第5話 逆なんとかとの逆転現象
思わず肩を縮こめるほどの冷たい風が容赦なく正面から吹き付けてくる。
けれど、頭はどうもぼんやりとしたようなふわふわしたような感じが続いていて、冴えることはなかった。
よしあきは一度リフレッシュするためにネットカフェ・《ゲーミング・ラバーズ》を出て、外周を散歩していた。
しかし、その足取りはぽつぽつと老い先短い老人のように拙く、まるで幽鬼さながらといった感じだ。
それに何といっても、カチカチカチ、と周囲がドン引きするくらいに激しく歯軋りしており、端から見ればものすごい不審にしか見えなかった。
(――あぁ、もう……くそっ……!)
爪が食い込むくらいに拳をぐっと握りしめる。
先程プレーしたAIモードの結果に全然納得がいっていなかった。
ほとんどノーデスでクリアしたものの【CS Accurate】の項目は97%。
普段のよしあきならほぼ100%のノーミスで、調子の悪い時でも98%のラインだ。
97%なんていうスコアを出したのは、もう記憶にないほど前のこと。
日本でプロプレーヤーだった頃もアマチュア時代も、一切出した覚えがない。
(これも全部、あの逆なんとかとかいう女のせいだ……)
全て理由もなく無理矢理起こされたのが悪い。
あれのせいでなにもかもが乱れてしまった。
そう結論づけて、たまたま目に入った小石を蹴り飛ばしてからネットカフェへと戻った。
◆ ◆ ◆
「……」
「すぅ……すぅ……」
よしあきが使っているいつもの愛用席――シングル席の一番奥まで戻ってくると、なぜかそこには先客がいた。
それも椅子に座って、寝息を立てながら、心地よさそうに眠っている。
茶髪のポニーテール。
どっからどうみても、さっきの逆なんとか、とかいう奴だった。
「……は?」
普段喋るトーンよりも3トーン程低い、腹の底から出た、全くもって理解できないといった「は」だった。
よしあきは基本的にはクールに振る舞うよう心がけている。
ゲーム内では、常に冷静であり、激情に駆られるといった事はほとんどない。感情的になってしまうと、周りが見えなくなり、自身のプレーに悪影響を及ぼすことを知っているからだ。だから、さっきは一度気持ちを切り替える為に外に気分転換をしにいっていた。
だが、もどってきて早々これだ。
昨日の空港のときのような新手の嫌がらせか? とも一瞬思ったが、そんな事はないだろうと考えを改めた。
さっき話したとき、こいつは俺のことを知らないような素振りだった。つまり、明確な悪意があるわけではない。
――……だとしたら、何だ?
考える。思考する。読む。こういった相手の思考を読むといったのはゲームで慣れているので得意分野。
だが考えても考えても結論として導き出されるのは、「寂しがり屋の構ってちゃん」か「子どもじみた悪あがき」の2つだけであり、それ以上に考えようがなかった。……どっちもただのうぜえやつじゃねえか。
よしあきは一度思考から脱却し、はぁ、と一息ついてから、椅子の背もたれの上部あたりを両手で掴む。そして左右に揺らす。ゲーミングチェアだから心地が良いのは分かる。眠たくなるのも分かる。だがそこは俺の席だ。
揺らす。起きない。もっと揺らす。起きない。激しく揺らす。起きない。猛烈に揺らす。起きない。キーボードの横においてあるさっき買ったコーヒーが目に入る。いっそ、かけてみるか? いや、流石にそれはだめだ。訴えられたらおわる。ゲームオーバーだ。
めげることなく椅子を揺らしつづけていると、やがて「んん……」と声を漏らすのが聞こえた。
「……起きたか? さっさとどけ」
「ふぇ?」
さっきも似たような光景があったな、と内心思いつつも椅子をあけろとしっしと手で払う。
逆上はまだ目が覚めたばかりでうつらうつらしていたものの、唐突にはっと我に返り、
「…………あぁ、やっちゃったぁ……! 昨日夜更かしして深夜までテレビ見るんじゃなかった……」
顔を覆い、恥ずかしそうに何やらぼそぼそと独り言を呟き始める。すぐ真後ろでこめかみ辺りを引き攣らせているよしあきの事などいっさい気付いていないとでもいうような振る舞い。
「おい」
「……あーもう、ほんと情けないなぁ私……」
「おい」
「というか、あいつが戻ってくるのが遅いのが悪いのよねそのせいで寝ちゃったんだしうんうんそうだよね」
「おい」
「そもそも、この椅子心地良すぎでしょ……。明らかに普通の一般席のやつと違うじゃない」
「おい」
「そんなことより30分以上経ってるのにどこいったのよあいつ…………って、えっ!? あんたいたの?」
「さっきからいたぞ」
影うっすー……、などとボヤいていたがよしあきは当然無視。そんなのに突っかかるほど子供ではない。
「邪魔だからどいてくれ。いや、さっさとどけ」
よしあきは凄む声でそう言いのけるものの、逆なんとかは身震い一つすらしない。
普通なら、初対面の相手ならこれくらいいえば大人しく従うはずだ。だが、目の前の奴は歯牙にもかけない。
それは疎か――
「ねえ、あんた。本当にあの【Yoshiaki】なの?」
椅子に座ったままキャスターを滑らせ、こちらの方にスライドしてきて、興味津々といった具合で聞いてくる。なんとも迷惑極まりない。
「だったら何なんだよ……」
「じゃあ実際にやってみせてよ。どれくらい上手いのか見てみたいの」
「今はまだ眠いから無理だ。それに今お前バイト中なんだろ?」
「朝はほとんど無人でも何とかなるから店番してればいいの」
確かに彼女の言う通り、今のネットカフェスタッフの役割といえば、ほとんど店番くらいしかない。
入り口にある無人端末機で、会員証にお金をチャージすれば、後は席にあるカード差込口に入れるだけで、誰でもすぐにプレーできるようになっている。ドリンクやフードなどの販売は基本的に自販機。一応、警備や機器メンテナンスのために人員を確保してあるくらいだ。
「それに、やることやったんだったらバイト中でも席は自由に使っていいって店長が言ってたし」
店長は寛容な人柄だ。事実、よしあきも昔ここでお世話になっていた頃は特にやることがなく暇な時間にはPC席で《リーグ・グロリアス》をプレーさせてもらっていた。そのお陰でアマチュア時代はバイトをしながらでも練習時間がとれて助かったものだ。
「それは別に構わないが……ここは自由席じゃないぞ。やりたいならどっか他の席借りて1人でやってればいいだろ」
「ふーーん。そういうこと言うんだ?」
突然の態度の変化に、よしあきは思わず顔をしかめた。何を考えている?
すると逆なんとかは何やら訳知り顔で微笑むと、姿勢を正して、くるっとPCモニターの方に向き直る。
そして。
あろうことか、逆なんとかは右手をキーボードの方へ伸ばし始めたのだ……!
「おい、何をしてる? というかその手はなんだ」
「何って……ちょっと今からLGをやろうかなって……」
ふざけてやがる。よしあきの心中は、今すぐこの目の前の女をどこかの海に沈めてやりたいといった感情で埋め尽くされた。
するとちょうどキーボードに触れそうで触れないあたりのところで手を静止させて、逆上が続けるように言った。
「……今からやってくれる、っていうなら話は別だけどね?」
勝ち誇ったかのように、にやっと微笑む。
逆上は先程、彼――【Yoshiaki】に関して、いろいろな記事を情報収集していたときに、いくつか興味深い記事を見つけていた。
それは彼がゲームに関しては超がつくほどの完璧主義者だったということだ。
彼はオフライン大会の時には、プロプレーヤーが一般的に会場入りする時間帯のおよそ2時間も前から先に会場入りし、徹底的にPC環境をセットアップするのだそうだ。椅子の高さ。背部の傾き具合。肘掛けの高さ。モニターとの距離も定規で正確に査定し、キーボードの位置も自分の決めた位置でしっかりと固定する。1ミリのズレも許さないほどの徹底ぶりだそうだ。
もちろん怒るだろう。そのことを承知の上で逆上もけしかけていた。
さっきのやりとりで逆上の中には、やっぱり本物なんだ、という確信から、彼がいったいどんなプレーをするのか見てみたいといったそんな興味が湧き始めていた。
よしあきは、はぁ、と深く溜め息をつくと首を横に何度か振って、
「わかったわかった。やればいいんだろ」
観念したようにそう言った。逆上はふふん、と鼻を鳴らして立ち上がると、入れ替わるように、よしあきが椅子に座る。
念のためデバイスの位置を点検する。後ろから、「いっさい触ってないから」と言われたが、まったくもって信用ならない。
数十分かけて、椅子やキーボード、マウス、すべての状態を確かめ終えると、よしあきはモニターに向き直る。よし、いつもの感覚だ。オールクリア。問題はない。
しっかりと右手でマウスを握りしめ、左手は指先をキーボードに添え、目を何度か瞑り、呼吸のリズムを整えてから、よしあきは【対戦開始】のボタンをクリックした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます