第7話 バグよバグ!


「ねえ!」


 休憩室のソファーに横になり軽く仮眠を取っていると、ばんっ! と勢いよくドアが開かれ、またしてもよしあきの目が覚めた。いや、覚まされた。


「ちょっと! おかしいんだけど!」

 

 おかしいのはお前のは頭だろ。

 よしあきはすぐさまそう返してやりたくなった。


「どうしたんだよ」

「まったくゲームが動かないんだけど!」

「故障か?」

「ええ」


 逆上は自信満々に頷いた。


「だったら店長に言えよ……」


 目の前にいる女のあまりの傍若無人っぷりに怒りを通り越して泣きたくなった。頼むから寝かせてほしい。


 逆上は指先をもじもじとさせながら、「だって店長探したけどいなかったんだもん」と不貞腐れたようにむすっと唇を尖らせていた。


 よしあきがソファーから上体を起こすと、逆上に尋ねた。


「以前にメンテナンスが来たのはいつぐらいだ?」

「2週間くらい前、かな……」


 だったら壊れているという可能性は低いだろう。

 PC席はともかくにしろ、VR席に関しては専門の整備士の人が数ヶ月に1度点検しにくる事になっている。安全面を考慮して、そう義務づけられているからだ。


「どこが駄目そうなのかは分かるか?」

「たぶん機械自体がだめなんだと思うけど……」

「筐体まるごとか……ちゃんと確認はしたのか?」


 すると逆上は露骨に視線を明後日の方向へと逸らした。


「もしかして、してないのか?」

「……」

「まさか、できないわけじゃないだろうな?」

「……………そりゃ、できないことは……ないけど?」


 逆上が反抗期の子供みたく突っかかってくるが、そんなに間を空けてたどたどしくいったら、出来ませんといっているようなものだ。

 けれど、それは無理もなかった。


 逆上は、たまたまバイト募集の貼り紙を見て応募しただけだ。家からも近く、時給も存外悪くない。そして何より決め手となったのは、ネットカフェがVR席の大幅導入で無人化が進んでいるからということだった。 

 端的に言ってしまえば、楽そうだからの一言に尽きる。だからそういった機械に関する技術的な事は出来なくて当たり前だった。実際、当時の募集要項にもそんなものが必要とは一切書かれてはいない。


 そんな彼女の反応を見て、自然とため息がこぼれ出てしまう。

 自分もここでバイトしていた時期があったが、こんなにも機械に疎くはなかった。もっとも、それは店長に仕込まれたお陰なのかもしれないが。


「そもそも誰だって出来ないことの1つや2つくらいあるわよ」


 逆上は、うんうんと首を縦に振り、開き直っていた。

 と、その時だった。


「どうしたんだ2人して。下からでも聞こえてきたぞ?」


 声の方に振り向くと、店長が苦笑いを浮かべながらドアのところに背を預けて立ち尽くしていた。


「ああ……なんかVR筐体が壊れたらしくて……」


 よしあきは先程まで話していた内容を店長に説明した。


「場所は?」

「確か、B-37番だったかな」

「分かった。見てくる」


 何か問題があったらまずいしね、と言葉を残して店長はすぐさま1階へと降りていった。

 数十分ほど経って店長が戻ってくる。


「特に異常とかはなかったぞ?」


 店長の報告に、逆上は目を丸くして「えっ、うそっ!?」と、どこかのCMでありがちな驚きの表情と声を挙げていた。


「じゃああれは……なんだったの……?」

 

 すると手を顎にやり、眉根を寄せ、思考モードに入る逆上。けれども考えても考えても迷路のような回廊に囚われるばかりで一向に答えは出てきそうにない。ウィルスやらトロイやらと悲観的な言葉を口にしていたが、残念ながらそんなものは全部杞憂だろう。店長がしっかりと確認をして、異常はないと言っているのだから。

 しばし、休憩室に静かな沈黙が訪れる。

 と、そこでよしあきが、さっき彼女が言っていた言葉を思い出して口を開く。


「そういやお前、さっきLGやるの久々とか言ってたな」

「お前じゃない! さ・か・あ・が・り!」

「悪かった悪かった。……それで? どうなんだ逆上?」

「ええ。確かに言ったけど?」

「どのくらいぶりだ?」

「ん~……」


 逆上は、視線を上の方にやりながら左手でしなやかに指を折っていく。


「半年、くらい?」


 またしてもよしあきは大きなため息をついた。いや、つかざるを得なかった。


「なによ」

「それだよ原因」

「??」


 首を傾げる逆上。まだピンときていないらしい。

 よしあきはパンパンと服の皺を伸ばし、姿勢を正してから、逆上の方に向き直って説明してやることにした。


「あのな……普通に考えてもみろ。半年前にセットしたスキルなんて覚えてられるはずがないだろ。お前は半年前の今日、夕飯に何食べたか覚えてるか? 覚えてないだろ。それと一緒だ」


 《リーグ・グロリアス》では、VRの方が有利設計になっているのは周知の事実なのだが、あれには少々語弊がある。

 より正確にいうなら、プロプレーヤー並びに高レートプレーヤーの場合はVRの方が有利ということだ。

 初心者の場合だと、まずスキルモーションを実際に試す段階で躓く事が多い。

 まずLGでは、ゲームを始める前に、はじめに自分で決めたスキルモーションをどのように動かすかといった工程を踏むのだが、自分の頭の中でイメージして実際にスキルをセットさせても、本番のゲーム内ではスキルが全然出ないなんてことはザラにある。

 頭の中では分かっていても、自分の中ではしっかりイメージできているつもりでも、実際には違うなんてことはよくあったりするものだ。

 人は何か物事を覚えたとき、20分経てば4割忘れてしまうといわれている。1日経てば7割で、1ヶ月経てば8割にものぼる。

 逆上は半年近くLGをやっていない期間があったのだから、ゲーム内で全くスキルが使えなくても当然といえば当然のことだった。


「あ、そっか……」

 逆上は、納得したような表情で呟いていた。

「じゃあ一旦全部リセットして作り直さなきゃ駄目ってこと?」

「いいや。そういうわけじゃない。システムか何かであったはずだろ。昔どんな風にスキルセットしたかをチェックできる奴が」

「分かった。教えて!」

「俺に聞くなよ。VRは専門じゃない。LGやってる知り合いとかに聞いた方がいいぞ」

「いいじゃん。どうせあんた今暇でしょ」

「いや……」

 もうしばらく俺は寝ていたいんだが……、と言おうと思ったところで、店長が驚きの言葉を口にした。


「それじゃあよしあき。今日からしばらくここで寝泊まりはさせてやるが、代わりにうちのスタッフの面倒は任せたからな」

「はぃいいいい?」

「いやー助かったよ。最近、息子や嫁が旅行に行きたい行きたいうるさくってさ……。でもこういう仕事やってたら、あんまり勝手には店を閉められないだろ? お前がいいタイミングで帰ってきてくれて助かったよほんとに」

「え……いや、ちょっと……?」

 

 店長には確かに今年3歳だったか4歳だったかになる子供がいる。そしてこの通り店長は、見事なまでの親ばかっぷりを余すことなく発揮している。


 いやいや待て待て。こっちに帰ってきたばかりだぞ。そんな投げやりでいいのか? というか、元々そういう魂胆だったんじゃ……? 

 あれこれと疑念を募らせていると、店長が柔らかな口調で言った。


「まあ安心しろ。今度の休日にほんの数日空けるだけだ。そのときにいてくれるだけでいい」

「は、はあ……。それくらいなら別にいいんですけど……」


 寝泊まりさせてくれるといった手前、恩があるので無下には断れない。よしあきは渋々ながらも頷くほかなかった。


「話終わった? それじゃ店長、これ借りるよ」

「ああ構わんぞ」


 店長に許可を取った逆上は、ソファーの方にまで寄ってくると、よしあきの右の二の腕あたりをぞんざいに掴み、無理矢理引っ張ってドアの方へと連れ出そうとする。


「……えっ?」


 と、手を掴んだ瞬間。逆上は、唐突にこれまでにないくらいに目を丸くして見せた。


「ねえ。一応聞くけど……いっつも何食べてるわけ?」

「何って……《Soycon》とか?」

「それはたまにでしょ。普段は?」

「いいや。普段から俺は基本Soyconだけだぞ」


 逆上は、あんぐりと口を開けたまま硬直した。戦慄、といってもいいかもしれない。だって、あんなのはただの栄養補助食品じゃないか。アミノ酸、ビタミン、ミネラルといった1日に必要な栄養素を全て賄える完全食などと謳われてはいるが、そんなのはまったくもって信じられなかった。


「……ちょっと来て」


 ぐいっ、と逆上の手に力がこもると同時によしあきが叫ぶ。


「……って、ちょっ、おいっ!? てか痛い痛い痛い痛い痛い! 爪! 爪、食い込んでるから! おい!」


 よしあきは、街でなかなかに見ないくらいには長身だが、対照的にその身体つきは全くといっていいほど肉がなく華奢だ。

 一方で逆上は数年前まではバリバリのスポーツ少女だった。なので、女子の力とはいえど簡単に引っ張ることができる。それほどまでによしあきが軟弱ともとれるが。


 悲痛を訴えるよしあきの言葉を無視して、逆上は一方的に引っ張っていくのだった……。



 

 《ゲーミング・ラバーズ》に併設されているフードコートの方にまで連れていかれると、逆上はちょっと待っててと言葉を残して、厨房の方へと入っていった。


(――……なんなんだよ急に……)


 数分待ち、逆上がようやく戻ってくる。と、その右手には何やら白く長細い物体が何本も入ったタンブラーグラスが握られていた。


「なんだよそれ」

「うどスティックよ」

「うどスティック?」


 よしあきが訊き返すと、逆上は「そ」と落ち着いた物言いで肯定した。


「といっても、ただの酢漬けなんだけどね」

「これを食えってか?」


 逆上はもちろんと頷く。拒否権はないといわんばかりの表情だった。よしあきは少し逡巡してから、恐る恐るうどスティックとやらを1本取って口に咥えた。


「うわ何だこれっ!? かってぇ……」

「まともに歯使ってないからでしょ」

「いや、つってもこれ……んっ……ぐっ……硬すぎだろ……ぐぐっ……ぐぬぬぬっ……いでっ……」


 しばらく奮闘した後、よしあきが咀嚼し終えると、逆上がホッとしたように息を吐いてから言った。


「ほんとびっくりした。あんたの身体華奢すぎてどっかバグってるのかと思ったわよ……。バグよバグ」


 ひっでぇ言い草だな……、とよしあきは心の中で愚痴る。まぁでも実際、味は悪くなかった。


「ところで1つ聞いていいか?」

「ん? なに?」

「これ食って何か意味あんの?」


 よしあきは食に関して全くといっていいほど興味がなかった。コアゲーマーにはこういったタイプは多いが、その中でも遥かに度を越えていた。1日1Soyconのみで平気で生きていけるタイプだ。

 逆上はよしあきのそんな言葉と態度にまたしても閉口せざるを得ない。が、今回はすぐに平静を取り戻した。


「そりゃ疲労回復にだっていいし、頭に血だって巡るようになる。というか、アレよりは何百倍もマシだから!」


 と、最後はまるで叱りつけるかのように力を込めてぴしゃりと言い放ち、ふんっ、と鼻を鳴らしていた。

 よしあきは苦笑しつつ、肩をすくめると、ぽつりと礼の言葉を漏らす。


「……さんきゅーな」

「別にいいわよこれくらい。みんなに分けてる奴だから」

「家で作ってるのか?」

「そうそうお婆ちゃんが家庭菜園が趣味で今が旬だからよく採れるのよ。……って、そんなことはどうでもいいから、早くさっきの教えてよ!!」 

 

 逆上は態度をがらりと一変させると、ネットカフェの方へと足を進めていく。よしあきは壁にかかっている時計に一度目を向けると、すぐに逆上を呼び止めた。


「ちょっと待てどこでやるつもりだ?」

「どこってVR席しかないでしょ」


 振り向いて、ごく自然に答える逆上によしあきは穏やかにこう続けた。



「プラクティスルームでやろう」











 





 

 





 



 



 

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