13.確証なき思い出
「はぁ? 魔物ぉ?」
駆け込んできた男性の叫びに、メイスはありえないとばかりに言う。彼女の後ろで、アルドルが驚いて目を開き、エリスは「え……」と呟き、祐樹は首を傾げて「まもの?」と疑問符を浮かべていた。
「何バカなこと言ってんだい。この森で魔物なんて出たことなんて無かっただろ? その辺の獣と勘違いしてんじゃないのかい?」
メイスの指摘に、男は冷静になるどころか、首を何度も横に振って否定した。
「ち、違う、ありゃ間違いなく魔物だった! あんなでっけぇ狼、この森には今までいなかったんだ!! 俺以外の木こり仲間が目撃してるんだ! 嘘じゃねぇ!!」
鬼気迫る勢いでまくし立てる男性に、メイスは彼が嘘を言っているようには見えなくなり、面倒そうな表情から真剣な物へと変える。
「間違いないんだね? どこで見たんだい? 警備兵には?」
「あ、あぁ、森の北の方角だ。警備兵にはすでに伝えたけど……」
「……警備兵だけじゃ不安だね。実力を疑ってるわけじゃないけれど」
小さな村ではあるが、この村含めた一帯を治めている領主から警備兵として兵士を配置している。村に危害を及ぼす盗賊といった者達を取り締まる役目を負っている彼らだが、ここのようなのどかで小さい村の場合、せいぜい2、3人しか送られてこない事の方が多い。事件が起こりにくいと高を括っているのと、人件費を節約するためという背景があるが、異常事態の場合は領主に手紙を送って兵を派遣してもらうという手段が取れるものの、手紙が着くまでと、着いてから兵が送られるまで、何日かかるかわかったものではない。
「とにかく、本当に魔物だったとしたら、しばらく森の中には誰も入らない方がいいね。他の皆にも知らせておかないと。村の連中にはアンタから伝えておいて」
メイスが男性に指示を出している間、祐樹はエリスに耳打ちする。
「……なぁ、魔物って何や?」
「え、知らないんですか?」
「無知ですまん」
罰が悪そうに頬を掻く祐樹。エリスは訝し気に思いつつも、説明する。
「魔物は、動物や植物がより凶暴になって、他の動物だけではなく、人を襲うようになった獣のことです……というくらいしか。ごめんなさい、私もそこまで詳しくないんです」
「あぁ、大丈夫や。ようは危険な害獣みたいなものってわかれば十分やから。けど話からして、この村じゃ珍しいみたいやな?」
「はい。この森は広いんですけど、魔物が現れることなんて、これまで無かったんです……でも、どうして……」
エリスにも、魔物が現れた原因がわからず、考え込む。祐樹の世界には魔物という存在はいなかったが、山や森の中で危険な獣、熊か猪が出た場合は、すぐさま猟友会に連絡し、被害が拡大しないように撃ち殺さなければならない。今回の件もそれと似たような物だろう。
「まぁ、まだ被害が出ていないし、警備兵の人達だって戦いに関しては素人じゃないんだろう? そう心配しなくても大丈夫さ」
「そうなんだけどねぇ……やれやれ、森はこの村の生命線だっていうのに」
メイスから伝えるべきことを説明された後に男性が走り去って行ってから、楽観的に言うアルドルにメイスが鬱陶し気に言った。
「……ん?」
ふと、祐樹は何かを忘れていることに気付く。先ほど、森の中には誰も入らない方がいいというメイスの言葉。
魔物が森の中にいる。今や森は一種の危険地帯だ。あの男性が去っていった今、しばらくすれば村中にその情報は行き渡るだろう。そんな場所に好き好んで入る者はいない。
だが、この情報を知らない人間。つまり、“先に森に入っていった者”がいたとすれば。
「あぁっ!!」
突如、エリスが椅子を蹴る勢いで立ち上がり、アルドルとメイスを驚かせた。
「ちょ、何だい!? どうしたんだいエリス!?」
いきなり大声を出したエリスに驚くメイス。そんな彼女に、エリスは詰め寄った。
「メイスさん! マーカス君、どこへ行くか聞いてませんでしたか!?」
「え……何でマーカスか?」
焦り、叫ぶように言うエリスに、メイスは訳がわかっていない顔で言う。
「マーカスなら、雑貨店へ行ってくるって言って出て行ったけど、それがどうしたんだい?」
メイスの代わりに、アルドルが答えた。
「……その雑貨店はどこに?」
「2軒隣の家だよ」
「……まさか」
エリスが焦っている理由は、確実に祐樹が思っている事と同様だろう。アルドルから雑貨店の場所を聞いた祐樹は、雑貨店のある方角とは全く違う方へ走り去っていったマーカスの姿を思い出した。
魔物が出たという情報は、つい先ほど聞いた。マーカスはまだ家に帰ってきていない。マーカスが去っていった方向は、森の中だった。
「ひょっとして……あの子、森の中へ入っていったってのかい!?」
「何だって!?」
祐樹とエリスの様子がおかしいことに気付き、青ざめるメイス。アルドルも思わず杖を手に立ち上がった。
先ほどとは逆に、今度はメイスがエリスの肩を掴んで詰め寄った。
「あの子はどっちへ向かったんだい!?」
「あ、あの方角は……確か、北の方に」
「……何てこったい……」
顔面蒼白のまま、メイスは椅子に力なく座り込んだ。同時、アルドルもテーブルに手を着いて力なく項垂れる。
無理もない。北といえば、先ほど男性が報告してきた、魔物の目撃情報があった場所だ。心配しないという方が無理だ。
「……まずいな」
「はい……」
警備兵は、恐らくこの事を知らない。彼らは魔物の捜索、討伐を優先する。魔物だけでなく、森の中に住む獣や、毒性植物を誤って触れてしまえば、誰も助けられない。
だが、もしかすると村に戻っているかもしれない。先に村の中を探し回った方がよさそうだ。
「もしかすると村に帰っとるかもしれへん! ワシ、ちょっと探してくるわ!」
「わ、私も行きます!」
祐樹が立ち上がり、自身も行くとエリスが言う。
「ま、待っておくれ、私も……!」
メイスが椅子から立ち上がろうと腰を浮かせた。だが、立ち上がることはできなかった。
「ぅ……」
「メイス!」
一瞬、フラリと頭が揺れたかと思うと、再び椅子に沈み込むように座り込んだ。アルドルが慌てて、杖の代わりに椅子を支えに立ってメイスの肩に手を置く。
「メイスさん!?」
「ぁぁ……だ、大丈夫。大丈夫だよ」
エリスも慌てて声を掛ける。メイスは手を振って何ともないことを示そうとするも、声に先ほどまであった覇気も無く、誰から見てもわかるほどに朦朧としている。
あんなに元気だったのに、急にどうしたのだろうか……心配すると同時に疑問に思うも、今の彼女の状態では、一緒に捜索することはできない。
「メイスさん、ワシらが捜してくるから、アンタは休んどいてください。もしかしたら村に帰ってきてるかもしれん」
「私もマーカス君の性格はよくわかっているから、お力になれるはずです。ですから……」
「何言ってんだい、息子が危ないかもしれないってのに……!」
祐樹とエリスに反論するメイス。そんな彼女を窘めたのは、傍にいたアルドルだった。
「メイス、自分のことは自分がよくわかっているだろう? ここは彼らに任せるしかないよ」
「けど……!」
尚も言い返そうとするメイスの左手を、アルドルは両手でそっと、優しく包み込むように握った。
「……僕だって同じさ。左足がないことを悔やまない日はこれまで一日たりともなかったけれど、今日ほど感じたことはなかったよ」
「…………」
「だからこそ、君には無理はしてほしくないんだ。わかってくれ」
それを言われてしまうと、メイスはもう何も言えない。動きたいのに動けない。それがどれだけつらいことなのかを一番よくわかっているからこそ言える、アルドルの言葉。それにメイスは、従うしかできなかった。
視線をメイスから祐樹とエリスへ向け、アルドルは頭を下げた。
「今日会ったばかりの人間に対してお願いすることではないけれども、すまない。動けない僕達に代わって、息子のことをお願いできないだろうか。お礼はちゃんとするから、どうか……」
「……私からも、お願いするよ。ホント、情けない限りだけれど」
頭を下げてまでお願いする夫妻に、祐樹は笑いながら軽く自身の軽く胸を叩いて言う。
「任せといてください! かならず連れ戻しますさかい!」
「い、行ってきます!」
言うやいなや、祐樹は立てかけてあった大剣を手に取って、エリスと共に家を飛び出していった。家の中から、我が子を心配する二人の不安気な視線を受けながら。
結果から言えば、マーカスは村にはいなかった。規模の小さな村ではあるが、物陰だけでなく、周囲は森に囲まれているため、隠れる場所は多い。ゆえに、大声でマーカスを呼びかけるだけでなく、家の裏、村近くの木陰等、入念に調べた。村人にも聞き込みもしたが、そもそも祐樹とエリスはこの村では、何故かあまり歓迎されていない。そのどれもが、素っ気ない対応をされるだけだった。
これは余談ではあるが、祐樹は大剣を手に聞き込みをしたわけではなく、物陰に隠してから話を聞きに行っていた。武器を手にしたままでは禄に話もできないと判断したがゆえの行為だが、やはり警棒に戻って欲しいとつくづく思った。まぁ、ほぼ丸腰で挑んだところで、会話らしい会話はなかったが。
ただ、やはり村長の息子が行方不明となると、大抵の村人はちゃんと反応はしてくれた。もっとも、その内容はどれもが『知らない』『わからない』ばかりで、手がかりになるような答えはなかった。
「あかん……やっぱ村には帰っとらん様子や」
「こっちも……ダメ、でした」
村人への聞き込みを行った祐樹はガクリと肩を落とし、村の中を捜索したものの手がかりが掴めなかったエリスは落胆した表情で応える。
二人なりに入念に探しはしたが、マーカスらしき姿はどこも見えない。マーカスが行くと言っていた雑貨店にも訪れてみたが、どうやら彼は雑貨店へは一歩も足を踏み入れてはいないらしい。村の近くにいないとなると、やはり村から離れた場所にいると見ていい。
「まだ時間はあるとはいえど、日が暮れたらそれこそ難儀なことんなるな……」
手を翳しながら空を見上げる。視線の先の太陽は、まだ祐樹たちの頭上にいる。とは言っても、先ほどよりかは西へと傾いていて、あまり悠長な事はしていられないということを示唆していた。
暗くなれば、森は闇に閉ざされる。この世界へ迷い込んだ時に、その暗闇を体験していた祐樹は、子供一人をその暗闇から探すのは非常に困難だと理解していた。
「……せやけど、森ん中とは言えどもどこを探せばええんや……」
森というのは同じ木々が無数に並ぶ空間であり、そんなところへ土地勘のない人間が迷い込めば、右も左もわからなくなることは必須。下手しなくとも、ミイラ取りがミイラになってしまう。おまけに、昨日まで森の中を彷徨っていた祐樹は、この森がとても広いこともわかっていた。
八方ふさがり。行動しなくてはいけないとはわかってはいるが、手がかりなしに動き回ることの無謀さを知る祐樹は、焦燥に駆られて頭を掻きむしった。
「あぁクソ! 誰かあの子の行く先を知っている人間がいれば……!」
焦る祐樹の横で、エリスは考え込む。エリスにとって、マーカスはこの村の中で接することができる唯一の子供で、エリスにとっては友人とも呼べる存在だ。大人しい性格ではあるが、好奇心が強く、行動力に満ち溢れている。
そんな彼が、魔物が出たと言われている北の森に迷い込んでいる。エリスもまた、祐樹と同様焦っている。広大な森の中、子供一人を見つけるなんて……。
「……あ」
ふと、エリスの脳裏にある光景が過る。
2年前。薄気味悪い森の中を、マーカスと共に歩いていた記憶。足元を草が生い茂っている中を、ズンズンと進んでいくマーカスの後ろを、エリスの方が年上の筈なのに、おっかなびっくり付いて行っていた。
そして辿り着いた場所。そこは、マーカスにとっては大事な場所。そして、エリスにとっては、一人では絶対に行きたくない場所。
その場所がある方角は……。
「……あ、あの」
「ん?」
祐樹がうんうん唸っていた所を、おずおずとエリスが声をかける。声をかけた当のエリスは、これが本当に正解なのかどうか、不安になって言うのを一瞬躊躇ってしまう。
それでも、これしか思い当たらない。意を決し、エリスは言った。
「マーカス君の行き先に……心当たりがあります」
「ホンマかっ!?」
「ひっ」
言った瞬間、祐樹がクワッと目を見開いた。さすがのエリスも少し怯んだ。
「でも、どうしてすぐに言わんかったんや?」
「その……私も、さっき思い出したんです。2年前の話なんですけど、マーカス君に連れられて行った、彼にとっての秘密の場所が北の森にあって……多分、そこに行ったのかも」
今の今まで、忘れていた。マーカスが秘密の場所と打ち明けてくれた、思い出の場所。そこへ行ったという保証はない。けれども、心当たりはそこしかなかった。
「で、でも……合っているかなんて、わかりませんし、もしそこにいなかったら……」
もしこの判断が間違っていたら。そのせいで、マーカスに危険が及んだら……エリスは、恐れる。自分の発言のせいで、友人が危機に晒されるのを。
不安のあまりに、俯いて声が小さくなっていくエリスだったが……突然、右肩に何かが置かれる感触がした。
顔を上げてみると、膝を着いて視線をエリスに合わせた祐樹が、エリスの右肩に手を置いて笑っていた。
まるで、彼女の中の不安を見透かしたかのように。
「その子にとって大事な場所やったら、きっとそこや。よう思い出してくれた」
一片もエリスを疑っていない。優しく言いながら笑う祐樹の顔には、疑問なんて全く無い。
マーカスにとっての秘密の場所へ連れて行ってもらったことがあるというエリスの記憶。正直、手がかりはこれだけしかない。
それでも、僅かな手がかりでも、祐樹にとっては大きな価値があった。
「それで、そこはなんていう場所なんや? 名前はあるんか?」
そこにいると確信しているような口ぶりの祐樹に、エリスは戸惑う。けれども、こんな不安でいっぱいな自分の言葉を信じてくれた祐樹に、エリスは覚悟を決める。
マーカスは、そこにいる。不安な気持ちを払拭すべく、エリスはその場所の名を言った。
「『死者の森』……村の人達は、そう呼んでる場所です」
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