12.森の村フォレストアーチ

 

 鬱蒼と木々が生い茂り、人が踏み入れた形跡のない、深い森の奥。天井の如く密集している木の葉の僅かな隙間から光が筋となって差し込んでいるおかげで、木々の影響で黒い帳が下りているかのような暗闇の森の中には、一定の明るさが保たれている。


 この暗い森の中を歩く人間はいない。闊歩しているのは、草を食み、誰とも知らず生きる草食動物。そして暗闇に潜みそれらを獲物として狙う、飢えた猛獣。


 獣の中にも、コミュニティがある。同種族の中で最も強い個体がリーダーとなり、群れを率いて獲物を狙う。人としての理性ではなく、野生の本能が導き出した効率性の高い狩り。獰猛にして狡猾な彼らにかかれば、草食動物だけでなく、人間すら彼らにとっての食料になりかねない。


 この森の中で、長い間群れのトップとして君臨し続けた獣。大きな体、鋭い牙、そして一睨みであらゆる動物が震えあがる眼光。


 獣は思う。自分がこの森で、いや、世界で一番強く、凶悪で、残忍だ。故に、誰も自分には敵わない。この世界の王は自分だ、と。


 事実、この獣には誰も挑もうともしなかった。我こそはと挑んだ者もいたが、その牙によって夕餉となって以来、皆が皆恐れ、従わざるをえなかった。


 今日、この日までは。


「グルルル……」


 唸り声。木の葉の天井から差し込む光が、その顔の一部を照らす。闇よりも深い、漆黒の体毛に覆われた“それ”の眼は、鮮血の如く赤く光っている。ぐにゃりと歪んだ口から覗き見える、ナイフが幾つも並んでいるかのような鋭い牙。その牙から、眼と同色の赤が滴り落ち、草を同色に染める。


 “それ”の足元に横たわる、灰色の毛に覆われた物。かつては群れを率いるリーダーとして、長い間君臨し続けた獣。己が最強という傲慢と凶悪さで群れを従えてきた獣。その慣れの果て。


 驕りと過信から勇猛にも……否、この場合は無謀にも、“それ”に挑んだ獣。その結末は呆気なく、10秒も満たない時間の間に、獣は“それ”に引き裂かれ、今までさんざん自らが食す側だったものが、一転して食される側へと変わり、“それ”の間食として貪り食われる。


 肉塊へと変わり果てたリーダーを、“それ”を取り囲む群れが見つめる。そこにあるのは、野生動物としての本能。『弱肉強食』という世界を生きる彼らが、“それ”に歯向かおうなどと露にも思わない。


 粗方、肉を胃袋に収めた“それ”は、ぐるりと周りを見る。かつて自分達を抑えつけてきたリーダーよりも一回り、二回りも大きな体躯と、リーダーよりも鋭き牙、眼光を目の当たりにした彼らは、野生の本能に従い頭を垂れる。


 絶対王者となった “それ”は、肉塊を踏みしめ、群れの中心へと立つ。血を浴びた巨躯に集まる視線を受け、“それ”は吠えた。


 暗く、深い森の奥から響き渡る獣の声は、森の主の交代を知らせる鐘の音にも聞こえた。







 森に囲まれた自然と共に生きる村、フォレストアーチ。


 その名の通り、森の入り口付近の木々を切り開いて作られた村。住民は約15人。家の軒数は7軒。村人は、森で採れる植物や、森に住まう動物を狩って生計を建てている。少ない人口と同様、村そのものは広くはない。しかし、森の恵みによって生活をしている彼らは、この村をとても大切にしているという。


 元々、ハンスもこの村に住んでいた。だが、ある日突然、彼はこの村から離れた森の中に小屋を建て、そこに住むようになった。最初、村人たちは何かがあったら駆け付けることができないと言って反対し、この村に住むよう引き留めたらしいが、ハンスは頑なに拒否し、以来、エリスが村まで来て薬を売り、買い物をするくらいしか交流がない。何故彼がこの村を去り、エリスと共に森の中で生きることになったのかは、いまだ誰も知らない。


「はぁ、なるほどのぉ」


 エリスから説明を聞き、少し高い坂の上から村を見下ろす。確かに、円を描くような広場に数軒、木造建築の家が並んでいるというその外観は、アルファベットの“C”のような形で森に囲まれている村だ。森が途切れている箇所から、外界との交流も行えるようになっているようだ。


「小さいけれど、自然の恵みのおかげで不自由なく暮らせる村なんです。と言っても、私はこの村で生まれたわけじゃなくって、物心ついた時からずっと村はずれのあの小屋で暮らしてたんですけど……」


 自信なさげに言うエリス。村で暮らしたことがないが、月に数回、村へ足を運ぶため、村人がどのような生活をしているというのは把握はしている。


「……ともかく、行きましょう」

「おう、そやな」


 坂を下りていき、エリスと祐樹は村へと入る。


 村の中を歩く人は、見た限り5人程。寂れているというわけではなく、のどかな雰囲気が漂う村で、村人同士で世間話に花を咲かせていたり、薪割りといった仕事に精を出していたりと、思い思いに過ごしているようだった。


「ところで、この村に博識な人とかっておるんか? 聞きたいことがあるんやけど」


 この世界の常識的文化を知るためということと、この世界について何か資料があればそれを見せてもらえればという理由で村に来た祐樹は、エリスに聞く。


「博識な人、ですか? 今から私が向かう家が村長さんがいる家なんですけど、村長さんは村の子供達に文字とか色々教えているみたいですから、それなら一緒に行きますか?」

「おお、そりゃありがたい。頼むわ」


 渡りに船、とはこのこととばかりに、祐樹は同意する。村長と聞いてイメージしたのは、知識豊富な老人。それも村を取りまとめる役割を担う人物なら、いろいろと知っているかもしれない。


 淡い期待を込め、祐樹はエリスについていく。村の中ということだけあって、ある程度整備された砂利道を踏みしめながら歩く祐樹は、視線を周囲の家や人に向ける。


 西洋技術で作られたであろう板張りの壁、板ぶきの屋根、そして村人たちの毛織物か何かで作られたであろう服。見れば見る程、日本ではお目にかかれない物か、或いは珍しい物だ。もしここが自分の世界ならば、観光地としてカメラ片手に訪れる人々がいるかもしれない。


 だが、ここでは自分が異邦人だ。事実、祐樹のことをジロジロ見たり、半ば怯えているように見つめる村人がちらほらと見える。視線が合うと、さっと目を逸らすが、再び祐樹が視線を他所へやると、またもこちらへ視線を向けてきているのを感じる。祐樹は少しだけ傷ついた。


 ふと、視線が祐樹だけでなく、エリスにも向いているのに気付く。ただその視線には、祐樹に向けられた恐れや好奇心といった物ではない、別の物……少なからず敵愾心のような、そんな負の感情を感じる。

 

 そして、ふとここへ来る前のことを思い出す。エリスに村のことを聞いた時、一瞬見せた憂いを帯びた表情。村人からの視線から、その理由が何となくだがわかった。


(あんま歓迎はされとらんみたいやな)


 何故、こんな幼気な少女をそんな目で見るのか。祐樹は義憤に駆られかけるも、原因がはっきりしない以上、手出しもできないし、口を挟むこともできない。


 視線を浴びているエリスは、祐樹の前を歩きながら平然としている。意外と肝が据わっているのか、あるいは慣れてしまったのか。そこまで強い感情を向けられているわけではないが、エリス程の年の子だと、気圧されてしまいそうになるものかと思っていたが。


(……というか、こんな生活をずっと続けとったんか)


 しかし、思う。彼女はそんな視線を浴びてきたにも関わらず、薬を届けに行ったり、生活に必要な物を買いに行くために、村へと毎月訪れている。内心では平気ではいられないだろう。けれども、生きる為に、彼女は村と家を行き来する生活を続けてきた。


 慣れるまでに、どれだけつらい思いをしてきたのだろうか。祐樹には想像することしかできないが、恐らくはひとえにハンスがいたからこそ、彼女は頑張ってこれたのだろう。


 だが、そのハンスはいない。自らを支えてくれる身内がいない彼女は、これからは一人で生活をしていかなければいけなくなる。今後もあの視線に耐えきれるのかと思うと、そうもいかなくなるだろう。


(……あんま口出しすべきことやないけど……)


 本当に、彼女を置いて旅に出てもいいものだろうか。口約束とはいえ、死に間際のハンスに彼女のことを託された。彼には何の義理もないが、死に瀕した彼の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。


 祐樹は一度した約束は絶対に破らない性格だ。それが例え、お互いが初対面だったとしても、一度交わした約束は守り通す物だと、彼の育ての親である人物から教え込まれている。その教えの通りに生きてきたからこそ、今の祐樹がある。


 そんな訳だから、今後の動きについて計画を練り直すべきか考えながら、祐樹は歩く。無言で歩く祐樹に、エリスはチラリと目をやった。


(……何考えてるんだろう?)


 顎に手をやって、気難しい顔をしている祐樹は、その強面も手伝って正直近寄り難い雰囲気がある。正直、エリスも少し怯える程である。


 ただ、まだ付き合いそのものは短くとも、彼の人となりはなんとなくわかる。彼は、いわゆる善人に分類される人間だ。その容姿に見合わず、他人であるエリスを気遣い、不器用ながらも慰めの言葉を口にする人だ。


 見慣れない恰好に、素性も謎。まだ完全には彼のことがわからないにしても、信用はしてもいいと、エリスは思っている。今考えていることも、悪いことではない……と、思う。というより思いたい。


 少なくとも、こちらに目を向けてきている村人たちよりかは、会って間もないはずの祐樹の傍にいた方が、エリスとしても居心地がよかった。


「……ん?」


 ふと、祐樹が立ち止まる。祐樹の声に、エリスもつられて立ち止まった。


「どうしました?」

「……いや、なんか……」


 祐樹の視界の端にふと映った影。気になってそちらを見ると、家の影に隠れるようにして、祐樹とエリスを見つめている者がいた。


 茶色いオーバーオールに、ハンチング帽に似た黄色い帽子を目深にかぶった、祐樹の腰下程の身長の子供だった。顔は帽子のせいでよく見えないが、視線はじっとこちらを向けているのはわかる。背格好からして、男の子のようだ。


 村人たちのような、敵愾心といったものは感じられない。好奇心、に似たような何かは感じられるが、目元が隠れているためか、はっきりとはわからない。


「子供?」


 祐樹が呟くと、男の子はビクリと肩を震わせて、祐樹とエリスに背を向けて走り出す。


「あ、おい!?」


 思わず呼び止めるも、脇目も振らずに逃げる少年は、森の中へと姿を消していった。


「……何やったんや? あの子」

「あの子は……」


 疑問を口にする祐樹に、エリスは少年が去っていった方角を見つめて呟く。


「ん? 知り合いか?」

「はい……村長さんのところの、マーカス君という子です。大人しい子なんですけれど物知りで、森の木の実とか教えてもらったりしてるんです」

「ふぅむ」


 エリスの話からして、悪い子ではないようだ。しかし、何故逃げ出したのかがわからない。


「……いつもは声をかけてくれるんですけれど、どうしたんでしょう?」

「……ワシがおるからちゃうか?」


 考えてみれば、親しい人が見慣れないオッサンと一緒に歩いている時点で怪しいと思われてもおかしくはない。声をかけようにもかけられなかったのかもしれない。


 顔が怖いから逃げたのではないか? とも思ったが、強面なのをちょっと気にしている祐樹はあえて口にしなかった。


「そう……でしょうか?」

「……まぁ、今から村長さんとこ行くし、そこで会ったこと話せばええやろ」


 祐樹は楽観的に言う。別にあの子供に用事があるわけではないし、村長のところの子供ならば、また話せる機会はあるだろう。どうか顔が怖いから逃げたわけじゃありませんように、と祐樹は切に願った。


 今はとにかく、村長の家へ向かうために、再び歩き出す。エリスはチラと、少年、マーカスが去っていった森の方を見たが、すぐさま前を向いた。





「あ、着きましたよ」


 そうこうしているうちに、二人は目の前にある、他の家よりも大きな家に辿り着いた。建築材料や形は他の家と同じのようだが、他は一階建てに対し、この家は二階建ての作りだ。村を治める役割を持つ人間が住まう家だと一目でわかるように、目立つ形の家にしているのだろう。少し高い位置にある敷居に上がるための小さな階段を上り、エリスは扉をノックした。木を叩く乾いた音が響く。


「お邪魔します。メイスさん、いらっしゃいますか?」


 家の中にいるであろう人物に向かって、エリスは声を上げる。メイスと呼ぶ人物が村長なのだろうか? 祐樹はそんなことを考えながら、扉が開くのを待つ。


 数秒程すると、扉の向こうからこちらへ歩いてくる気配が感じられる。やがて、ドアノブから鍵が回される音が鳴り、木の扉が開いた。


「……何だい、エリスか。二日続けて来るなんて珍しいね」


 家から出てくるやいなや、ぶっきらぼうに言い放った人物は、縮れている栗色の長髪を後ろ頭で一本に束ねた、肌が黒い女性だった。身長は170程と、女性にしては高い方。ナイフの如く鋭い視線が、エリスを見てから、その後ろにいる祐樹へ向けられる。


「……誰だい、アンタは」


 その声色から、こちらに対して警戒心を露わにしているのが感じ取れる。


 視線だけでなく、この村には似合わないような、一般女性よりも屈強な体つきと、隙のない雰囲気を纏っている。着ている服は麻のドレスにエプロンという家庭的な物であるにも関わらず、さながら戦士の如し立ち振る舞い。並の男ならば、その威圧感が含まれた睨みだけで蛙のように震え上がるだろう。


「あぁ、こういうもんです」


 対し、伊達に長年現場主義の警察官として働いてきていない祐樹にしてみたら、この程度の眼力は慣れた物。懐から手慣れた動作で警察手帳を取り出し、中を開く。


「……何だい、こりゃ?」

「あ」


 そして気付く。ここ、異世界だから警察手帳の意味ないじゃん、と。


 どうも長い間警察官として働いていたせいか、警察手帳を提示するのが癖みたいになっているらしい。すぐさま手帳をしまい、仕切り直す。


「こりゃ失礼。癖みたいなもんで。大く……祐樹っちゅー者です」


 今朝方、エリスに自己紹介した際、苗字の話をして混乱させたのを思い出し、苗字はあえて名乗らずに名だけ名乗る。どうもこの世界は……この辺りだけかもしれないが、苗字は一般的ではないらしい。


「え、えっと、この方は、放浪の旅をしているらしくって、昨晩たまたま私の家に来て、村に行きたいということで……」

「ふーん……」


 ジロジロと、祐樹を値踏みするように見る女性。あまり居心地はよくないが、見慣れない人間に対しては当然の反応だろう。


「……私から見たら悪人にしか見えないけれど」

「アンタ人が気にしとることを」


 思わず声が出た。若い頃から厳つい顔つきで何気に苦労してる祐樹にとっては割と精神的にダメージがあった。


「いや、その顔でそんなでかい剣持ってたら誰だってそう思うだろうよ。最初この子を人質にしてるかと思ったんだから」

「すんませんごもっともです」


 正論だった。思わず頭を下げる。というより大剣持っていたのを忘れていた。そりゃ村人も怯えた目で見るはずだ。


「……まぁ、この村で悪さするつもりがないなら、私はとやかく言うつもりはないよ。もし何かしたら、こっちもただじゃすまさないけどね……それで? 昨日来たばっかだってのに、今日も来たってことはそれなりの用事なんだろう? こんなところで立ち話も何だし、入んな」


 祐樹のことは信用はしないが、とりあえず受け入れてはくれたようだ。エリスと共にいるのが幸いしたのか、クィっと顎で家の中を指し示し、入るよう促す。


 祐樹にその気はないが、もしも手に持っている大剣を振り回すような真似をすれば、目の前の女性に一瞬で鎮圧されるだろう。それほどまでの実力を持っていると、祐樹は睨む。祐樹を家に招き入れるのも、それができるという自信の顕れのように見える。それでも、家に上げてもらえるというだけでも、下手にこちらのことを詮索されるよりかはありがたかった。


 中は、思った通り広い。入ればすぐにダイニングルームで、木製のテーブルに椅子が5つ。家の入り口から見て右の奥にある年季の入った薪ストーブの周りには、台所用品がずらりと並んでいる。他にも、箪笥やら小さな机やらと、家具が一通り並べられている。そして左に目をやれば、板を連ねているかのように作られた階段が、二階へと伸びていた。祐樹たちが入ってきた正面には、もう一つ扉がある。


 女性が玄関の扉を閉め、祐樹が大剣を扉のすぐ横の壁に立てかけると、奥の扉が開き、一人の男性が入ってきた。


「おや、エリス? 二日続けて来るなんて珍しいね」

「こ、こんにちは、アルドルさん」


 紅いベストを羽織った茶髪の男性、アルドルとエリスが呼ぶ人物は、長身ではあるが、女性とは対照的に細身であり、その表情も温和な性格がうかがい知れる程に柔らかな物だった。


 だが、普通の人とは違う物が、彼にはあった。その部分を、祐樹は思わず驚き、見つめてしまう。


「ん? あなたは……村の人ではありませんね。旅人ですか?」

「え? あぁ、はい……そんなところ、です」


 口ごもるように話す祐樹の視線に、アルドルは気付いた。それに気に障った様子はなく、笑う。


「いや、すみません。初めて見られた方は驚かれますよね?」


 誤魔化すように笑うアルドル。彼は何も持っていない右手で頭を掻く。


 左手には、松葉杖のような形をした杖。そして長ズボンの左足の裾(・)部分は、彼が動くたびに小さく揺れている。


 裾から先に、本来存在しているはずの足。その部分が、彼には存在していなかったのだ。


「……確かに驚きはしましたけれど、不躾にも凝視してしまいました。気分を害される真似をしてしまい、申し訳ありません」


 祐樹はスッと頭を下げる。いつも使っている方言は隠し、相手のハンディを物珍し気に見るというのは失礼という考えから、祐樹なりの誠意を込めて謝罪の言葉を口にした。


 対し、アルドルは驚く。まさかここまで深く謝罪されるとは思っていなかったらしく、慌てた。


「ちょ、頭を上げてください。別に私は気分を害してはいませんから」

「……ホンマですか?」

「はい。しかし、まさか私が頭を下げられるなど、思っていませんでしたよ」

「すんません、そういう風に生きてきたもんでして……」


 堅苦しい雰囲気が霧散し、和やかな空気が戻る。苦笑するアルドルに、祐樹も釣られて笑った。


「っと、申し遅れました。アルドルと申します。以後、お見知りおきを」

「祐樹っちゅーもんです。まぁ、旅人です」


 正確には旅人ではないのだが、一応そういう設定で通しているため、祐樹はそう名乗った。


「っと、少し待っていてください。今お茶をお入れしますから」

「ちょっとアンタ、そこまでしなくとも……」

「いいからいいから。村の人以外のお客さんなんて久しぶりだからね」


 いそいそと台所へ、杖を突きながらも手慣れた様子で準備をするアルドル。その間、エリスと祐樹、女性は、テーブルで向かう合うように座った。


「さて、少しバタついちまったけれど……話をする前に、私から言いたいことがある」

「は、はい」

「何でっしゃろ?」


 改まって、女性がそう切り出し、エリスと祐樹は若干身を硬くする。


「……あんた、ユウキって言ったね?」

「ん? せやけど」

「……さっきは、悪かったよ。悪人にしか見えないって言ってさ」

「ほぁ?」


 変な声が出た。急に謝罪をするなど、どうしたというのか。何かをした記憶は祐樹にはない。


「アルドル……あの人は、私の旦那なんだけどね。女房の私が言うのも何だけど、あの見た目で色々苦労してきたからさ。それこそ、事情を知らない旅人が見たら気味悪がるのがほとんどさ」

「そう、なんか」


 祐樹は、台所で茶の準備をするアルドルを見る。慣れた動作で動く彼だが、慣れるまではやはり大変だったのだろう。日常生活以外にも、周囲の目という物もあったのだろう。


「まぁ、アンタのことは完全には信用はしていないけれどね。少なくとも、旦那の事を気にかけてくれるっていう人は、私は村人以外で知らなかったからさ。アンタが悪い人間じゃないってことだけはわかったよ」

「……いえ、わかってくれるだけでもありがたいっスわ」


 さすがに完全にではなくとも、友好的には見られたようで、祐樹は安心した。隣のエリスも、心なしかホッとしているようだった。いつまでも警戒されていては、話せるような状況にはならないからだろう。


「あぁ、そういや私も名乗ってなかったね、悪い悪い。私は、メイスっていう者だ」


 メイス。エリスが先ほど家の前で呼んでいた名前だった。


「それと、一応私はここでは村長みたいなもんだから。よろしく」

「うぇ?」


 それを聞き、祐樹は驚く。目の前にいる屈強な女性であるメイスが村長。祐樹の中では老人のイメージがあったため、その事実を受け入れるのに一瞬だけだが間があった。


 そんな祐樹の様子に、メイスは悪戯っぽく笑う。


「驚いたかい? 女が村長やってるだなんて」

「あぁ……まぁ、正直。お爺さんがやってるもんかとばかり」


 自身がイメージしていた村長と違うことに戸惑いながらも、正直に話す。メイスは少し驚いた様子で、へぇ、と呟いた。


「素直だねぇアンタ。大抵の人間は誤魔化すか何かするもんだけど」

「へぇ、どうも」


 思ったことを口に出しただけなのだが、妙に感心されて少し居心地悪くなった祐樹は後頭部を掻いた。


「確かに前の村長はアンタの想像通りの人、つまり夫の父親だったんだけど、大分前に亡くなってしまってね。本来なら息子のアルドルが村長になるはずだったんだけど……」

「僕はこんな状態だからね。最初は“代理”っていう形で僕の補佐をしていくうちに、皆から村長と同じように頼られていってしまってね。僕よりも学があるし、もういっそ村長は彼女にやってもらおうと思った次第で」

「よしておくれよ。私はそんな柄じゃないって言ってるのに。最初だって私が女だってことで村の皆からも反対されてたじゃないか」

「いいじゃないか。今じゃ皆君を村長だって認めてるんだから」


 笑いながらアルドルが茶の入ったティーカップを、席についている三人の前に置いて行く。笑うアルドルに対して、祐樹とエリスは苦笑せざるをえなかった。


「さてと、いつまでも世間話している場合じゃないから、用事を聞こうか。私に何の用だい?」


 メイスがテーブルに手を組んで、話を聞く体勢に入る。アルドルは茶を配り終えると、メイスの横の席に座り、杖をテーブルに立てかけた。


 先に話すべきか、エリスはチラリと祐樹を見る。祐樹はその視線に応えるように、小さく頷いた。


 エリスは言葉を探し、つたないながらも説明を始める。


「その……おじいちゃん、のことなんですけれど」

「あぁ、昨日もアンタに薬を届けてもらったけど、何か間違いでもあったのかい?」

「……」


 先を話そうとする。が、改めてハンスの件を話そうとすると、胸の奥からぐじゅぐじゅした何かが湧き出て、言葉が出てこなくなる。紡ごうとするも、口がパクパクするだけで、その先が出てこない。


「……エリス?」


 様子がおかしいことに気付き、メイスがエリスの顔を覗き込む。隣のハンスも、訝し気に思っているようだが、黙って見守っている。


 だんだん、何を話せばいいのかわからなくなってくるエリスは、目が熱くなってくるのを感じる。無意識に体が震え出し、この場所から逃げ出したくなった。


 ハンスの死を、伝えるだけ。だが、それはハンスがこの世にいないという事実を、改めて自分に突きつけるということになる。


 わかっている。わかっているのに、心のどこかでそれをまだ認めていない自分がいる。話そうと自分で決めた筈なのに、口にするのを恐れている。


 情けなくて、悲しくて……ぐちゃぐちゃになった頭では、何も考えることもできない……そんなエリスの背中に、そっと、暖かい何かが触れた。


「ピエリスティア……さん」


 呼び慣れていない名前でそっと呼びかける、低い声。ハッとして顔を向けると、メイス達と同じように、心配そうにこちらを見やる祐樹の顔。


「大丈夫か? つらかったら、無理せんでもええんやで?」


 不思議な言葉遣いで、エリスを気遣う。その間、大きなゴツゴツとした手で、優しく背中を摩る。


 それだけで、エリスは落ち着いていく。震えがまるで、背中から感じる温もりが吸い取っていくかのように収まっていく。


 小さく息を吐く。ハンスの死を伝えなければいけない。それでハンスがもういないという現実を、目の前の二人に、そして自分に、突きつけないといけない。


「……すみません、もう大丈夫、です」

「そ、そうか」


 手を離すも、いまだ心配そうな祐樹。少し落ち着いたエリスは改まって、二人に向き直った。


「ごめんなさい……おじいちゃんのことで、お話があります」

「……ああ」


 エリスの様子を見て、メイスとアルドルは何かを察したのか、神妙な面持ちとなって話を聞く体勢に入る。一呼吸置き、エリスは話し始めた。


「……おじいちゃんが、昨晩……亡くなり、ました」


 そこから、エリスは語る。


 夕刻、エリスが帰宅すると、黒づくめの男たちが家を占拠し、ハンスを殺害し、エリスにも手をかけようとした事を。そして、間一髪のところ、隣に座る祐樹が窮地を救ってくれた事を話した。ただ、謎の遺跡については話さなかった。ハンスがエリスにさえ秘密にしていたことを話すのは憚られた。


 全て話すのに、5分にも満たない短さ。エリスは胸からこみ上げてくる感情のまま、呼吸もほとんどおかずに語った。その間、メイスとアルドル、祐樹は無言で、エリスの話を聞いていた。


 語り終えた時、エリスは喉がカラカラになっているのを感じた。同時に、目元が濡れていることにも気づく。脳裏に過る、ハンスが殺された瞬間。血の中で、静かに息絶えて行ったハンスの姿が、フラッシュバックする。


 息も絶え絶えのエリスに、しばらく無言を貫いていたメイスとアルドル。やがて小さく息をつき、沈黙を破ったのはメイスだった。


「何てこった……あの老人が、ねぇ」


 その言葉には、ハンスの死を悲しみ、悼む気持ちが籠っている。隣のアルドルも、悲しみからか手で顔を覆っていた。


「……ちゃんと、弔ってやったかい?」

「……はい……おじいちゃんが好きだった場所に」

「……そうかい」


 ぶっきらぼうながらも、優しさが含まれたメイスの言葉。エリスは俯き、スカートを皺ができるまで握りしめた。そうしなければ、また泣き出してしまいそうだった。


「……こんなことなら……」

「……?」


 ふと、メイスが小さく呟いた。本当に小さく、隣のアルドルですら聞き逃してしまいそうな小さな声。それを、祐樹は聞き逃さなかった。


「……それで? これからどうするんだい?」

「え……」


 少しして、エリスが落ち着いたのを見計らってメイスが言った。


「今、アンタはハンスという身内がいなくなって、一人になってしまったわけだろ? それから今後、どうやって生活していくんだい?」

「……それ、は……」


 それは、エリスも考えていた。ハンスの仕事部屋で、今後どうやって生きていくべきかを。あの時、確かにエリスは途方に暮れていた。


 けれども、エリスは今後どうするか、既に決めていた。きっかけは、棚で見つけたあの手紙。正直、それをするのは怖いという気持ちもある。しかし、手紙を読んだ瞬間、不思議とエリスは、『やらなければならない』という使命にも似た何かに突き動かされるように決意した。

 意を決し、メイスを真っ直ぐ見る。そして、エリスはそのことを話そうとした。が、それは中断されることとなる。


『村長!! 村長!!』


 ドアを激しく叩く音に、エリスは驚いて思わず口を噤んだ。祐樹も肩をビクリとさせ、ドアを見る。ドンドンと叩くというより、殴るに近い音をたてる扉と、その向こうから聞こえる男性の声。メイスは舌打ちし、それでも立ち上がって扉へと向かい、声を上げた。


「何だい、突然。そんなに荒々しくノックしちゃ、扉が壊れるだろうが」


 文句を言いながら、扉を開ける。そこにいたのは、中年の、けれども祐樹よりかは年下に見える男性。


「ま……ま……」

「ま?」


 ぜぇぜぇと肩で息をし、呼吸を整えると、叫びに近い声で村長に告げた。


「ま……魔物だ! 魔物が出たんだ!!」

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