第4話 アクシデント
「……ひっ!? ……えっ、ちょっ!?」
朝のまだ静謐としたネットカフェ内の雰囲気の中で、随分と頓狂で場違いな声が響き渡っていた。
(…………誰?)
疑問に思うものの、
(ていうか、何でここに人が……? 店長はここは特別席だから誰にも使わせるなって言ってたのに……。あ、そっか。深夜の山下さんって新人だったっけ……あーもうどうしよ……)
なぜ誰もいない部屋を毎日欠かさず掃除(それも机やディスプレイなどは触らずに、ほとんど床だけ)するのだろうと逆上は不思議に思いながらも、たった数分で終わるので、別段理由は尋ねることなく欠かさずにやっていた。
だが、こんなイレギュラーな事態は初めてだ。
この時間帯は、元々客の出入りも少ないために、バイト歴2年近くになる彼女が1人で店を管理することになっていて、相談しようにもする相手が誰もいない。八方塞がりだった。
「あのー……」
「……」
「あ、あの!!」
「……」
声をかけてみたものの、案の定返事はなく、ぐっすりと眠ってしまっている。
(店長にバレたらどうしよう……)
そんな言いようのない不安が襲ってくる。
逆上がここのバイトを始めた頃に仕事熱心な人がいたのだが、その席を隈なく掃除してしまい、店長が物凄く怒っていたからだ。
自分は傍から見ていただけだが、普段温厚な店長があそこまで怒ったのは今までであの時だけだった。だから気をつけてはいるのだが……。
逆上は左手を首にあてがいながら、悩ましい様子で、机に突っ伏している男をどう対処すべきか考えあぐねていた。
◆ ◆ ◆
「……んぁ……?」
体が誰かに揺さぶられ、意識が否応なくこちらの世界に戻ってくる。
朝まで新しく作ったアカウントで、AIモードをひたすらにやり続けていて、よしあきが寝たのはつい1時間前の事だった。
「…………ださい!」
……ださい?
「起きてください!」
―――キーーーーーーン。
耳元でした大声に、反射的に上半身を仰け反らせて、耳をすぐさま抑えつけるモーション。
何事、と思いながらよしあきが後ろを向くと、若い女子高生くらいの歳の女が腰に手をあてて仁王立ちでこちらを見据えていた。エプロンを羽織っているので恐らく店員だろう。
やんわりとした長めの茶髪が後ろで1つに束ねられており、横から出ている後れ毛がなんとも印象的に映えていた。顔は今どきのモデルのような丸めの小顔で、整った目鼻立ちに黒くぱっちりとした大きな瞳をしていた。
よしあきの視点から見ても贔屓目なしに彼女はなかなかの美人に見えたが、今は眉間に皺を寄せていたり、むすっと唇を尖らせていたりと色々と台無しだった。
だが。
それ以上に、よしあきは苛立っていた。
こうして無理矢理起こされるのは、ストレス以外の何物でもなかった。自らのリズムを崩されることほど嫌なことはない。それに加えて耳鳴りがするような甲高い女の声。苛立ちにますます拍車をかけるのは明白だった。
「……チッ……誰だよお前……」
よしあきは目の前にいる妙齢の女を容赦なく睨めつけながらそう吐き捨てた。今の彼に相手の気持ちを汲んであげるような精神的余裕はない。
「誰だよはこっちの台詞ですよまったく……ここは一般のお客さんの席じゃないんですからね」
女も負けじと言い返す。そのくらいでへこたれる程のヤワな精神ではないらしい。
よしあきが大きく欠伸や伸びを繰り返して、頭を覚醒させると、チラッと胸元についている名札が目に入る。そこには、『逆上 陽菜』と書かれていた。
「………ぎゃく? うえ? ひな?」
よしあきが目を眇めつつ何気なしに棒読みで呟くと、仁王立ちしていた彼女が、どんっ! と大きく足踏みした。
「違う! さかあがりはるな!」
丁寧に自己紹介してくれる。けれども、よしあきには目の前にいる女の名前なんてちっとも興味がなかったのですぐに記憶の隅へと放った。
「で? 何の用だよ?」
「……ああ、もう!」
逆上は、その場で再び地団駄を踏みそうになるのをすんでのところで堪えて、呆れながら言った。
「ここは一般プレーヤー用じゃないんですから! とりあえずすぐに他所へ移ってください!」
「……あぁ。そういうことか」
よしあきはそう独りごちて、なるほどと合点したような様子を見せてから言った。
「それなら別に問題ない」
「何が?」
「俺がそれだから」
「???」
逆上は首を傾げる。
「意味がわからないんだけど?」
「……なんだお前、聞いてないのか? もしかして新人か? じゃあ用はない」
そんな歯に衣着せないよしあきの言葉に、逆上は顔の両脇に垂れていた後れ毛を逆立てるかのように激昂した。
「これでもねえ! 2年以上ここで働いてるんだけど!」
もはや店員としてのあるべき態度はすっかり抜け落ちていた。でもしょうがないじゃない。目の前の男がこんなにも失礼なんだから。自然とそう返してしまう。
一方でよしあきは、まだ寝起きで頭がきちっと覚醒していないために、逆上がなぜこんなにも怒っているのかちっとも理解できなかった。
そんな怒りを露わにする逆上を気にすることなくよしあきは続ける。
「まぁいい。事情は分かった。とりあえず店長には帰ってきたと伝えておいてくれないか?」
「何が分かったよ!? こっちはちっとも理解できてないんだけど!」
「? そんなにキレてるんだ? ぎゃくうえ」
「さ・か・あ・が・り!」
「もしかしてアレか? お通じでも悪いのか?」
「……っ!!」
――ばんっ! と、さっきよりも1トーン大きな足踏みと同時に、物凄い形相でよしあきを睨む。けれどもよしあきは怯まない。ただぼーっと半目で逆上を見つめ返して、きゅっきゅっと左手で目をこするだけだ。
そんな態度に辟易したのか相手にしてられないと思ったのか逆上がカウンターの方へ戻ろうとすると、唐突によしあきが彼女を呼び止めた。
「おい。ちょっと待ってくれ」
「なに?」
無愛想な返事。
「腹が減った。《Soycon》とコーヒーを持ってきてくれないか?」
「自販機、あっち!」
逆上は、自販機コーナーの方を指差しながら、怒鳴る一歩手前のような口調で端的に告げると、ずかずかとした足取りで去っていく。
――……不親切な奴だな。
よしあきはそう思いながらも、口には出さずに、ゆっくりと腰をあげて休憩コーナーにある自販機へと向かっていった。
最近では携行食もすっかりと進化して、数粒摂取するだけで1食分のエネルギーを補えるようになった。満腹感も補える。便利といっちゃ便利なのだが、味は一向に進化していない。流通し始めた数年前よりかはだいぶマシにはなったが。
簡素な食事を終えて、少し休憩を挟んだ後、よしあきは《リーグ・グロリアス》の【対戦開始】ボタンを押して、再びゲームの世界に没入していった。
◆ ◆ ◆
「あーもうなんなのよあいつ!」
カウンターの椅子にどしんと脇目も振らずに座り込むと、逆上は激しく苛立った口調でそう吐き捨てた。なんなんだまったくもう。勝手に使っちゃいけない席を我が物顔で陣取って……挙げ句の果てには……あー腹立つ!
カウンターに設置された店員用のPC端末から、あの席に入っていた人物を探し出す。ネットカフェの個人情報は守秘義務があるので、本当はそういったことはしてはいけないが、あの横柄な態度が鼻について、逆上にはそんな事は一切考えられなかった。
(大体、昨日の深夜だろうから……)
入店ログをスクロールして眺めていく。
――あった。
深夜1時18分。きちんとログは残っていた。今のご時世にPC席を使う人なんてなかなかいないので、ログはすぐに見つかった。
(……え?)
その名前を見て、思わず逆上は目を細めた。
――【Yoshiaki】
その名前には覚えがあった。
なぜならバイト中に、お客さんや周りの従業員達からも、その名前を嫌というくらいたくさん耳にしてきたからだ。
一部の熱狂的なファンからは、《リーグ・グロリアス》をプレイするのなら、チュートリアルよりも先に、まずは【Yoshiaki】のプレー動画を見ろとまで言われているほどだった。みんなが彼をお手本にしているのだから、余程の腕前なんだろうとは思っていた。
けれど、最近はなぜか耳にしなくなっていた。リーグ・グロリアスのルールはそこそこプレー経験があるので知ってはいるものの、プロプレーヤーに関しては、逆上にはあまり興味がなくどうでもよかった事だからである。
今更ながら、その名前が引っ掛かった逆上はインターネットでその名前を検索してみることにした。
検索するだけで、トップ項目にリーグ・グロリアスの関連記事が出てくる。やはり相当な有名人なのだろう。
けれど、そこに書かれていた内容を見て、逆上は更に目を丸くせざるを得なかった。
そのほとんどがネガティブキャンペーンのような内容ばかりだったのである。
どの記事もが彼を、『時代の波に乗れなかった落ちこぼれ』などといったそんな悪辣極まりない言葉で揶揄されていたのだ。
あまりの誹謗中傷に、先程まで彼に怒りに怒っていた逆上が不憫に思ってしまうほどには。
しかし、疑問に思うこともあった。
彼は
なんといっても、一番違うのは雰囲気だ。
この写真に映っているのは、(当時18歳、国内大会優勝でトロフィーを掲げているシーン)快活で笑顔が似合う、礼儀正しそうな好青年なのに対して、さっき見た顔はどうみてもやつれていて無礼千万。とてもじゃないが、お世辞にも同一人物とは思えない。体つきもまったくの別人としか思えなかった。こんなにも変わってしまうなんてありえない。
「やっぱりハッタリじゃない……!」
そう口にした途端、怒りが沸々と込み上がってくる。もしかしたら店長が言ってた特等席というのは、彼だったのかもしれない。そんな僅かな可能性を案じたが、全然そんなことはなかった。名前がたまたま同じなだけ。
逆上はフラット席の一番奥まで向かい、どんどん、と勢いよくドアを叩く。返事はない。もしかしたらヘッドセットを付けていて聞こえてないのかもしれない。ゲーマーにはよくあることだ。だから何度かノックを繰り返した後、躊躇うことなく逆上はドアを開けた。
けれど中には誰もいなかった。先程あったキャリーバッグはまだ置いてあるので、どこかに行ったのかもしれない。待つことにしよう。
と、そこでモニターの電源がまだ点いていた事に気付いた。
見るとそこには、《リーグ・グロリアス》のゲームのリザルト画面が表示されていた。
AI 5vs5モード
難易度:ULTIMATE CLEARED
時間 :24分32秒
KDA :Perfect
CS Accurate :97%
Estimate Elo Rating : Unknown
「…………え? なにこれ……」
AIモードは《リーグ・グロリアス》の中に搭載されているコンピューター戦だ。
新しくLGを始めたプレーヤーなら誰しもが通る道でもある。
AIモードの難易度は、【Beginner】【Intermediate】【Advanced】【ULTIMATE】の4種類に分かれており、【ULTIMATE】に関していえば、ある程度やり込んだプレーヤーでないとクリアできないレベルに設定されている。
しかし、逆上が驚いたのはそこではない。
KDAとCS Accurateの項目だ。この難易度【ULTIMATE】をクリアすること自体は可能だが、ここに表示されているのはPerfect。
KDAは、デスに対してどれくらいキル及びアシストが取れたものを示していて、ゲーム内での貢献度に近しいデータだ。
一度もデスすることなくクリアするなんて見たことがない。
それにCS Accurateもあまりにも高い。これはミニオンやモンスターの獲得量を表す。自分がやったときは、70%~80%くらいだった。平均もそれくらいだったはずだ。
そして何より不思議だったのが、【Estimate Elo Rating】だ。
これはゲーム結果を通して、そのプレーヤーの動きが、どのくらいの実力があるのかを測定してくれるもので、参照しているのは今までに《リーグ・グロリアス》をプレーしてきた膨大な個々のプレーヤーだ。必ずしも正確ではないにしろ、見当外れになることはなく、大体その付近のランクに配属されるのが普通だった。
確か逆上がプレーしたときには、ランクは【ゴールド】(LGランクプレーヤーの中ではおおよそ平均くらい)と表示されていたはずだ。
しかし、ここに表示されているのはUnknown――つまり、不明ということだ。こんなのは今まで見たことがなかった。友達と一緒にプレーしてたときでも不明なんてのは、だれもいなかった。
(……やっぱり、本物??)
でも、どう考えてもあのさっき見たはずの画像とは違う。
結局、逆上は自分の中に持て余したこの複雑な感情をどう処理すればいいか分からないまま、彼が戻ってくるのを待つことにした。
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