11.手の温もり
朝食を食べ終え、祐樹とエリスは一息つく。食べ終えた後、祐樹の「ごちそう様」という言葉にまたエリスが疑問符を浮かべたが、先ほど会話が途切れて気まずくなったことを恐れて深く聞くことはなかった。
「……それで、ちょっと聞きたいことがあるんやけど」
「あ、はい。何でしょう?」
食器を片付けているエリスに、椅子に座りながら祐樹が言う。
「この近くに、町はないやろうか?」
「町、ですか?」
「ああ。ワシはちょっと訳あって放浪しておってな。人が仰山(ぎょうさん)おる場所へ行きたいんや」
昨晩、考えた祐樹がここにいる理由を言う。さすがに「異世界から来た」など、言えるはずもなかった。もし何の証拠もなくそんなことを言う人がいれば、署に連行するか、病院に連絡してもおかしくない。というより、祐樹だったらそうするかもしれない。手持ちの荷物を見せれば証明になるかもしれないが、証明したところでどうしようもない。
祐樹の質問に、エリスは少し歯切れが悪そうに答えた。
「えっと、この近くに町はないんです……」
「え。じゃあ今までどうやって生活を? 自給自足かいな?」
祐樹の質問に、エリスは頭を振った。
「いえ、町はないんですが、近くに村があるんです。小さな村ですけど、おじいちゃんが作った薬をそこに売りに行って、そのお金で日用品や家で育てている野菜以外の食べ物を購入しているんです」
なるほど、と祐樹は納得する。裏手の小さな畑以外にも、狩りでもして食料調達をする家族なのかもと思ったが、ちゃんとコミュニティを作っていたのだ。
同時に、安心する。家族がいなくなった今、彼女を支える人が村にいるのかもしれない。祐樹としては少女を一人にするのは大変心苦しいが、こんな昨日今日会ったばかりの中年オヤジとずっと一緒にいるよりかは、馴染みのある人々と一緒にいる方が健全だろう。
とは言え、確実に村にそういう人間がいると決めつけるのも早計ではある。少し踏み込み、祐樹は聞く。
「ほぉ、その村はええところなんか?」
「……はい。森に囲まれた、自然豊かな村です。多分、あなた様も気に入ると思います」
一瞬。本当に一瞬だが、エリスの表情に影ができたのに気付く。
今の説明に、村人についての話がなかった。村人はいい人たちだ、とでも言えばある程度は信用できる。だが、陰りのある表情に今の説明。祐樹の楽観的な予想は外れていると見ていいだろう。
(村人と、うまくいってないんやろうか)
どこまで離れているかわからないが、村に住んでいないのを見るに、何らかの事情があるのだろうか。そこまで聞こうとも一瞬思ったが、信頼関係が築けて状態でそんなことを聞くのも野暮だった。
「自然豊かな村なぁ。この家の周りも自然豊かでええところやと思うで? 住み心地ええしな」
少女の気を紛らわせる意図を含め、祐樹は笑いながら言う。事実、周りは森だが適度な広さの場所に家が建っており、住み心地は悪くなかった。空気もうまいし、結構祐樹は気に入っていた。
「そう……ですか?」
「おうとも。飯も美味かったしなぁ。また食いたいわ」
先ほどの野菜スープは本当に美味かった。祐樹自身、独り身であり、台所に立つこともあるにはあるが、作れる物と言ったら簡単な焼き飯や野菜炒め。昔はインスタントが多かったが、ダイエットするためにインスタントはめっきり減った。
そんな生活を送る身として、あの野菜スープは久しぶりに体に優しくて美味いと思える出来だった。もう一度食べたいと思える程だ。
「……」
そんな祐樹に対し、エリスは目を見開いて驚いた様子で祐樹を見た。
「ん? どしたん?」
祐樹が聞くと、エリスは慌てた。
「い、いえ……そういえば、おじいちゃん以外に私の料理、食べてもらったことってないし、おいしいって言われたこともなかったから……ちょっとびっくりしただけです」
「あ、ああ、そういうことか」
つらいことを思い出させてしまったか? と思い、祐樹は己の迂闊さを恨むも、エリスの反応は意外な物だった。
「……とう、ございます……」
「ん?」
「な、何でもないです」
小声すぎて聞き取れなかった祐樹に、エリスはまた慌てて取り繕った。その表情は若干赤みがかっていて、先ほどまで見られた悲しみは見て取れない。
(……完全とまではいかんけど、少しだけ持ち直した、かな?)
何にせよ、少しでも前を向けるのならば重畳(ちょうじょう)だった。今すぐには無理でも、一時だけとはいえどもやはりこの年頃の子には笑っていて欲しいものだ。祐樹はそう思った。
「さて、話を戻すけど、ワシはその村まで行くつもりなんや。そこで悪いんやけど、村までの道を教えてくれんか?」
小さな村とはいえど、人が集まる場所はそれだけ情報も集まる。それに、恐らく長い旅になるだろうから、色々と調達もしなければならない。着の身着のまま、右も左もわからない土地を歩くのは無謀もいいところである。
そう考える祐樹に、エリスは言った。
「あ……それでしたら、私が村まで案内します」
エリスの提案に、祐樹は少し驚いた。
「え? ええんか?」
「はい。時間はありますし、その……おじいちゃんが死んだことを、報せないと、いけないし……」
徐々に尻すぼみになっていき、最終的には俯いたままエリスは黙ってしまうエリスに、祐樹は慌てた。
「あ、ああそうなんか! せやったら、村までお願いしようかな!」
正直、今すぐこの状態のエリスの下から去るのは気が引ける祐樹にとって、エリスの提案は渡りに舟であった。
「ほな、準備するわな」
言って、祐樹は席を立つ。準備と言っても、持って行くのは携帯電話や財布などの小物くらいで、着る物はスーツの上着とコートくらい。それと、ひょんなことから手に入れた元警棒現大剣。銃刀法違反に余裕でひっかかる物を担いで行くことを考えると、少し憂鬱な気持ちになった。
「あ、あの……」
「ん?」
寝室へ行こうとしたところ、エリスに小さな声で呼び止められる。振り返り、何か言いたげなエリスへと顔を向けた。
「どしたん?」
「……」
祐樹の問いかけに、エリスはしばし無言になる。視線は俯いていて下に、手は落ち着かないからかもじもじと動かしている。
「……あの、その、放浪の旅を、されてるんですよね?」
「え? ……あ、ああ! そうやけども」
自分で考えた設定を一瞬忘れていた祐樹。
「そ、その……」
「うん?」
言い淀むエリスを、祐樹は待つ。エリスは、「あー」や「うー」と言って、どうにも言いにくそうな様子。
訝し気に、エリスを見つめる祐樹。やがて一分かそれ以上経った頃、エリスはようやく口を開いた。
「……やっぱり、何でもない、です……ごめんなさい」
ただ、出てきた言葉は、消え入りそうな、諦めにも似たような物だった。
「え、でも」
「あ、私も準備してきますね」
何を言おうか迷っている様子のエリスに声をかけようとした祐樹だったが、当のエリスは逃げるように離れへの扉を開き、出て行った。
残された祐樹は、エリスが出て行った扉を見つめる。彼女が何を言いたかったのか、祐樹には計りかねる。とても大事なことのようだったが、決心が着いていないのか、結局言えずに終わってしまったようだった。
「……ワシの顔になんか付いとったんかな?」
言って、顔をペタペタ触る祐樹。多分違うと思うが、これでも祐樹は真面目に考えていた。
それから、数刻後。祐樹とエリスは、共に家を出て、村までの道のりを歩いていた。村へ続く道は左右の木々で形作られたアーチとなっており、陽光が木漏れ日となって砂利道を照らす。
聞けば、村までは小一時間はかかるという。結構な距離があるが、一本道であるために迷うことはないし、なだらかな道であるため、大した苦ではない。
「あの、剣、重くないですか?」
「はは、なぁに。こんなもん軽いもんや」
気遣うエリスの視線の先には、左手で逆手の状態で持ってある大剣。エリスの身の丈を優に超え、持ち上げるのも難しい重量のあるそれを収める鞘もなければ体のどこかに括りつける道具もない。そのため、現状は手で持って歩くしか方法が無かった。
祐樹ならばこの程度の重さ、何の問題にもならない。しいて言うならば、時々切っ先が地面にこすれて跡を付けてるくらいか。刃が痛まないか心配になるが、つねに持ち上げてるのもそれはそれで腕に負担がかかる。
まぁ、ずっと抜き身のまま持ち運んでいるわけにもいかないというのもまた事実。いずれはどうにかしなければいけないだろう。
「しっかし、こっから村まで割と離れてるんやな。不便やないか?」
険しくはないとはいえ、やはり小屋からその村までの距離があるのは、いざという時に人の助けが入らないということを意味している。それがわからないエリスではないのだが。
「それは……何度か、思ったことはありました。けど、おじいちゃんが頑なに村に住むのを拒んでて……」
「ふむ、なんか事情でもあったんやろか?」
人が多いところではなく、自然に囲まれてゆったり過ごしたい。そう思う人は、祐樹のいた世界でも少なくはない。ハンスなりの考えがあったかもしれないが、今はもう知る由もない。
「でも……おじいちゃんがあそこで暮らしていた理由、今ならわかります」
「そうなん?」
「はい……わかったのは今朝だし、まだなんとなくといった感じなんですけど」
小声で言うエリス。今朝わかったということは、あの離れの小屋に何かあったのかもしれない。少し気になったが、部外者である自分が聞くのもどうかと思い、祐樹は深くは聞かなかった。
少し話題を変えようと、祐樹は切り出す。
「あー……そういや、朝から気になっとったけど、その杖キレイやな」
指さす先には、エリスの腰のベルトに差された銀色の杖。先端に付けられた緑色の宝石が、どことなく祐樹の持つ大剣と似ていて、光に照らされて光沢を放っている。
「あ、ありがとうございます」
「それは、あれか? もしかして魔法の杖か何かかいな?」
護身用として持ってきているのだろうが、装飾からして打撃武器という風にも見えないし、エリスの体格上、白兵戦が得意とも思えない。ならば、昨晩遺跡の中で見た、敵が放ってきた炎のような、いわゆる魔法の杖なのだろう。魔法を使うのに杖を振るうという、典型的な光景を思い浮かべる祐樹。
だがそんな祐樹に、エリスは疑問符を浮かべた。
「マ、ホウ? 何ですか、それ?」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げる祐樹。
「いや、魔法は魔法やろ? ほら、きの……あぁっと、なんかこう、水とかバッシャーンとか、雷ズバズバーっとか」
昨晩の炎を思い浮かべたが、それを使っていたのはハンスを殺したあの男。それを思い浮かべないよう、あえて別の表現で魔法を説明する。内容はお粗末な物だったが。
それを聞いて、エリスは少し思案する。やがて、あぁ、と口にする。
「もしかして、『精霊術』のことですか?」
「せいれいじゅつ?」
また聞きなれない言葉が出てきた。祐樹が問い返す。
「あの、精霊術はこの世界の生活に欠かせない物なんですけれど……知らないんですか?」
「……すまん、全く知らんねん」
「えぇ……っと」
どうも、この世界では『精霊術』という物は生活の基盤となっているらしく、常識的な知識らしい。エリスは、どう答えていいのかわからず、口ごもった。
祐樹の世界でいう、ガスや電気を知らないというような物なのだろうか。実際問題、知らない物は知らないのだからどうしようもないが、何だか居た堪れない気持ちになる祐樹であった。
「……その、精霊術の事について教えるのは、またいずれにして……私は、この風の精霊様の力が宿っている『シルフワンド』を使って、精霊術を行使することができるんです」
「へぇ、そいつで襲ってきた奴とか撃退するん?」
「は、はい」
ようは、杖ことシルフワンドがエリスの護身用の武器ということになるのだろう。精霊術という名称はあるものの、祐樹が過去に読んだファンタジー小説に出てくる魔法と何ら変わりはないように見える。何故ゆえに精霊術と呼ばれているのかは、また知っていけばいいだろう。
「そらすごいのぉ。ワシはまぁ、さっきのでわかったと思うけど、精霊術? なんて知らんから、正直使えて羨ましいわ」
純粋たる憧れを、エリスに向ける。魔法という人智を超えた力に、祐樹は好奇心を擽られる。そんな祐樹に対し、エリスは頭を振った。
「そ、そんなことないです……私なんて、基礎の術以外知らないし、強くなんて、ないし……」
エリスの思考を埋めるのは、強くなかったから、ハンスを守れなかったのではないかという、自責の念。もっと精霊術を使えるようになっていれば、あの男たちを倒せはせずとも、ハンスと共に逃げれたのではないかと考えてしまう。
また暗い雰囲気が漂い始めたエリスに、祐樹は『それ自分でも使える?』という聞こうとしていた質問を止めざるをえなかった。
事あるごとに暗くなるエリス。だが祐樹は、それを鬱陶しくなど思わない。大切な家族を亡くした人間の心の傷は、そう簡単に癒えはしないということを、祐樹は知っているためだ。
「……なぁ」
「は、はい?」
それでも、祐樹は立ち止まってエリスに声をかける。暗い雰囲気から少しだけ抜け出したエリスも立ち止まり、顔を上げた。
「正直、いらん気遣いかもしれんし、同情としか思えんかもしれんけども」
そう言って、そっと……右手を、エリスの銀色の髪の上に置いた。
「つらかったら、無理すんな。お前さんとはまだ会って一日ちょっとしか経ってないワシが言うのも図々しいけど、つらい時はつらいって言ってええんやで?」
「……」
優しい口調で言いながら小さく微笑み、祐樹はエリスの頭を指に柔らかな銀髪が僅かに絡まる感触を感じながら撫でる。
会って間もない少女の頭を、馴れ馴れしく撫でるのもどうかと、祐樹は一瞬考えた。言っている事も、それこそ綺麗事と言われても反論できない。それでも、目の前の少女の苦しみを少しでも和らげるにはどうすればいいのかと思った結果、こうせざるをえなかった。
エリスはその撫でる手を、振り払うことはしなかった。くすぐったそうに目を細め、ただされるがまま、祐樹の大きな手を頭頂部に感じながら受け入れる。
やがて、十秒にも満たない短い時間。祐樹はエリスの頭から手を離し、再び前を向いた。
「さ、はよ行こか。着く頃にはお天道(てんと)さんも真上に来る頃やろうからなぁ」
先ほどの口調から一転、元の明るく豪快な声で歩き出す。その際、カラカラと左手に持つ剣の切っ先が地面に擦れる音が鳴った。
エリスは撫でられた頭に手をやって、祐樹の大きな背中を見つめる。
言っていることは、ありきたりかもしれないし、人によってはいらない同情とも思える。自分の意思を伝えるのが苦手なエリスではあるが、嫌な物は嫌という感情は勿論あるし、苦手というだけで決して口に出さないという事もない。
でも、今感じているのは不快ではない。祐樹の言葉から彼の精一杯の優しさと、そしていまだ頭に残る掌から伝わる暖かさ。この温もりが何か、エリスにはわからない。わかることと言えば、先ほどまで胸の奥を燻っていた暗い気持ちが、この心地よさに塗りつぶされたかのように薄まっているということだった。
「……はい」
遅れて返事をし、エリスは祐樹の後を追い、祐樹の少し後ろについて行くように歩く。
春の到来を予感させる陽光を浴びつつ、村を目指す二人。この時に確かに結んだ二人の絆が、後々決して誰にも切れない強固な物になることなど、誰も知らない。
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