~第一章~
(一)
ベッドに横たわる患者の目は、薄く開かれていたが、外部からの刺激には、何の反応も示さなかった。
「CT検査の結果、外傷性及び器質性の脳血管障害の痕跡は認められませんでしたが、側脳室、脳溝及びシルビウス裂の拡大を伴う大脳の萎縮、並びに海馬部位の著しい萎縮が認められました」
担当医師の何天祥は、CT画像を指差しながら、努めて事務的な口調で説明する。
「――以上、検査の結果から、重度のアルツハイマー症ではないかと考えられます」
じっと押し黙って、天祥の説明を聞いていた患者の妻は、すがるような眼差しを天祥に向けた。
「回復の……回復する見込みは、有るんでしょうか?」
「絶対に無いとは、申し上げ切れませんが、回復の可能性は、極めて低いとお考え下さい」
自分でも、冷たい言い方だとは思う。
「そんな……どうして?」
患者の妻は、泣き崩れながら、言葉を搾り出した。
(二)
「どうして? は、俺の台詞だっての……」
自分の診察室に戻った天祥は、周りに誰もいないことを確かめてから、日本語で呟いた。
今の患者のカルテの横に、別の四枚のカルテを並べる。五人全員が、ここ一ヶ月の間に、搬送されて来た患者だった。名前と年齢の欄を隠せば、誰のカルテか、見分けが付かない。判で押したように同じ内容が、書き連ねられていたからだ。職業は軍人、体調不良にて長期休暇を取得し、自宅療養中に、突然の意識喪失により病院に搬入、検査の結果、重度のアルツハイマー症と診断。カルテに記載はないが、家族の話によれば、帰宅時の患者は、無気力で、口数は少なかったが、とてもイライラしているように見えたという。帰宅日の翌日から、歩行障害、麻痺などの運動機能障害や記憶障害を主とする認知症症状が、出現し始め、約一週間から十日ほどで、無動性無言状態へと至ったようだ。いずれの患者も、いわゆる寝たきりの状態になって、初めて病院に搬送されている。症状の進行が、極めて早かったという事実、今まで非常に頑健であった夫や父親が、病気になどなるはずがないという家族の先入観、あるいは病気に罹っている事実を認めたくないという家族感情が、患者の病院への搬送を躊躇させた要因となっているのだろう。
患者の年齢は、五十代が三人、六十代が二人だった。患者五人中、三人までが、すでに死亡している。今のところ、死亡した患者の家族から、死因を詳しく調査して欲しいという要求はない。すでに死体であるとは言え、身体に傷を付ける病理解剖に、拒否反応を示す家族は、中国においても、少なくはなかった。
「……やっぱ、変だよね」
天祥は、誰に言うともなしに、ボソっと日本語で呟く。
画像診断の結果は、アルツハイマー型認知症の徴候を示しているし、診断を下すなら、確かに、アルツハイマー型認知症の疑いで間違いはないと思う。それでも、天祥には、腑に落ちないことばかりだった。脳組織の病理検査をすれば、もう少し詳しい死因が分かるかも知れないが、家族の承諾を得られる見込みは薄い。患者が人民解放軍の軍人のためか、病院スタッフも、あまり関わりを持ちたくないという雰囲気を醸し出していた。君子危うきに近寄らずの心境なのだろう。
最近、天祥は、軍隊というものは、見事なまでに、トップダウンの組織なのだと、しみじみと実感している。日本生まれの華人である天祥が、生まれて初めて、祖国に足を踏み入れた三年前、人民解放軍は、もっと市井の人々に慕われ、尊敬もされていた。当時は、徐栄儀(シュイ・ロンイー)中央軍事委員会副主席が、人民解放軍制服組の頂点に君臨していた。徐副主席は、天祥の父・何徳賢(ホー・ドーシエン)の幼馴染でもある。父の友人という関係を差し引いても、徐副主席は、超一流の決断力と指導力を備えていたと、天祥は思う。清廉、潔白は、正に徐副主席のために、存在するような言葉だった。古来より、治世の最上策とされる「以徳(徳を以って)治国(国を治める)」の器量を持つ、稀有の人材だったと言っても、過言ではない。しかし、いくら稀有な才覚を持つ人材であっても、必ず引退する日は訪れる。徐副主席は、一年と二ヶ月ほど前に、十年の長きにわたり、勤め上げた軍事委副主席の地位を自ら辞した。徐栄儀自身の口から辞職の理由が公に語られた事実はないので、あくまで外部の憶測に過ぎないが、栄儀自身の年齢が、七十代も半ばという高齢に差し掛かりつつあること、心臓に病を得たこと、夫人が死の床に就いたことが、辞職の理由ではないかとされていた。
徐副主席の後釜に据えられた陳強国(チェン・チャングオ)現中央軍事委副主席も、決して凡庸な人材ではなかったが、治世の下策とされる「以武(武を以って)治国(国を治める)」が、やっとという程度の器量しか持ち合わせていなかった。徐栄儀とは、どだい人間としての器の大きさが違うというのが、不特定多数の評だった。
軍隊のような上意下達の集団においては、トップの方針が、軍全体の方針となる。今や、市井の人々にとって、人民解放軍は、触れれば、怪我をする厄介な存在にまで成り下がっていた。
(なんで軍人ばっかなんだよ? なんでこんなに進行が速い? ……そもそも、これって本当にアルツハイマーなのかよ?)
天祥は、言葉を口には出さず、内心で自問してみた。廊下から、天祥の診察室に近付いて来る足音が、聞こえて来たからだ。
(三)
トン、トンという遠慮勝ちなノックの音がした。きっと若い看護師だろう。婦長のノックは、もっと威勢が良い。
「どうぞ」
軍人たちのカルテを手早く片付けながら、天祥は、ドアに向かって、声を掛ける。
ドアを開けて、顔を出したのは、若手の中では、実力、患者からの人気ともに、ナンバー・ワンの呂愛怜(リュィ・アイリン)看護師だった。
天祥が勤務する、この天和総合病院は、天祥の父であり、医療・医薬品事業を手広く展開している何徳賢が、中国・蘇州に設立した大規模な総合型医療施設だ。
昔から蘇州は、江南地方随一の美人の産地として有名だが、呂愛怜は、美人というよりも、むしろ可愛らしく、愛嬌のある顔立ちをしている。性格も申し分なく、患者のみならず、病院スタッフにも、すこぶる人気が高い。
「すみません、先生。また押し切られてしまいまして……お時間、有りますか?」
愛怜は、天祥に向かって、申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げる。
「あ、全然、大丈夫だよ。今、暇だし。こっちこそ、ごめんね。いつも、気を使わせちゃって」
最近、日課となりつつある、「特別室のゲスト」からの呼び出しだった。角を立てずに、やんわりと、優しく、患者のわがままをたしなめる術を心得ている愛怜でさえ、この「特別室のゲスト」には、押し切られてしまうのだ。最早、天祥ごときに、なす術はない。素直に要求に従うのが、得策というものだ。それに、今日に限っては、お呼びが掛からなくとも、天祥から出向いて行くつもりでいた。稀に、そんな日が有っても、罰は当たるまい。
(四)
特別室は、六階にある。病室というよりも五つ星クラスのスウィートルームという方が似つかわしいVIP専用の病室だ。六階には、病室が五部屋しかなく、六〇一号室から六〇五号室までのすべてが特別室だった。
「特別室のゲスト」は、特別室の中でも、ひときわ豪華な仕様の六〇一号室に「滞在中」だ。
六〇一号室のドアを開けると――もちろん六〇一号室の主人の許可を得てからだが――にんにくの焦げる香ばしい匂いが、部屋中に充満していた。にんにくの匂いは、天祥の胃袋を強烈に刺激する。白衣のポケットから取り出した時計を見ると、午後二時を回ったところだった。
キッチンとひと続きになっているダイニングルームには、中国的な細かい透かし彫りの施された紫檀のテーブルが設(しつら)えられている。
六〇一号室のゲストである老人は、紫がかった黒い光を鈍く放つテーブルの上に、にんにくの匂いの漂う料理の盛られた皿をセッティングしていた。
「天祥、よく来てくれた。まあ、座れ。どうせ、まだ昼飯も食っておらんのだろう?」
特別室の老人は、よく通る大きな声で、天祥に話し掛ける。
「すみません、毎日のようにご馳走になっちゃって……」
恐縮しつつも、テーブルの上に整然と並べられた老人の手料理から立ち上る湯気の誘惑には勝てず、天祥は椅子に腰をおろす。
「料理は、じじいの道楽よ。ボケ防止にも、ちょうど良い。しかし、食わせる相手がいないと、どうも張り合いが無くてな」
天祥には、老人が昼食を摂る時間もない天祥を気遣ってくれていることが、痛いほどに分かる。老人が天祥の父親の無二の友人という点は、いく分、煙たかったが、天祥はこの老人が好きだった。老人と接すれば接するほど、この老人が、中国の市井の人々に愛される理由も分かるような気がした。
「さあ、食え。どんどん食え。今日は、にんにくの芽と豚肉で炒め物を作ってみた。お前の好きな酸辣湯もある。デザートには、卵タルトを焼いてみた」
かつて総勢二百万人を超える人民解放軍を統轄した名指揮官が、今では、病院の特別室で、卵タルトを焼いているのだ。――この徐栄儀という老人、さすがに奥が深いと言わざるを得ない。
齢七十六を迎えた今でさえ、徐副主席は、偉丈夫だった。三十一歳になったばかりの天祥よりも、よほど筋肉質だ。身長にしても、一八〇センチある天祥と、大して変わらない。背筋をピンと伸ばして、大またで闊歩する姿は、清清しく、凛々しい。
「ところで、天祥。私は、いつ家に戻して貰えるのだ?」
徐栄儀が、三ケ月前に、軽症ではあったが、狭心症の発作を起こして、特別室の患者となってから、もう何度、同じ質問をされただろう。
「それは、父に聞いて頂く方が……」
天祥は、曖昧にお茶を濁す。
「徳賢の奴では、話にならん。だいたい、あいつは、医者でもないくせに、何の権利があって、私をこんなところに、留め置くのだ?」
天祥とて、栄儀のクレームは、もっともだとは思う。しかし、父には、父の言い分がある。
頑丈そうに見える栄儀だが、年相応に心臓が弱って来ているのは、確かだった。栄儀の息子は、二人とも学究肌で、もう随分前から、海外の大学で教鞭を執っているし、一年前には、長年、連れ添って来た糟糠の妻も鬼籍に入った。天祥の父であり、栄儀の親友でもある徳賢は、今後、栄儀が、もっと深刻な発作を起こして、孤独死してしまう事態を何よりも恐れていた。徳賢自身の経営する病院が、目と鼻の先に有りながら、親友を自宅で、ひっそりと死なせてしまうのは、徳賢でなくても、寝覚めが悪い。
「もちろん、外泊くらいなら、僕が許可しますけど」
天祥は、これまでも、週末のたびに、栄儀の外泊許可を出している。
本当のところ、病院側に、栄儀を強制的に入院させておく権限は無い。栄儀が望むのであれば、今すぐにでも退院できる。しかし、栄儀は、天祥の出す外泊許可だけで、満足しているようにも見えた。
栄儀にしても、徳賢の気持ちは、充分に承知しているのだろう。
(五)
「ところでな、天祥。ひとつ、お前に聞きたいことがある」
徐栄儀は、天祥の胃袋が、一段落付く頃を見計らって、話を切り出した。
「奇遇ですね。実は、僕も、です」
天祥は、きっちりと口の中の食べ物を飲み込んでから、答えた。
「そうか、では、お前から言え」
「いや、いや、年功序列で。徐叔々(シュィおじさん)から、どうぞ」
「うむ。ならば、単刀直入に聞くが、最近、この病院に、妙な症状の軍人が何人か、運ばれて来たとか?」
前々から、薄々は感じていたが、中国の医療関係者に職業上の機密保持義務を守るという意識は無いという事実が、たった今、明らかになった。
「そんな話をどこで耳にされたんです?」
呆れた振りを装い、天祥は、栄儀に尋ねる。
「看護師同士が、ひそひそと話をしているのが、たまたま私の耳に入って来ただけだ」
栄儀は、しれっとして、言い放つ。
「まあ、良いです。僕も、今日は、守秘義務違反を犯すつもりで、ここに来たことだし」
「いや、いつ、いかなる場合も、規律は守るべきぞ、天祥!」
いけしゃあしゃあと、よくも言えたものだ。面の皮が厚いとは、このことだ。
「そういうことであれば、残念ながら、副主席のさっきの質問にも、お答えできかねますね」
天祥は、わざと残念そうな顔を作って、言い放つ。しかし、栄儀は、所詮、天祥のような青二才が敵う相手ではない。
「天祥、お前、私の前で独り言を言え。私は、たまたま、お前の独り言を耳にしてしまったことにしよう」
(六)
栄儀は、天祥の「独り言」を一通り、耳にし終えてから、おもむろに口を開いた。
「今、お前が言った症状と同じ症状の軍人は……この病院に搬送されて来た五人に留まらん」
栄儀の言葉は、天祥の予想から大きく外れる言葉ではなかった。
「私は、すでに人民解放軍を引退した、ただのおいぼれよ。今さら、軍内部の些事に口出しする気は、さらさら無い。小陳(陳強国)とて、私が介入すれば、快くは思わんだろう。それに、軍は、内部の問題が、外部に漏れる事態を何よりも嫌う。国防を司る部門であれば、この秘密主義も、至極、当然のことと言えようぞ。しかし、最早、この問題は、軍内部では、処理し切れないほど、大事(おおごと)になっているのも事実でな。ここ何ヶ月か、毎日、何十人、ことによれば何百人単位の兵隊が、お前の言うように、呆けのようになって、命を落としていっておる。天祥、お前は、この事態をどう見る?」
栄儀の淡々とした口調の陰に、歯がゆさや、やり切れなさ、苛立ちが、包み隠されているのを天祥は感じ取っていた。引退したとは言え、十年余り、手塩に掛けて育てて来た人民解放軍で勃発した異常事態に、やり場のない感情が沸きあがるのも、天祥には、よく分かるような気がした。同時に、すでに役職を退いて一年以上が経つにも関わらず、今なお栄儀に対して、軍内部の出来事をつぶさに報告して来る部下がいる事実に驚きもした。
新しい指揮官の陳強国は、徐栄儀が、この世から消えて亡くなってくれる日を心待ちにしているかも知れない。後任の者にとって、前任者への人望が厚過ぎるのは考えものだ。
「医者なら、最初に感染症の可能性を考えると思います。軍隊のような密着した集団では、感染症が蔓延し易いでしょうし。ただ、今回、搬送されて来た一連の患者さんの唾液や、血液、糞便から、病原性の細菌やウイルスは、検出されていませんし、いずれの患者さんも、脳に著しい萎縮が認められるので……病状の経過や、進行の速さに疑問は残りますが、やはり、アルツハイマー症と診断するのが、妥当ではないかと思います。病変は、大脳の周辺に集中しているので、大脳周辺組織の病理検査をすれば、他にも何か分かるかも知れませんが、今のところ、ご遺族の承諾が、得られていないので……」
栄儀は、身動(みじろ)ぎひとつせずに黙って、天祥の所見を聞いていたが、やがて意を決したように、天祥に尋ねた。
「ここに運び込まれた患者の中で、まだ生きているのは、二人だけか?」
「ええ。ただ、この二人も、いつまで持つか……」
はなはだ心もとない気分で天祥は呟いたが、栄儀は力強く宣言した。
「二人の内、どちらかの患者が死亡したら、私に知らせて貰えないか? 病理解剖に同意するよう、私が、ご遺族を説得しよう」
栄儀が請け負った以上、病理解剖は、実現したも同然だった。
(七)
「ところで、軍内部は、今、どんな様子か、もう少し詳しく聞かせて貰えませんか? 解放軍は、いくつも優秀な軍医大学を付設しているし、こういった感染症が疑われる症例は、第三軍医大あたりが、もっとも得意とする分野じゃないんですか?」
天祥は、栄儀に向かって、単刀直入に問い質した。
「確かに軍医大は、中国でも最高の医療研究水準を誇るが、今は、圧倒的に人手が足りないと聞いている」
栄儀は、ほんの束の間、躊躇するような素振りを見せたが、思い直したように続けた。
「今度は、私が、ひとりごちる番のようだな。お前は、たまたま聞いてしまっただけだ。良いな?」
天祥は、無言で頷いた。
「今から八ヶ月ほど前だ。軍の核施設のひとつから、大量の放射能が漏れるという事件が起こった。天祥よ、もう十年近くも前だが、青海(チンハイ)省で大きな地震が起こったのを覚えているか? 日本でも大々的に報道されたはずだ」
独り言を聞いているはずが、いきなり質問を投げかけられた天祥は、質問に答えて良いものかどうか、迷った末に、曖昧に頷くにとどめた。天祥の仕草をちらりと確認してから、栄儀は続けた。
「地震被災地の西南、チベットとの省境辺りに、人民解放軍が所有する巨大な核施設がある。地震を含めた自然災害の発生も想定の上で、周到に設計された堅牢な地下施設だったし、あの地震の直後において、施設から放射能が漏出した徴候は見当たらなかった。これは、私自身の目で確認したことだから、間違いは無い。しかし、件(くだん)の施設が、地震によるダメージをまったく受けていなかったかと言えば、決してそうではなかったらしい。そのツケが、十年も経って回って来た。本来ならば、地震の終息後、もっともっと入念に、施設の損傷をチェックすべきだったし、必要が有れば、構造も補強しておくべきだった。それを怠ったのは、当時の現場指揮官であった私の咎よ……」
天祥には、栄儀が、膝の上においた拳を固く握り締めるのが見えた。
「その放射能漏れ事故で、施設周辺に駐屯していた大勢の軍人たちが被曝した。しかし、軍施設の事故を公にはできん。十年前のあの地震の後、施設周辺数十キロ以内への民間人の居住を規制したこともあって、民間人は被害を受けておらんし、軍人のみに被害がとどまる今回の事故を公にするメリットが有るとも思えん。先ほども言ったが、これは決して情報の隠蔽ではなく、やむを得ない措置なのだ、天祥。異論も有ろうが、国防に関する情報を開示するのであれば、すべての問題が、解決を見た然る後に、公式に情報を開示すべきであると、私は思う。……少し話が逸れたが、軍内部においては、未だ解決を見ない問題に関する情報を非開示とする基本的な方針に基づき、被爆した軍人たちのケアは、軍附属病院の専用病棟でこれを行なうことが原則となっておる。軍医大附属病院の専用入院病棟は、被爆した軍人の患者で溢れかえっているとの報告を、つい数ヶ月前に受けたところよ」
放射能漏れ事故だの、生物兵器の開発だの、軍にまつわる怪情報は、時々、インターネット上に流れるが、いずれも「都市伝説」の域を出ないものばかりだ。一般の人民はもちろん、たとえ軍の関係者であっても、遠隔地で従軍する兵士たちの中では、軍内部で放射能漏れ事故が発生した事実を知らない者の方が、圧倒的に多数派なのかも知れない。
「放射能漏れ事故だけでも一大事だと言うのに、事故から二月(ふたつき)も経たない内に、新型インフルエンザが人民解放軍内部で猛威を振るい始めた。お前の言うとおり、軍隊のごとき密接した集団内では、感染症が蔓延し易いからな。もっとも新型インフルエンザが、弱毒性だったのは、不幸中の幸いだったと言うべきだろうし、ワクチン接種も比較的良好な効果を上げたと聞いている。短期間に、軍内部でのインフルエンザの流行を小康状態に持っていけたと、胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は、この死に至る奇病の出現だ。最早、軍医大附属病院の専用病棟は、パンク状態で、機能不全に陥っておるわ」
栄儀の話は、大きく息を吐く音とともに完結した。
「徐叔々(シュィおじさん)、僕は聞かなかったことにした方が良いですよねえ? 今の叔々の独り言……」
事が事だけに、軍隊内部の事情など、聞くべきではなかったという後悔と、聞いてしまったがために、自分が、のっぴきならない立ち居地に追い込まれるのではないかという漠然とした不安が、天祥の中で交錯していた。
組織が大きくなればなるほど、内部には多種多様な矛盾を抱え込んでしまうものだ。平時であれ、開戦時であれ、巨大な規模を誇る組織としての軍隊が、常時、ある程度のトラブルを抱えているのは、致し方のない事情だとは思う。
ただ、この一年ほどの間に、放射能事故、新型インフルエンザへの集団感染、そして今回の奇病の蔓延という、大きな問題が、立て続けに軍隊内部で勃発している事実は、天祥の想像の域を遥かに超えるものだった。
いや、おそらく徐栄儀が、指揮官だった当時も、次から次へとトラブルは、発生していたに違いない。そういったトラブルが大事に至る前に、収集を付けられる稀有の才能を持った逸材こそが、徐栄儀という人物だったのだろう。
中央の長老たちに、異端児と揶揄されながらも、徐栄儀中央軍事委員会副主席は、中央にある豪華な執務室で、ふんぞり返っているだけの最高司令官ではなかった。栄儀は、常に現場とともにいた。
もし、今でも徐栄儀が、軍の最高指揮官であったならば、この奇病による死亡例が、初めて出現した時点で、病理解剖を含め、徹底的に原因を解明するよう、命じているはずだ。
軍隊とは、何の縁もない一介の市井の医者である天祥のために、栄儀が病理解剖を承諾するよう患者の遺族を説得すると約束したのは、とりもなおさず、軍内部では、一例の病理解剖すら行なわれていない事実を意味するのではないのか。
今なお、前指揮官を慕う軍内部の人間たちから、何とか内部の混乱を沈静化させて欲しいと、懇願されたのかも知れない。
おそらく、栄儀は、自らが育て上げた現人民解放軍の一大事に、手をこまねいてなど、いられようはずもない。しかし、その一方で、すでに引退している自分自身が、表立って動くのを潔しとすることもできない。
熟考の末か、苦肉の策かは、知らないが、栄儀は、無二の親友の
息子であり、さらには病気の専門家である医者の天祥に白羽の矢を立てた。
そう考えれば、栄儀が天祥に軍内部の事情を話して聞かせた理由の辻褄は合うような気もする。あまり認めたくはなかったが。
「お前に聞かせたのではない。今のは、独り言だ。聞かなかったことにするのは勝手だが、現実的には、聞いてしまった以上、お前は、もう後へは戻れん」
じっとりと湿り気のある悪魔のような微笑を浮かべた栄儀の顔が、天祥のすぐ前に迫った。
栄儀の表情を見た時、天祥は、まことに遺憾の極みだったが、つい今しがた、自分の頭に浮かんだ考えが、正しかった事実を悟った。
どうして、いつも実現して欲しくないことばかり、現実化するのだろう。
一般の中国人と同じく、天祥も、できれば、人民解放軍とは、関わりを持ちたくはない。仮に自分の起こした行動が、軍にとって都合の悪い事実を穿り出す(ほじくりだす)ような事態を招いたら、ここ天和総合病院に、装甲車が、突っ込んで来ないとも限らないからだ。
半ば泣きたい気分になりつつも、天祥は、最後の抵抗を試みる。
「いや、いや、いや……僕は、市井の一医者として、この症例の原因を突き止めたいとは思いますが……決して、それ以上のことは……。やっぱり軍のことは、軍で解決するのが、一番、理に適っているんじゃないかと。……僕は何も聞かなかったということで……」
しどろもどろで、上手く呂律が回らない。
「ともかく、病理解剖の結果いかんによって、これからの方針を考えようではないか、天祥」
天祥の困惑には、お構いなしに、栄儀が言い放った。
(これからの方針って何? 普通は、病理解剖が終着点だと思うんだけどっ!)
声にならない叫びだったが、天祥の心の中の絶叫を聞き透かしていたかのように、栄儀が不穏な予言を付け加えた。
「もしかすると、病理解剖は、すべての始まりかも知れんぞ。天祥、じじぃの勘を、ゆめゆめ侮るなよ。私は、己の直感を信じて、軍のトップに上り詰めた男ぞ!」
(八)
結局、栄儀に押し切られた格好になってしまった。
特別室を辞去してからも、天祥は、憂鬱な気分を引き摺っていた。この上は、病理解剖が「すべての始まり」にならぬよう祈るばかりだった。
世の中には、原因不明の病気など、星の数ほど有る。たとえ患者全員が、人民解放軍という同じ母集団に所属していたとしても、たとえ患者全員が、判で押したように同じ症状、経過を辿って、死に至ったとしても、解剖で何も見付からなければ、ただの偶然で片が付く。栄儀の「独り言」は、この際、無視するとして、天祥の元に運び込まれて来た患者は、たかだか五人に過ぎない。五人なら、偶然の一致が、充分に生じ得る範囲内だ。
しかし、その一方で、何も出ないわけがないだろう、という悪い予感がしていた。ひとりの医者としては、病理解剖を通じて、病因が明らかになって欲しいとは思う。
問題は、病理解剖で明らかにされた病因が、民間人が知るべきではない病因――何らかの軍事上の機密にわずかでも触れるような事由、もしくは共産党一党独裁体制の堅持にいささかなりとも影響を与えるような事由――であった場合だ。
鄧小平の開放、改革路線を踏襲し、経済の自由化を積極的に推進することで、現在も高い経済成長を維持している中国だが、決して忘れてはいけない事実がある。表面的にどう見えようが、中国は、今なお、ガチガチの共産主義国家であるという事実、そして人民解放軍は、中華人民共和国の国軍ではなく、中国共産党の党軍であるという事実だ。中国という国においては、戦前、戦中の大日本帝国以上に、国家権力ほど恐ろしいものはないと、肝に銘じておく必要がある。
いずれにしても、病理解剖は、出来る限り、秘密裏に行なうに越したことはない。
(九)
「午後十一時四十八分、ご臨終です」
わずか数日前、四番目に搬送されて来た軍人の患者の遺族に、天祥は静かな声音で臨終を告げていた。
遺族の口からは、押し殺した嗚咽が漏れ出す。患者の妻と息子が同席していた。息子は、まだ二十代の前半だろうか。患者の年齢が六十二歳だから、遅くに出来た子供なのだろう。おそらく実年齢以上に幼さの残る顔が、涙でくしゃくしゃに歪む姿は、見ていて痛々しかった。きっと自慢の父親だったに違いない。
妻の方は、息子よりは、落ち着いて見えたが、夫の死を受け入れるまいとして、必死に涙を堪えているようでもあった。
「力が及ばず、大変、申し訳ありません」
患者の妻に向かって、天祥は深々と頭を下げた。
「……いいえ、大変、良くして頂きました。感謝しております」
天祥の顔を真っ直ぐに見詰めながら、思いがけず、気丈な声で、妻が答えた。患者の妻は、疲れ切った表情を浮かべていたものの、年相応の知的で静かな美しさを湛えた顔立ちをしていた。
この女性(ひと)ならば、解剖を承諾してくれるかも知れない、と思わせる凛とした声だった。
傍らにうずくまる息子の慟哭が、しゃくりあげるような嗚咽に変わった頃合を見計らって、天祥は慎重に切り出した。
「実は、今、この病院に、人民解放軍と極めて縁(ゆかり)の深い方が、入院しておられまして……」
「存じ上げております」
患者の妻は、きっぱりと口に出し、「中軍委の徐副主席ですわね?」と続けた。
「ご存知でしたか」
天祥は、苦笑いするしかなかった。
「先日、病院内で、思いがけず、お目に掛かりました。大変、光栄でした」
栄儀自身が、キチンと布石を打っておいたというところか。
「そうですか。ならば、話は早いです。徐栄儀氏をお呼びしても?」
「もちろんですわ。……主人も喜ぶと思います」
患者の妻は、この時、初めて言葉を詰まらせた。両眼から涙が、とめどなくあふれ出た。
(十)
栄儀は、ベッドに横たわる、もの言わぬ患者に向かって、長い間、最敬礼の姿勢で対峙していた。誰もが見惚れるほど、威厳のある綺麗な敬礼だった。
栄儀が、部下や市井の人々から愛され、慕われるのは、栄儀自身が、部下や市井の人々、そしてこの中国と言う国を心の底から愛し、大切に思っているからに他ならない。自らが与えた以上の見返りを受け取れる人間などいないのだから。
ようやく栄儀は、敬礼を解き、天祥の隣に腰掛けた。
遺族は、敬慕の眼差しで、栄儀の一挙手一投足を見守っていた。
「残念です」
栄儀は、一言、ポツリと呟き、やや間を置いて、言葉を継いだ。
「軍人は、退役した後にこそ、ご苦労をかけたご家族に報いる義務がある。良き家庭人、良き伴侶、良き父親となる務めを、心ならずも果たせずに、亡くなってしまわれた本人が、一番、無念だと思います」
遺族から、再び啜り泣きの声が、漏れ始めた。
「本来であれば、国のため、人民のために、己が命を捧げんとするのが、軍人の志であり、軍に入隊したその日より、いつ何時でも死ぬる覚悟を定めおくのが、軍人の心得というものです。そして軍の指揮官は、戦時のみならず、平時においても、それら部下から預かった命を守りとおす責任を負わねばなりません。しかし……」
栄儀は、机の上に用意された鉄観音を一口啜った。天祥と二人の遺族は、栄儀の次の言葉を待っている。
「率直に申し上げましょう、夫人(奥さん)。遺憾の極みではありますが、現在、人民解放軍の指揮官は、その責任を果たせておりません。軍内部では、あなたの老公(ご主人)と同様の症状で大勢が命を落としています。原因はいまだ解明されていません。原因の究明が進まない限り、今後も、同じように命を落とす軍人が、後を絶たない可能性がある」
栄儀は、実直な眼差しを患者の妻に向けた。
「……どうでしょう? 病因の解明に協力して頂けないでしょうか?」
患者の妻の眼は、たった今流したばかりの涙で赤く染まっていたが、表情には、一点の曇りもなかった。
「分かりました。ずいぶんと昔の話になりますが、私も医学を志した人間です。病理解剖を承諾致します」
天祥は、慌てて患者のカルテを見直したが、患者の妻の職業など、当然、記載されているはずもなかった。
(十一)
「……正規の医師ではありませんでしたが」
患者の妻は、膝の上で固くハンカチを握り締めながら、か細い声で付け加えた。
天祥は、正規の医者ではないという意味が、よく呑み込めず、隣で訳知り顔を決め込む栄儀に、どういう意味かを説明してくれるよう、懇願する視線を送った。
「文革よ」
栄儀は、天祥に向き直って、短く答えた。
天祥にとって、自分が生まれる十年も前に終結している文化大革命は、例えるならば、戊戌維新や、太平天国の乱のような歴史上の事件と同列の出来事であり、社会の教科書に記載されている中国現代史の一部に過ぎなかった。
天祥自身が、歴史の一部としてしか認識できない文革の時代を、栄儀や、目の前に座っている患者の妻は、リアルに生きて来たのだと思うと、天祥は、図らずも不思議な感覚に囚われた。
「七十年代の後半に……まだ十六歳でしたが、農村に行って、医者として働かせて欲しいと、志願したんです……。いわゆる、赤(はだ)脚医生(しの医者)ですね」
患者の妻が、躊躇いを見せつつも、ゆっくりと語り始めた。
「六十年代が、狂気の時代であったとするならば、七十年代の前半は、この国から生気の消え失せた時代でした。日々を生きて行くこと自体、面倒になるような……そんな時代でした。私の父は教師だったのですが、もう早くに紅衛兵たちに捕まってしまい、結局、戻っては来ませんでした。母は、精神のバランスを崩し……自ら命を絶ちました。沢山いた兄弟たちもバラバラになって……。だけど、人間って不思議なもので、自分が、他の誰かの役に立っていると思えれば、生きる気力も沸いて来るんです。赤脚医生にならなければ、私も母と同じように、命を絶っていたかも知れません……」
傍らの息子は、父の死とは、また異なる不安を湛えた瞳で、母親の顔を見詰めていた。おそらく、息子も、母の告白を、今、初めて聞いたのだろう。息子の視線に気付いた母親は、幼子をなだめるように、息子の背中を優しく叩いた。
「……私が赴いた村には、もう一人だけ、楊大夫という、かなり年配のお医者さんがいらっしゃったんです。楊大夫は、おそらく本物のお医者さんで――きちんとした医学教育をお受けになったドクターという意味ですけれど――私は、楊大夫から色んなことを教えて頂いたように思います。今でも、こと有るごとに楊大夫が、私に言って聞かせてくれた言葉を鮮明に覚えています。楊大夫は『医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以って、我が身の利養を専に志すべからず』という言葉を好んで使われました。病理解剖が、病因の解明に繋がり、ひいては他の大勢の方々を救う礎となるのであれば、私はもとより、主人も本望だと思います」
言い終えて、患者の妻は、背筋をシャンと伸ばし、姿勢を正したかと思うと、天祥と栄儀に対して、もう一度、深々と頭を下げた。
患者の妻に返礼する形で、栄儀と天祥も頭を垂れる。
解剖の承諾を貰うという目的を遂げ、病室を後にしようとした刹那、栄儀は、患者の妻に振り返って告げた。
「奇遇ですな、夫人(フーレン)。まだ私が年端もいかぬ子供の頃ですが、私も楊大夫という立派な医者を知っていました」
栄儀の眼差しは、現在ではなく、過ぎ去った遠い昔を見ているかのようだった。
(十二)
楊大夫が好んで口にした言葉が、間接的には、唐の陸宜公の思想に端を発し、直接的には、日本の貝原益軒が著した『養生訓』を出典とする言葉であるのを天祥に教えてくれたのは、徐栄儀だった。中国の知識階級の年寄りどもは、驚くほどに博識だった。
もっとも、天祥が、いくら物を知らない若輩の徒であるとは言っても、『医は仁術』という言葉くらいは知っていた。曲りなりにも、日本で医学部を卒業しているのだ。
しかし、その言葉の出典や意味に、深く考えを至らせた記憶は無かった。ある物事に対する思索の深さの違いが、結果的に教養の差となって現れるのだろう。
天祥は、自分自身の思索の浅さを反省しつつ、楊大夫の身の上に思いを馳せた。
楊大夫は、日本に留学して、医学を学んだ経験が有ったのかも知れない。文革の時代であれば、日本への留学経験が資本主義的と非難され、農村に下放されたと考えても、不自然ではなかった。ひどい時代が有ったものだ。いや、むしろ文化大革命のずっと以前から、この国には、ひどい時代が続いていたと言うべきか。
天祥の血族である何家(ホー・ジア)は、七十年近く前に、祖国である中国を捨てて、日本へと逃れて来た。普段は、商売人らしく、開けっぴろげで饒舌な徳賢だが、日本に逃れざるを得なかった理由や経緯に話が及ぶと、牡蠣のように堅く口を閉ざしてしまう。
徳賢だけではない。七十年ほど前、第二次国共内戦の混乱の中、何家と同じように日本に流れて来た中国人たちは、皆一様に、自らの過去の一部については、寡黙だった。その寡黙さが、生きて来た時代の陰鬱さを反映しているようでもあった。
様々な思いが、胸裏に去来する中、天祥は、ふと壁に掛けられた時計を見やる。時計の針は、午後九時四十五分を回ったところだ。午後十時から病理解剖を開始する手はずを整えておいた。
天祥の専門は内科だが、必要に迫られれば、外科手術以外、大抵の処置をこなした。もちろん、解剖も例外ではない。
天祥は、両腕を高く突き上げて、上半身の筋肉を伸ばす。肩甲骨の辺りから、ポキポキという骨の鳴る音が聞こえた。凝り固まった体が、いく分ほぐれたのを確かめてから、ゆっくりと立ち上がる。
解剖室は、地下一階の東側突き当たりだった。
(十三)
四方を真っ白な壁に囲まれた、無機質な空間の真ん中に、患者の遺体が横たわっている。完全に生命の息吹の途絶えた世界という形容が、解剖室には似つかわしい。外界では、気にも留めないような些細な音が、解剖室の中では、異常に増幅されて反響する。
生きた人間の体にメスを入れる手術が、動の作業であるならば、死者の体にメスを入れる解剖は、静の作業だった。
手術が、ある特定の個人の未来を救う作業であるならば、病理解剖は、結果的に不特定多数の未来を救う作業であるとも言えた。
天祥は、遺体に対して、おごそかに手を合わせた。解剖前の合掌という動作を経て、遺体への意識を「昨日まで生きていた特定の誰か」から「すでに生命徴候の消失した不特定の有機物」へと切り替えていく。一切の感傷を捨て去り、ただ冷静かつ事務的に、目の前に横たわる「有機物」にメスを入れていくのだ。あらゆる予断を排除しなければならない。
合掌を解くと同時に、閉じていた眼をゆっくりと開け、ステンレスのトレイから、注意深くメスを手に取るや、天祥は、何の躊躇もなく、上胸部から下腹部まで一気にメスを走らせた。
(十四)
遺体の損傷が激しくなることを承知の上で、患者の妻は、頭部のみの局所ではなく、全身の解剖を強く希望した。内臓疾患に起因する意識障害の可能性をも考慮に入れた判断なのだろう。確かに、今回のような特異な症例では、あらゆる可能性に、アンテナを張り巡らせる必要がある。
この未亡人からは、患者の妻である前に、かつて医術に携わった者として責任を果たそうという強い意思が感じられた。医師免許こそ持たないが、この女性(ひと)は正真正銘の医者なのだと、天祥は深く感じ入った。
目の前に露になった各臓器を、天祥は、つぶさに観察していく。肉眼による観察では、肝硬変の徴候や腎臓の病変なども認められず、臓器は、総じて綺麗なものだった。司法解剖ではないので、臓器の摘出は行なわないが、念のため、各臓器の組織サンプルは採取しておく。
組織サンプルのパラフィンへの埋包から切片の作成までを自動的に処理できる装置が開発されて以来、医者にとっても、検査技師にとっても、病理検査が格段に楽な作業になったのは事実だった。オートメーション化が進んだお陰で、サンプル数が多過ぎると、検査技師からネチネチと文句を言われることが無くなった反面、熟練の職人芸を持つ経験豊富な検査技師が、絶滅の危機に瀕しつつあるのは、寂しい限りだった。
頭部の解剖に移る前に、天祥は、切開した胸部から腹部にかけての皮膚を縫合することにした。神から与えられた奇跡の手を持つ一握りの外科医ほどではないにせよ、縫合箇所を目にした遺族が憤慨しない程度に、整然と皮膚を縫い合わせていった。
およそ手術や解剖は、患者の家族や遺族に対して、積極的に開示できる類の作業ではない。とりわけ頭部の手術や解剖は、患者の家族、遺族に見せるべきではない作業の筆頭に挙げられるのではないかと、遺体の頭蓋骨を電気ノコギリで切開しながら、天祥は思う。頭蓋骨を電気ノコギリで切開する作業を正当化できるのは、医者であるからという理由のみだ。医者でなければ、ただの頭のおかしい死体損壊マニアだった。
頭蓋骨が切り取られ、剝き出しになった大脳は、肉眼でも、はっきりと分かるほどに萎縮していた。診断時のCT画像を見た時よりも、衝撃は大きかった。
典型的な症状の出現から、わずか数日で死に至ったこの患者は、果たして本当にアルツハイマー症だったのだろうか。疑念は、ますます膨れ上がる。
喉元に込み上げる不穏な気持ちを何とか抑え付けて、天祥は、大脳周辺の萎縮部位と海馬部位から複数の細胞サンプルを採取した。
(十五)
病理解剖が終わったのは、すでに日付が変わって、二時間ほどが経過した頃だった。せっかく人目を忍んで、たった一人で、解剖を行なったにも関わらず、今晩の当直シフトに入っていない天祥が、こんな時間に病院内をウロウロしていれば、当直している他の医師やスタッフから、要らぬ詮索を受けぬとも限らない。天祥は、人影が無いのを入念に確認して、特別室階への直通エレベーターに乗り込むと、六〇一号室に直行した。
六階にもナースステーションは有るのだが、六階まで辿り着いてしまえば、何とでも言い訳が立つ。徐栄儀が、しょっちゅう天祥を自室に呼び出しているのを看護師たちも知っていたし、今晩も、六〇一号室のわがままじいさんに、急遽、呼び出されたとでも言っておけば、申し分は立つ。天祥は、頭の中で様々なパターンの言い訳をシュミレーションしてみたが、ナースステーションに看護師の姿は無かった。ほっとしたような、残念なような複雑な気持ちを抱きつつ、ナースステーションの前を通り過ぎ、六〇一号室のドアをノックしようとした正にその直前、内側からドアが開け放たれた。
どうやら、六〇一号室のわがままじいさんは、すでにお待ちかねのようだった。
(十六)
天祥は、病院の備品とはとても思えぬ、絢爛としたソファに体を預け、たった今、栄儀が点ててくれたばかりの碧螺春(中国茶の一種)を一口啜った。馥郁たる茶の香りと芳醇な旨みが、口の中に広がる。
中国茶道を嗜み、優雅な手付きで、銘茶を立てる好々爺に、無骨な軍人の面影は見当たらない。良過ぎる体格と姿勢を除けば、文化人として身を立ててきた人間と見まがうほどだ。しかし、徐栄儀の体に流れる血の一滴までもが、軍人であるのを、天祥は知っている。
剛を誇ると同時に、柔を操る資質を兼ね備えていたからこそ、栄儀は、人民解放軍という巨大組織の長たり得たのだろう。
茶具を整えて、栄儀は天祥の対面に腰を下した。
「それで……解剖は、滞りなく終わったのか?」
さりげない様子で、栄儀が切り出した。
「はい。特に問題も無く。詳しい組織検査は、明日以降になりますけど」
天祥の回答に栄儀は小さく頷いた。
「肉眼での観察で、何か気付いたことは?」
栄儀の物言いは、大学時代の指導教官か、研修時代のオーベンを彷彿とさせた。人の上に立ち、部下を指導する側の人間の物腰や言い草が、びっくりするほど似通っている事実に気付いて、天祥は、苦笑を禁じえなかった。
「肉眼の観察では、脳の萎縮が甚だしいこと以外、内臓などに特に気になる徴候は、認められませんでした。全体的に綺麗なものでした」
「内臓や脳の組織検査は、いつ行う?」
「二十四時間有れば、下準備も完了するでしょうから、明日のこの時間には」
「分かった」
実に歯切れの良い質疑応答だった。
「他に何か?」
天祥の問い掛けに、栄儀は首を振った。
「今のところ、何もない。良くやってくれた。礼を言うぞ、天祥。ありがとう」
父親よりも年上の栄儀に頭を下げられて、天祥は、心底、居心地が悪かった。
「やめて下さいよ。恐れ多い。そんな風にされたら、これからも、叔々(叔父さん)からの頼まれごとを断れなくなってしまうじゃないですか」
天祥は、口に出して、すぐさま愚かな言葉を発してしまった己の失策を悟ったが、すでに後の祭りだった。覆水難収(覆水は決して盆には返らない)。
「そうだろう、そうだろう。お前に動いてもらうためならば、この頭の一つや二つ、いくら下げても、惜しくはないというものよ」
大仕事を終えた後の夜中の二時を回った時点での失言にも、容赦は無かった。
(ああ、僕はいったいどこに行くのでしょう、神様。目の前にいる、この自分勝手なおじいさんは、僕をどこへ連れて行こうとしているのでしょう。生まれてこの方、三十一年間、平穏無事に生きて来た僕の人生は、もう戻っては来ないのでしょうか)
天祥は、心の奥底から、組織検査の結果に、何の異常も認められないことを祈った。
(十七)
結局、翌朝は、六〇一号室から出勤した。外泊と言っても、病院内の一室で、しかも、一夜をともにしたのが、七十後半のじいさんでは、色気もクソも有ったものではない。
寝不足の重い頭を抱えて、診察室に入る。午前中の診察が終わったら、少し仮眠を取ろう。
天祥の外来診療を補佐する看護師は、姜芳桃(ジアン・ファンタオ)という芳香の立ち上りそうな名前を持つ、四十路も折り返し地点を過ぎたベテラン主任だった。容姿については、色黒の痩せぎすで、いく分、名前負けしている感は否めないが、看護技術は、婦長も一目置くほど、確かだった。豪快な性格で口は悪いが、患者からは、元気が出ると人気が高い。
実力派の姜看護師が、寝不足の天祥を絶妙にフォローしてくれたお陰で、何とかつつがなく、午前中の診療を終えることができた。
「ごめん、もう、限界。ちょっと寝て来るわ。急患が来たら、呼んで」
天祥は、目頭を揉みながら、姜看護師に声を掛けた。
「急患は、別の先生に診てもらえるようにするわ。先生、鏡見てごらんなさいよ。目の下に隈ができて、真っ黒よ。シャブ中みたいで怖いから、その隈が取れるまで、人前には出ない方が良いんじゃない? まあ、若いから仕方ないけどさ、夜遊びも程ほどにしときなさいよ」
別に姜看護師は、天祥に喧嘩を売っているわけではない。姜看護師の言葉をごく一般の人間の言葉に翻訳すると「邪魔が入らぬようにして差し上げるから、ゆっくりと休んで来て下さいな」というほどの意味になる。
「いつも、ありがとう。僕をアシストしてくれる看護師さんが、あなたで良かった。僕は、世界一、幸せな医者かも知れない」
一見、歯の浮くような大仰な台詞の中に、天祥は、感謝の気持ちを精一杯に込めて伝えた。姜看護師が拳を振り上げて、天祥の頭を殴る振りをするのを大袈裟に避けて、天祥は医局の仮眠室へと引き上げた。
(十八)
姜看護師の計らいによって、天祥は充分な午睡時間を確保することができた。シャブ中みたいで怖いと指摘された目の下の隈も、すっかり消えていた。
いつもどおり、自称、爽やかな若先生として、午後の病棟回診に当たれそうだった。
今日、明日にでも、退院できそうな軽症の患者の診察は、気持ちも軽い。
が、今日はあちこちの病室で、主に、患者の付き添いのご夫人方から、早々に身を固めるべきだとの訓示を頂戴する羽目に陥った。姜看護師が、何先生は、夜遊びが過ぎると言い広めたに違いない。
「先生も、もう良い年じゃありませんか。お心に適うお相手が、おられるんでしたら、無理にとは言いませんけれど……ご紹介差し上げたい申し分のない娘さんが、いらっしゃるのよ」
天和総合病院には、比較的、裕福な入院患者が多く、裕福な家庭のご夫人方は、日本であっても、中国であっても、見合いの世話をするのが、大好きなのだ。殊に、華人の大実業家である何一族の御曹司であり、日本最高峰の大学の医学部を出た優秀な医師でもある天祥などは、格好の標的だった。
ご夫人方の思惑とは裏腹に、天祥には、結婚する気は、さらさらなく、中年女性の母性をビシビシと刺激する物憂げな笑顔を浮かべつつ、フェードアウトするのが、常だった。
実のところ、天祥は、結婚に対して、何の期待も抱けないでいた。
天祥には、七人の姉がいる。長姉は、天祥より十五も年上だから、もう五十に近かった。女ばかり七人も続いた後の末っ子長男が、天祥なのだ。
天祥が生まれた時の徳賢の喜びは、尋常ではなかったが、生まれ落ちた瞬間、姉七人の中に放り込まれた天祥は、あたかも狼の檻の中に放り込まれた子羊のようなものだった。姉たちも、父に劣らず、天祥を溺愛したのだが、姉たちの愛情表現が、センシティブな少年だった天祥には、苦痛以外の何物でもなかった。子供の頃の姉たちは、ひとつしかない玩具を奪い合うように、天祥を奪い合った。七人の姉たちは、一人残らず、我が強かったのだ。
世の習いとして、逞しい子供は、総じて逞しい大人となる。長じて姉たちは、全員が、商業、金融、経済、バイオ、情報通信、薬学、軍事などなどの様々な分野で、頭角を現した。さも当たり前のように博士号を取得している姉たちは、一介の大卒の医者である天祥を歯牙にも掛けていない節がある。
殊にすぐ上の七(七番目の)姐(姐)は、天祥にとって、天敵、いや天災と言っても決して言いすぎではない存在だった。麗(リー)春(チュン)という可愛らしい名前を持つこの七姐とは、二歳違いと年が近いせいもあるのだろうが、小さい頃からよく比較されて来た。周りの大人たちは、口を揃えて言ったものだ。麗春が男の子で、天祥が女の子なら良かったのに、と。
七姐は、子供の頃から、武闘派であり、頭脳派でも有った。どこで覚えて来るのか、訳の分からない武術を仕掛けられては、体格で負ける弟の天祥が泣かされるのが常だった。
大人になってからは、泣かされることこそ無くなったが、幼い頃のすりこみとは恐ろしいもので、今でも天祥は、この七姐を前にすると、心なしか脈拍が速くなり、アドレナリンが噴き出す感覚に襲われる。端的に言えば、七姐の麗春は、天祥にとって、できることなら、極力、顔を合わせたくない存在だった。
七姐は、フランスのグランゼコールであるサン・シール陸軍士官学校を、息をするように自然に極上の成績で卒業した後、フランス軍で実践経験を積んでいた。フランス軍が、有色人種を将校として採用するのは異例中の異例だと、かつて爸爸から聞いた記憶がある。
三年前、天祥が蘇州へ赴任したのと入れ違いに、七姐がフランス軍を退役して日本に帰国したのは、天祥にとっては、天恵と言えた。言うまでもなく、七姐と顔を合わさずに済んだからだ。
もちろん、世の中の女性全員が、七姐を筆頭とする自身の姉たちのように強烈な女性ばかりではないと思いつつも、恋愛や結婚が絡んでくると、天祥は、女性に対して、常に一歩引いたスタンスを取ってしまう。
とは言え、天祥にも、気になる女性がいないわけではなかった。天祥のまぶたの裏には、一年ほど前に、インヴィテーションが届いた高級会員制クラブ『胡蝶蘭(ファラエノプシス)』のマダムであるブリジッド・ウーの顔が浮かぶ。天祥は、ブリジッドの前では、虚勢を張る必要も感じなかったし、素のままの自分でいられた。恋愛感情と呼ぶには、余りにも、幼く淡い感情ではあったが。
今晩の病理検査が終わったら、結果はどうあれ、必ずブリジッドのクラブに出向こうと、天祥は固く決意した。
(十九)
病理医には、かなり変わった人間が多い。
夜の十一時も過ぎた頃、天祥が顕微鏡観察用に処理された細胞切片を持って、病理検査室に入っていくと、当直でもなかろうに、病理医の林志強(リン・ジーチャン)医師が、奥の洗面台のところで、何やら白くて硬そうな物体を、一心不乱に洗浄していた。数多の常人離れした奇行が目立つため、年齢不詳な感が否めないが、林医師は、たしか天祥よりも三つ四つ年上のはずだ。
「あれ? 林先生、今日は残業ですか?」
天祥は、気さくに声を掛ける。誰に対しても、分け隔てなく接しろというのが、何家の家訓でもあった。
林医師は、滑稽なほどに大きく、ビクっと背中を震わせて、振り返った。
「ああ、何先生。いやいや、個人的な趣味で……。鹿の頭骨なんですけどね……。綺麗にして、家に飾っておこうかと。この頭骨、見事なんですよ、大きくて」
林医師は、愛しそうに、水に濡れた頭骨を撫で回しながら、言葉を継いだ。
「何先生、今から検査ですか? 僕は、もう帰りますから、戸締りは、よろしくお願いします」
林医師には、他のスタッフの仕事を手伝おうとか、他のスタッフと協力して何かを成し遂げようとかいう気持ちが、完全に欠落していた。
今日に限って言えば、検査室に残っていたのが、あれこれ詮索するのが好きな医師ではなく、完全無欠の個人主義者の林医師で良かったと言える。
いくらも経たぬ内に、林医師は、自分の上半身ほどもある鹿の頭骨を大事そうに両手で抱えて、検査室を出て行った。
林医師の姿を見て、偏見かも知れないが、病理医になるような医者にだけはなるまいと、天祥は図らずも思ってしまった。林医師をどうしても雇い入れろと命じたのは、徳賢らしいが、天祥には、父の意図が、まったくもって不明のままだ。
天祥は脳細胞の切片を電子顕微鏡のホルダーにセットする。
レンズを覗き込み、ピントを合わせた。薄ぼやけていた試料が、突然、鮮明になる。
(何だ? これ……)
脳細胞に無数の小孔が開いている。スポンジのようだった。
この特徴的な病変の画像が示す疾患は、この世の中に、たった一つしかなかった。
(マジ……かよ?)
考えがまとまらず、天祥は絶句してしまう。
脳細胞が、海綿状になってしまう症状を呈するのは、クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)――あるいはプリオン症と呼ぶべきか――のみだったからだ。まさか、こんなところで、CJDの徴候を目にするとは、夢にも思わなかった。
どうやら、今晩は、ブリジッドの顔を見に行くどころでは、無くなってしまったようだ。
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