35.解決へ向けて


 暗い路地裏の中における唯一の光源は、僅かに空から差し込まれる月明かり。その明かりが、エリスを、そして男たちを弱々しくも照らし出す。


 後ろを見れば小柄な男。エリスより少し背丈が高い程度ではあるが、腰には鞘に入ったナイフが見える。身のこなしから見て、修羅場は潜っているのだろう、下手に切り抜けようとすれば逆にこちらが返り討ちにあうかもしれない。


 対し、正面を見れば、見上げんばかりの大柄な男、そしてリーダー格の男。リーダーの男は大柄の男よりも背丈は低いものの、あの大柄の男は彼のことを兄貴と呼んだ。彼がリーダー格の男であることは間違いないだろう。


 リーダーの手にはロングソードが握られ、反対に大柄の男の手には何も持っていない。しかし、丸太のように太い筋骨隆々としたあの腕ならば、素手が凶器となりえるだろうことは予測できる。


 こうして分析できてはいるが、エリス自身はこの状況を切り抜ける術を持っていない。それでも何とか活路を見出そうとするが、非力なエリスにとって、まさに日本古来の諺にある『前門の虎、後門の狼』と呼べる状況であった。


「こ、こいつは!?」


 エリスが内心でこの状況をどうすべきか考えあぐねている時、マットがエリスを指さして叫ぶ。「あぁ?」とドスの効いた声でリーダーの男がマットに振り返った。


「なんだよ、知り合いか?」


「え、ええ。俺が依頼した連中のうちの一人です。何でここに……」


「へぇ……こんなガキに依頼かよ」


 狼狽えるマットに、リーダーの男はエリスをねめつける。裏社会で生きる人間の目つきで見られ、エリスはサァっと血の気が引く思いをした。


 遺跡での、あの悲劇……敬愛する育ての親を殺した、あのブロンドの男。あの時の赤い記憶が、走馬燈の如く場面が切り替わり、鮮明に思い出していく。


 家に現れ、問答無用で遺跡まで連れていかれたあの日。そこでハンスを切り裂いた、ブロンドの男……あの男と比べれば威圧感は雲泥の差ではあるが、エリスにとっては、当時の記憶を思い出すのに十分だった。


「ひ……あ……」


 フラッシュバックを起こしたエリスは、呼吸もままならず、足に力が入らずに震え、目の焦点が合わない。そんなエリスを見つめていた男は、やがて満足気に頷いた。


「ほぅほぅ……このガキ、売ればなかなか高値で取引できそうだな」


「そ、そんな! この場で殺ってしまった方が……!」


 その先を言う前に、マットの鼻っ面に裏拳が叩き込まれた。容赦ない一撃に、さしものマットもその場で鼻を抑えて蹲る。


「誰に命令してやがんだ、この雑魚。あのガキのことは俺が決めんだよ……黙ってろ」


 マットに唾を吐き、改めてエリスを見る。いまだ恐慌状態から回復していないエリスは、肩を震わせて後退る。


「よぅ、嬢ちゃん。大人しく俺らと来な? 悪いようにはしねぇぜ?」


 口の端を釣り上げ、獰猛な笑みを浮かべる男に、エリスは首を振るう。


「い、いや、です……来ないでください!」


 どれだけ男たちが恐ろしくとも、エリスは許しを乞う真似はしない。ましてや、男たちに大人しくついていくつもりなど、毛頭なかった。故に、過去のトラウマに襲われながらも、必死に抵抗の意を見せる。


 傍から見れば、それは健気な少女として映るだろう。しかし、男は気が長い方ではなかったようで、声に僅かながら怒気が含まれた。


「おいおい、お兄さんたちを怒らせないでくれよ? 今なら盗み聞きしたことも許してやるから、な?」


 一歩、一歩とエリスに近づく男たち。卑しく笑うその姿を見て、エリスは頽(くずお)れそうになりつつも、必死に思考する。


 思い切り叫べば、衛兵が気付いて飛んでくるはず……だが、その前に男たちが襲い掛かってくるだろうし、衛兵が近くにいるとも限らない。もし衛兵が来るのが間に合わなかったら、その前に殺されてしまうのがオチだ。


 ならば……と、エリスは杖を引き抜いた。


「お?」


 驚いた様子で声を上げるリーダーの男。エリスは、なけなしの勇気を振り絞って、男たちをキッと睨んだ。


(大丈夫、この人たちは違う。おじいちゃんを殺したあの男の人じゃない。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫……!)


 先ほどは当時のことを思い出してしまって体が硬直してしまったが、あの時の男と違うのだと、エリスは必死に己に言い聞かせた。その甲斐あって、腰が引けてはいるものの、杖を構えることができたのだった。


 それでも状況は最悪だ。無論、勝つために戦うのではない。一人でも隙を作れば、なんとか逃げるための活路は見いだせるはず。足は生まれたての小鹿の如く震えているが、このまま黙ってやられるわけにもいかない……その一心で、エリスは両手で杖を握りしめた。


「おいおい、大人しくしろって言ったろうに……しょうがねぇなぁ」


 金属が擦れ合う音が聞こえる。月明かりに反射して、鈍い輝きを放つ剣を、男が引き抜いていた。大柄の方も拳を鳴らし、小柄の男もナイフを舐めて威嚇する。


 各々得物を携えた大の男三人に対し、武器は杖だけの小娘(エリス)。男たちが侮るのも無理はない。事実、エリス自身に男たちと渡り合える実力は持ち合わせていない。


「それじゃあ、ちょっとばかし……」


 リーダーの男が、剣を手にエリスに歩み寄る。エリスは杖を横に持って構える……が、それも戦いを知らない素人の持ち方でしかなく、震えて腰も入っていない。それを見て、男はますます笑みを深くした。


「動けない程度に、痛めつけてやりますかっとぉ!」


 剣を振り上げる男に、エリスは杖を持ったまま立ち尽くす。


 殺されは、しないと思う。手か足を切りつけて、一時的に動けなくするのが相手の狙いだろう。しかし、エリスは遺跡の悲劇以来、再び向けられた悪意に対処することができなかった。


(ユウキさん……!)


 そんな彼女にできることは、杖で可能な限り防御することと、心の中でパートナーの名を叫ぶしかできず。しかして、その声は届かず、無情にも男の剣がエリスに向けて振り下ろされようと……。


「はっ!!」


 刹那、路地裏に新たな声が響く。地を駆ける音と、跳躍する音。直後、エリスの眼前に月明かりを遮る影が落ちたかと思うと、今度は金属同士がぶつかり合う硬質音が鳴った。


 エリスの視界に、男以外に新たな人物が映し出される。黒い髪を靡かせ、エリスを傷つけようとした凶刃を、横向きに構えた刃を持って防いだその背中。


 エリスは、この背中を知っている。日こそ短く、いまだ彼の人となりは謎に包まれている。しかし、彼とはこの町に来て以来、今回の事件を解決するために奔走してきた、所謂仲間とも呼べるような存在。


「……無事か、ピエリスティア」


 男からの剣を防ぎながら、チラと振り返る。長い前髪から覗き見える冷静な目つき。見間違いようがなかった。


「ル……ルーナス、さん」


 その場でエリスはへたり込む。凶刃から逃れられたことと、仲間であるルーナスが駆け付けてきてくれたこと、それらから来る安堵が、震えて限界を超えていた足腰から力を奪い、情けないと思いつつも動けなくなる。


「な、んだテメェ……!」


 力ずくで抑え込もうとする男。対し、ルーナスは相も変わらず涼しい顔で、逆に押し返していく。


「……フン」


「うぉ!」


 せり合いの状態から、ルーナスは弾くように男を突き飛ばした。見た目は華奢な体つきをしているルーナスにあっさりと力負けし、距離を離された男は、先ほどの余裕ある態度から一変、憤怒に彩られた顔でルーナスを睨みつける。


「野郎、いきなり現れやがって……どこのどいつだ、あぁ!?」


 一般人なら震え上がるような怒声。ルーナスはそれすらも涼し気に流し、逆に侮蔑を交えてた目で男を見た。


「名乗るつもりはない……というより、お前たち如き、名乗るのも面倒だ」


 右手に持ったロングソード。そして、腰の後ろから両刃の短剣、ダガーナイフを引き抜き、それを逆手に持った。


「まぁ、手っ取り早く説明すると、お前らのような汚物は、とっとと衛兵に突き出すに限る……悪く思うな」


 余裕綽々といった様子で挑発するルーナスに、男はこめかみには血管が浮いて出たのが、エリスにもわかった。そんなに怒らせては、相手を本気にさせてしまうのでは……そう不安になったエリスは、座り込みながらオロオロとするしかなかった。


「んだとこのガキィ!! 一人が二人になった程度でイキがってんじゃねぇぞ!!」


「おおおおおおおおお!!」


 背後に控えていた大柄の男が、両腕を挙げてリーダーの男に加勢する。エリスの後ろを陣取っていた小柄の男も、ナイフを手に飛び掛かって来た。


 それでも尚、ルーナスは余裕を崩さない。寧ろ、呆れを含んだため息をついた。


「……所詮三下か。くだらない」


 今まさに、小柄の男がルーナスの背後に飛び掛かろうとした、その瞬間。


「あぎぃぃぃぃっ!?」


 トスッ。そんな軽い音をたてて、男が吹き飛び、手にしていたナイフも落とした。


 奇声を上げて地面に転がった男の後ろの右肩口には、一本の矢が突き刺さっていた。


「生憎だけどねぇ!」


 今度は少女特有の高い声が路地裏を支配する。ルーナスと小柄の男を除く全員が視線を向ければ、小柄の男がいた場所から離れた先。スカーフを靡かせつつ、弓に矢を番えて立つ少女の姿がそこにいた。


「私がルーだけにいい恰好させるわけないじゃないの!」


「サニアさん!」


 喜色を含んで名を呼ぶエリスに、サニアは駆け寄り、膝を着いた。


「ピエリスティア、大丈夫!? 怪我ない!?」


「は、はい……おかげ様で……」


 安堵で泣きそうになりつつも、しっかりと応えるエリス。そんな光景を気に食わない者たちからすれば、それはフラストレーションが溜まる物だった。


「このガキども!! 調子乗ってんじゃねぇぞ!!」


 リーダーの男が剣を手に、大柄の男が拳を振り上げてルーナスたちに迫る。対し、ルーナスは冷静にロングソードを突き出し、ダガーを持つ腕で口元を抑えるような構えを取った。両手に持った得物が、月の光を反射し、妖しく光る。


「サニー、ピエリスティアを見てろ」


 その言葉を皮切りに、ルーナスは駆ける。黒い風となったルーナスは、男たちに肉薄し、そのまま正面から衝突する……かと思われた瞬間、ルーナスは跳躍した。


 曲芸師めいて体を横に回転させながら飛び上がったルーナスは、軽々と男たちの頭上を飛び越え、背後を取った。


「しゅっ!」


 そうして、軽やかに着地、同時に右手に持つ剣を逆袈裟に振るう。風切り音を鳴らし、銀閃を走らせるルーナスの剣は、リーダーの男の背中……ではなく、腰のベルトを易々と切り裂いた。


「て、テメ、ぐあ!」


 腰に付けていた鞘を括りつけていたベルトが地面に落ちる直前、ルーナスは剣を振った勢いを利用して体を反転させ、後ろ回し蹴りを男の背中に叩きつけた。海老反りのような形で吹き飛ぶ男は、その際に剣を取り落とす。ルーナスはそれを確認することもなく、またも跳び上がる。今度は壁に向けて跳び、壁を蹴った。


 所謂、三角跳びの要領。壁を蹴りつけた勢いを利用し、今度は大柄の男目掛けて、


「ぐぶぇぇぇっ!!」


 男の横っ面に、飛び蹴りをお見舞いした。槍のような鋭い蹴りによって、靴底が頬にめり込み、顔が面白いくらいに歪んだ男の歯が数本、宙を舞う。それと唾液と歯茎からの血も撒き散らしながら吹き飛んだ男は、建物の壁に叩きつけられ、そしてズルズルとずり落ちていった。ルーナスは膝を曲げて着地し、一息つきながら立ち上がった。


「う、うあああああああ!?」


 その光景を目にした、鼻から血を流して成り行きを見守っていたマットは悲鳴を上げる。踵を返し、恐れおののいた顔のまま逃げ出そうとした。


「フッ」


 が、それを見咎めたルーナスは男が落とした剣を拾い上げ、それを槍投げのように投げつけた。


「ヒィッ」


 風を切り裂いて飛んでいった剣は、マットの顔スレスレの壁に命中させ、石と石の隙間に突き刺さる。


 唐突に行く手を塞ぐように壁に刺さり、振動で震える刃に、己の姿が映し出されているのを目にしたマット。あと数ミリ、前に出ていれば、鼻先は削がれていた。


それに気付くと、恐れと諦めから力が抜け、ヘナヘナと腰から崩れ落ちていった。


「す、すごい……です」


 軽やかな身のこなしを活かした、見るも鮮やかな戦い方に、エリスは目を奪われる。まさに、赤子の手を捻るかのように男たちを無力化したルーナスの実力は、エリスの想像を遥かに超えていた。


「相変わらずやっるぅ! ま、私に比べたらまだまだだけどね!」


 フフン、と胸を張って誇らしげに笑うサニア。エリスは思う。何でサニアが自慢気に言うんだろうと。あえて口には出さず、心の奥でそう思う程度に留めておいたが。


「ち、チクショウ! 付き合ってらんねぇぜ!」


 と、戦勝ムードになっていた一行の隙をつき、リーダーの男が痛む背中を抑えながら、這う這うの体で逃げ出した。


「あ、この! 逃げんな!!」


 矢を番えようと弓を構えるサニア。が、それをルーナスが抑えるように下げさせた。


「ちょ、何すんのよ!」


「そんなことしなくても、あいつは逃げられないさ」


 しれっとそういうルーナスに、サニアとエリスは顔を見合わせ、首を傾げた。見れば、男は必死に路地裏から出る道目指して走り続けていく。


 後少しでここから出られる……そんな距離まで来たところで、路地裏に一人の男が入ってくる。


 大柄で、月明かりの弱々しい光では、エリスたちから見て顔までは見えない。しかし、その大柄な輪郭にエリスは見覚えがあった。


「ど、どけええええええ!!」


 男は、剣を突き出す形でその人物に迫る。そして、逃走の邪魔建てをする相手目掛けて、剣を突き立てようとした。


「フンッ!!」


 が、それは叶わず、軽く体を横にズラすように動いて剣を持つ手を掴まれたかと思うと、襟首も掴まれ、そのまま持ち上げられ、


 ズゴンッ。


 そんな痛々しい、鈍い音をたてて、顔面から横の壁に鐘の如くぶつけられた。鼻がひしゃげ、熱い物がこみ上げてくる……が、それよりも衝撃で脳が揺らされたことで、鼻から出て来る血を見ることはなく、意識は異次元へ飛んでいく。


「……あんなぁ、お前」


 そう言われ、手を離されると、重力に従って男は床に倒れ込んだ。目を回した男に意識はなく、声すら届くことはない。


「お巡りさんが悪人にどけ言われてどく訳ないやろ。アホか」


 唾棄するかのように言い捨て、男を米俵のように担ぎ上げた。そうして、暗がりの中から現れた人物……祐樹は、疲れた顔で三人に歩み寄った。


「ユウキさん!」


 先ほどまで怯えたままでいたエリスが、喜色満面となって足取りがフラついていながらも祐樹に駆け寄った。祐樹は男を地面に下ろすと、駆け寄ってきたエリスの肩を掴み、屈んで目線を合わせた。


「エリス……! 大丈夫やったか?」


「はい……ごめんなさい、ご迷惑をおかけしました……」


 エリスは、祐樹に、そしてルーナスたちに心配をかけてしまったことから、叱責を受けるのを覚悟していた。しかし、祐樹はエリスに怪我がないことを確認すると、安堵のため息をついた。


「いや、迷惑とは思ってへんけどな……けど、無事で何よりや。もう無茶はせんでくれよ?」


 祐樹としては、エリスを叱りつけるつもりではいたが、本人が自覚しているのであればあまり多くは言うまいと、窘める程度に留めた。それに、怖い思いをした今のエリスに厳しい言葉を投げかけるのも憚られた。


「……はい」


 心配をかけてしまった挙句、結局役に立てずに足を引っ張ってしまったことに、エリスは負い目を感じた。祐樹が気遣ってくれたものの、胸の内に渦巻く自己嫌悪の霧は晴れない。


「……ってか、色々聞きたいんだけど。アンタどこ行ってたのよ?」


 弓を背負いながら、サニアが暗くなるまで宿に戻らなかった疑問を祐樹に投げかけた。


「あぁ……港や。知りたい情報があったんやけど、集団で行動すると目立つからのぉ。まぁ、結局帰り道に襲撃されたけど」


 何てことのないように説明する祐樹だったが、サニアとルーナスよりも先にエリスが反応を示した。


「え……襲撃!? だ、大丈夫だったんですか!?」


 さっきまで落ち込んでいる様子から一転し、詰め寄る勢いのエリスに祐樹は驚き、僅かに体を仰け反らせた。


「い、いや、全然大丈夫やけど。寧ろ全員返り討ちにしたったし」


 祐樹は、ここに至るまでの経緯を説明する。


 あの時、町へ戻ろうと思った矢先に、数人の謎の男たちから襲撃は確かに受けた……が、そこは武闘派刑事の意地というものを発揮。相手は喧嘩慣れしているようだったが、それだけだ。所詮素人に毛が生えた程度の実力でしかなかったチンピラ連中を、まるで軽く腕を引くだけで倒したり、或いは投げ飛ばしたり。結果的に全員叩きのめして衛兵に突き出しておいた。その際、軽く尋問をしておくのも忘れてはいなかった。


そして宿へ戻ろうとした矢先、宿屋から出てきていたルーナスたちと合流。エリスの姿が見えないことから、手分けして探していた……そして今に至る。


「そ、それで怪我は!? どこか切られたり叩かれたりとか!?」


 それでエリスの気が休まるというわけでもなく、尚も祐樹に詰め寄った。さしもの祐樹もタジタジである。


「だ、大丈夫やって。無傷やから。な?」


「けど……!」


「あぁもう、話進まないでしょ? 大体、それを言うならアンタだってこんな時間に外に出るとか何考えてんのよ。窓の下を見たらアンタがどっか行く姿が見えたから追って来たんだけど」


「う……」


 そんなエリスの勢いを削いだのは、呆れた物言いで問うサニアだった。自身もまた、マットを目撃して真意を確かめるために無謀な追跡していたのだから、祐樹に詰め寄るのはお門違いにも思えた。


「……とにかく、詳しい話は後にしよう。この騒ぎを聞きつけて、じきに衛兵が駆け付けてくる。俺とサニーはこれ以上衛兵に世話になるとまずい」


「え、何でよ。別に悪いことしてないのに」


 ルーナスに反論するサニア。それをルーナスはため息一つ、心底呆れた目でサニアを見た。


「……この町で騒ぎを起こしまくったのはどこのどいつだ」


「……あ」


 言われ、サニアは思い出す。


 祐樹とエリスに出会う前に、すでに何度も町で騒ぎを起こしては衛兵に世話になっていることを失念していた。今回は別に悪事を働いたわけでもなく、寧ろ悪人を成敗したと言ってもいいのだが、正直何度も迷惑をかけている衛兵たちに見つかれば、あらぬ疑いをかけられ、それこそ町から追放される可能性も出てきてしまう。


「アンタらは何もしていないが、俺たちと一緒にいるとばっちりを食らう羽目になるかもしれない。だから悪いけど、俺とサニアは宿へ戻る。衛兵への説明、頼んでいいか?」


「……はぁ、しゃあないわな」


 まるで指名手配犯のように逃げざるを得ない二人に、祐樹は同情した……最も、この場合はサニアに振り回されているルーナスに対して、の方が正しいかもしれない。


「すまない、じゃあまた後で」


「……ごめん」


 謝りつつ駆け出したルーナスと、申し訳なさそうな顔で小さく謝罪してからその後を追いかけるサニア。二人は暗い路地の向こう側へと消えていった。


(まぁ、悪い子やないことは確かやな)


 二人が消えていったのを確認してから、遠くから聞こえてくる複数人の足音の主に対してどう説明するか、祐樹は頭の中で考え始める。


 そんな時、コートの裾が軽く数回、引っ張られているのを感じた。


「……ん?」


 何に引っ張れているのか確認するため、振り返る。そこには、祐樹のコートの裾を握るエリスの姿。その顔は真剣そのもので、コートの引いて意識をこちらに向けていたのだと祐樹は悟った。


「どないしたんや、エリス?」


「……ユウキさん、話したいことがあるんです」


 祐樹は疑問符を浮かべつつも、エリスの話を聞くために軽く姿勢を低くする。そしてエリスは、先ほどマットたちが建物の中で話していた内容を語り始める。


 話を聞いていくうちに、徐々に祐樹の顔が険しくなっていく。眉間に皺が寄り、明らかに憤怒を湛えているのがわかった。


「……確かなんか?」


「はい……」


 確認する祐樹に、エリスは頷いた。信じられないといった感情と憤りが混ざったような複雑な感情が、エリスの胸を渦巻く。


 そして祐樹は、エリスの話を聞き、考え込む。


 確固たる証拠こそない。だが祐樹の中では、今回の事件の全貌がわかってきていた。それがエリスの話を聞いて、より確信に近づいた。


 明日、話を聞かねばならない……が、その前に今やることがある。


祐樹はエリスから視線を外し、いまだ腰が抜けているマットを見やり、立ち上がった。いまだ腰が抜けているせいで、這う這うの体で逃げ出そうとするマットの腕を掴んで立ち上がらせ、背中から壁に叩きつけるように抑えつけた。


「ひぃっ……!」


「逃げんなやぁ。お前さんがしでかそうとしたこと、きっちり洗いざらい吐き出してもらうで」


 ドスの効いた声によって、マットの思考を恐怖が覆いつくしていく。


 月明かりが、声の主のその顔を照らし出す。かつて犯罪者たちに鬼刑事と言われ恐れられた男の顔。憤怒に彩られた“それ”を直視したマットは、全身から力が抜け、股間が湿っていくのを感じていた。


 同時に、確信する。鬼に睨まれたら最後、『もはや逃げられない』ということを。


 マットは、駆け付けた衛兵が路地裏に踏み込んでくるまで、祐樹に拘束されていた。その時にはすでにもう、抵抗する意思は持っていなかった。






 翌朝。太陽が顔を出し、仕事のために家を出て、大通りを大勢の人々が行き交い始める時間帯。重い荷物を背に負った女性、仕事道具を手に持って職場へ向かう男性。老若男女、今日と明日を生きるために、一日の仕事に精を出す。


 それはここ、『清き乙女亭』とて例外ではない。店の主と女将の夫婦が厨房で仕込みをし、そして客が賑わうホールでは、給仕として働くマーサが、幾つもあるテーブルと椅子を整理していた。全ては食事に訪れる客のために、朝早くから働く。


 しかし、思考は別のところにある。今、たった一人の娘のために、四人の旅人が町を駆け回っている。彼らは初めて会った自分たちのために、手がかりのない中で娘を助け出そうとしてくれている。見返りを求めている風でもなく、ただただ善意で行っているのだろう。


 普通ならば、マーサは彼らに感謝するべき話だ。他者のためにああも必死になれる人柄には、マーサも好感を抱いている。


 しかし……その胸中に渦巻く物は、不安。それは、娘が無事かどうか……そういう物ではなかった。


(……あの人も、昨晩から帰ってきていない)


 さらに、いつもならば夜遅くに帰ってきているはずの夫が、朝起きても姿が無かった。それがマーサの不安に拍車をかける。


 もしかして、何かあったのではないか。自分“たち”が予想だにしていない出来事が起きているのではないのだろうか。内心気が気でないマーサは、慣れているはずのテーブル拭きにも身が入らない。


 何度目かのため息をついた時、扉の蝶番が軋む音が聞こえてくる。扉が開いた時の、聞き慣れた音だ。


「あ、ごめんなさい。まだ開店準備中で……」


 まだ仕込みが終わっておらず、それも昼時にはまだまだ時間がかかる。勘違いして入店してきたお客と思い、扉へ振り向いたマーサは、そのまま硬直した。


 入って来たのは、二人の男女。見慣れない服装をした背の高い厳つい男性と、銀髪の気弱そうな少女。


彼らのことを、マーサは知っている。先ほどまで考えていた、娘を探してくれている四人の旅人のうちの二人だった。


「あ、すいません。お忙しい時間にお邪魔してしまって」


「お、お邪魔します」


 男、祐樹が頭を下げ、それに倣って少女、エリスも同じように下げる。マーサも会釈するが、見てわかる程に狼狽えているのがわかる。


「あ、あの、どうして……」


 その言葉の意味は、二つある。何故今ここへ訪れたのか? 何の用があってここへ来たのか? それがわからず、混乱するマーサは二の句が継げなかった。


「……何も用が無くて、こんな早くにここに訪れたわけやないんです」


 突然の来訪に申し訳なさそうに、しかし、確固たる意志を宿した目で、祐樹はマーサを見つめた。


 そして、告げる。この事件を、終わらせるために。


「今回の事件、わかったかもしれないんです」

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