第15話
ふと、床に散乱する写真が祥子の目にとまった。
そうだ、写真がある。
床に散らばった写真からレストランで二階堂と食事をしている時のものを拾い上げ、祥子は悦子に渡した。
「みてください。私は右利きなのに、この写真では左手にフォークをもっているでしょう? 私じゃなくて、鏡の像が二階堂さんに会っているところを撮られた写真だからなんですよ。これで私の話、信じてもらえますか」
悦子はしばらくの間、目を細めて写真に見入っていた。
「裏焼きじゃないですよ。二階堂さんはちゃんと写ってます。私だけが左右反転しているんです。それは私じゃなくて、鏡の像だからなんです」
祥子は二階堂を示し、結婚指輪が左手にあると説明してみせた。鏡の像が抜け出すなどというありえない話だが、ありえるのだと悦子にも信じてもらえるだろう。祥子は悦子の反応を待った。だが、悦子は写真を祥子に返すなり、冷静に言い放った。
「左右逆転なんかしてないよ」
その瞬間、祥子は写真を悦子の顔に突き返して叫んだ。
「よく見てください! 私は右利きなのに――」
「左手にフォークを持っている、だろう? みればわかるよ。だけどね、右利きだとしても左手にフォークをもつ瞬間ぐらい、誰にだってあるだろう? この写真はたまたまそんな時を撮ったんじゃないの」
鏡の像が抜け出しているという事実の客観的な根拠を失って、祥子は揺らいだ。鏡の像でなければ、すべての悪行を祥子自身が行ってきたことになる。だが、絶対にそれはないと言い切れた。
どうすれば悦子に証明できる?
祥子は考えた。鏡の像も考えこんだ。鏡には悦子も映っていた。悲し気に祥子を見据えている。
像がずれて動くところを見れば、あるいは悦子も、鏡の像が抜け出す話が真実だとわかってもらえるかもしれない。
祥子は突如、鏡にむかって激しく身動きし始めた。
「祥子?」
「悦子さん、鏡の像と現実の私の動きとを見比べてください。こいつは鏡に映った像のふりで私の動きを真似てみせているけど、時々、動きについてこれない時があるんです。それをみれば悦子さんだって――」
祥子はわざと真似するのが難しいと思われる動きをしてみせた。まるで軟体動物のように体をくねらせたかとおもうと、俊敏な動きで鏡の前を行ったり来たりした。そのたびに鏡の像も鏡に現れたり、鏡の端に消え去ったりした。その動きは一秒たりとも祥子の動きに遅れをとらないのだった。
「祥子……鏡の像がずれて動いたり、鏡を抜け出すなんてことはないんだ……」
「でも、本当にずれるんです」
「祥子、もういいから」
悦子は鏡の前を跳ね回る祥子の体を抱きとめた。
「悦子さん、信じてください。悪いのは鏡の像なんです。私じゃない。ゴミをベランダから投げたのだって、隣に騒音のことで文句を言いにいったのだって、メールのことだって、みんなこいつがやったって白状したんです」
「うん、うん」
悦子は小さな子どもをいたわるように祥子の頭をなでた。
「藤重さんをホームから突き落としたのだって、きっとこいつなんだ。二階堂さんとの不倫を社長に密告したのもこいつに決まってる。二階堂さんが好きだったからそんなことをしたんだ。こいつはすごく悪いやつなんだ」
祥子は鏡にむかってしゃべり続けた。鏡の像もまた、祥子にむかってまくしたてる。
「さやかは自殺だったんだ。さやかと二階堂のことに関しては祥子は無関係だよ。ふたりのことは祥子が入社してくる前のことなんだから」
「でも、こいつが」
「そいつは祥子自身だ。だから、祥子が言ったことをそのまま真似るだけなんだ。それが白状しているように見えただけのことなんだよ。祥子は二階堂とのことで罪悪感がどこかにあったんだね。それで自分がさやかを殺したように思いこんでしまったんだろうね。でも、これだけははっきり言っておく。さやかは自殺だった」
鏡の中の悦子も同じことを言った。
「ゴミ捨てやメールは……」
「それは祥子自身がやったこと。そうは思いたくなくて鏡のせいにしてるだけ。でも、祥子が悪いんじゃない。これはね、心の病気。いろんなことがあって祥子は少し心が弱ってしまって、そのせいでいろいろなことをしでかしたんだ……」
悦子の指が祥子の体にきつくくいこみ、頬を伝って流れおちた涙が祥子の髪を濡らした。
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