第23話 すれ違い

 


  それは、ちょっとしたボタンのかけ違いで起こった。



  美由起との日記には書かなかったが、兄の小鳥遊(たかなし)がヤンデレお嬢様に人口呼吸を施されてしまったという話。


  つまり、俺と美由起はファーストキスを済ませているが、美由起の兄である小鳥遊も唇は(事故とはいえ)既に奪われているという事。



  それを、デート中のよもやま話としてうっかり口を滑らせ、美由起の耳に入れてしまったのである。


 

  その日もイチャイチャデートという事で。


  小さなクリスマスツリーが飾られたテーブルを挟んで向かい合い、俺の手にしっかりと指を絡めていた美由起はそれを緩めて、そしてほどいてしまい、彼女は下を向いてしまった。


  「兄さん、も、キスを経験してしまったんですね……?」


  俺は慌ててフォローに回る。


  「あ、いや、キスと言っても、気絶してた君の兄さんに人口呼吸しただけだから。それをキスと呼ぶのは……。不可抗力というか、さあ」


  「どうして止めてくれなかったんですか?……」


  「そうされても仕方のない状況だったからだって」


  美由起の目は真剣だ。


  「でも、それって、心臓マッサージだけで充分だったのでしょう?」


  美由起は、俺とキスできて大層喜んでいた。

  そのキスを宝物のように大事にしていた。


  それは分かる。

  俺にしてからも大切な経験だった。



  して、それは美由起にとって「兄からひとり立ちする第一歩」であるかのように、彼女は非常に重要な事案として取り扱っていたのである。


  「あっさり抜かれちゃいましたね、また兄さんにーー」


  「別に、そんな事で張り合ったって仕方ないと思うけど」


  俺は一蹴した。


  外の寒い空気を一切遮断した暖かい喫茶店の中で、俺は眠くなって思わずあくびが出てしまった。


  いや、眠くなったからだけじゃない。


  俺は退屈もしていた。

  そしてイライラしてもいた。


  美由起が、『カレシ』である俺をその目に映さず、兄貴の事ばかりを考えているからだ。


  あくびは、その不満を表現する為のパフォーマンスでもあった。


  「ーー正直さ」


  俺は2度目のあくびを噛み殺して相変わらず下を向いている美由起に話しかける。


  むしろ俺は美由起から兄を遠ざけたくて、わざとお嬢様の人口呼吸を教えたのかもしれなかった。


  「美由起は、小鳥遊の事を意識し過ぎだと思うんだよなぁ」


  そう言うと、美由起はハッと電流に打たれたように頭を上げた。


  「小鳥遊がナンパしたいならさせればいいじゃん。勿論、君の兄さんの事で振り回されてる女の子達もいっぱいいるよ? それは何とかしなくちゃいけないと思ってる。でも、小鳥遊が積極的になって明るく生きてるんだから、それを止める権利は誰にも無いと思うぜ」


  「……元の兄さんに戻れなくても、ですか?……」


  「うん」


  本当の話、俺は美由起のブラコンにーーはっきり言おう、嫉妬していたのである。


  可愛らしさと、兄貴を心配する純粋な優しさに惹かれて彼女と付き合い始めたとはいえ。


  美由起は俺をダシにして、兄貴の情報を入手したいだけなんじゃないのか、という邪推すら頭をもたげていた。


  勿論、美由起がそこまで頭の回る子じゃないって事も分かっていたんだが。


  「日記でもさ、美由起、君、兄さんの小鳥遊の話ばっかりじゃん」


  「ご、ごめんなさい……でも」


  俺は止まらなかった。


  否、止められなかった。

  大人げない事に、俺はまるで中学生のようにへそを曲げてしまい、年下の美由起にあたっていたのであった。


  「君の日記も話す事も、小鳥遊の件ばっかりじゃん。本当に俺の事がーー」


  言いかけて、危うく止める事が出来た。

  「本当に俺の事が好きなのか?」って、最悪じゃねぇか?

  今時女子中学生でも言わないだろう。


  現に女子中学生である美由起はそんな事を口にした事は一切無い。

  俺が本当に美由起の事を想ってるって事を信じていてくれているからだ。


  美由起は俺の事をよく『大人っぽい』と言ってくれるが、こんな俺のどこが『大人っぽい』んだ。

  ガキじゃないか。


 

  「……ごめん、なさい。私、思いつくとカーッとなっちゃって。兄さんの事話せるの、雪村さんかお母さんかしかいないから」


  「いや……。こっちこそ、ごめん。何か、言い過ぎちゃって」


  俺は自分で自分が悲しかった。

  美由起に、こんな情け無い顔をさせてしまった。





  外に出ると北風がピューピュー吹いていた。

  俺は、北風さえもうるさく感じて仕方がなかった。


  「雪、村さん……」


  「……ん」


  「あの、また、キスして、くれますか……?」

 

  はじめての時のように、真っ赤になってキスをねだる美由起。

 

  「今?」


  「は、はい! 今がいい、です……」


  だけど、俺は。


  「ごめん……、今は無理」


  美由起に非がある訳じゃない。

  この子はちょっと空気が読めないだけだ。

  ちゃんと、俺の事も見ていてくれてる。


  それは充分過ぎる程分かってる。


  だけど、だからこそ、こんな精神状態の時にキスをするのは美由起を汚すようだったし、自分の嫉妬心にも蓋をして嘘をつくことになってしまうと思ったのだ。


  しかし、幼い美由起にはそんな男の機微が分かるはずもなく、拒絶されたのだと思ったんだろう、目を丸くして俺を見つめている。


  枯れ木が風で揺れ、夕方の暗い空を鋭い爪付きの動物みたいに引っ掻いているようだった。


  俺は口を開いた。


  「美由起、俺はキスする事自体がイヤだって言うんじゃないよ。たださ……」


  「兄さんが悪いんですよね。それと」


  美由起は地面から目を離さずにいた。


  「私も……。雪村さんに迷惑ばかりかけて」


  「そんな事ない」


  俺達はどちらともなく身を寄せ合った。

  ココアを飲んだせいだろう、美由起の身体はまだ暖かだった。


  そして例の胸ーームニュムニュも俺の胸にあたっていたが、その時は感触を楽しむ気さえ起こらなかったのである。

 

  「雪村さん、あったかいです」


  「……うん、俺も」


  だけど2人はぎこちなかった。

  心が……お互いを拒絶し合っていた。



  これが、俺と美由起がした『ケンカ』らしきものだった。


  ケンカの原因まで小鳥遊絡みだというのが余計腹が立った。


  アイツ、早急に元に戻るか死んでくれねえかな……。


  勿論本心ではない。

  とは言え、俺の好きな美由起の大好きな『兄さん』にまでそんな事を思ったのである。

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