第3章 未知の世界へ
19.旅立ちの前日譚
深夜。虫と梟の鳴き声が、鬱蒼と生い茂った暗い森の中で響く。太陽が沈んだ今、森の中はより一層深い暗闇のベールに閉ざされている。明かりらしい明かりといえば、夜空を浮かぶ二つの月の光のみ。太陽の強い光と変わって、淡い光が森の中を差し込む。
場所は、フォレストアーチの村から歩いて1キロ程離れた場所。木々が密集している中、月の光が照らす僅かばかりに開けた空間にある地面に、草を払いのけられ、土が丸出しになった箇所があり、そこだけ土を被せられて盛り上がっていた。
周囲に、生命の気配はない。弱い風が吹き、森がざわめく。葉と葉が、草と草が擦れ合う音が、虫と梟だけだった合唱に加わる。
虫の声、梟の声、風による木々と草花の音……そしてそこにもう一つ。
木漏れ日のように差し込む、スポットライトの如し月明かり。その中に、暗闇から抜け出したかのような一つの影。
否、それは影そのものと言ってもよかった。
体格からして、男性のようだった。だが病的なまでに細く、体はさながら枯れてやせ細った木のよう。そしてそれ以上に細い手足など、もはやその枯れ木の枝にしか見えない。が、それよりも異様なのは、180以上はある長身の全体を、黒い布のような物でぐるぐるに巻き付け、肌色を一切見せないその姿は、まさしく影を実体化したようだった。手足の爪先すらも布に覆われ、口元、鼻すらも塞いでいる。唯一布がない場所は、四方八方に生え揃った針のように尖った髪と、血のように赤く光る目元のみ。息苦しいはずの恰好にも関わらず、不思議と呼吸音が口元から聞こえてこない。
月明かりの下で、直立不動で立つ男。足元には盛り土。その手前で、男はただじっと、盛り土を赤い目で凝視する。
「……」
しばらく無言でそのままでいた男性。やがてスッと、枯れ枝のような右手を上げた。
すると、盛り土がボゴッボゴッと音を立て始める。盛られた土の頂部分から土が崩れ始め、水の中から浮上していくかのように高くなっていく。
そして、盛り土は瓦解する。中から飛び出してきたのは、首。それは人の首ではなく、黒い体毛の所々に土が付着した、狼の頭部。そしてその頭部を持ち上げているのは、黒い布。男が巻き付けている物と同様の布が数本、土の中から蔦のように伸び、狼の頭部を支えて持ち上げていた。
頭部の正体は、魔物の首。祐樹が切り落とし、魔物を倒した証明として、村へ持ち帰ってきた物。そしてその頭部は、メイスが村人に命じて村はずれの森の中に埋められた。もう蘇ることはないだろうが、野晒しにするのも気分が悪いし、いつまでも村の中に置いておきたくなかったという心情から、なるだけ地中深くに埋めた物。
そんな物を、男は手に取る。首を持ち上げていた布は地中へと消えていき、後には首が埋まっていた穴がそこにあるだけだった。
「……なるほど。精霊の力は使いこなせてはいないようですが」
布越しによるくぐもった声で、男は一人ごちる。理知的な口調ではあるが、その声色はどこかねっとりとへばりつくような、誰かが聞けば不快感を催すような物だった。
「少なくとも……選ばれただけの実力は持っているようで」
言ってから、頭部のある部分に注目する。
月明かりによってハッキリ見える、左側頭部に空いた小さな穴。そこから流れ出た血によって、魔物の頭部の左半分は赤く染まっている。
祐樹が一撃で仕留めるつもりで、至近距離から撃ちこんだ銃弾による銃創とは知らない男は、赤い目を細め、その傷を興味深そうに見つめた。
「……ただの人間のようですが……面白い存在ですね」
視線を頭部から外し、一点の方向へ振り返る。その方角は、村がある場所。男の興味の対象となった人物が二人、今頃ベッドで眠っているだろう。
「……もはやこの村には、用はありませんね」
魔物の首を手に持ったまま、男は月の明かりから逃げるようにして下がっていく。それはスポットライトの照明に照らされながら、退場していく劇団員のようで。
「いずれ、お会いできる日を楽しみにしております……ピエリスティア様……そして、オオクマユウキ、様」
どこで知ったか、二人の名を変わらない声色で言いつつ、男は光の下から完全に姿を消す。黒い影は暗闇に溶け、足音すらも消し、男の存在はそこから完全に消え去った。
その寸前、風が吹く。しかしその風は、枝葉や草花を揺らす優しい風ではなく、男の声と同様の、肌にへばりつくような、黒い色を持った視認できる風だった。
後に残されたのは、月の光の下でぽっかりと開いた穴。確かに存在していたはずの物を失い、穴はただ虚ろな闇を口のように広げていた。
後日、その穴を見て、村人たちは首の行方がどこにいったのかと慌てふためくことになるが……それを知ることは永遠に無かった。
暖かい陽光が、地上を照らす。周囲を森に囲まれた、色とりどりの花を咲かせるここは、薬草の群生地。少女と老人にとって、生活の支えとなっていたと同時に、憩いの場所でもあった。
そんな場所の中央に、十字で組まれた木の棒が突き立てられている。根元に咲く花々のその下には、この群生地の持ち主でもあり、優れた薬剤師でもあった老人が、一人静かに眠っている。
その前に、膝を抱えて座る少女……エリス。澄んだ青い瞳に映る、墓標に見立てた木の棒。悲しみを湛えたまま、使い込んできた肩から下げた鞄から、ある物を取り出した。
それは、あの悲劇の夜が訪れる前、ハンスが喜んでくれると思って雑貨屋で買った、一冊の本。内容は、著名な人物が書いたエッセイ集であり、以前からハンスが欲しがっていた物。日頃の感謝の意味を込めて、エリスは意気揚々とその本を購入した。
「おじいちゃん……これ、ずっと欲しがっていた物です。精霊様の世界へ行っても、読んでくださいね」
現世では読む事すら叶わなかった本。それを手向けとして、エリスは墓の下にそっと置いた。
立ち上がり、再び墓を見つめる。簡素な造りで、立派な墓を建ててあげたかったが、ハンスもまたこの場所が大好きだった。それだけが唯一の救いかもしれない。
「……おじいちゃん。私が決めた事を聞いたら、きっと怒るよね」
返事がないことを承知で、エリスは墓に語り掛ける。
エリスのことを第一に考えるようなハンス。そんな彼が、彼女がこれから行こうとしている場所へ向かうことは、絶対によしとしないだろう。
「本当は……本当はね、私もずっとこの家で暮らしたかった……おじいちゃんと一緒に住んできたこの家から離れたくなかったんです」
住み慣れた家を離れる。物心ついた頃から暮らし、思い出もあるこの家から出て、何も知らない、知人もいない広い世界へと旅立つ。それは簡単なようで、強い覚悟が必要な事。それを決めたのはエリス自身だが、それでもやはり、未知への恐怖がまだある。
「だけど……おじいちゃんがやり残したことがあるのなら、私はそれを代わりにやり遂げたい」
頼まれたわけでもない。ハンスから聞かされたわけでもない。ただのエリスのエゴでしかないかもしれない。
しかしそれでも、エリスは今まで育ててきてくれたハンスに対してできる、精一杯の恩返しがしたかった。そして考えに考え抜いた末、エリスは決意するに至った。
家にずっといれば、厳しくとも命の危機に瀕するような生き方はしなかったかもしれない。メイスたちの支援の下、暮らしていけたかもしれない。
「だから……私は、旅に出ます」
それを、エリスはあえて捨てた。家も、大切な思い出も、ここに置いていく。
「けど……私は、きっとここに戻ってきます」
小さく微笑む。墓の下で眠るハンスを安心させるように。
「だから、今だけは……」
微笑みながら、瞳からつぅっと流れ落ちる一筋の雫。それを、エリスは拭い、払った。
「さようなら……おじいちゃん」
踵を返し、静かにその場から離れていく。もはや振り返ることはない。花を踏み潰さないよう歩き、そしてしっかりとした足取りで群生地を後にする。
風が吹く。風は木の枝を、花を揺らす。そしてエリスが置いた本の表紙が開き、ページが捲れていく。それは、離れていくエリスへ向けて手を振っているかのようにも見えた。
「……もう、ええんか?」
群生地から戻ってきたエリスは、住み慣れた家の壁にもたれかかっていた、スーツの上にトレンチコートといういつもの服装をした祐樹に声をかけられる。
「はい……お別れは、してきました」
「……そか」
大切な家族に、旅に出ることを伝えたいと、村からここまで戻ってきたエリスに付き添う形でついてきた祐樹は、小さくそう応える。そして、それ以上は何も言わなかった。
「……ほな、行くか」
「……はい」
壁から腰を浮かし、静かに促しつつ祐樹は先を歩く。その後に続き、エリスも歩く。
ふと、立ち止まって振り返る。視線の先には、住み慣れた丸太で作れられた木造の家。村から帰ってくるたびに、いつも見てきた光景。
それが今は、いつもと違って見える。ここから離れることに対する名残惜しさからか、もしかしたら帰ってこられないかもしれないという予感からか。今見ている景色が、エリスにはとても遠くに感じられた。
これ以上、目にすると決意が鈍りかねない。鞄の位置を直し、振り切るようにエリスは前を向いた。自然と足が速くなり、前を歩いていた祐樹を追い越していく。
祐樹は、前を進むエリスの小さな背中を見やる。そして、昨日メイスから聞かされた話を思い出していた。
「よし、これでおしまい。二人とも、よく頑張ったね」
「うぁぁぁぁぁ……」
「ふぁ……」
ダイニングテーブルで向かい合って座る祐樹とメイス。メイスが手を叩き、終了の合図を鳴らすと同時、祐樹はテーブルに突っ伏して気の抜けた声を上げた。隣でまた、エリスも同様に祐樹と同じ体勢となる。
旅立つと決めてから、祐樹とエリスは、メイスにこの世界の知識を叩き込まれていた。というのも、祐樹がメイスに頼み込んだためだ。
何せ、祐樹はこの世界のことを全く知らないと言っていい。常識から始まり、世界、文化、通貨の種類、旅の知識、さらには文字すら書けないという体たらく。それらを知らない限り、この広い世界へ足を踏み出すには無謀すぎる。エリスもまた、村から一歩も外に出たことがないため、知識を取り入れる必要があった。
戦闘訓練も必要だと思ったが、この村には戦える人間が存在しない。以前、魔物討伐に向かっていった警備兵たちは、怪我によって動ける状況ではない。よって、それらも含めて、メイスから講義という形で教えを受けていた。その期間の間、二人はメイスの家にある客人用の部屋を借りて寝泊まりしていた。エリスの家は村から離れているため、そこからここに通うよりも効率がいいとして、メイスから提案された為だ。それに異論はなく、二人はありがたく思いながらも世話になっていた。
そして、講義の内容はかなり厳しいの一言に尽きる。祐樹がかつての警察学校で教鞭を執っていた教官を思い出す程だ。少し間違えれば怒鳴られ、疲労から居眠りかましそうになったらぶん殴られる。もっとも、居眠りしようとしていたのは祐樹だけだったが。
聞けばメイスは、かつては戦いを生業としていた傭兵でもあったらしく、それも相当な実力者であったという。故に旅に関する知識もあり、講師としての立場に立つのに不足はない。今はアルドルと出会い、前線を退いてこの村へ来て嫁いだというが、その実力は衰えておらず、一発の拳がかなり痛い。その点も警察学校の教官を彷彿とさせるが、正直な話、まだ殴る頻度は教官の方が少なかったような気がする。まぁ、一々居眠りしてしまう祐樹も祐樹だが、座学が元々苦手だった祐樹は、学生時代から居眠りの常習犯でもあった。それは年を取った今でも抜けていない。
無論、祐樹としては睡魔に打ち勝とうとしながら真剣に取り組んでいる。未知の世界へ旅立つというのもそうだが、全てはエリスの身を守るためだ。メイスもそれを承知で、祐樹をビシバシ扱いている。その介があってか、必要最低限の知識、そして完全とは言えないにしても、自身の名前といくつかの単語を書けるようになるまでに至り、そして講義三日目で居眠りはかなり減った。
……結局居眠りしている点については何も言うまい。
魔物を倒し、旅立つと決めてから、今日で一週間。そして明日は、いよいよこの村から旅立つ日だ。
本当ならば、一か月以上は時間をかけたいところだったが、メイスが「一週間で徹底的に叩き込むよ!」という宣言から、今こうして空箱に物を詰め込むかのように、徹底的に知識を押し込んでいた。
何故一週間なのか。その疑問はあるが、メイスが有無を言わさずにそう決めたゆえに、聞くことは叶わなかった。
「さてと、そんじゃそろそろ夕食の準備をしようか。明日に備えて、しっかり英気を養わないといけないからね」
窓を見れば、すでに日は傾き、オレンジ色の光が家の中に差し込んでいる。丸一日、メイスの扱きを受けて、祐樹もエリスもヘトヘトだった。主に脳が疲労している。
「うぁぁぁ……じゃあ私、マーカス君たちを呼んできますぅぅぅ……」
「おう……頼むわ」
外で仕事をしているマーカスとアルドルを呼ぶために立ち上がり、フラフラのまま外へ出ていくエリス。それを祐樹は、右手を上げてヒラヒラと手を振った。メイスは台所で沸かした湯をポットに注ぎ、茶の準備を始める。
今日は祐樹とエリスだけだが、いつもならマーカスも共にテーブルに座ってメイスから講義を受けているのだが、今日は足が不自由なアルドルと共に、農作物や家畜の世話をするため、席を外していた。
余談ではあるが、マーカスは祐樹以上にメイスから鉄拳制裁を食らってきた身であるため、祐樹が後輩、マーカスが先輩というような奇妙な関係性が出来上がり、年齢を超えた友情が築かれたのだった。
エリスが家を出て行ってから少し経ってから、祐樹はテーブルから顔を上げる。そこには、先ほどまで疲弊していたとは思えない程、真剣な面持ちとなった祐樹の姿があった。
「……それで、話ってのは何なんや?」
講義を受ける前の朝、祐樹はメイスに「講義の後にエリスを除いて話がある」と言われた。その時のメイスは神妙な面持ちで、漠然とだがエリスに関する話であることに、祐樹は気付く。
「……アンタもわかってるだろう? あの子のことさ」
メイスはポットと二つのカップをテーブルに置いてから椅子を引き、祐樹と向かい合う形で座った。そしてカップに茶を注ぎ入れて、一つを自分の手元に、もう一つを祐樹の前に置いてから、組んだ手をテーブルの上に置き、そして話し始める。
「あの子が目指そうとしている場所……テラリアだったね」
「そうやな。聞いた話やと、西の大陸にある国やったな」
言いつつ、祐樹は所持品の一つである手帳にボールペンでメモした内容の一部に目を通す。そこには、この一週間の内に教わった国名と大陸の名称が書かれてあった。
世界の東に位置する大陸ウェールラント。この大陸を治める国の名は、『ウィンディア』。風の精霊によって守られ、優しく吹く風と緑豊かな自然が特徴の国。祐樹が今いる村も、この国にある。
南に位置する大陸、もとい大きな島アエスターティア。その大陸の主要国家『フィアマーラ』。火の精霊が守るこの国は、火山活動が活発だと聞く。
北に位置しているのは、上弦の月のような形をした大陸ヒエムリア。この国は『アクーラ』と呼ばれている。水の精霊が見守るこの国は、年中雪と氷に覆われているらしい。
西に位置する、この世界で一番大きい大陸アウトムヌーア。ここを治める『テラリア』が、エリスが目指そうとしている国だ。土の精霊の加護によって地下資源が豊富で、主に鉱石産業が盛んだと聞く。
「正直、あの子が何で今のテラリアを目指そうとしているか、私は知らない。ただ、ハンスの為だと言うだけで、的を得ないんだ」
「……」
不安気に語るメイスに、祐樹は手元に置かれている茶を啜りつつ、考える。
エリスが読み上げた手紙曰く、『守り人』とやらが集まる場所が、そのテラリアという国のどこかにあるらしい……が、どこかまでは記していない。書き忘れていたか、それかあえてぼかしていたのか。そして、何故その手紙をハンスが隠していたのか、意図が掴めない。
そして、メイスが不安な気持ちになるもう一つの理由。それは、テラリアそのものにあった。
「あの国はね、あんまり治安がよくないんだよ。貧富の差が激しすぎて、貧困層はつらい労働を強いられているって聞くからね」
権力ある者たちにより、貧困層の者たちが虐げられる……それは祐樹たちの世界にも確かに存在していた、いわば悪しき風習。
テラリアの近況は、メイスにもわかってはいない。昔一度だけ訪れた程度で、確かにそこにある惨状を目の当たりにはしてきたものの、それっきりだ。今はどうなっているのか、閉鎖的なこの村にいると情報が入ってこない。
しかし、あの惨状を見た者として、年端もいかないエリスが、そこを訪れるのには、やはりメイスもいい顔はしなかった。
祐樹とて、彼女の精神衛生面を考えると、そこへ訪れるのは気持ち的に反対だった。
「……でも、あの子はそれでも行くって聞かへんやろうなぁ」
一度決めたことは、梃子でも動かない。普段は大人しく、怯えた小動物のような雰囲気を出している反面、とてつもない頑固な一面を持っていることを、あの日の夜にまざまざと見せつけられた。恐らくだが、そんなつもりは毛頭ないが、例えば納屋に閉じ込めるなりして旅立たせないようにしたとしても、彼女は絶対に諦めようとしないだろう。それ程までの強い意志を、彼女から感じた。
それだけエリスにとって、ハンスはかけがえのない存在だったのだ。先日、テラリアの現状を説明されたにも関わらず、自分の意志を曲げることはなかった。
「……だからこその、アンタなんだ」
呟いた祐樹に、メイスは言う。真っ直ぐ祐樹を見つめ、捉えて離さない。
「アンタはあの子を守ると決めた。その覚悟を聞いて、私はアンタを信頼して送り出すんだ……その意味、よくわかってるね?」
最後の言葉を低い声で言った瞬間、メイスの体から殺気が漏れ出す。それは、歴戦の傭兵にしか出せない物。戦いを知らない者が浴びれば、失禁しかねない程の物。
そこには暗に、『エリスにもしものことがあったら殺す』という意味が込められている。メイスにとって、エリスは血のつながっていない娘のような存在だ。ハンスと比べるべくもないにしても、そこには確かに愛情があり、現状、誰よりも彼女の身を案じている。
だからこそ、彼女と共に旅立つ祐樹という存在に全てを託さなければいけないことを歯がゆく思いながらも、そうせざるを得ない自分に苛立ちを感じているメイスは、祐樹に釘を刺したのだった。
そして、そんな彼女と対面している祐樹は、
「……ああ、わかっとる」
メイスの鋭い視線を真っ向から見返した
そこに宿る、かならずやり遂げるという決意。メイスの殺気に怯まず、目を逸らすこともせず、ただ真正面から見つめ返す。
二人の間で、剣呑な空気が流れる。視線が交わる空間では、まるで火花が散っているかのようだ。
そして……根負けしたかのように視線を外したのは、メイスだった。同時に、物々しい雰囲気は霧散し、落ち着いた空気に変わる。
「ふぅ……わかってるよ。アンタなら大丈夫なんだっていうのは。息子を助けてくれたんだ、信頼はしているさ」
ため息を吐きつつ、テーブルに右肘を立てたまま、右手の掌の上に顎を置く。メイスは、ここで祐樹がへたれた場合、エリスに旅立つのを強引にでも中止にさせるところだった。つまるところ、メイスは祐樹を試したということになる。
結果は、合格。傭兵として渡り歩いてきたメイスの殺気の込められた視線に対し、怯むどころか、真っ直ぐに見返してくるとは、正直な話、メイスにとって予想外であった。
旅立つにあたり、懸念事項はまだある。だが、ここまで肝が据わっている人間ならば、エリスの事を任せてもいいと、メイスは改めて祐樹のことを認めたのだった。
それに元々、余所者だというにも関わらず、命を賭して息子のマーカスを助けてくれたのだ。メイスの中には、もはや祐樹に対する疑心など抱いてはいなかった。
「ただ、私としてはやっぱり不安だよ。村の外に出たことない子が、いきなり旅に出るっていうのもあるんだけど……」
「だけど?」
言い淀むメイスに、祐樹は先を促すように聞く。やがて、悩まし気な表情をしつつ頭を掻き、続けた。
「……あの子があそこまで頑固だったっていうのも驚きだけど……どうも意地になっている節があるんだよ」
「意地?」
「ああ。多分、ハンスが死んだことが影響してるんだろうけれど……あの子は元々、自分に自信が持てない性格なんだよ。あくまで私の勘でしかないんだけど、多分、この旅が死んだハンスに報いる唯一の方法と思ってるのかもしれないねぇ」
そう語るメイスは、心の底からエリスのことを気遣っている。そうでなければ、エリスが旅に出ることに猛反対などしないだろう。それは赤の他人である祐樹でもわかる。
自分で決めたことは、絶対にやり遂げるという意思の強さ。そして自分には何もできないという自信の無さ……そんな彼女があの手紙を見つけたことで、自分にもできることがあるということを見つけた。
それを幸と見るべきか、不幸と見るべきか……現段階ではまだわからない。
だからこそ、メイスは不安なのだ。彼女にとってそれが最良なのかわからない以上、傍に置いてやりたいという気持ちはある。
「……まぁ、あの子もこの村にいるよりかは、外の世界に旅立った方がマシなのかもしれないね……」
だが、同時にそれができないことをメイスは痛感している。
憂鬱そうにため息をつく。村人から白い目で見られているエリスにとって、この村は彼女にとって住み心地はいいとは言えないのだ。彼女のことを認めている人間はいるにはいあるが、それでもやはり、いつまでも過去に捉われている者たちの方が半数以上を占めているのもまた事実。そのことに、メイスは己の不甲斐なさを呪わない日はない。
「……なぁ、聞きたかったことがあるんやけど」
そんなメイスに、祐樹は少し言いにくそうに声をかけた。
「ずっと気になっとったんやけど、村はずれの小屋に住んでたあの子を、何でこの村の人間たちは冷たい態度を取るんや。おかしいやろ」
祐樹の言葉の節々から感じ取れる、静かな怒り。あんな成人すらしていない少女に対して、村の大人たちが向ける感情が祐樹には理解ができないと同時に、腹正しくもある。だが、そんな感情をあの少女に向けるなど、余程の理由でなければできないと、祐樹の中の冷静な心が言う。
「……あの子がいない時を見計らったのは、その件を説明するためでもある」
椅子に座り直し、メイスは話し始めた。
「……あの子が今の境遇に置かれるようになってしまったのは、ハンスのせいなんだよ」
「……は?」
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