5.刑事の激怒

 


 話は遡る。気づけば見知らぬ森の中に入り込み、当てもなく彷徨い続ける一人の男、大久間祐樹。尭宮署刑事課所属の刑事である彼は、かれこれ数時間は歩き続けていた。


「へぇ……へぇ……あ、あれ? ここさっき通ったような……」


 何か見覚えのある木だと思ったが、よく見れば違う気がする。というより周り全部が似たような木だから、どれがどう違うのかさっぱりわからない。目印になるような物もなく、さっき通った道かそうでないのかすらもわからない。


 息も絶え絶え。額からは汗が流れ落ち、歩き続けて足も痛む。おまけに先ほどまで太陽が真上にあった気がしたのに、気付けばもう太陽が沈み、日が届かない森の中がより一層薄暗くなっている。時間感覚も狂いだしているのか。暗くなろうとしている周囲を見て内心焦るも、どうしようもない。


(まずいでまずいでぇ……こんなところで野垂れ死になんて洒落んならんで……!)


 持っていたコンビニおにぎりもすでに胃袋の中。あるのは飴玉だけだが、これで腹を満たすのは難しいと言える。水もないから渇きも満たせない。


 今はなんとか耐えているが、飢えと渇きが近いうちに体を蝕み始める。そうなると絶望しかなくなる。だが、こんな土地勘のない上に電波の通らない場所では、助けを呼ぶことすらできない。


「あかん……万事休すやん」


 思わず弱音が出る。犯人確保の際に日本刀や拳銃を持ち出され、ケガによる命の危機には過去に何度かあった。死ぬ時は寿命で布団の上、と決めていたが、刑事を続けている限り、そういったケガが原因でこの世を去ることになる可能性はおおいにある。今までは持ち前の体力の高さと気合で乗り越えてきたが、このまま年を取り続けるとそれすら難しくなるだろう。


 だが、まさか。まさか、こんな訳のわからない森で衰弱死することになるなど、誰が予想できようか。誰とも知らず、ひっそりと。やがて肉は森に住まう生き物の食事となるか、あるいはバクテリアに分解されて木々の養分となり、ボロボロの服を着た白骨死体が野晒しにされて、後日ニュース番組で行方不明だった刑事として名前が挙がって……。


「ああぁぁぁぁぁ、それだけは嫌やぁぁぁぁぁぁ!!」


 寂しすぎる。寂しすぎる死に方である。何が悲しくて白骨死体を晒さねばならなくなるのか。そんな最悪な未来を想像してしまい、祐樹は頭を抱えて叫ぶ。


(お、落ち着け。落ち着くんや大久間祐樹42歳。こんなこと考えたところで事態は好転なんてせぇへんやろ。マイナスなことを考えるなや、プラスになることを考えなあかん!)


 深呼吸し、辺り同様暗くなろうとしていた自身の心を落ち着かせる。今までこんな事態に陥ったことはない。だが、これを乗り越えてこそ、真の刑事というもの。


(そうや、これは試練や。ワシの刑事としての経験を活かして生き残れっちゅう試練や! そう思えばやる気が出る!)


 この場合は刑事というより自衛隊といったサバイバル経験必須な職業の試練だと思うが。今は生き残ることが第一な祐樹にはそんな事は考えなかった。


「よ、よっしゃ。そうと決まれば気を取り直すために飴ちゃんを一つ……」


 貴重な食糧でもあるが、空腹を多少でも満たすついでに気持ちを落ち着かせるためには甘い物を口に含んでおきたい。そう思い、懐を漁って飴玉を取り出そうとした。


 その時だった。足元が大きく揺れ出したのは。


「う、おお! なんや、地震か!?」


 身を伏せ、揺れに耐える。周囲の木々も揺れ、鳥が慌てて飛び立ち、枝から葉が落ちてくる。その揺れは数十秒ほど続いた。


 やがて、揺れが収まる。その後は、先ほどと変わらない、闇に染まりゆく森の中。ゆっくり立ち上がり、祐樹は小さく息をついた。


「……ホンマどないなっとんねん、ここ……」


 意味もわからず森の中という事に続いて、割と大きな地震。経験上にない出来事が、祐樹の周りで起きている。これは一刻も早く、ここから出なければならない。


(……しっかし、何か今の揺れ……違和感があったような気が……)


 急に大きな揺れが始まり、その後はまるで車の急停車の如くピタリと止まった。普通の地震なら、初期微動があって、最後は後を引くような形で止まると思っていたが。


「……まぁ、考えてもしゃあないか。進も」


 大分暗くなってきた今、下手に進むと足元が見えずに危険な上、夜行性の肉食動物に出くわす可能性も出てくるが、せめて寝床は確保しておきたい。


 木の根に引っかからないように、足元に注意しながら進んでいく。しばらく進み、だんだん木が他のところと比べて密集していない場所まで来た。


「ここら辺なら、なんとか寝れそうやな」


 布団もない、枕もない。あるのは草と木だけだが、贅沢を言えるような状況ではない。掛け布団はコートを代わりにすればどうとでもなるはず。もう視界は闇一色。これ以上歩き回るのは危険だった。空腹も感じるが、それはもう寝て忘れるしかない。早速寝転がろうとコートを脱ごうとした。


「……あ?」


 が、その手が止まる。視界の端に、ぼんやりと白い光が見えた気がしたからだ。


(……何や?)


 得体の知れない光。暗い森の中だけに、普通なら気付かない程の小さな光がはっきり見える。誰もいない森に、ぼんやりとした光。そこから導き出されるのは、ただ一つ。


「……え、マジで?」


 軽く冷や汗が出る。別に、幽霊の類が苦手というわけではない。だが、人に危害をくわえるような超常現象となると、対処のしようがない。しかも、祐樹自身が訳のわからない展開に巻き込まれてしまっているため、本当に幽霊という可能性も……。


(いや、でも待てよ……もしかしたら、人がおるっちゅうことも……)


 ふと考え、あの光が幽霊ではなく、人家から漏れる明かりだとすれば……一縷の望みに賭けて、祐樹は再び歩き出す。白く、ぼんやり浮かぶ光。それはそこから動こうとせず、その場にとどまり続けている。


 周りの視界が悪いために、足元に注意しながらゆっくり進む。前に進んでいくと、徐々に光源の正体が明らかになっていく。


「お、おおぅ……」


 今まで見てきた森の木の中で、一際目立つ程の高い木。見上げると首が痛くなりそうな程の高い木の根元には、これまた不思議な石柱が二本。その上に光る玉が、祐樹をここまで導いた明かりだった。そしてその石柱に守られているかのように、木の根元にぱっくりと開いた4m程の大きな穴。


「こりゃまた……けったいな」


 呆然と呟く。この辺りは、どこかのテーマパークか何かだろうか? そう思いもしたが、周りには人っ子一人いない。しかし、あの光は今流行りのLEDという物だろうか。目に優しい、柔らかい明かり。しかしそれでいて、視界をはっきりさせる程の光を放っている。


 正体が依然はっきりしないが、祐樹としてはこれは好都合。明かりがあるというのであれば、中に人がいる可能性がある。助けを呼べるチャンスと言ってもいい。


(逆に、重要文化財とかやったらまずいんやけどな……)


 この施設が何か大切な物だとしたら、自分は不法侵入者以外の何者でもない。そんなことでお縄になってしまうのは、刑事としても情けない話だ。だが、今はなりふり構っていられないのも事実。ここは捕まるのは覚悟の上で、中に入るしかない。


 意を決して、祐樹は進む。広い入り口からも想像できる程に、広く、長い階段が、下まで続いている。木の中だが、中は全部石でできているようで、壁を見ると、石柱と同じ明かりがいくつも連なって付いているのがわかる。視界の確保も万全だ。


「うぉ、結構埃っぽいなぁ……」


 思わず口元を抑え、周りに舞う埃を吸わないようにする。足を踏み入れると、じゃりっとした感触が革靴越しに伝わってくる。長い間誰も踏み入れたことがない様子で、人がいるのは望み薄だろうと祐樹は思う。


 そして同時に、どこか楽し気な自分がいるのを祐樹は感じた。


(こういうのって、なんかワクワクするのぉ)


 子供の頃に山の中を友達と駆け回ったり、珍しい場所を探検したりしたのを思い出す。こういう遺跡のような古い建物は、祐樹の子供の頃に培ってきた冒険心をくすぐって止まない。いけないことだとはわかってはいるが、我ながらよく刑事なんてなれたものだと苦笑しつつも、祐樹は先へと進んでいく。


 だが、足元を見てみて、違和感を覚えた。


「こりゃ、足跡……か?」


 屈み、階段の一部を見てみる。埃によってくっきりと浮かぶ物は、獣の物とは違う、人間の靴と思われる足跡。それが階段の下へ向かって続いている。しかも一人分だけでなく、複数人。そしてさらによく見れば、その足跡の靴先は全て階段下へ向かっており、上を向いている足跡が一つもないのがわかった。


「……しかも新しいな。つい最近……いや、こりゃ……」


 もしかして、まだ人がいる? 祐樹がそう気付いた時。



 甲高い、悲鳴のような声が響き渡る。



「っ!?」


 祐樹は脇目も振らず、駆け出す。階段を一段飛ばし、二段飛ばす。やがて見えてきた、階段の終わり。まだ段はあったが、そんなこと関係なしとばかりに飛び降り、着地。そして目の前の光景を目にする。


 体育館ほどの広さの空間。左右に立ち並ぶ明かりを灯す古い石柱、奥にある祭壇。


 その祭壇の上に立つ、小太りの男と金髪の男と、骸骨を模した仮面を被った黒装束の男たち。


 そして、祭壇の下に倒れる老人と、老人を庇う少女に向かっていく仮面の男のうちの一人。その手には、今日日(きょうび)まずお目にかかれない武器、両刃の西洋剣が握られている。


 何だこれは? コスプレか、何かの祭事か? 祐樹の脳が、判断を迷わせる。


 だが、その迷いはすぐに断ち切られる。老人から流れ出ている、赤い液体。少し離れた位置にいるはずの祐樹の鼻にもつく、鉄錆のような臭い。そんな老人を恐怖に怯えながらも抱きかかえる少女に、男は鈍く光る剣を振り下ろそうとしていた。


 この状況が何なのかわからない。黒い服の男たちの正体も、老人と少女が何者なのかも祐樹は知らない。


 そんなことは、警察官として、そしてこの光景を見て駆け出した大久間祐樹という人間にとっては、関係がなかった。


「ふっ!!」


 振り下ろされる直前、間一髪、祐樹は男の剣を持つ手を掴む。力強い振りではあったが、祐樹の腕力には及ばない。


 祭壇の上から、小太りの男が声を上げるのが聞こえたが、それに構わず、祐樹は男の手首を万力を込めて握りしめる。ともすれば潰さんばかりの力に抗えず、男は苦痛の声を上げて剣を取り落とした。


 その瞬間を見逃さず、祐樹は腕を捻り上げて背中に回す。そして一団から距離を取り、空いた左手で警察手帳を取り出し、突きつけた。


「警察や!! 全員武器を捨てろ!!」


 自身が国家の力であることを見せつけ、この場にいる全員に罪があることを認識させる。


 だが、相手は数えたところ拘束している男含めて8人。対し、こちらは一人だけ。応援は呼べない。となると、彼らを逮捕するのは自分一人だけとなる。


 多勢に無勢もいいところだ。けれど、祐樹は逃げ出すことはしない。たった一人でもやり遂げる意思で、彼らに挑む。幸い、突然の乱入者である祐樹に、彼らは戸惑いを隠せていない。


 だが、祐樹は違和感を覚える。彼らが口々に何かを言っているのはわかるが、祐樹には理解できない言語だった。


(なんやこいつら、外人か……?)


 英語……にしては、どうも違う気がする。外国語にはそこまで詳しくはないものの、祐樹とて警察官。外国人で構成された犯罪組織の摘発も行ってきた経験もあるため、英語を使っているかいないかの違いならわかる。少なくとも目の前の連中は、英語とは明らかに違う言語で話している。となればロシア系か? 顔立ちからしてアジア系ではないことはわかるが、それだけしかわからない。


 だが一つわかった。説得は難しい。言葉が通じない以上、相手もこちらが何を言っているのかわからず、説得の言葉は届く以前に意味すら伝わらない。


 この状況をどう乗り切るか。こうやって仲間の一人を人質に取っている以上、下手な動きはできないはず。その間にどうすればいいのか考えなければいけない。


 そう、思っていた。


「っ……!?」


 背筋に走る悪寒。過去、何度か不意を打たれて殺されかけた、刑事としての勘が叫ぶ。




 男を離し、そこから逃げろ。




 祐樹がその直感に従い、男を離して距離を取った。


『……っ!?』


 その瞬間、祐樹が拘束していた男の背中から、鋭利な刃物が飛び出してきた。


「な……!?」


 祐樹は驚く。何が起こったのか。混乱する祐樹を他所に、男は投げ捨てられるように倒れ込む。


 男を突き刺したのは、ブロンド髪をした男。小太りの男を除いた他の男たちと違い、こいつだけ仮面を被っていない。顔にかかる前髪の隙間から覗き見える、殺意と狂気を孕んだ目付きは、人の命を何とも思っていないというのがありありと伝わってくる。


 現に、倒れた男を見ると、口から血を流して僅かに痙攣している。床に血だまりが広がる中、間もなく痙攣も止まる。呼吸をしているようにも見えない。もう手遅れだろう。仮面で顔は見えずとも、いきなりの裏切りに訳もわからないうちに死んだに違いない。


 祐樹も、あのまま人質として男を掴み上げていたら、男諸共串刺しとなって、一緒になって床を転がっていたのは明白だった。


「こいつ……仲間をあっさり殺しおった……!?」


 祐樹が驚愕するのは、その一点。人質が意味を成さず、ただの使い捨てとしか認識していない目の前の男。眉一つ動かさずに仲間を殺す、その残虐にして冷酷非道な行いに、祐樹の背筋を再び冷たい物が走るのを感じた。同時、祐樹はこの男の行動原理に見覚えがあった。


(こいつは、正真正銘の殺人鬼……!)


 今まで幾度となく殺人犯を捕まえてきた祐樹。その多くは、家族を奪われた等による復讐や、自暴自棄に走って犯行に踏み切る者たち等、犯した罪は許容こそできなくとも、狂気に走るには十分な理由を持っていた。


 しかし、こいつは違う。ただ殺したい。ただ奪いたい。理由なんてない、血さえ見せてくれればそれでいい。道端を歩いている罪なき一般人を、ただの好奇心、あるいは死にゆく被害者の顔を見たいという狂った行動原理で人を殺すという、人間の皮を被った怪物と似た空気を、この男から感じる。


 しかも、一瞬で接近し、一撃で葬るその腕は、正しく殺しのプロ。祐樹が相対したくない、一番厄介な相手であった。


「こりゃぁ……やばいかもしれんなぁ」


 目の前の殺人鬼相手に、祐樹は立ち向かえるのか。そんな不安が過る。


 その間にも、事態は動く。仮面の男たちが祭壇から降りてきて、祐樹を取り囲みだしたのだ。


 手に持っているのは、ナイフといった短い刃物と違う、ロングソードと呼ばれる類の剣。目の前で人が死んだのを見た今、演劇の道具でも何でもない、本気で人を殺すことができる武器だ。斬られ、刺されでもしたら、その時点で大けがは必須。最悪、ここで祐樹は死ぬ。


「…………」


 祐樹は無言で、取り囲む男たちを見る。仲間が死んだにも関わらず、彼らに戸惑いはない。いや、あるいはここで祐樹を殺さなければ、ブロンドの男に殺されるとでも思っているのだろうか。立ち振る舞い、剣の構えからして、周りの男とは格が違うから、そう思うのも無理はない。


 圧倒的に、祐樹の不利だ。警察手帳なんて、何の役にも立ちはしない。


(……まぁ、不利とはわかってはいるけども)


 チラリ、視線をやる。視線の先、男たちの後ろでは、血を流し苦し気に息をする老人。早く治療しなければ、命が危ないのは火を見るよりも明らか。


 そして、老人を抱きながら、涙を流してこの行く末を見守る少女の姿。祐樹を見つめるその瞳から、怯えと、そして願いが伝わる。


『――――――っ!!』


 祐樹の後ろを取っていた男が、謎の言語の叫びと共に剣を突き出してくる。ある程度の訓練を受けているのか、その動きは素人では見切れない。


 そう、素人では。


「ぬぁっ!」


 体を捻り、突きを躱す。通り過ぎる腕を掴み、引いて、体勢を崩した瞬間、祐樹の肘打ちが男の仮面に炸裂した。


 グシャリと、鈍い音を立てて男は吹き飛ぶ。仮面は砕け、ついでに鼻もひしゃげた様子。鼻血を出して倒れ込んだ男は、大の字になって気絶した。


「お巡りさんがここで逃げるわけにゃいかんやろ」



 死ぬかもしれない? 上等。元より警察官を志した時点でその覚悟はできている。



 殺人鬼が相手? ばっちこい。罪深い人間を捕えるのは警察の仕事だ。



 刑事として。大久間祐樹として。少女の『助けて』という願いが通じた者として。ここで退くつもりは、毛頭ない。


 祐樹の予想外の反撃に、戸惑って一歩下がる男たち。その男たちに向けて、睨みを利かせながら、言葉が通じないと理解しつつも祐樹は言う。


「生憎、ワシは爺さんと女の子を平気で殺そうとする悪人どもに加減してやる程、人間できてへんねや」


 ゴキリ、首を鳴らす。そして腰から取り出したるは、愛用の特殊警棒。軽く振るうと同時にスイッチを押し、複数の素材で作られた二段シャフトが伸びる。


「そういうわけで……」


 そして、吼える。悪人を、か弱き堅気の人間を傷つける愚かな悪人どもに、鉄槌を下すために、鬼も恐れる形相で。


「覚悟せぇやこの腐れ外道どもがぁ!!」


 問答無用で全員叩き潰すことを、今ここに宣言した。



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