21.なだらかな道で

 


 この世界は、何もない大地に神が降臨し、自身の子供たちである4の精霊に命じ、世界を形作ったとされている。


 土の精霊は命が住めるように大地を作り替え、水の精霊は命を育む水を生み出し、火の精霊は破壊と創造を司る火を生み出し、そして風の精霊は草木の種を世界中へ撒いた。


 その後、神は命を作り出し、精霊によって作られた世界に産み落としたという。そしてそれぞれの精霊たちは、4つの大陸に別れ、命を見守り、育む役目を負った。それが今の世界の在りようだという。


 祐樹たちがいるこの『風吹く大陸ウェールラント』は、その名の通り風の精霊が守っている。この大陸の特徴は、どこまでも広がる大草原と、緑生い茂る山々が特徴の、いわば自然豊かな土地。4つの大陸の中でも比較的穏やかな気象であり、豊潤な大地によって人間だけでなく、動植物にも住みよい環境が揃っている。


 そんな大陸の中心国家『ウィンディア』は、平和主義者である国王が治めている。そのため、この世界のどこよりも安全な国であるというのは、世界中の共通認識であった。


「……なるほどなぁ」


 言って、祐樹は手元の手帳に書かれた世界についてのメモを読みながら、見た目はサンドイッチの料理、『サンズブレド』に齧り付き、頬張った。シャキシャキとした水気の多い葉野菜が塩漬け豚の塩気をマイルドにしてちょうどいい塩梅になっており、それらを挟み込んでいる硬いパンの麦の風味も合わさって絶妙にマッチしている。


 村から歩いて半日が経った。この世界の太陽の位置を見て、何となくで調整した腕時計の時刻を見ると、もうお昼を回っていた。そこで、休憩ついでに昼食を摂るため、砂利道の途中に生えていた一本の木の下に、二人並んで座っていた。


 メイスが作り、持たしてくれたこの料理。名前は別物だが、中身はサンドイッチと何ら変わらない。それを食べつつ、祐樹はメイスから学んだ神話を思い出していた。


 世界の成り立ち。祐樹が会おうとしている神というのは恐らく、この世界を作り、精霊とやらと命そのものを生み出した存在だろうと当たりをつける。何となく、元の世界の日本神話を彷彿とさせる内容だった。


 世界を創造する程の存在とどうやって会うべきか、想像もつかない。旅の最終目的が大きすぎて、実感もわかない。というかそもそも、本当にこの世界を作ったのは神なのかどうか、今更ながら疑問を抱く。海底火山が噴き出して地形が形作られ、海から命が生まれたというのが、祐樹のいた世界での常識だ。もしその常識がこの世界でも当てはまるのならば、神など最初から存在しないことになる。そうなると、帰る宛など無くなってしまう。


(でも、この世界には魔法みたいな力があるからのぉ)


 だがここは異世界。文字通り、タネも仕掛けもない、精霊という力が実際に存在している世界。元の世界ではありえないことも、この世界では十分あり得る。天地創造を成した存在である神が実際にいるという可能性は高い。そう考えると、会えるかどうかは激しく疑問ではあるが、少し希望が持てた。


 安堵したところで、再びサンズブレドを齧る。半分以上食べたそれを見て、祐樹は考えを神話から切り替え、この世界にある物について考える。


 どうもこの世界にある物は、祐樹のいた世界と変わらない物が多くあるようだ。食材から始まり、料理、一部の植物……意外にも共通点がある。ただ、大きく違う物があった。


 それは、名称。この『サンドイッチ』であるはずの料理も『サンズブレド』と呼ばれているし、挟んである野菜は『レタス』ではなく『ミズの葉』と呼ばれていたり、『トマト』のことも『トゥメイの実』と呼ばれていたり、そして『玉ねぎ』のことを『ニオンの根』と呼んでいた。その物の特徴を表したような名前だったり、あるいは英単語をもじったような名前であったり、はたまた文字を入れ替えただけ、所謂アナグラムのような物だったりと、実に多彩だった。


 半面、パンやスープ、豚、馬など、元の世界と変わらない名称を持つ物や動物も多くある。これがどういう理由でそういう風になっているのかは、祐樹にはわからない。これらの名称が変わらない物と、大きく変わっている物が入り混じり、メモを取らないと覚えきれないという事に陥ってしまっている。


 それから、名称以外にももう一つ。それは、文字にある。


 この世界の共通言語、祐樹の世界で言う英語のような物は、どうもアルファベットの文字によく似ている。ただ、アルファベットに比べると、若干形が歪んでいたり、或いは線が一本付け足されていたり。“A”の文字を例えにするならば、“A”の中にもう一本線を付け足したような感じだ。小文字の“a”の場合は、円の中に一本、小さい線を入れるのだが、小さすぎてもはや点にしか見えない。文法や綴りは英語と大きな変化はなかったため、英語の基礎知識がある祐樹でも何とか覚えることができた。


 名称と文字。これらの元の世界とこの世界の共通点を見てみると、案外、二つの世界は何らかの関連性があるのではないかと、祐樹は考えた。結局、それが何なのかまでは検討もつかないが。


(……ま、今はええかな)


 判断材料が少ない今、憶測を建てるしか今はできない。思考を切り替えて、祐樹はメモを閉じる。「ごっそさん」と言ってから手についたパン屑を叩き落とし、チラリと横を見やる。横では、大口で食べる祐樹と違い、小さい口ではむはむと大きなパンを齧っているエリス。両手で持ちながら必死になって食べているその姿は小動物のようで、どこか微笑ましい。


「さて、と」


 エリスが食事を終えるのを待っている間、祐樹は腰からある物を取り出す。


 それは、祐樹の長年の相棒にして、最近までは殺傷能力の高い剣と化していた物……収納状態の警棒だった。つい最近までは、大剣となってしまっていた警棒。それが今、こうして元の姿に戻っている。




 元に戻ったのは、メイスの家で厄介になって三日目の日。メイスの家の外で、少しでも大剣の扱いに慣れるために、剣道の竹刀のように中段で持ち続け、体勢を維持するという、一見すると地味で意味がないようにも見える事を数分間続けていた。振るう前にまず手に持ち続けて馴染ませなければ、宝の持ち腐れになってしまう。魔物との戦いでも、祐樹からしてみればただ振り回しただけに過ぎない。例え我流であったとしても、この先ずっとこの剣に頼らないといけないとなれば、とにかく思いつくことをやっていこうと祐樹は決めていた。


 そうして、やがて大剣を握る手の筋肉が震え始めた時、祐樹は大剣を下ろした。そしてその後、こう思った。


『ホンマ、そろそろ元の警棒に戻って欲しいのぅ』


 大柄な敵相手ならば、大剣が有利かもしれない。だが、対人戦闘において有利なのは、取り回しが楽な警棒だ。大剣を扱うことも大切だが、同時に警棒のような慣れ親しんだ武器が欲しい……切にそう願った。


 その瞬間だった。パシュンという破裂音に似た軽い音と共に一瞬光り、大剣のサイズが縮んだ……ではなく、元の警棒の姿に戻っていた。


 あまりに突拍子のない展開に、祐樹は目が点になった。しばらく硬直し、持ち上げてみると、元の警棒の重さだった。


 しばらくその状態でいた祐樹だったが、ふと元に戻った切っ掛けが何かを考える。そしてすぐに思い至り、警棒を縦に持ってみて、こう念じた。


『大剣に……変われ!』


 今度は質量保存の法則を無視し、先ほどと同じ破裂音と光と共に、再び大剣へと姿を変える。


 それを数回、大剣、警棒と繰り返す。姿を変えるスイッチが、祐樹の強い念一つだと気付いた瞬間、祐樹は両手を地面について項垂れた。


 そして思う。『訳が、わからない……!』と。誰だってそう思う。




 回想から現実へ戻り、祐樹は警棒の柄を軽く振るった。


(いまだ謎が多いが、こうやって使い慣れた武器に戻れたんはありがたい)


 柄のスイッチを押し、シャフトを伸ばす。現れたのは、鈍い輝きを放つ銀色の金属棒……ではなく、若草色の、大剣と同色の金属棒だった。


 大剣へと切り替わることができるようになった影響からか、祐樹の警棒は形状こそ変わらないものの、色合いが大きく変わってしまっていた。それだけでなく、以前は使い込んできたせいで年季の入った傷だらけだったはずのシャフトが、新品同様に生まれ変わっている。柄部分こそ祐樹の手の形に馴染む物の筈なのに、どうにも違和感が拭えない。


 ただ、違和感こそあれどメリットの方が大きい。警棒が大剣に、大剣が警棒に変化するということは、祐樹の手元には今、二つの武器が揃っているということになる。これがあれば、相手によって形状を変えて戦うことが可能となったわけだ。使いこなせば、戦闘を有為に進めて行くことだってできる。


 そう、対人戦闘だって、殺傷能力の高い大剣を使わずに済むかもしれない。


 我ながら、甘い考えかもしれない。だが祐樹は、警察官として極力殺人は犯したくはなかった。無論、最悪の状況に陥ってしまった場合、過剰防衛になるかもしれないが、それを破るのも止む終えまい。でなければ、エリスどころか、自身の命すら守れない。


 ただただ、そんな状況は訪れないで欲しい。祐樹はそう願うしかなかった。


「……ふぅ、食べ終えました」


 そんな祐樹の横で、エリスが一息入れながらサンズブレドを食べ終えたことを告げた。


「お、おお。ほれ、水飲んどき。ちょっとにしときや」


 エリスのバックパックから、水の入った革袋を取り出してそれを手渡す。長い旅は食料だけでなく、水も貴重品。たっぷり入っているとはいえ、少しずつ飲まなければならない。エリスは革袋の蓋を開け、傾けて水を少量、口に注いだ。パンによって乾いた口内が潤う。


「んく……ありがとうございます。ケフ」


 礼を言うと、小さくげっぷをしてしまい、口を抑えて少し顔を赤く染めるエリス。祐樹はそれを聞いてないフリをして、自身のバックパックから丸められて紐で封をされた年季の入った紙を取り出した。


「うし、じゃあ改めて目的地の確認しとくで」


 紐を解いて紙を広げると、黒いインクで描かれた図が現れる。メイスが傭兵時代に世話になったというウェールラントの地図だ。形の第一印象としては、文章におけるかぎかっこのような、北の大陸が横に長く、南の大陸が縦に長い。ただ、北の方が面積が広い。祐樹たちがいる場所は、南側の大陸の中間辺りだ。


 メイス曰く、世界地図も渡したいところだったのだが、生憎メイスの家には置いていなかった。それも世界地図そのものも割と高価だという。テラリアへ向かうのならば、必要になったらその国で地図を購入していった方が安上がりらしい。


 閑話休題。


 祐樹はエリスの方へ寄って地図を見やすくする。エリスも地図を覗き込む。


「えーと、メイスさん曰く、フォレストアーチを出てから北西にある村を経由するんやったな」


 言って、祐樹はメイスに教わった経路を思い出しながら地図を指さす。そこはこの世界の文字で『フォレストアーチ』と書かれた地点から北西にある『グラスホール』という名の村。地図を見る限り、フォレストアーチを含めた幾つかの村は、周辺を山脈に囲まれた草原の中に建っているような形だ。北西の方は山が無く、その先へしばらく進み、北側の土地に入ってから幾つかの村、町を経由してさらに西へ向かうと、この国の王がいる王都『プリマヴェル』がある。そしてさらにそこから若干西南側へ歩いて行けば、この大陸での目的地、ウィンディアの玄関口である港町『ウェスエラ』へ辿り着く。


 そこから船に乗って、南の大陸フィアマーラへ向かう。北の大陸ヒエムリアは、地球でいう所の北極のような所。寒さに慣れない人間にとっては極寒地獄に等しく、しかもそこへ向かうには、防寒具といった重装備が必要になる。従って西へ向かうのならば、温暖な気候でまだすごしやすいとされるフィアマーラを渡ってから通った方がよいとされている。


 因みに、直接西の大陸アウトムヌーアへ赴くことは不可能だ。何故ならば、4つの大陸の中心地点の海域に一度でも足を踏み入れると、二度と戻ってこられないという。昔はウェールラントとアウトムヌーアを繋ぐ海路があったようだが、そのような事態があってからは、直接西へ向かう海路は閉鎖されてしまい、現在は北と南へ向かう海路しか残されていない。何度か国が総力を上げて調査に赴いた事があるらしいが、調査員を乗せた船は悉く同じ運命を辿り、帰ってくることはなかったという。中央海域には巨大な魔物が住んでおり、通る船を悉く飲み込むだとか、中央海域はつねに嵐が巻き起こり、船を全て転覆させて沈めるだとか色々言われているが、全て噂の域を出ない。そのためこの海域は、行くと死が待つ謎の海域ということで、人々の間で『魂食らいの暗黒海域』と呼ばれている。


 飛行機のように空を飛んで渡る方法も、この世界ではまだ確立されていない。致し方ないとはいえ、何とも不便なことだが、急ぐ旅でもない。ならばここは教わった通りの経路を進むのが無難だろう。


 ひとまず、ウェスエラへ行く前に中心都市であるプリマヴェラへ向かい、神に関する情報があれば収集したいところ。可能ならば数日滞在し、再び旅の準備をしつつ英気を養っていきたい。


「この調子で行けば、夜までには村の前に着きそうやな……そこで野営するか」

「そうですね」


 生憎、村には宿がないらしい。知り合いもいない村では、泊まる場所がない。そのため、村の近くで野営をすることとなる。


 行き先を改めて確認し、昼餉を済ませたところで、祐樹とエリスは出した物を片付けてからバックパックを背負い、立ち上がった。


「もう休息は大丈夫やねんな?」

「はい。いつでも大丈夫です」

「はは、若いっちゅーのは回復も早いのぉ」


 笑いながらおどけて見せる祐樹に、エリスも「えへへ」と照れて笑う。これからまだ歩くのだ。いつでも笑ってリラックスしていけるようにしていきたいのは、二人とも同じだった。


「ほな、行くか!」

「はい!」


 二人は、休憩していた木を後にし、再び歩き出した。


 整備のされていない砂利道。幅は車一台分が通る程。道の上に車輪が通った跡が見えるのは、行商人等がここを通るからだろう。


 横を見れば、どこまでも広がる草原という名の緑に輝く大海原。風が吹くたびに草は揺れ、擦れる音と共に波となる。波は、祐樹たちを追い越して道の先へと流れていく。波が向かう先、遠くに見える山脈は青く、陽光を受けて煌めいて見えた。


 空はほぼ快晴。流れる雲はどれも小さくまばらで、太陽の光を遮り、草原の上をゆっくりと移動する影を作っていた。


 暑いという程でもなく、寒いという程の気温でもない。歩けば少し汗ばむが、そこまでの体力の消耗はない。


 長閑な風景を横目に、二人は歩く。整備こそされていないが、起伏の少ない道のりが続いている。


 大きな変化こそないものの、広大な自然の中にある道を進む二人の心は穏やかであり、景色を楽しむ余裕もあった。


「いやぁしっかし自然が多くてええのぉ。ワシが住んどるところとは大違い!」

「そうなんですか?」

「おう。今ワシが住んどるところはビルがものすごく多くてのぉ。まぁ、ガキの頃は田舎に住んどったから、懐かしい気持ちはあるがな」


 都会暮らしが長い祐樹にとって、このような景色は早々お目にかかれない。幼少時、山の近くで暮らしていた祐樹としては、この景色は郷愁の念を感じてしまう。


「ビ、ル?」


 祐樹の言葉に聞きなれない用語が出てきて、エリスは首を傾げた。


「ん? ビルって知らんか? 建物のことやねんけど」

「えぇっと……初めて聞きます。どんな建物なんですか?」

「んーそうやなぁ。言い換えたらでっかい塔みたいな感じ? やろかな?」


 間違えてはいないが、祐樹の少ない語彙力ではそう言う風に例えるしかなかった。


「そんな物がいっぱい建っているんですか!? へぇ、想像できません……」

「ははは、ワシかて田舎から出てきた時はびっくりしたもんや。いつかどんなんか見せたるで」

「た、多分、圧倒されちゃうと思います……」


 エリスの想像だと、レンガ造りのとんでもなく高い塔が所せましと立ち並ぶような、圧倒どころか道を歩くだけで圧迫感すら感じてしまうような光景だった。まぁ、レンガ造りの塔以外はあながち間違いではないのかもしれない。


「なぁに、住めば都っちゅーてな。エリスやったらすぐに順応するんちゃうか?」

「……が、がんばります!」

「何をがんばんねん」


 そんなやりとりをしつつ歩き続けていると、徐々に太陽が山の方へ傾き始めてきていた。夕暮れが近い証だ。周囲には光源になるような物はなく、暗くなってしまえば足元は一切見えなくなってしまう。


 太陽が徐々に山の向こうへ沈み始め、爽やかな青空は哀愁漂う藍色へと変わり、山々は黒のヴェールを纏っていき、その縁を夕暮れの茜色が染めてコントラストを描いている。緑色に輝いていた草原も、太陽光が消えゆく今、暗闇に覆われていく。さながら漆黒のカーペットのようだ。


 なだらかな道が続いていたが、やがて小高い丘にさしかかり、緩やかな坂道を上る。上り切ると、丘から少し離れた場所にチラチラと小さな明かりが密集する形で幾つも灯っているのが見えた。


「おぉ、あれが村やな」


 手を翳し、見下ろすように村を眺める祐樹。ここまで来れば、もはや辿り着いたも同然だった。


「うし、ほな今日はここで休もか」

「は、はい」


 歩き続けて少し疲れたのか、息を弾ませつつ返事をするエリス。近くに小さな岩が鎮座している場所を見つけ、そこで野営をすることにした祐樹は、足元の草をバックパックに入っていたナイフを使って刈り取り、円形に二人が座れるようにした。予め持ってきていた薪木を組み、祐樹の持っているライターを使って火を点ければ、焚き火の出来上がりだ。その頃になると、完全に日は沈み、黒い絵の具で塗られたような夜空の中を散りばめられたような満天の星空が瞬き、二つの月が昇り始めていた。


 焚き火を挟む形で毛布を敷き、その上に座り込む。疲れていたエリスは祐樹に勧められ、少し横になりつつ祐樹が夕飯に火をかけるのを眺めていた。


「すいません、本当なら手伝いたいんですけど……」

「ええってええって、気にせんでも。こういうアウトドアもワシゃ好きやったからな」


 大学時代、友人たちと一緒にキャンプ場でバカみたいに騒いでいたのを思い出す。あの頃からアウトドアにしばらくはまって、月に2回は自然の中に繰り出していた。警察官となってからは忙しくて頻繁に行くことはできなくなったが、気が向いた時にはキャンプ場へ行ったりしている。


 まぁ、まさか現在進行形でアウトドア通り越して本格的なサバイバルをする事になるとは、夢にも思っていなかったが。それも異世界で。


「……あの」

「んー?」


 しばらく祐樹が夕飯の入った鍋を混ぜていると、エリスから声がかかった。


「ユウキさんの住んでいた場所って、どこにあるんですか?」

「え」


 ピタッと、木のレードルで混ぜていた手が止まる。


「その、祐樹さんの服装とか話し方って、村から出てなかった私からしてみても珍しく見えたので……メイスさんも珍しそうにしてたから、どんな場所から来られたのか気になって」


 疑問を説明するエリスに、祐樹は内心焦る。


 考えてみたら、エリスと出会ってから祐樹は自分が住んでいた場所についてほとんど語っていない。せいぜい放浪の旅をしていた、ということぐらいだ。それも誤魔化すための嘘である。


 何せ、異世界から来ました、なんてハッキリ言える訳もない。隠すことではないものの、まず信じてもらえない可能性の方が高い。いらぬ混乱を招きたくないゆえに、祐樹は出身をぼかしてきたのだが……。


「……あー……」


 さて、何と答えようか。祐樹は視線を彷徨わせ、考えた。


「……あ、あの! 別に、答えにくいことなら無理に答えなくとも……!」


 起き上がり、両手をパタパタ振って慌てるエリス。まさかそこまで困らせるとは思ってなかったエリスは、質問したことを少し後悔する。


「いやいや、別にそんな慌てんでもええって! ただまぁ、ちょっと説明が難しいだけでな」

「説明……?」


 どう言おうか迷っていた祐樹だったが、少し考えてから話す。


「そうやな……でっかい塔みたいな建物がたくさん建ってるっていうのは説明したわな?」

「は、はい」

「……まぁ、その、あれや」


 苦し紛れに、頭の中で考えた事を口にする。


「実は東の海の向こうのそのまた向こうにある大地から来たんや、ワシ!」


 ……我ながら、何とも荒唐無稽なことを口走っていると、口にした瞬間思った祐樹。海の向こうって。確かに日本は東に位置している島国ではあるが。こんなの、すぐ嘘とバレるに決まっている。


「そ、そうなんですか!?」

(すまんエリスこれ嘘やねぇぇぇぇぇん!!)


 バレなかった。寧ろめっちゃ澄んだ目でこっちを見ていた。完全に信じている。


 そんな彼女に対して出鱈目を言っていることに良心が咎めるが、今更嘘ですとも言いにくい。というわけで、それを貫くことにする。


「せ、せやねん。ま、まぁあれやな。見聞を広めるためとかそんな感じでこっちの大陸に来た次第であって、正直こっちの常識とかそういうのはわからんくってな。ワシらがおったところやと、月が一つにしか見えん上に、この辺りの文化とか全然伝わっとらんから文字すらもわからん訳でして、はい」


 本当、よく次から次へと嘘を並べられるなと、祐樹は自嘲する。というか視線が後ろめたさからあっち行ったりこっち行ったり、しかも言葉遣いも所々変になっている。というより月が一つに見えるってどういう場所なんだ。違和感しかない。なるつもりは毛頭ないが、詐欺師には絶対向いてないなと、自分で思った。


「へぇ……そんな遠い地から……すごいなぁ」

(ホンマすまんエリスこれ嘘やねぇぇぇぇぇん!!)


 心の中で再び渾身の謝罪をかます祐樹。当たり前だが純粋無垢なまでに信じるエリスには届かなかった。


「ま、まぁその話は置いといて、飯にしよ、飯に!」

「あ、ありがとうございます」


 誤魔化して祐樹は夕飯を碗によそってエリスに手渡した。エリスも異論はなく、礼を言いつつ受け取った。


「ほな、いただきますっと」


 揺れる焚き火の明かりに照らされながら、夕飯を前にして両手を合わせる祐樹。それを見て、エリスは少し迷う素振りを見せた。


「……えっと」


 やがて、エリスもおずおずとだが、祐樹と同じように両手を顔の前に合わせた。そして、


「……い、いただき、ます?」


 今までのように、食卓の前で手を組んで少し長い祈りを捧げるものと思っていた祐樹は、それに少し驚くも、すぐに笑みへと変わった。


「ほいよ、召し上がれ」


 そう言われ、祐樹が以前説明した、全ての食物に感謝を込める言葉を祐樹に倣って口にしてみたエリスは、焚き火の明かりの影響かはわからないが、心なしか顔を赤くしながら碗の中身を掻っ込んだ。思ったよりも熱くて「あぅっ!」と小さく叫んだ。


 そんな風に、和気藹々と食事を進めて行く二人。やがて夕食を終え、違いに「ごちそうさま」と言ってから食休みをし、再びエリスは横になって毛布に包まる。祐樹は胡坐を掻きながら、火の番をすることにした。


「……ねぇ、ユウキさん」

「ん? どないした?」


 腹が満たされたせいか少し眠そうな声を出すエリスに、祐樹は眉を上げる。


「……ありがとう、ございます」

「え?」


 いきなりお礼を言われ、祐樹は戸惑う。それに構わず、エリスは続ける。


「こんな私と一緒に、来てくれて……ありがとう、ございます」


 村から出たことのない、ただの少女でしかなかった弱い自分と一緒に歩くと言ってくれた祐樹に、改めて感謝の意を伝えようとする。しかし、その言葉を口にしながらも、声が徐々に小さくなっていく。睡魔がエリスの意識を浸食しているようだった。


 だからせめて、睡魔に完全に負けてしまう前に。


「私、まだまだ未熟、ですけど……いつか、きっと、ユウキさんの、役に……」


 口にするのは、それが限界だった。


 初めての野営で、最初は少し緊張していたが、今は歩き疲れによる眠気が遥かに勝っていた。完全に微睡に捉われたエリスは、瞳を閉じ、やがて小さな寝息をたて始める。


 焚き火越しから、エリスが完全に寝入ったのを見た祐樹は、その言葉を言い終えなくとも、そこに込められた想いを感じ取り、小さく笑った。


「……こっちこそ、おおきに、やで。小さな相棒よ」


 あどけない寝顔を見せる、可憐な少女。そんな彼女が、42歳という二回り以上も離れている男と一緒に旅をするというこの状況が、まだ旅立って一日も経っていないということもあり、いまだ実感が湧かない。


 それでも、見たこともない大地を一緒に歩くというのは、大人としては情けないかもしれないが、心強く感じるのも事実だった。


 だからこそ、祐樹は礼を言う。共に旅をするということにも、役に立とうとする少女の頑張りにも。それに報いたいと、祐樹は心の底から思った。


 この世界に来て幾度も見てきた、夜空を瞬く星とぼんやり照らす月明かりの下。祐樹はエリスが眠ってから一時間、ずっと火の番をしつつ、少女の眠りを見守り続けたのだった。

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