、ケインさんを犯人だと決めつけるのはやめてください!!」
「マーサさん……」
祐樹を睨み、怒りに声を荒げるマーサに、店主と青年は何とも言えないような、複雑な表情を見せる。対し、祐樹はそんなマーサをただ黙って見つめるだけだった。
肩で息をするマーサは、興奮で顔を赤くしながらも、真っ直ぐ祐樹を睨む。身内を疑われて怒りを露わにしているその感情は、家族がいる人間ならば誰でも湧き上がる物だろう。それは理解できる。
だが、彼女が彼らを庇っているのは他にある。そう確信していた。
「……店主さん。アンタはあの家に大金があるということを、知っとりましたか?」
マーサの肩越しに、店主へ問う。少し黙っていたが、店主は頷いた。
「で、誘拐した理由は金欲しさと?」
「ですからそれはっ!!」
「マーサさん、もういい」
尚も反論しようとしたマーサを、店主が肩を掴んで遮る。驚くマーサを他所に、店主は祐樹の前に進み出た。
「そうだ。俺は、金欲しさに息子の子供を……俺にとっちゃ孫にあたる娘を誘拐した」
「お義父さん!!」
「ま、待ってください!!」
黙って成り行きを見守っていただけだったケインと呼ばれた青年が進み出て、マーサと店主の前に立った。
「僕です! 僕が実行したんです! 罪があるとしたら、僕だけだ!」
「ケインさんまで……!」
「お、おい、待て! お前何一人だけ罪おっ被ろうとしてんだ! 計画を発案したのは俺だろうが!!」
マーサが店主を庇い、青年が店主を庇い、そして店主が青年を庇う……事態が複雑化してきたためか、エリスは落ち着かせるべきかどうかわからずに狼狽え、サニアとルーナスは黙って見守っている。そして、泥沼になりかけているその渦中にいる祐樹はというと、慌てることも騒ぐこともせず、三人を黙って見つめていた。
やがて、祐樹は口を開いた。
「……ワシが一番重要視しとるのは、誰がやったか、誰が考え付いたか……そういうんやないんです」
静かに言い放った祐樹に、マーサたちは騒ぐのを止め、疑問符を浮かべた。
「ワシが知りたかったのは、“何故誘拐をする必要があったんか”っちゅーことです。この際、犯人は誰かということは置いておきます」
「だからそれは俺が金欲しさに……」
「ちゃいますね」
「っ……!?」
一刀両断。ばっさりと店主の言い分を祐樹は否定し、店主は言葉が詰まった。
「情報集めるために、漁港へ行っとったんや。そこの漁師から話を聞いたところ、アンタんとこの店、漁に関する道具も扱っとるんやろ? 他の店にはそういう物はあまり取り扱っとらんらしいし、専門の店は値が張る。けれど、アンタの店は種類も比較的豊富な上に格安で売っているから、大体の漁師はアンタんところの店を贔屓にしとると聞いた。そんな店の店主が、金に困るとは思えませんな」
店が閉まっていたあの時、中を覗き込んだ祐樹。中には、漁師が扱うような道具が幾つか見えていた。店主を怪しく思っていた祐樹は、確証を得るために、そして他にも調べたいことがあったため、漁師から話を聞きに行った。
そして、店主の店は繁盛しているという情報を得た。普通ならそこで犯人として除外すべきだと一瞬思ったが、それでも店主は何かを隠していると、彼の態度から祐樹は感付いていた。
「で、そこの兄ちゃん……ケインさん、やったか? が誘拐の理由かとも思ったが、それも違うと思う。ほぼ毎日売っとる飴の材料費がいくらかは知らんが、繁盛しとる分、金に困るということはないのでは?」
「……」
図星をつかれたのか、押し黙ったケインを素通りし、祐樹はその人物の前で立ち止まった。
「誘拐の理由……それは、アンタやないんですか? マーサさん」
「っ……!」
目の前に立つ人物……マーサは、祐樹から問われ、肩をビクリと震わせた。
「アンタは五日ほど前、夜になってから出かける機会が増えていた。アンタは出かける理由を酒を買いに行くためだと言っていた……けど、これは実は嘘であり、本当は誰かに会いに行くためではなかったのではないですか? それも、人目につかないように」
「ち、ちが……」
「日が暮れてから家を出たのは、人目につかないようにするため。周囲の人間に見られると都合が悪く、噂が広がればいずれある人物の耳に入ってしまう。そのリスクを冒してまで会いに行かなければいけなかった……それは」
そこまで言ってから、祐樹はマーサ以外の人物……店主、ケインの方へ振り返った。
「二人のうちどっちか、とワシは思っとります」
「っ……」
曇りのない祐樹の目に、店主とケインは咄嗟に目を逸らした。その態度は、すでに自供しているものと同様であった。
それを目にしていながらも、祐樹は話を進めていく。
「五日前って言えば、町の中で怪しい連中が目撃されるようになった時期。今回の事件との関連性があるかどうかは、まだわからんかった。しかし、その日と同時にマーサさんは家を出るようになった。それも、それより以前から一人でに外へ出て行くマットさんと時間をずらし、逆方向に……それって、マットさんに見られたらまずいことだから、と違いますか?」
「そ、それは……け、けど、それで人に会いに行ったとは限らないのでは……」
「確かに、証拠も何もない、ワシの見立てから建てた憶測にすぎません。が、あの時間に物を買いに行くという理由もまた不自然や」
「……」
「おい、ちょっと待ってくれ! アンタの話も憶測でしかないだろう!?」
黙り込んだマーサだったが、代わりと言わんばかりに祐樹に噛みつく勢いで反論する店主。顔には憤り、そして焦燥感が浮かんでいるように見えた。
無論、祐樹としてもこれは確たる証拠もない、飽く迄も憶測にすぎないというのは自覚している。普通の事件ならば、物的証拠もないのに相手を責め立てるのは論外だ。
しかし、祐樹は相手を責め立てるために、彼らをここに集めたわけではない。エリスだけでなく、ルーナスとサニアもそのことを知っている。そのため、祐樹の推理に異論を唱えそうなサニアも、口を閉じて成り行きを見守っていた。
「……調べていくうちにわかったことなのですが」
それに何より、
「はっきり言いますと、娘さんは誘拐された……という『事件に見せかける』必要があったのでは?」
これは“誘拐事件”などではないと、祐樹は気付いていた。
「え……」
言われ、肩を震わせて先ほどの勢いを失くした店主に、祐樹は言葉を続ける。
「アンタたちに誘拐を企てるメリットがない……けれど、誘拐をする理由がある人物が一人、浮上しました」
祐樹は彼らに背を背け、視線をエリスへ向ける。当のエリスは、祐樹が話している間は口を噤んでいたが、小さく頷いて口を開いた。
「……昨日の夜、夜の町にある人を見かけて、怪しく思って跡を追って東の広場にある建物まで行ったんです」
辿り着いた東の広場近くの建物の中に入って行った人物と、中にいた数名の男たちの姿がエリスの脳裏によぎる。エリスは、そこで交わされた会話の内容を語り出す。
「その人は、中にいた人たちに……その男の人たちに借金をしていたみたいなんです。いつまでも返済しないその人は、男の人たちに借金の代わりとしてあることを提示したんです」
そこまで言って、エリスは “その人”に対して嫌悪感を覚えた。昨晩、彼らが話していたその『代替案』の内容。エリスは胸の内を渦巻く嫌な感情を振り払った。
「……自分の娘を、借金の代わりに差し出そうとしたんです」
語るも悍ましい、身内を犠牲にしようとするその神経がわからないエリスは、密かに肩を震わせた。娘を借金の代替として、借りた人物に差し出す……子を守るべき親であるはずの人間がすることとは思えず、その行為は人としての感覚を持つ者にとっては唾棄すべき物であることは間違いない。
無論、例外もあるにはある。貧しい農村が少しでも生きていくための金を得ようと、娘を売りに出す親もいたという。生きる為とはいえ、手塩にかけて育ててきた娘を売りに出すことに抵抗がなかったとは思えない。行ったことは到底褒められることではないにしても、エリスにとっては本の中の出来事でしかなかったが、彼らの感情は如何ほどの物か、察するに余りある。
しかし、今回の件はそうではなく、自分の身から出た錆を娘を差し出して帳消しにしようとしていた。エリスだけではなく、祐樹もまた同様に怒りに震えた。
「……もうわかりますわな。その人物が誰なのか。アンタたちが必死にマーサさんを庇おうとしているその理由が」
エリスの頭に手を置き、祐樹は今一度マーサたちを見る。睨むわけでも、蔑むわけでもない。ただ再確認するため、じっと彼らを一人一人、見つめていった。
「実は漁港で集めていた情報は、店主さんの話だけやないんです。その人物が漁港に仕事で訪れていたのは、聞いた話では夕方から明け方まで。しかし、そこにいるはずなのにその人物はその時間帯には訪れていなかった。寧ろ、最近は仕事をしている姿すら見かけなくなったとか……で、その帰り道に探られては都合が悪いと思うような連中にワシは襲われました」
ま、結局全員返り討ちにしたりましたけど、と付け足す。そんな祐樹と視線を合わせようとせず、彼らは黙って俯く。その中で、力強く握りしまるあまりに拳を震わせる者がいた。
「……どうしようも、なかったんです」
「お、おい」
「マーサさん!」
しばらく続いた沈黙を破ったマーサに、店主とケインが慌て、止めようとする。しかし、マーサは頭を振った。
「もう、いいんです。どの道、この方は私たちがやろうとしていたことをほぼ見抜いています……言い逃れはできません」
顔を上げ、改めて祐樹と目を合わせたマーサ。その顔からは疲れと諦め、そして解放感のような僅かながらも晴れやかな物が感じられた。
「……一月ほど前の話です。普段は仕事が終わり次第、家から出ないはずの夫が夜な夜な外へ出て行くようになったので、私は訝しんで、その子と同じように後を追いました……そしたら、ガラの悪い男たちとつるんでいる夫の姿がありました」
一呼吸置き、マーサは続ける。
「それだけなら、私も何も言いません。夫は私の言うことに耳なんて傾けませんから……けれど、その時に聞いた話は……さすがの私も、怒りに震えました」
「……その時から、旦那さんは自分の娘を売り飛ばそうとしていた、と」
そう祐樹が言うと、マーサは首を振った。
「少し、違うんです」
「違う?」
「はい……娘は、私の子供であって、夫の子供ではありません」
「……え? それどういうことよ?」
横で話を聞いていたサニアが疑問を口にした。マーサの娘であって、マットの娘ではない……それが意味することは、一つだけしかなかった。
「……娘さんは、アンタの連れ子っちゅーことですか」
「はい……」
それを聞いて、驚いたのはエリスとサニア、そして一見落ち着いているように見えて内心動揺している祐樹。ルーナスのみ、片眉を僅かに吊り上げて反応した程度で、驚愕したかどうかは定かではなかった。
「私は、ここよりも南の町で生まれ育った人間です。その町で男性と恋をし、結婚し、娘を生みました……けど、幸せも長くは続かず、元夫は町長の跡取り息子であるという立場を利用して別の女性と関係を持ち、一町人に過ぎない私は娘と共に厄介払いという体で、せめてもの情けにと、手切れ金を渡されて追い出されてしまいました」
祐樹は、こういったケースから発生するいくつもの事件を思い出す。職業柄、そういった事件に出くわすことも珍しくはないし、サスペンスドラマの題材にも使われがちな話でもある。しかし、当の本人たちにとってはたまったものではない。まさか別の世界に来てまでそんな境遇に陥っている人間と出会ったことに、内心では愕然としていた。
「幼い娘を連れて歩く旅は、心細くて、辛くて……何より、娘には大変な思いをさせてしまいました……そして、どうにかこの町に辿り着いたんです。最初は、慣れない町でどうすればよいかわからず、途方に暮れていて……そんな私たちに、救いの手を差し伸べてくれたのが、今の夫、マットでした」
当時の境遇を思い出し、唇を噛むマーサ。少し間を置いて、話を再開する。
「出会った当初の夫は、とてもよくしてくれました。飢えに苦しんでいた私と娘を助けてくれたばかりか、私たちの境遇を親身になって聞いてくれて……気付けば私は、すっかり夫に心奪われていました。心細かった私にとって、夫の言葉一つ一つが暖かく感じたんです。やがて、私と夫は恋をして……やがて一緒になりました」
「俺もその時は驚いたよ。なんせ、息子が子連れの女性を連れて来るんだからな……普段はぐーたらしていた息子が、女性と結婚すると聞いて、俺は喜んだんだがな……それまでは息子と二人暮らしだったんだが、嫁さんを迎え入れる以上、俺は足枷になるかもしれねぇと思ってよ、家を出たんだよ」
ここまで聞くだけなら、傷心の女性を救った男として、マットは好印象を受ける。が、今の状況と照らし合わせると、そのマットの行動には裏があるようにしか見えない。或いは、一緒に生活していくうちに、何らかの切っ掛けで心変わりしてしまったのか……。
「……最初の頃は、私も夫を愛していました。けれど、だんだんと粗暴な態度が顕れ始めて……やがて夫は、私に手を上げるようになりました。夫は漁師だったんですが、成果が思わしくなかったり、漁師仲間の間で問題が起こったりすると、八つ当たりに私を殴りつけるようになったんです。娘にも暴言を吐くようにもなって……そして、やっと気付いたんです。夫は、誰でもいいから自分の憂さ晴らしの道具が欲しかったのだと。私は、運悪くその標的にされてしまったんです」
「……サイッテー」
小さく呟くサニアの軽蔑が込められた声が祐樹の耳に届く。恐らく、この空間にいる誰もがそう思っていることだろうが、今は静かに、マーサの独白を聞くことに専念した。
「それから、ずっとそんな生活を続けていて……それでも私は、いつか夫の下から逃れるため、密かにお金を貯めてきました。その貯金の中には、村から追い出された際に渡された手切れ金もありました。本当は嫌な思い出があるから使いたくなかったのですが、娘のためを思うと、そうも言っていられなかったのです……けど、そのお金も夫にバレてしまい……全て没収されてしまいました」
「……その貯金額は、もしかして」
話の流れから、祐樹は予感する。祐樹が言わんとしていることを察し、マーサは力なく頷いた。
「はい……200ゴルドです」
「……それって……!?」
マーサの貯金額。それを聞いて、別の場所でもその金額を聞いた記憶があったエリスは、しばし考えてから思い出した。
「あの脅迫状……取り返そうとしたんやな。その金を」
「……あのお金は、私が娘と生きていくために必要だった物です。町にいた時の忌まわしい記憶を思い起こすお金でもありましたが、娘のためを思えば……なのに、あの人は……!」
思い出し、激昂したマーサは語気を荒くし、ガンッとテーブルに両手を力強く叩きつけた。
息を荒くし、涙をこらえて顔を歪めるマーサ。その悔しさ、悲しさが全身からにじみ出ているかのように、体を震わせる。
「あの人は……事もあろうに私の娘をも売りに出そうとしていました! 全ては、お金のために! 自分とは血の繋がっていない娘だから情も湧かないと、つるんでいた男たちに向かってそう言って!!」
積もりに積もった、行き場のない怒り。それらを吐き出すかのように慟哭し、再びテーブルを叩く。
「……夫に少しでも娘に対する情があればと、僅かながらの希望に縋って今回のような事件を起こしました……そうして、何とか200ゴルドを取り戻そうとしたんです」
「……誘拐の案は、俺が出したんだ。ある日、マーサさんが夜に相談に来てな」
気持ちを落ち着かそうとするマーサに代わり、悲痛と憤怒が入り混じった複雑な表情のまま、己が起こした行動を店主が話す。
「最初は、まさか息子がとは思ったさ。けどよ、最近はマーサさんの顔色が日に日に悪くなっていってるし、エリーちゃんは笑わなくなってきちまった。それと今回の話を聞いてよ……俺ぁ情けねぇ。ようやく俺も肩の荷が下りると思ってたってのによ……」
深いため息一つ。息子が自分の妻と娘に暴力を振るい、挙句大事な金をも奪うという暴挙に出ている。それを知った時の情けなさといったら、言葉にできなかっただろう。
「けどよ、あいつは腕っぷしが強い。俺のような年よりとマーサさんの力じゃ返り討ちだ。それに腐っても俺の息子だ。情だってある……だから衛兵に相談せず、あいつから200ゴルドを取り返すための計画を練った」
「僕も……店主さんには商売について色々お世話になったし、他ならぬマーサさんの願いでもあったから、協力したんです」
横で黙っていた飴売りのケインも話に入る。
「けどよ……200ゴルドを持ってる奴が、何の意味もなく娘を売りに出そうなんて馬鹿なこと考えるわけねぇんだよ……後々になって気付いたさ。マーサさんの200ゴルドはすでに奴の元から消え失せてるってな。恐らく、ぜーんぶ酒代が賭け事に消えちまったんだろうよ」
「じゃあ何でまだ続けようとしたのよ? お金がないなら続けたって意味ないじゃない」
サニアが疑問を呈す。狂言誘拐の元々の目的である200ゴルドが無い以上、狂言誘拐を続ける意味はないはず。
が、それに答えたのは祐樹だった。
「止めたところで意味がなかったんやろ。確かに金を取り戻すんが目的の誘拐やったんやろうが、元を辿ればマットが娘を売ろうとしていたのが始まりや。娘が帰ってきたところで売りに出されてまうのがオチや。最悪、騒がせた腹いせに何をしでかすかわからんかったやろ」
「衛兵に連絡してしまえば、俺たちが娘を匿っているのがバレる。マットもマーサさんにしている件もあって衛兵に睨まれているから、出来るだけ穏便に済ませたかった。俺たちは、マットに感付かれないよう、マーサさんたちが町から出ていくための準備を密かに進めようとしていた……そんな時に……」
そこで、店主はルーナスとサニアへと視線をジロリと向けた。
「なるほどな……そんな時に、俺とサニーが声をかけたってことか」
「あ……」
唐突に現れた二人は、店主たちからすれば厄介者以外の何物でもない。サニアからすれば善行であるはずだったが、そんな事情があると知らず、暴力夫に加担していたということとなる。それに気付き、サニアは罰が悪そうな顔をした。
「最初こそ俺は焦ったがな。誰彼構わず子供はどこだーって叫びながら町中走り回るんだからよ……まぁ、衛兵も相手にしなかったのが幸いだったが」
「ああ、今回ばかりはこのバカに救われた形になるのか」
「バカってはっきり言うな。いや今回は私が悪いんだけど……」
こんな時でも毒を吐くのを忘れないルーナスにサニアが噛みつくも、罪悪感からかいつもの勢いがなかった。
「まぁ、俺らとしてはそれでよかったんだがな……けど、まさかアンタみたいな人間が来るとは思ってなかったよ」
言って、祐樹とエリスを見る。疲れたような笑顔を向けられ、祐樹は頭を掻く。
「職業柄、こういう細かい点にも目ぇ向けてまうんです。それに、ワシ一人だけやったらマットの真意に気付けんかった」
言って、隣のエリスの頭に手を置く。いきなりのことで少し驚くエリスだったが、言われたことによる照れから少し顔を赤らめた。
「全く……やっとできた娘のような存在のためとはいえ、悪いことはできねぇな。結局、全部明るみにされちまった」
「店主さんは悪くないですよ! 僕だって同罪です!」
「そんな……二人は私のためにやってくれたんです! 責任があるとすれば私が……!」
自嘲する店主に、ケインとマーサが己の責任であると言い合う。
マーサの相談から始まり、店長が発案し、それに無関係かと思われていた飴売りのケイン。三人による誘拐……もとい、誘拐という名の“匿い”とでも言うべき計画。全ては、血の繋がらない娘を売り飛ばそうとする夫から娘を守るための狂言誘拐だった。そこに悪意はなく、寧ろ悪意から罪なき少女を助けるための善意が引き起こされた事件。それが今回の騒動の原因だった。
「……それで、娘さんはどこに?」
そして、当の娘であるエリーの居場所を祐樹が問うと、言い争っていた三人の動きがビクリと止まる。それを教えることは即ち、マットに居場所がバラされるということ……三人はそう認識している。
「ま、待ってください! お願いです! 娘のことを夫にはどうか、どうか……!」
「俺からも頼む! もうあいつは、人を人と思わねえバカ野郎に成り下がっちまった! 血が繋がってなくても俺の孫なんだ!!」
「僕からもお願いします! お願いします!!」
祐樹の前で跪き、頭を下げて必死に乞う三人。傍から見たら、天上にいる身分の者に頭を下げているかのようなその光景。たった一人の少女を守るために、恥も見聞も捨て去る彼らを嘲り、笑う人間はこの場には誰もいない。
彼らの目の前に立つ祐樹は膝を着く。そして、未だ頭を上げないマーサの肩に手を置く。
「アンタらがやったことは、住む世界が違えば罪に問われるかもしれません。ワシには、アンタらのしたことが正しいかどうかなんて決めつけることはできん」
日本の法律は、ここでは通用しない。故にこの世界の倫理観も、祐樹のいた世界とは違う。彼らが引き起こした騒ぎが、責められる物かどうかなんて、祐樹にはわからない。
しかし、法律が違くとも、祐樹の世界と変わらない物がある。
「けど……我が身を顧みずに子を守ろうとする人間は総じて、自分がしたことに責任を持つことができると、ワシは思います」
世界は違えど、子を想う親というものは、やはり強い。下手をすれば、自分の身が危ぶまれるのを覚悟の上で起こした騒ぎ。それを祐樹は、自身の知識の中にある法律云々を除き、責めるつもりは毛頭なかった。
「……娘さんは、アンタ自身が迎えに行ったってください。きっと待っとるやろうからな」
「え……けれど」
言ってから立ち上がる祐樹。マーサはそれを聞いて顔を上げ、言葉の意味がわからず戸惑う。
「大丈夫や。もう娘さんを脅かす危機は去っとる。今頃は牢屋の中や」
悪戯っぽく笑う祐樹に、マーサたちは目を見開く。祐樹に追従するように、エリスも口を開いた。
「あ、あの、お子さんを買おうとしていた男の人たちも捕まりました。後はあなたが旦那さんから暴力を受けていたことを衛兵の皆さんにお話ししていただければ……」
この店に訪れる前、しばらく拘留されていた祐樹とエリス。その時に彼らに追われていたことと、マットのことを説明した。彼らが潜伏していた場所も判明している上、捕えた男たちを尋問すれば、彼らがこの町でしようとしていたこともいずれ解明できるだろう。マーサの娘を買おうとしていた連中だ。埃を叩けばいくらでも出て来るのはほぼ確実。仮に男たちの罪が無くとも、マットは娘を借金の肩に売ろうとしていたという事と、妻に暴力を振るっていたという事実によって、確実に捕まる。衛兵の話からすれば、少なくともこの国では人身売買は違法であることが定められている。身内に手を上げることも同様だった。
「じ、じゃあ……私、は……私と娘、は……」
震え、瞳を揺らすマーサ。そんな彼女に、祐樹は頷く。エリスも、ルーナスとサニアもまた、彼女が言わんとしていることを察し、頷いた。
「あ……あぁぁぁぁ……」
自身を追い詰めるだけに飽き足らず、娘を危機に陥れようとしていた男が消えた……その実感から来る安堵、苦しみからの解放。それらによって感情が溢れ出し、両手で顔を覆い、床に座り込んだまま、その場で泣き始める。ケインはそんなマーサの肩を持ち、微笑みながら同じく涙を流していた。
横では店主が、魂が抜けたように尻もちを着くように座り込む。顔にはマーサと同じ安堵と、息子が捕らえられたという事実の前に、喜びとも哀しみともつかない複雑な感情が現れている。しかし、それよりもようやく解放されたという喜びの方が大きい。
抱えていた重石が、取れた。それはこの事件が、善意が悪意から逃れるために起こした騒動が、これで終わったということと同義であった。
場に、啜り泣く声のみが響く。その中で祐樹たちは、悪意から解放された被害者かれらを静かに見つめていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます