第4章 新たな仲間

25.精霊の恩恵



 太陽がもうじき真上に昇ろうとしている時刻。木が疎らに生えている草原地帯の一角。穏やかな風に吹かれて波を作る草と、枝葉を揺らして踊る木。そのうちの一本の木の根元。幹によって影が作られたことで暗くなったそこに、膝を立てて座る一つの影。


 顔は影に隠れてよく見えない。体格は小柄。抱きかかえるようにして持っているのは、取り回しが効きやすい大きさの弓。一般的にショートボウと呼ばれるその弓の弦に指をあて、撫でるように滑らせる。


 静かに、口を開くこともなく、その動作を繰り返す。僅かに聞こえる弦と指が擦れる高い音、草木が揺れる風の音を耳にしながら、ただそこに座り続ける。


 その人物は、ただ待っていた。それらの音以外の音が聞こえるのを。


「……っ」


 やがて耳に届く、絶え間なく草を踏みしめる音。間隔からして、駆けているのがわかる。音は、徐々にこちらに近づいてくるのがわかる。


 影は動かない。確実に、自分が待っていた存在かどうか確信を持つまで。


「待たせた」


 そして、ついに確信に至る。音が影の前で止まると、音の発生源でもある存在から声がかかった。


「早かったわね。首尾は?」


 影はゆったりとした動作で立ち上がる。高い声色からして、女性。それも年端もいかない少女の物。手に持っていたショートボウを背中に背負い、声の主と向き合う。


「ああ、お前が言った通りの奴らがいた」


 相手は、低い声をしていた。声質からして、少年よりも青年という感覚に近い。こちらもまた、木の陰によって全貌が隠されているが、背丈は少女より頭一つ分高い。


「そう……なら、問題ないわ」


 少女は、自分の半身に等しい相棒に声をかけるように、背に負ったショートボウの下半分をそっと撫でた。


「……本当に、やるのか?」


 そんな少女に、青年は声をかける。不安気に、という感じではない。あくまでも確認のためだ。だが、無機質なようでいて、そこには少女に対して気遣いが感じ取れる。


 青年の言葉に対し、少女はスッと脇を抜けるように歩き出す。


「愚問ね。私たちがどういう存在か、わかっているでしょう?」

「……」


 無言。それを肯定と受け取った少女は、前を見据えた。


「行くわよ。正義のためにも、ね」


 草原の彼方を見つめるその瞳。エメラルドグリーンに輝く瞳は、強い意志が宿っていた。







「するってぇと、精霊術っていうのはその杖の先にある石……『精霊石(せいれいいし)』? と自分の中にある精神力を使って、周囲に漂ってる精霊の力『スピリス』とやらを集めて、そんで『精霊言語』とやらで撃ち出す……そんな感じやねんな?」

「はい。私はそうおじいちゃんに教わりました」


 グラスホールを出て二日目。出発当時よりも大分なだらかになった道を歩みながら、祐樹はエリスから精霊術の基礎知識を教わっていた。


 小高い丘陵地帯を歩いている二人の左手側には、相も変わらず見渡す限りの大草原が彼方まで広がっているが、木や岩しか見当たらなかった草原の中に、チラホラと人工物が見えるようになってきていた。


 特に目立つのが、風の国に相応しい、大きな異国の風車。遠目からでもわかるように大きな四枚羽をゆっくり回している塔のようなそれは、祐樹にとっては写真でしか見たことのない物だった。風車の傍には小屋らしき物が建っているのが見え、恐らく農家だろうと当たりをつける。そろそろ大きい町が近いのかもしれない。


 そして歩く道すがら、祐樹はエリスから精霊術について基礎だけでもいいから簡単に教えて欲しいと頼んだ。以前、自分には体力はあるが、そういった知識はからっきしだったというのを話し、今後そういった知識が何らかの役に立つかもしれないことを考えたがゆえの申し出だった。エリスも断る理由はなく、快く承諾してくれた。


 無論、好奇心も多分に含まれているということもある。何せ、名称は違えども物語の中でしか存在しないような魔法と何ら変わりない術がこの世には存在しているのだ。こういった事が好きな人間ならば、聞かずにはいられないのは当然とも言えた。


「で、エリスは風の精霊術が得意なんやな? それって生まれつき決まるん?」

「そう、みたいです。風の大陸で生まれた人は、生まれつきに風の精霊様の加護を受けることがあるからだそうです。加護っていうのは、精霊様の力をお借りするのに必要な物で、これが無い人は精霊術を使うことができません」

「ふんふん」


 相槌を入れつつ、祐樹はメモを取っていく。歩きながらなために文字が歪むが、一応読めなくはない。


「それから、近年では他の大陸から来た人と、この大陸の人との間に生まれた子供は、風とその大陸……例えば火の大陸でいいかな。風と火の精霊術を使えたりっていうのはあるみたいです」

「へぇ……」

「ただ、精霊様の加護はその分弱まってしまうようで……高等術を使うのは難しいとされてるんですって」

「あー、器用貧乏ってな感じやなぁ」


 やはり世の中、そううまくいかないようで。別のところの血が混じれば、その分元からあった血は薄まる。濃いジュースに水を入れて薄めるようなものだ。


「だから、一部の地域では他の大陸から来た人を受け入れてはいけないっていう仕来りがあるみたいなんです……全部おじいちゃんからの受け売りですけど」


 詳しくは知らないが、風の大陸の人間の血を絶やさないように、という意味があるのだろうというのは、祐樹にも何となくだがわかる。そういうのは日本の閉鎖的な村でも似たような物はあるにはあると聞く。


「もっと詳しい応用の話ができたらいいんですけど、私もできる精霊術は一つだけだし、おじいちゃんからは精霊術よりも薬学に関しての方を中心に教わっていたので……すいません」

「ははは、ええって。なかなか興味深い話やからな」


 紛れもない本音だ。日本にいれば創作話で済まされるような内容も、ここでは実際に存在しているのだから、興奮しない訳がない。


「あぁ、でもワシここらの人間じゃないから、精霊術は使えんのやなぁ」


 エリスの話の通りだと、加護が無ければ力は行使できないということになる。この世界どころか、別の世界である現代社会で生まれた祐樹には、加護なんて備わっている筈がない。


「えぇ、まぁ、加護があっても、精霊術を行使するにも素質がいりますから。それから、詠唱することでイメージを強くし、『精霊石』の力をより強く高めることができるんです。私もそのおかげで、小さくても何とか強い風の玉を撃ち出すことができます」


 言って、エリスは腰に差していた杖、『シルフワンド』を掲げた。主に護身用に使われるそれは、精霊術を使うためには必須である『精霊石』が先端に付けられている。この『精霊石』に体の内側に貯め込んだ、この世界に空気と一緒に漂う『スピリス』という特有の力を放出する、という形が精霊術の行使ということとなる。


 この石の研究者によれば、遥か太古に、精霊が自身の力を結晶化させ、その上に土や草といった大地を被せていったことで大陸が生まれたというらしく、精霊石はまさにその精霊が作り出した結晶そのものだという。今では精霊石を採掘する産業もあり、生活の要となっている。


「最近では加護を持たなくても術を使えるような道具も作られたんです。そのおかげで昔よりも生活は豊かになってきました」

「おお、それはすごい。なるほど、それで以前は『生活の基盤になっている物』って言っとったんやな」

「はい。村では精霊術を使える人は治癒術士の人以外はいなかったんですけど、大きな町ではそういった道具が普及されているようです。とは言っても、簡単な術しか使えないのが現状みたいなんですけど……私も実物は見たことないんです。それに、多少値が張るみたいですし」


 やはり、そういった道具は経済的余裕が多少ある人間しか扱えないということらしい。頑張れば手が届く、といったところか。フォレストアーチのような、貧しいとまではいかずとも裕福とも言えない小さな村では普及すらされていなかったが、まぁ、精霊石を使うまでもなく生活はできていた様子だったから、正確に言えば必要なかったというところだろう。


 他にも、建築材料を造ったり、あるいは組み立てたり。暖炉に簡単に火を点けたり、治癒術士のように人の怪我を癒したり……大勢の人間が集まる生活圏では、とても重宝しているそうだ。


 何にせよ、そういった道具がない以上、加護がない状態では精霊石は使えないという。何とも惜しいことだ。


「うーん、ワシも精霊術が使えたらよかってんけどなぁ。こう、エリスみたいな風をドーン! ってな感じで。憧れるで」

「そ、そんな大した事じゃないですって。あれは戦闘系精霊術の初歩の初歩なんですから……」


 使えなくて残念そうな祐樹に憧れると言われ、エリスは頬を赤く染めた。


「ふむ……ってか、初歩の初歩ってことは成長するってことやな。練習したら上達するもんなん?」

「え、えっと……確かにスピリスを集めるのに使う精神力を鍛えたり、より強いイメージで術式を構築していけば、強い精霊術を扱うことだって可能なはずなんですけど……」


 祐樹の質問に、言いにくそうにしつつも説明するエリス。「けど?」と先を促す祐樹に、エリスは、


「……どれだけ鍛えても、勉強しても、イメージを強く持っても、初歩の風精霊術しか使えなくって……素質ないみたいなんです、私……」

「すんません」


 なんかエリスの周辺だけどんよりとした暗いオーラが目視できる程の濃さで漂っている気がして、祐樹は反射的に謝罪した。踏んではいけない地雷だったようで。


「……と、とりあえずまとめてみると……」


 気を取り直し、祐樹は手元にエリスから教わった内容をメモした手帳を読み上げる。


 精霊術を扱うに必要なのは、5つ。


 一つ目に、加護。これが無ければ精霊の力は集められない。そして風の加護、火の加護という風に属性分けされているらしく、精霊の力はこの加護を通して、その加護の属性の力へと変化するという。ようはフィルターのようなものを祐樹は連想した。


 二つ目が、スピリス。精霊が世界を形作った際、精霊石以外にも生み出した物が、このスピリスという物。これが精霊術の素となり、術者はこれを体内に集めることから精霊術が始まる。前述したように、加護を通して属性が変わる。


 三つ目が、精神力。スピリスは人間の中にある精神力を糧とし、精霊術として術者の力となる。あまり使い過ぎると、当然の如く疲労はするし、限度を超えると最悪死に至ることもありえるという。最も、その前に気絶するのがオチで、死ぬことは滅多にない……らしい。ハンス談。


 四つ目が、精霊石。術者はこの精霊石を通すことで、初めて精霊術を具現化させることができる。形に決まりはなく、エリスのように杖のような形をしている物以外にも、剣の装飾に使われていたり、ペンダントのように隠し持つことで護身用にすることもできるという。


 五つ目が、精霊言語。この言葉を口にすることで、精霊石に溜まった力を放出することができる。古代より伝わる言葉で、まだ全てが解き明かされていない謎の言語。今世界で使われている精霊言語も、解明できた言語のほんの一部だという。エリスが使う風の精霊術は、『ウェンディ・ブロウ』と言う。英単語を少し捻ったような物だ。


 加護が『弾倉』、スピリスが『銃弾』、精神力が『火薬』、精霊石が『銃身』、そして精霊言語が『引き金』……それら全てをひっくるめて、術者が『銃』そのもの、といったところか。


 おまけとして、詠唱というものもある。自分が使おうとしている精霊術を強くイメージするために、術者が声を張り上げることを詠唱と呼ぶ。イメージがあやふやなままだと不発するか、或いは暴走する可能性もある。精神力を蝕まれる精霊術を行使するならば、イメージを作るための詠唱は必須とも言える。イメージの強さが、術の力を左右するというわけだ。エリスの場合だと、詠唱だけでなく、杖を頭上で振り回して風を杖先に集めていくイメージを持つことで安定するという。人によってイメージの仕方は様々なのだとか。


 だが詠唱に関しては例外はいる。強い精霊術使いというものは、並外れた精神力と想像力を持ち、そして膨大な知識を蓄えている者ということらしい。そういった者たちは、詠唱を唱えることなく強力な精霊術を使うことが可能だとも。


「……こんな感じか。いやぁなかなかにおもしろい」


 パタンと手帳を閉じ、ホクホク顔で言う。一口に精霊術といっても、構造をイメージすればなかなかややこしい。それでも、超常現象にも等しい力を個人が引き起こせるというのは、祐樹がいた世界ではありえなかったことだ。ガスも水道も電気もない、技術レベルは中世辺りと推測するが、その代わりに精霊の力が人々の生活の支えとなっているこの世界。これにはロマンを求める祐樹としても、おもしろくない訳がない。


「精霊様の力、スピリスは、つねに私たちの身近に存在しているんです。空気だけじゃなくって、火にも、水にも、そして土にも、精霊様の恩恵が宿っています。だからこそ、私たちは生きていられるんです」


 そして、そんな精霊を生み出し、全ての命に恵みを与えてくれる存在……この世界を創造した神。この世界の命全ては神から生まれ、そして精霊によって育てられている。人々はそんな神と精霊に感謝を捧げて、日々を生きている。


 自然の恵みは全て精霊のおかげ……そう考えれば、崇める理由もよくわかる。精霊術抜きにしても、精霊の力あっての命というわけだ。


 ……しかし、精霊だけでも十分偉大だというのに、それを生んだ神はどれだけ至高の存在だというのか。いや神という時点で偉いを通り越してとんでもない存在だというのは重々承知はしているが、それにしたって帰るためとはいえども、そんな神に会おうとしているのだから、我ながら本当に無謀だと、祐樹は改めて実感する。


 先のことなどわからない。今はとにかく、西へ向かって歩くのみ。気分を切り替え、メモを懐にしまいつつ笑う。


「うし、ワシもいつか精霊術使えるように頑張るかのぉ!」

「え、でもユウキさん、加護がないから使えないんじゃ……」

「いや、気合でどうにかならんかなぁと」

「気合でどうにかなったら誰も苦労してませんよ……」

「ははは、冗談や冗談」


 世の理でもある加護を気合でどうにかしようと冗談めかして言う祐樹に、エリスは苦笑せざるをえなかった。


 そんな風に笑い合いながらしばらく歩き続けていると、道に変化ができた。祐樹たちが歩いている道は、舗装もされていない砂利道。それが少し先を歩いた地点から地面の毛色ががらりと変わり、無数の石を敷き詰めた石畳の道が二手に別れる形で伸びていた。そして道が別れる分岐点の脇には、一本の棒に三枚、それぞれ別々の方向に向けて鋭角に切られた板が打ち付けられた物が突き刺さっていた。板には文字が書かれており、これが看板なのだと一目でわかった。


「おお、どうやら別れ道に差し掛かったようやな」

「みたいですね」


 気持ち足早に看板へと歩み寄る。看板は正面の道、左手側の道、そして今しがた歩いてきた後方の道を指し示している。正面の道の看板には『ウォルフゲート』、左手側の道の看板には『リバーバンク』、後方側の道の看板には『グラスホール』とある。


「ウォルフゲートかぁ。リバーバンクやらグラスホールは何となくどんな場所かイメージはできるんやけど、これはどういう経緯でそう呼ばれてるんかわからんなぁ」

「狼の、門? 確かに、よくわからないですよね」


 その町にはその地名にちなんだ名前が付いていたが、狼の門と呼ばれている由縁はさっぱりだった。方角的に領主が住まう町の名前みたいだが、領主と何らかの関係があるかもしれない。


 ともかく、祐樹たちが目指すのはそのウォルフゲートだ。そこから北へ向かうルートへ進む。


 前方を見れば、曲がりくねった道の先、遠くに見える草原の中を流れる川が煌めいている。地図に記されている『ルノー川』だ。ここから見たら小さく見えるが、実際は川幅が広く、川べりに居を構える人々にとっては大切な生活資源の宝庫でもある。その更に向こう側には、霞がかって薄っすらと見える大きな山。


 あの川を越えた先、そして山の付近にウォルフゲートがある。そしてそこに行くまでには、波のようにうねるような丘陵が続く。この辺りから岩の数も増え始め、祐樹とエリスの傍にも4m程の塔のような岩が聳え立っていた、


「この先、何回か野営しながら行けば辿り着けるな。もうひと踏ん張りや」

「はい、頑張ります!」


 ここまで来るのにも、かなり体力を使った。この先もまだまだ続くとなると辟易してしまいがちだが、エリスは気合を入れ直す。自分が決めた旅だ。これ以上、弱音など吐くわけにはいかない。


「うーし、ほな出発っと」


 その場から歩き出すために一歩、足を踏み出した。



 瞬間、祐樹の背筋に悪寒が走る。何度も危機を乗り越えてきた第六感が警鐘を鳴らした。



「エリス、下がれ!」

「え……」


 祐樹に庇われる形で行く手を遮られ、エリスは戸惑いの声を上げたと同時。


 風切り音、そして祐樹が足を踏み出そうとした地面に何かが突き刺さる音が鳴った。


「うぉっ」

「ひゃっ!?」


 突然のことに驚き、小さな悲鳴を上げる二人。看板の根元付近、地面に深々と突き刺さったそれは、白い羽があしらわれた一本の細い棒……否、生き物を殺傷する目的で作られた“矢”だ。


「誰や!?」


 祐樹を狙ったのは明確。奇襲を受けたと判断した祐樹は、腰から警棒を引き抜いて叫ぶ。エリスも慌てつつも杖を手に取り、両手で持って姿の見えぬ敵を怯えながらも警戒し、見回した。


 祐樹は、地面に刺さった矢を見やる。鏃が埋まった矢の角度からして、射出地点は右側。それも高度から。となると、必然的に相手がいる場所は……。


「アーッハッハッハッハ!!」


 と、唐突に響き渡る笑い声。声からして、女性の物。祐樹は敵がいると踏んだ、すぐ近くに聳え立つ岩の天辺を見上げた。


 目を凝らすまでもなく、その姿ははっきりと見えた。岩の頂点に立つのは、プラチナブロンドの髪を後頭部で一本に束ねた、18、9程の少女。ややつり上がったエメラルドグリーンの目は愉悦に輝き、犬歯が見える口を大きく開けて笑い声を上げている。茶色の革のジャケットと、橙色のフレアスカート、そして首に巻かれた深緑色のスカーフという出で立ちの少女の左手には、白く輝く弓が握られていた。背中からは数本束ねられた矢が見えている。彼女の立っている位置、得物、そして羽の色からして、犯人に間違いようがない。


 そして少女のすぐ横に立っているのは、長い黒髪をした青年。背は少女よりか上だが、年は同い年のようにも見える。右目を覆うように前髪を伸ばしており、唯一の視界となっている紫色の左目からは感情が読み取れない。革の軽装の鎧のような恰好をしており、左腰にはロングソードが下げられている。じっと祐樹とエリスを見つめるその目から、活発な印象の少女と正反対に、冷静沈着な性格が伺える。


「悪党に名乗る名前なんてないわ、この悪党め! あたしの正義の矢に狙われた以上、アンタの悪事もここまでよ!!」


 髪とスカーフを靡かせつつ、少女は祐樹へ向けて叫ぶ。そして、


「とう!!」


 声と同時に膝を曲げ、その場から飛び降り


「……」

「……」

「……」


 ようとしたが、何故か止まった。


「……」

「……えっと」

「……あ、あの?」


 硬直し、無言になった少女に、身構えていた祐樹とエリスもどうしたらよいかわからず、声をかける。少しして、再び体勢を戻した少女は一つ咳払い。


「んん……あたしの正義の矢に狙われた以上、アンタの悪事もここまでよ!!」

「え、何でもっかい言うん?」


 先ほどとまんま同じセリフを叫び、そして、


「とう!!」


 声と同時に膝を曲げ、その場から飛び降り


「……」

「……」

「……」


 ようとしたが、また硬直した。


「……」

「おい、どうしたんや一体」

「何かありました?」


 先ほどまで警戒していたが、行動の意図がわからず平常に戻る二人。そんな二人に少女はというと。


「……ち、ちょっとそこ動かないでよ! 絶対よ!!」


 言って、弓を背負ってから降り始めた。


 岩の突起物を探しながら、慎重に。


「よいしょ、んしょ……あぁもう、登るのは楽だったのに何でこんなに降りるのはしんどいのよ!」

「お前が登場するなら高い所がいいって言ったんだろ。お前が悪い」


 悪態をつく少女に対して辛辣な言葉を投げつける青年。必死こいて降りる少女を、岩の上からのんびりとした様子で見下ろす青年。会って早々、二人の上下関係がなんとなくわかったかもしれない。


 そしてたっぷり30分。少女は時間をかけてもうすぐ地面という地点まで降り切った。


「はぁ、はぁ、はぁ……も、もうちょ、い……」


 が、後少しという安堵から油断してしまったのかどうかは知らないが。


「あ」


 ツルっと足を滑らせてしまい、


「ぎゃん!」


 思いっきり尻もちを着く形で落下した。鈍い音がした。


「いだだだだだ! お、お尻が、お尻が!」


 尻を抑えて悶絶する少女。固い地面というだけあって結構痛そうではあるが、高さ的には50cm程なので、大きな怪我を負うことはないだろう。


「えぇっと……エリス、傷薬あったか?」

「はい、ありますけど……あの、大丈夫ですか?」

「ふっつーに心配してんじゃないわよぉ!!」


 そんな少女を心配そうに気遣う二人。すでに芝生の上で胡坐かいて座る祐樹と、その横で横座りしながらハラハラしていたエリス。もはや二人の中で少女に対する敵愾心は殆ど無くなっていた。敵だと思っていた相手が必死こいて岩から降りようとしているのを見ていればこうなるのは必然だった。


 当然、少女は憤慨する。勢いよく立ち上がり、打った箇所を摩りながら怒鳴った。涙目で。


「んなことより!!」

「あ、打ったところもう大丈夫なん?」

「だから心配してんじゃねぇわよぉ!!」


 何とも緊張感のないやり取りが続く。ますます涙目になっていく少女を見て罪悪感が湧いたのか、祐樹は「よっこらせっと」と言いながら立ち上がり、改めて対峙した。エリスも祐樹の隣に立ち、杖を握りしめる。


「うし、じゃ改めて……で? ワシらに何の用なん?」


 警棒を手に問いかける祐樹。いきなり弓矢で狙われる謂れは無く、何の理由があって奇襲をしかけてきたのか。思い当たるのは、以前戦った黒装束の男たちくらいで、連中の仲間か何かかと思いもしたが、どうも目の前の少女からはそういった雰囲気が感じられない。というか奴らと関係あるとも思えない。


 だが、油断はしない。一見、関連性が無さそうに見えても、意外なところで繋がっている可能性がある。捜査をする時は、様々な可能性を想定することは基本とも言えた。


 件の少女は、尻の痛みも引いてきたのか、先ほどと同じような強気な目を、それも祐樹に対して溢れんばかりの敵意を宿しながら睨みつけた。


「何の用? フン! とぼけんじゃないわよ!!」


 そして、ビシッ! という擬音がつきそうな勢いで、祐樹に指を突きつけた。


「私に見つかったからには、もう逃げ場なんて存在しないわよ! この……!」


 祐樹はこの時、様々な可能性を考えていた。あの男たちとの関係者か、それとも単なる盗賊の類か。金銭目的で襲ってきたのならば、軽く追い払う程度に戦う算段でいた。


 だが、


「誘拐犯!!」

「……は?」

「……へ?」


 さすがに犯罪者扱いされるのは、想定していなかった。

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